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終戦五十年を記念して

三ノ宮卯之助
06 /24 2015
巨大な「カナマラ様」にめまいを覚えつつ、気持ちを立て直して力石です。

若宮八幡神社の力石群です。全部で11個あります。
CIMG1051~1
=神奈川県川崎市川崎区

終戦50年目の節目の年の、平成7年に建立したものです。

碑文
「力石 大本山川崎大師平間寺 貫主 高橋隆天 敬書」

碑の裏面です。
CIMG1054.jpg

「終戦五十年 平成七年八月吉日建立 奉献 若宮八幡宮氏子総代会
宮司 中村博彦代 施工羽田鈴木石材店」


さて、卯之助石です。
これです。
CIMG1053 (3)
65×34×25㎝

「さし石 大木戸 仙太郎 岩附 卯之助 
當所 四ッ家伊之助 指之」

卯之助と仙太郎が差した石を、
のちにご当地の力持ちの伊之助が、先輩にあやかろうとして差した石です。
ここに出てくる「大木戸 仙太郎」は、卯之助と同時代の力持ちで、
天保四年の御上覧力持番付には、
卯之助東の大関仙太郎関脇として出ています。

御上覧力持番付。
img685.jpg

卯之助と仙太郎の名を併刻した力石は、
神奈川県内に5個残されています。

さて、ここで一つの疑問が…。
故・伊東明上智大学名誉教授の1988年の論文に、
昭和62年の調査時、若宮八幡神社の力石、「奉納さし石」に、
岩附 卯之助の切付が発見された」

とあります。

現在、この神社には卯之助銘の石は、
先にご紹介した「さし石…」のみです。
保存された石の中には「奉納さし石」の刻字石はありますが、
この石は一部地面に埋め込まれ、他の石と重なっているため、
卯之助の名の確認はできません。

また、伊東先生は境内に放置されていたころに調査されていますし、
時として力石は人為的に移動されますので、論文にあるように、
昭和62年当時、卯之助銘の入った「奉納さし石」があったのかもしれません。

ここには力石とおぼしきこんな石もありました。
CIMG1063.jpg

保存された石の背後にでも置いていただけたらいいのですが…。
刻字がなくても、これらもまた立派な力石ですから。

こんなものも境内にありました。
大師河原の酒合戦(酒の飲み比べ)を記念したとっくりと盃です。

CIMG1058.jpg

慶安二年(1649)、大師河原の名主・大蛇丸底深と、
医者の地黄坊樽次が、三日三晩酒の飲み比べをしました。
それにちなみ、今でも毎年10月には大蛇丸側15名、地黄坊側17名が、
川崎大師平間寺で酒合戦を繰り広げ、若宮八幡神社まで練り歩くそうです。

ちなみに酒飲みは酒のことを「水鳥」なんて言うんですよ。
水の部首、さんずい(氵)に酉(とり)と書いて酒になるので…。
呑兵衛はどんな言い訳をしてでも酒飲みを正当化したいってわけですね。

でもこの八幡神社は実に面白い神社です。
おおらかで、しゃれっ気たっぷり。

なんだかウキウキして、おみくじを引きました。
珍しい扇のおみくじです。

そして出ました! 大吉が!

CIMG2231.jpg

願い事 叶う 恋愛 成就.金運 宝くじに幸運があります.

<つづく>

※参考文献
/「随想 江戸力持力士 三ノ宮卯之助」伊東明 1988・10・15
 上智大学紀要 37巻3号
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞