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姫路「天満力石の力持ち」へ

姫路天満力持ちへ来ませんか」

浪速の長州力さんからそんなメールをいただいたのは9月半ばごろ。
「戦後誰にも上げられなかった「上がらずの石」に、
岐阜の大江君が挑戦します」

秋になると、
播州のあちこちの神社で、2トンもの屋台が練り歩く秋祭りが行われます。
三ノ宮卯之助像のある魚吹八幡神社では、
播州最多の18台もの屋台が集結。

御旅所へ向かう屋台を、魚吹八幡神社前で高く差し上げる練り子たち
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その魚吹八幡神社の「風流(ふりゅう)=提灯祭り=の宵宮の日に、
天満地区にある蛭子・神明の二つの神社で、石担ぎが行われるのです。

私が姫路市天満区のその神社へ行ったのは、3年前の夏のこと。
炎天下の人っ子一人いない乾いた境内で、厳重に保管された石を見ながら、
「一度この石が若者たちの手で担がれるのを見てみたい」
と熱望したものの姫路は遠い。

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10月21日、蛭子神社にて。(カメラの日付は間違い)

しかし考えてみれば、
今まで私は、過去の遺物としての力石としか向き合ってこなかった。
若者に勝負を挑まれ、抵抗しつつも汗と脂と熱気にまみれてドンと息を吹き返す
そういう石を見なくては力石を語る資格はないんじゃないか。
これはいい機会かもしれない、そう考え直して長州力さんの誘いにのった。

すぐに計画を調整。
10月18日は、
東京都江戸川区・郷土資料室の「まるいし おもいし ちからいし」展へ。

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その足で江東区木場公園での「深川力持ち」へ。
一日おいて20日から3日間は尼崎と姫路。帰宅の翌日は一日仕事。
キツイ!

おまけに今年は町内会の役員をくじで引き当ててしまい、
700世帯を束ねる火消しの頭(防犯防災チーフ)に。
(宝くじは全くダメなのに、こういうのはよく当たるんです)
とにもかくにも、来たる防災訓練の準備に休む暇もない。

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江戸火消し「め組」

お誘いくださった浪速の長州力さんも岐阜の大江誉志さんも初対面。
日ごろ臆面もなく「姫」を名乗り、若ぶってブログを書いている手前、
初対面の方に老醜激しいワタクシメをさらすのも、チト恥かしい。
だが、それよりなにより、
「この目で力石を上げる場面を見てみたい!」
その気持ちが勝りました。

そんなわけで、チャッチャッと行ってきました。
次回からその旅日記をご披露していきます。


<つづく>

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俵ヒョイヒョイ、深川の力持ち

江戸川区の郷土資料室で「ちからいし」展を見たあと、友人宅へ。
いつ来ても優しく温かいご夫妻です。
機関銃のように近況を話したあと、慌ただしく次なる目的地へ向かいます。

目指すは江東区の木場公園でやっているはずの「深川の力持ち」
これは江戸時代、
浅草蔵前の札差(米問屋の仲買)の従業員たちが余技として始めたもの。
地元では衰退したこの技芸を復活させようと「深川力持睦会」を結成。
昭和31年、民俗芸能として東京都無形文化財に指定されました。

さて、会場の木場公園です。広い公園は人、人、人。
「江東区民まつり」とかで、ごったがえしています。
祭りのガイドに力持ちの会場を聞くと、「なに? 力持ち?」と、怪訝な顔。

深川力持睦会が奉納した「力持碑」と力石が、深川八幡にあるでしょうが、ッたく!

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東京都江東区富岡・富岡(深川)八幡宮

3人ものガイドに聞いたけど、誰も知りません。

こうなりゃ自力で探すしかない!

と、そのとき、テンテンドドドン、テンドンドンとお囃子が…。
「佐賀町 深川の力持」と染め抜いた舞台幕を囲んで、黒山の人だかり。

まずは前芸。米俵の曲差し「片手止め」
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右の絵は、渡辺崋山が描いた江戸の力持ち「飯田町金蔵」

米俵や酒樽では様々な曲持ちがあったそうです。
モジリさし、こばざし、鶯の谷渡り、大返し、さしもんどり、腕だめ、腕木ざし。

前芸が終わると中芸になります。
米俵を投げ合って受け止める「長柄うけ」もその一つ。

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重い米俵を投げ損ねて頭に直撃を食らい、脳震とうを起こしかけたり…。
演じる人たちの緊張感がビンビン、見ている方はハラハラ。
ピタッと決まると周りから拍手と「よし!」の掛け声が…。

この日は腹の上に米俵をのせる「腹やぐら」、
腹の上に臼をのせて餅をつく「腹うけ」もご披露。

圧巻はこれ
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仰向けになった人の上に米俵4俵、臼、船をのせ、さらにその船に
酒樽と人3人を乗せ、投げ込まれた米俵をその3人が差すという「宝の入船」

左は明治21年(1888)の力持興行の広告に描かれた「宝の入船」です。
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右の写真は大正時代の「佐賀睦会」による「腹うけ」。総重量約400㎏。
=「週刊朝日」1975

真打は米俵や力石を足差しする足の曲持ちですが、本日は中芸まで。

明治時代の力持ちが語ったものが残されていますが、それによると、

「力持ちの樽や俵は特別に製したもので、樽は14、5貫目入り、
俵は八掛けの12貫目余のものを使った」

そうはいっても腹の上に12貫目の俵7俵、臼に酒樽、船に人3人です。
目の前で積み上げる所を見ましたが、種も仕掛けも見当たらず。
でも当の本人はケガもなく…。

終わるころには陽も傾き、
最後は見物人共々、シャンシャンと手を打ってお開きとなりました。

私は力持ちの兄さんたちと記念撮影。ミーハーなんです。
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手ぬぐいを買いました。
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     深川の力持ちらが片手にて
              さし挙ぐ俵天高く舞う
  さやこ



※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院  2009

行ってきました!「ちからいし」展

東京都江戸川区の江戸川区郷土資料室主催の企画展、
「まるいし おもいし ちからいし」へ行ってきました。

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江戸川区松島1-38-1 グリーンパレス3階 
☎文化財係 03・5662・7176

展示内容は解りやすく、充実していました。
可愛い猫ちゃんが案内してくれます。イラストですが…。

こんな感じ
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中に入ると、オオーッ! 力石だあーっ

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本物か? と思いきや、作り物です。実によくできていました。
中ほどの向うに見える石は、だれでも持ち上げてよい石です。
これが結構重くて、私にはダメでした。
写真撮影もどうぞ」となっていました。
子供たちにはぜひこれを持ち上げて、石の感触を楽しんで欲しいな。

力石の拓本もありました。
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力石研究者の故・鷹野虎四氏の調査ノートなども展示。
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江戸川区では力石マップ「力石に会いに行こう!」を発行。
立派なマップです。無料。私もいただいてきました。

マップの中の一部です。やっぱりいました、猫ちゃん。
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これはいいですねえ。
力石所在地の神社やお寺、そこにある力石が写真とともに載っています。
探しながら歩くって、
ただのウオーキングよりずっと楽しいし、歴史のお勉強にもなります。

マップをいただいたので、早速探訪に行きました。
まずは郷土資料室のある建物から徒歩10分ほどの香取神社です。

手水鉢のそばにありました。
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江戸川区中央4-25-18

刻銘は「さし石」

マップには1個だけ紹介されていますが、
2003年発行の「東京の力石」には、13個の力石が確認されています。
当時は「神輿奉納記念碑」周辺に散在していたようです。
そのあたりのことを後日、問い合わせてみます。少々お時間を…。

この神社のすぐ近くにもう1社、同じ名前の神社がありました。
保存状態が少し残念です。地元の力持ちがたくさん刻字されていますから、
もう少しきちんとしてあげたいですね。

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香取神社  江戸川区中央4-5-23

ここの力石は、「東京の力石」に5個掲載されていますが、増えているような…。
5個の石の刻銘です。

①「さし石」52×35×25㎝
②「□し石 東小松川 梅澤 四十町 力蔵 當村 吉二郎 舟堀 桶長
  58×37×32㎝
③「さし石 世話人 上之庭 秋元宗十郎 新道庭 鈴木伝左エ門
  鈴木治兵エ 中之庭 小日向太兵衛 東小松川 梅澤」47×38×29㎝
④62×37×26cm ⑤45×43×29㎝

この企画展にちなんだイベント、「力石を巡る史跡ウオーク」も開催。
学芸員さんが案内してくださるとのこと。(10月28日と11月11日に開催)

下の写真のような、こんな不思議な石碑にもお目にかかれます。
「小松菜産土神」
野菜の小松菜が神様になっていました。

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4-5-23の香取神社

本当に江戸川区って凄いなあ。
力石の展示だけでも快挙なのに、ウオークまでやるなんて。

お近くの方、ぜひ行ってみてください。
こんな世界があったんだとびっくりするはずです。
そして、こんなふうに思われるのでは、とも思います。

なんか得しちゃったなって。


※展示会は11月15日まで。入場無料。
※参考文献/「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003

力石資料が三重県総合博物館へ⑥

2011年は、高島先生と共に現地調査を行ったピークの年でした。
この一年だけで4回ほどになります。

1回の調査で、12~15ヵ所ほどを回りました。

例えば、8月の調査では、
静岡県のほぼ中央に位置する静岡市を出発して、県東部の富士宮市へ。
そこで4ヵ所調査。市内での調査を終えると、次は山を一つ越えた集落へ。
そこからまた山を越えて富士山直下の別の地区へ、という具合。

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富士宮市上稲子・地蔵堂集落の神場・六地蔵

今は土砂災害特別警戒区域になっていますが、この六地蔵の前の道は、
この先の石神峠を越えて甲州街道(山梨県)へ続いていた古道です。
かつては村人や馬の商人たちが行き交い、この六地蔵に旅の安全を祈願。
またこの場所は、子供たちの遊び場で青年たちの石担ぎの場でもありました。

写真右の石塔は、石の6面に6体の仏さまを彫った六地蔵です。
この六地蔵には、
「短命な村の子供たちが丈夫に育つよう建立した」話が残されています。
その前に盃状穴を穿った力石が置いてありました。

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75×22×18余㎝

下の写真は、別の場所の道祖神場です。
私家本に「力石」とあったものの行ってみたら小さすぎて疑問符が…。
しかし、「静岡の力石」には力石として収録。

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富士宮市猪之頭    22×18×13㎝

県東部は道祖神場に力石が置いてあることが多い。
こうした道祖神場は青年たちのたまり場で、石担ぎの場でもありました。
ことにドンド焼きの日は、道祖神や力石を担ぎあげて力を競ったそうです。
それを川や火の中へ投げ込む風習があり、
今でも焼け崩れた道祖神や力石を見かけることがあります。

力石を売って酒代にしたなんて話も残っていますから、
かつてはそれだけの価値があったんですね。

富士宮市が済むと、次の目的地の沼津市へ。そこで2ヵ所。
さらに駿東郡小山町へ足を延ばし、そこから一挙に伊豆半島へ入りました。
伊東市、東伊豆町、南伊豆町、西伊豆町と伊豆半島をほぼ一周まわって、
最後に伊豆半島中央部の伊豆市へ。

車の機動力の凄さを見せつけられましたが、
それにしても、
信じられないくらいの強行軍です。

重い霧が立ち込めた駿東郡小山町の八幡神社です。
写真左は、力石を撮影中の高島先生。
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怪しまれたのか、近所のおじさんが見回りに来たので愛想よく挨拶。
県外ナンバーの車に見慣れない初老の男女が境内をうろつくのですから、
無理もありません。こんなことはママあります。
力石研究者の宿命です。

その力石です。
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76×31余×25余㎝

「力石 三十三メ九百目」

とにかく時間と競争しているみたいな調査ですから、
レストランへ入ってゆっくり昼食なんてとんでもない。
走りながらコンビニのおにぎりを胃袋へ放り込みます。
車から降りるのは調査地到着の折りと、コンビニでのトイレ休憩の時のみ。

おまけに、思わぬ「未知との遭遇」もしばしば。

賀茂郡東伊豆町稲取入谷・山神社へ行ったときのことです。

長い石段を登り詰めると、ようやく本殿が現れました。
ところが先へサッサと駆け上って行った高島先生、
どうしたわけかすぐにUターン、足早に駆け下りていきます。
「石、ありました?」と声をかけても無言

行ってみると、本殿左右に狛犬の代わりに妙なモノが…。
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本殿脇にまわると、うわぁ!
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まるで、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」に出てくる
長靴下のお化け「ニョロニョロ」みたい。
思わずリトルミイの目つきになって、しげしげ見入ってしまいました。

ご覧の通り、
木彫りの男性のシンボル、金精さまです。
しかも大行列!
さては先生、これを見て慌てて石段を駆け下りてきたんだな。
笑いをこらえつつ、パチパチ撮影。

いやらしい感じが全然しないのは、
祭りの日に天狗が、この金精さまで女性のお尻を叩くと子宝に恵まれる、
そういう信仰に使う神聖なものだからなのでしょう。そう思うと、
なんだか可愛い赤ちゃんの行列みたいに見えてきます。

石段を下りていくと、
登り口にいた先生が、「こんなところにありました」と力石を指差した。

それがこちら
上の社殿にあるものとばかり思っていたので、うっかり見過ごしてしまいました。
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また、こんなものにも出くわしました。

資料に出ていた小さな神社に、
力石らしき石が写っていたので、探しながら行ってみました。
川沿いの細い道を行くと、どん詰まりの山際に小さな社が…。
写真にあった石はすぐ見つかり、ほかにもたくさんあったので、
どなたかいないかと奥の方へ入って行ったら、
建物の隙間の暗がりに、女体が青白くぼうっと…。

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思わずゾーッ。血の気が引きました。
一瞬、生身の人間かと思ったものの、よく見たら彫刻。
でもかなり不気味で、二人同時に、「出よう!」
あたふたとその場を離れましたが、そこはそれ、写真はしっかり撮りました。

でもまさか、神社にこんな女体が立っているとは。
名のある彫刻家の作品かもしれないけれど、
もうあの場所はコリゴリ。

車に戻ったあと、力石同様、沈黙のかたまりのような先生の口が、
さらに重くなったことは言うまでもありません。



<つづく>


※参考文献/「志ば川の歴史・史実と伝説」芝川町郷土誌研究会 1976
        /「富士山・双体道祖神マップ」細谷幸男・戸川浩 緑星社 1996
        /「富士宮の道祖神」遠藤秀男 緑星社出版部 昭和56年

力石資料が三重県総合博物館へ⑤

静岡県での力石探しのお話を続けます。

力石は、
自分ので探したり、からの情報、資料などから見つけました。

画集の中から見つけた力石です。左側に描かれています。
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小学校の校長先生だった谷澤靖策氏が描いた「阿弥陀堂」
「高洲史跡巡り」私家本 2006

阿弥陀堂です。
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現在は地区の集会所になっています。  =藤枝市兵太夫
赤丸の中に、右のような力石「東牛石」があります。

この阿弥陀堂にいた東牛和尚が村の若者たちに力石として与え、
自分が死んだら墓石にして欲しいと遺言した石だとか。

墓石を力石として担がれることを望んだ話は各地に残っています。

個人の書籍の中から見つけた力石です。
左の溝にあるのが力石(一部欠損)。右は道祖神。
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富士宮市矢立町。「道祖神と力石」遠藤秀男 緑星社出版部 1981

富士宮市教委・富士山文化課には、伊藤昌光氏という方がおられます。
富士宮市の道祖神の悉皆調査をされた方で、
その報告書を頂戴したり力石のことをお尋ねしたりと大変お世話になりました。

この方は、江戸末期の大宮町(現富士宮市)の有力者の日記、
「角田桜岳日記」の刊行に携わるなど、
学識豊かで行動力のある研究者です。
富士山が世界遺産になったときは大忙しで、そんな中でも、
力石の文化財指定の相談に訪れた私に、貴重な時間を割いてくれました。

その方が私のために、そして力石一つのために、
わざわざ現地へ見に行って下さった時は、有難いやら申し訳ないやら。
ずいぶんご無理を強いてしまったことが、今ごろになって恥かしい。

そしてもうお一人、お世話になった方がいます。
富士市教委・文化振興課の岩辺氏です。

昭和62年発行の「富士市の石造文化財・第三集」に掲載されている
「一色・火の見やぐら下」の力石がどうしても見つかりません。
岩辺氏にお尋ねしたら、すぐ確認に行かれ、計測図まで送ってくださった。

それによると、
「火の見やぐらは現在、「一色こどもあそび場」になっており、
その広場に半分以上埋没した石造物があった。
道祖神は石造文化財掲載のものと計測値がほぼ一致したので同一物と
思われるが、力石は大半が埋没しているため確認はできなかった」とのこと。

後日、行ってみました。これです。
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右は道祖神。その隣に力石らしきものがありましたが…。富士市一色

「富士市の石造文化財」では「力石」として、
「自然石 34×38×40㎝ 縄を掛ける溝を刻む」とありましたが、
現状では確認不可。掘り起こすわけにもいきませんから、あきらめました。

ただ岩辺氏は、私へのメールにこう付け加えてくださった。
「自然石がこういう形態で埋設され保存されているわけですから、
何らかのいわれがあるものと考えられます。再度調査をしてみます」

こちらの二つも、岩辺氏が現地に赴き撮影して送って下さった石です。
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左は自然石。何かは不明だが力石としては疑問。右は道祖神。
ともに富士市中島上。

富士市では昭和62年の段階で力石を石造文化財として認めています。
また、この時点で18個もの力石を確認しています。現在は31個確認。
これは町村合併などで市域が広がったことが関係していると思われます。

ここでは行政だけでなく、
個人や町内会、有志の方々が熱心に保存に取り組んでいます。
それにひきかえ、わが静岡市では、
力石はおろか石造物の悉皆調査を一度もやっていないという体たらく。
「家康家康と騒ぐだけが文化だと思ったら大間違いよ」と言いたくもなります。

左は東海道新幹線・新富士駅近くに保存されている力石。
CIMG1245.jpg CIMG0865.jpg
右は富士市宮島三四軒屋・竜王神社の力石。
この石はブログ上と知人からの情報で、なんと、ほぼ同時に発見。

みなさんの中には、どこから見てもただのこんな石を保存だなんて、
と思われる方もおられましょうが、これを保存された方々は、
この石に秘められた石の中身を見ているんです。
よく神社などで偉い武将が座った石だとして仰々しく飾ってあったりしますが、
あれはあくまでもおとぎ話、伝説に過ぎません。
ですが力石にはウソ偽りのない庶民の歴史が詰まっています。

そこにこの石の価値を認めていただきたいんです。

富士市は素晴らしい町です!
ちなみに私が通った高校は富士市にあります。
「で、それが何か?」と言われれば、別に何んでもないんですけどね。

ま、こんなふうにして見つけた力石は、四日市大学の高島先生へそのつど報告。
それに対して先生からくるのは、たった一行のメール。
「コピーを送ってください」

先生のメールには、ねぎらいの言葉なんてカケラもない。
いつも、「コピーを送ってください。奥付も忘れずに」。これだけ
たまに「ほかのも探してください」とくる。

ッたく! 大学の先生って本当に人使いが荒いんだから

力石一つ探し出しだすのに、ドンダケ苦労したかわかってんの? 
とつぶやきつつ、クロネコへメール便を出しに行く日々。

東京や埼玉のように、
著名な書家が揮毫し、腕のいい石工さんが彫った石と違い、
静岡の力石はほとんど無銘。つまりただの石っころです。
有名な力持ちの名が刻まれたものは、
わずかに大島伝吉金杉藤吉など数名に過ぎません。
無銘の石を力石だと証明するのは至難の技なんです。

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落語家でのちに寄席文字の家元になった橘右近氏揮毫の力石。
東京都品川区南品川・海雲寺

こんな立派な力石が静岡にもあったらなあ…。ホントに羨ましい。

それでも石探しに熱中するのは、
石が持つ「石はみずから語らない」という無言の静けさとでもいうべき
悠久の沈黙に魅せられたからだと思います。
派手に自らを誇示する金銀ダイヤモンドなどとはそこが違います。
昔から石に神が寄り付くとか神が宿るなんていいますしね。

さて、セッセとメール便で資料を送り、それがある程度たまりますと、
「そろそろ現地調査に行きましょうか」となります。
私個人では困難な場所は、「ぼくが行くまで待ちなさい」というわけで…。
ところがこれがとんでもない荒行で…。

前夜、三重県のご自宅を出発した先生は、
途中の入浴施設でひとっぷろ浴びると、そのままそこの駐車場で野宿。
早朝、私を家まで迎えにきてくれます。挨拶もそこそこに跳び乗ると、
オンボロ軽自動車をガンガン飛ばして、目的地へ向かってひた走り。

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焼津市駅北・天皇神社。境内に注連縄をかけた力石がポツンと。

調査範囲は静岡県内全域です。
静岡市内をまわり県東部を巡り、そのまま伊豆半島を一周とか、
南アルプスの麓や県西部の天竜川上流や山梨県までも、という強行軍
これを一日で廻るのです。

しかも調査場所のほとんどが、交通不便な山間部。
目的地がなかなか見つからないこともしばしばです。
おまけに先生のカーナビも地図も古くて、新しくできた道路の表示はない。
そこをカンでぶっ飛ばします。

  ムムムムムムムムムムムム力石  高島愼助


先生! ムムムムなんてとぼけている場合じゃありませんよ。

運転の腕の確かなのはわかっていますけど、道は山岳道路もどきの難路ばかり。
油断は禁物。平常心、平常心。

私は助手席で遠近メガネをずらしつつ、地図とニラメッコで現地を探す。
時折、緑の藪陰から楚々とした野の花が姿を見せます。
つかの間の旅人気分。心地よい風が通り抜けて行きます。

   
  力石(いし)探す旅の途中の藤の花   さやこ



<つづく>

力石資料が三重県総合博物館へ④

静岡県における力石の現況を少しお話します。

現在静岡県内で確認されている力石は265個。
このうち私が見つけたものは122個です。
このほとんどを、わずか一年で見つけました。
褒めてやってください!

大正5年生まれの望月旭さんと。
限界集落となった静岡県富士宮市大晦日の望月さん生家にて(2012年)
CIMG0550 (2)

高島先生が全国の教育委員会や老人会などに情報提供を呼びかけたとき、
静岡県からも力石の情報が寄せられました。その数143個
これをもとに先生は2004年に「愛知・静岡の力石」を出版。
なのでこの本には、静岡県の力石143個が掲載されています。

下の写真は、望月旭さんの生家近くにあった力石です。
「愛知・静岡の力石」では所在不明でしたが、行ってみたらありました
当時の情報提供者が、先生に間違った情報を送っていたのです。
現地の人から「前はあったけど今はない」と言われれば、それを信じます。
この情報提供者はたぶん、
林道が迷路みたいに走る集落なので、現地調査を怠ってしまったのでしょう。

望月さんに保存をお願いしたらすぐ着手。
「雨宮さん、次は文化財だね」って、それを楽しみにしていましたが、
昨年ご逝去。間に合いませんでした。

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先生から突然のメールをいただいたのが、
「愛知・静岡の力石」の刊行から6年後の2010年のこと。
その翌年、静岡県だけを独立させた「静岡の力石」を刊行しました。
これには前回の石143個に加え、
私が見つけた102個の合計245個を載せてあります。

本が出版され、私が力石の講演をしたことで、
いろんな方から新たな情報が寄せられました。その数20個
この20個は、
2014年発行の「四日市大学論集 第27巻第1号」に収録されました。
これで総合計265個となりました。

私の汗の結晶、とまあ少し大げさですが、この「静岡の力石」は、
静岡県内のほとんどの図書館でご購入いただきました。静岡大学にも。
嬉しかった!

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2011年は、私の力石病発症の年です。
この年はもう、365日、力石探索の日々。

友人知人へは片っ端から情報提供を呼びかけ、
地図を片手に神社仏閣をしらみつぶしに歩き、
県内各地の図書館へ足を運んでは資料漁り。
夜はネットでいろんなブログの検索。
先生がネット上で私の地区の石と私を見つけたみたいに…。

ほとんどの人は力石なんて名称は初めて聞くわけですから、
まず「力石とは何か」から説明しなければなりません。
現地での調査で、
「オイオイ、なんか頭のおかしなおばさんが来たぞ」と言われたときは、
黙ってその場を立ち去るしかありませんでした。

下の写真の石のように、
「これ、間違いなく力石だよなあ。盃状穴もあるし」と思っても、
証言者が見つかりません。「古い人はみんないなくなっちゃったから」と。
CIMG0366 (2)
=静岡市高松・諏訪浅間神社

力石の認知度は低いし、
今残っていたとしてもその所在地のほとんどは定期バスもない山間の集落。
車のない私ですから、そういうところへはタクシー使用。痛い出費です。
おまけに警戒心が強くて人気のない集落では、突然の訪問は無理。
ツテを探して現地へ行くしかありません。

  霧深し井川の峰に力石(いし)尋ぬ   さやこ

博物館の学芸員さんからは、
「あんなマイナーなもの、よくやってるねえ」なんて言われて…。
師匠の高島先生でさえそんな扱いを受けたこともあったから、
一般人の、ただのおばさん相手では鼻もひっかけてくれません。
だから、真面目に向き合ってくれる学芸員さんに出会った時は、
心で嬉し泣きでした。

図書館へはよく通いました。
静岡県の東から西の端までセッセと…。
なぜかというと、
力石はすでに人々の記憶から消えてしまっていますから、
確かな証言者となるのは、資料しかありません。

静岡市藁科・寿大学のご老人たちの文集。
img822.jpg img824.jpg
右は浜松市立五島公民館発行の「わが町文化史」「二人の力持ち」

各市町発行の正史に力石が掲載されていることはあまりありません。
一番助けられたのが、昭和50年代に盛んだった公民館活動の記録
地域のお年寄りの生活記録とか体験談、昔話です。
この中に力石がひょっこり顔を出したりします。ついでに、
「夜這い」の話も。「○○は行ったけど俺は行かなかった」なんて、ね。

img825.jpg img826.jpg
右は静岡県駿東郡原町史(2)に出ていた力石の記事。

古い新聞にも目を通しました。
伊豆の大島伝吉が静岡で興行したときの記事がありました。
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明治18年7月25日

図書館の郷土史の棚はすべて見ました。
力持ちの話は絵本になっていたりしますから、そちらの棚も…。
速読です。コピーも大量にとってきました。

夢中で調べていて、閉館の音楽にハッとしたり…。
老眼と乱視の目に、窓から入る夕日がぼうっと歪んで見えました。

力石という項目を独立させていた図書館がありました。
浜松市立中央図書館です。
こんなの初めてです。感激しました。
郷土資料室で女性の司書に恐る恐る「力石」と告げたら、
「はい、こちらです」と。検索は今は珍しいカード式になっていて、
あったんです、力石というコーナーが…。

沼津市立図書館では、司書の方が資料探しを手伝ってくれました。
そこで新たな石を一つ、探し出すことが出来ました。
でも同じ東部の某図書館ではおかしなことがありました。

早朝の電車ではるばるたどり着いた某図書館。一番乗りです。
めざす郷土資料室には、私の他にはまだ誰もいません。
壁際の席でめぼしい本を調べていると、いきなり「どいて!」の声。
中年の女性が私の机の際に立って、語気鋭く「どいて!」を連発。
呆気にとられている私に、彼女は追い打ちをかけるように言った。
「そこは私の席です。どきなさい!
まだ資料室には三人しかいない。いくらでも空いた席があるのにどういうこと?

さらに険悪な形相で、持っていた手提げをドンと机に置いたので、
私は慌てて机上の資料や筆記用具をほかの机に移動させた。
女性は私からぶんどった席に荒々しく座ったあとも、まだ私を睨んでいる。
男性の利用者が一人、無関心を装ってじっと下を向いています。

訳が分からずカウンターへ行くと、若い男性司書が、
「あんたが悪いんだよ」
「ハッ なんで?」
「番号札取っていかなかったから」。そう言って、そっぽを向いた。

仕方がないので、一般図書のカウンターにいた女性司書に聞くと、
資料室では入室時、好きな番号札を取ってから、
同じ番号の机を使うことになっているとのこと。
後から来たあの女性は、自分が取った番号札の席に私がいたので、
「どいて!」となったようです。

県内くまなく歩いたけど、こんな図書館は初めて

「今まさに鉄槌をくだそうとしている」
というS氏の路上観察作品「フェイス」。そのときの私の気持ちそのもの。
2斎藤路上観察
「古い蔵の壁面に蓋をした換気口がある。どことなく人の顔のように見える。
その顔に、電柱に取りつけた道路標識の影が鉄槌をくだそうとしている」
(S氏)

私の話を聞いた女性司書が、びっくり顔で言った。
「エエーッ、職員がそんな対応をしたんですか。すみませんでした。
いくら規則でもすでに使っている人をどかせるなんて、そんなこと初めて」

あの女性はあの席によほど固執していたのでしょう。
偶然その席に座ってしまった私は、運が悪かったとしかいいようがない。
それ以上に、ふざけた対応の司書に出くわしたのも運が悪かったとしか。

部屋へ戻った私にくだんの男性司書が、
「札をとれってここに書いてあるだろうが」と吐き捨てた。
「掲示に気が付かなかったのは私の不注意です。
こんなシステムは初めてだし、市外から来たのでわからなかったです。
でも、私が札をとらなかったことも、そのまま机を使っていたことも、
あなたは知っていた。それなのになぜ教えてくれなかったんですか?」
と言うと、
「市外だろうがなんだろうが、これを読まなかったあんたが悪い」と。

不愉快だったけど、とにかく時間が惜しい。再び調べものを続行。
ふとさっきの席を見たら、なんと女性がいない。机の上には何もない。
わざわざ私をどかしたのに、なんてこった。10分もたたないうちに帰るとは。
カウンターの男性司書もバツの悪そうな顔で下を向く。
しばらくたったらほかの人に替わっていた。

そうよねえ。
あんな物言い、恥かしいもの

とまあ、愚にもつかないグチをクダクダ並べてしまいましたが、
苦あれば楽あり

私が入り込んだ「力石ワールド」のお話、しばらくお聞きください。



<つづく>


※参考文献/「愛知・静岡の力石」高島愼助 岩田書院 2004
        /「静岡の力石」高島愼助・雨宮清子 岩田書院 2011


「ごせっぽい」

友人から急なお誘いを受けました。
なんだかよくわからないまま、午前の仕事の後、そのまま町へ。

待ち合わせのショッピングセンターへ行くと、山車(だし)が。
オオーッ、なんだこりゃあ」

CIMG2378.jpg
「木花車」

「山車がねり歩くんですって」と友人。
「祭りでもないのになんでまた」
「家康公400年祭の関連なんですって」

徳川家康が没してから今年で400年
静岡市ではこれに力を入れて、このところイベントのオンパレード。
家康は今川氏の人質時代の幼少期、青年期、隠居後の大御所時代と、
人生の重要な時期に駿府(静岡市)に住んだことで、こことは縁が深い
でもだからといって、市がいうように、
「駿府は家康が作った」と断言しちゃうのは、ちょっとなあ。

とにかく山車の「お踟(ねり)を見ようと、巡行コースへ急いだ。
巡行は3台とのこと。

1台目がいました。
「暫(しばらく)車」です。
CIMG2388.jpg

山車の前で町内の方々が踊っています。
CIMG2380.jpg

線からはみ出さないで踊る。静岡市民は律儀なんです。

イベント広場を抜け、左へ曲がるといました、2台めです。
CIMG2382 (2)
「神武車」。神武天皇の顔が見えます。

CIMG2382.jpg

踊りの衆は直立不動で合図を待っています。
静岡は「日本の北京」といわれるくらい、自転車の多い町です。
でも、自転車があっても除けて踊りますから大丈夫。

CIMG2384.jpg

先導役のおじさんたちものんびり待っています。

花笠を背にした少女たちも、静かに出番を待っています。
CIMG2385.jpg

すべてこんな調子。のんびりしています。

静岡には「ごせっぽい」という言葉があります。
同じ静岡でも私が育った県東部では使いません。
だから初めてこれを聞いたときは、
「のどがいがらっぽくてムズムズする」意味かと思ったら、全く違った。

一般的には、
「晴れ晴れした」「せいせいした」「清々しい」という意味で使います。
例えば「今日はうるさい夫がいなくて、ごせっぽいやあ」なんていう風に。
また「御所(ごせ)っぽい」という字をあてることもあるそうです。
一説には、大御所・家康が駿府に来たとき、町の平穏な様子に、
「居心地がよくて御所っぽい」と言ったことから広まったとか。

ブログ「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、
「平穏で清々しい様」という解釈をしています。
そしてブログにこう書いています。
「駿府はちぃーと覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」

この「御所っぽい」説で行くと、本日の祭りの方々は、
実にごせっぽい=平穏そのもの。単なるのんびりとは違うんですね。

さて、もう一つ
子供たちが舞い人になる「稚児舞」を、静岡浅間神社に奉納する
「廿日会祭」(はつかえさい)という行事があります。私も見ましたが、
背筋をピッと伸ばして凛々しく踊る小学生の舞い姿は実に感動的です。

この稚児舞の歴史は古く、
室町時代の公卿、山科言継の日記にも出てきます。
舞い人の稚児たちは安倍川の向う側の集落からやってきます。
この稚児たちを浅間神社まで連れて行くとき、こういった山車に乗せ、
町をねり歩くわけですが、本日のお踟はその稚児舞ではなく、
家康400年祭にひっかけて行われたようです。

展示されていた山車「稲荷車」。右はまとい持ちのおにいさん。
CIMG2392.jpg CIMG2393.jpg

桜の花が咲くころ、静岡市では静岡祭りを開催します。
元は稚児舞の廿日会祭を中心に、家康の花見行列を行っていましたが、
ある年から廿日会祭や浅間神社と切り離し、
市独自の祭として、東京から家康役の俳優を呼び、
市庁舎前でチャンバラなんかをやるようになったんです。

「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、このことについて、
「庇を貸して母屋を取られた」といい、
「市当局は、奇をてらうものばかりに一生懸命で、
伝統行事にあまり興味を示さない」と嘆いていました。

今度できる市立博物館にしても、そんな感じになりそうです。
なにしろ、家康を中心に据えた歴史博物館だそうで、
ある会合で、市側が、
「家康が作った駿府に家康の博物館を作るのは大変意義がある。
いずれ、これが経済効果を生むようになる」と胸を張った。
すかさず委員の一人が反論しました。
「なにも家康だけが駿府を作ったわけじゃない。
家康の関連施設なら、すでに立派なものが名古屋にある。今さら」と。

img819.jpg
家康像。静岡市企画展「武SHOW徳川家康」チラシより。

一にも二にも家康さま。
民俗関連などは、完全に消してしまった博物館です。

公立図書館を民間の本屋に任せてしまった結果、
本屋は貸し出しのあまりない郷土資料や明治大正の古い新聞などを
焼却してしまったというニュースがありましたが、
市歴史博物館構想には、それと同じような、
集客、経済効果、観光にこだわるという残念姿勢が垣間見えます。

これでは、力石を博物館の庭に置いて欲しいという私の願いなんて、
嘲笑されるわけです。

気を取り直して。
最後の5台目はこれ。「咲耶車」
CIMG2397.jpg

平成8年に作った一番新しい山車だそうです。
5台の内、一番古い山車は明治時代、あとの3台は大正時代のもの。

次の踊りの場所まで歩く踊りの衆
CIMG2394.jpg

市では、「5台の山車が400年の時を超え、
現在の城下町を大いに賑わします」と宣伝していましたが、
ご覧のように人々は、静々と「ごせっぽく」歩いています。

喧嘩もなく酔っぱらいもいない、けたたましい笑い声も歓声もない。
あるのは穏やかな人々とそれと同じような空。
その空に響くのは、朗々とした木遣りの声と横笛の音と鉦、太鼓

「覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」

私も今日は久々に、ごせっぽくていいっけやあ!
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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