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荒れた神社の境内に…

三ノ宮卯之助
07 /06 2015
上智大学の伊東明教授が、
長年懸案となっていた「三ノ宮 卯之助」の「三ノ宮」という地が、
埼玉県内にあることを知ったのは昭和45年のこと。

先生は早速、現地調査へ出かけます。

東武伊勢崎線大袋駅下車。
昭和26年に高崎力氏を卯之助生家へ案内した瀬尾氏が、
かつて村長をしていたというあの「大袋」です。

そのときの様子を伊東先生の随想から再現します。

「水田の中の細流に沿って、木立の中の三野宮部落(※原文ママ)に入る。
小曽川に近い香取神社境内へ。
荒れた境内広場の本殿左前に「大磐石」が立ててあり、
広場右隅に「三王石」「指石」が放置され、
広場集会所の建物の車止めとして「白龍石」が使ってあった」

「大磐石」です。
図三野宮神社 (3)
1m余×97×23㎝

やっと探し当てた卯之助の所在地と石。
しかしその喜びを砕かれるほどの無残な光景
伊東先生の驚きと落胆が伝わってくるような気がします。

そのとき先生は、この4個すべてに,
「三ノ宮卯之助」の切付(刻字)があるのを確認しています。

この日、伊東先生がスケッチした「指石」(さしいし)です。
img704.jpg
62×51×24㎝

ところがこの「指石」が、いつの頃からか行方不明になり、
力石は下の写真のように3個だけになってしまいます。


img361 (2)

これに疑問を持った人がいました。
このブログのよき協力者、春日部市在住の研究者S氏です。

今から10年前の2005年
S氏は「本当にこの3個だけだろうか」と疑問を持ち、
行方不明の石の探索に乗り出します。

そして3個並んだうちの向かって左端の石の横、
棕櫚の木の根元にオデコだけ出して埋まっている石に気付き、
「辺りを気にしながら」掘り起こします。

そのときの写真です。
img698.jpg
赤丸の中の石が、S氏が再発見した「指石」 

拡大したものがこれ。
img362 (2)

昭和45年に伊東先生が見た「指石」が、
35年後に再び姿を現した瞬間でした。
S氏はその時の喜びを、俳句に詠み込みました。

「卯之助」を今見つけたり五月晴れ  斎藤呆人

これらの石は、将軍・徳川家斉のご上覧の栄に浴するなど、
江戸力持ち界のスターとなった卯之助が、
嘉永元年、故郷の三野宮で凱旋興行をした時のものといわれています。

「大磐石」は、ゆるぎない大きな石、
「三王石」は、中国の三人の王、
夏の禹王、殷の湯王、周の武王(文王)の意。


いずれも人気絶頂の力持ち力士としての自信にあふれた命名です。
江戸の花形力持ち力士が故郷へ錦を飾ったのです。
境内は近隣からの村人たちで埋まり、みんな固唾を飲んで卯之助を見つめ、
その人並みはずれた力技にヤンヤの喝さいを浴びせたことでしょう。

このとき卯之助、41歳

しかしその誇りある卯之助石も、次第に時代に置き去りにされ忘れられて、
伊東先生の調査時には、荒れ果てた神社に放置されたままという状況でした。
けれどその時から43年後の平成25年、
高崎力氏らの尽力で、この4個の石は共に越谷市の文化財になります。

車止めに使っていた石が文化財!

お釈迦様ならぬ卯之助様にも,
予測がつかなかった凄い展開になったわけです。

文化財になったことを報じた新聞記事です。
img706.jpg
 =2013年(平成25年)4月27日の朝日新聞。写真は「大磐石」

隣りにいる人物と見比べてください。すごい大きな石でしょう?
卯之助はこの巨石を足に乗せ、「足差し]という方法で持ち上げました。

この昭和45年の香取神社の調査以来、
伊東先生の元には各地から卯之助石発見の報告が続々と入ります。

越谷市の久伊豆神社を始め、岩槻市の飯塚神社
桶川市の稲荷神社
そして遠く姫路市の魚吹八幡神社…。

卯之助はしぶとく息を吹き返し、今また多くの人たちを魅了し続けています。

img697.jpg
画/酒井正氏    埼玉県越谷市三野宮・香取(三野宮)神社

指石の裾を取り巻く蟻地獄  酒井正

<つづく>

※参考文献
/「随想 江戸力持力士 三ノ宮卯之助」伊東明 
 上智大学紀要37巻3号 1988
/「三ノ宮卯之助の力石(2)」高島愼助・高崎力
 四日市大学論集第17巻1号 2004
※情報・画像提供/埼玉県在住の研究者S氏
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞