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パンプキン爆弾

戦争と力石
08 /23 2015
今年1月、貴重な戦争遺跡が一つ消えました。
場所は静岡県島田市の大井川に突き出た牛尾山の、
その先端にあった「海軍技術研究所・牛尾実験場」です。

何を研究していたかというと、マグネトロンによる電磁波発射装置、
俗にいう殺人光線兵器=Z研究です。
特殊な光線を敵機に照射して、パイロットのみ殺してしまおうという装置です。

この研究のために,
物理、化学、電子、生物などの日本の最高頭脳がここに集結。

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後のノーベル賞受賞者、湯川秀樹氏や朝永振一郎氏の顔も見えます。
=庁舎玄関裏

高松宮(右)もここへ視察に訪れました。
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=1945年4月20日

うさぎでは見事に成功したものの、実用に至らず終戦。
ここでの実験資料はのちにアメリカへ渡されたとも言われていますが、
今、家庭で使われている電子レンジは、
この「殺人光線」から生まれたものです。

日本の頭脳が集結したこの牛尾実験場は、
大井川の川幅拡張工事のため、今年1月、跡形もなく消滅しました。

私がこの実験場のことを知ったのは、
21年前、偶然目にしたある一冊の本からでした。
島田市にある島田学園高校の3人の教師と生徒たちが記録した
「明日までつづく物語」です。

本にあったのは、実験場のことだけではありませんでした。

こんな田舎のぼくたちの町に戦争があったこと。
そして、ここに落とされたのは、かぼちゃ型のパンプキン爆弾で、
50名もの町民が犠牲になったこと。

この爆弾は長崎に投下されたプルトニウム爆弾と同型の模擬爆弾で、
終戦間近の7月26日、米軍が原爆投下の訓練のために落としたことを知り、
教師も生徒も愕然となったという。

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爆心地の普門院で被災者の話を聞く高校生たち。
高校生による聞き取り調査は1989年から3年間続けられた。

大きな戦争の中の小さな出来事として人々から忘れられ、
ひっそりと暮らす被災者たちを探し出して、聞き取り調査を開始。
まだ体に爆弾の破片が刺さったままの被災者たちは、
一気に胸の内を吐きだし、口々に生徒たちにこう言った。


「今日中にはとても話し切れない。明日までかかっちゃうよ」

その高校の生徒たちの演劇が、
この夏、「戦争と静岡展」で上演されたのです。
高校の名称は島田樟誠高校と変わっていましたが、
劇は島田学園高校時代の卒業生が書いた「『聖戦』の果てに」でした。

上演前、執筆者のお一人で、
21年前に私の取材に応じてくださった土居先生にお会いしました。
先生は定年まで勤め上げ、お母様の最後を看取ったとのこと。
かつて生徒たちと手がけた「仕事」が、
今なおこうして続いていることが嬉しくてたまらない様子。

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召集令状がきて、一家の主が出征。=島田樟誠高校・演劇部

椅子席の前に用意されたシートに座って、熱心に演劇を見る子供たち。
演じる側も見る側もみんな平成生まれです。
演じる内容は、70年も前の戦争のお話。思えば不思議な光景です。

父は戦地で行方不明に、母は島田に落とされたパンプキン爆弾で死亡。
孤児になった少年が役所へ助けを求めたものの、役人は冷たく言い放つ。
「君のような子供はたくさんいる。いちいち構ってはいられない

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出演者全員でフィナーレ。

終演後、司会者の「何かご感想を」の声に立ちあがったのは、
私の隣りにいた外国の方。4人連れのお一人です。
震えるようなか細い声で、耳の悪い私にはあまり聞き取れなかったものの、
高校生たちの顔がみるみる紅潮、彼らは女性の言葉に何度も頷いています。
この外国の方は、
イスラム教徒の女性が被るヒジャブで髪を覆っていましたが、
その横顔にツーッと涙が流れるのが見えました。

涙をぬぐいながら話す女性を見て、高校生たちの顔がより真剣になりました。

私は日本の高校生が伝えた戦争と、
それをしっかり受け止めてくれたイスラム圏の女性の姿に感動し、
その涙の意味を噛みしめながら、会場を後にしました。

<つづく>

※画像提供/「明日までつづく物語」小屋正文・小林大治郎・土居和江
      平和文化 1992
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞