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江戸力持ちに憧れて

三ノ宮卯之助
06 /13 2015
卯之助が憧れていた江戸力持ちがいます。
越谷市在住の卯之助研究者の高崎 力氏はこう言っています。

「卯之助が憧れ、尊敬していたのが、
江戸力持ちの芝・土橋久太郎と飯田町・萬屋金蔵で、
後に卯之助が辿った道程も、彼らの足跡であった」

ここに出てくる土橋久太郎と萬屋金蔵は、文化文政期に活躍した力持ちで、
久太郎は文政6年ごろの江戸力持番付の東の大関
金蔵は西の大関という大物でした。

彼らを描いた「御蔵前八幡奉納力持錦絵」(国安画)です。
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酒樽3個と米俵一俵を足で差し上げているのが土橋久太郎

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八十八貫目の石を両手で差し上げているのが萬屋金蔵

この二人はその後二組に別れて、それぞれ関西へ興行の旅に出ます。
後に卯之助もそれにならい、この大先輩たちの旅をたどりますが、
このことは稿を改めてご紹介します。

卯之助がこの二人に憧れていた証しの石が残されています。

これです。
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 千葉県木更津市中里・観蔵寺 88×47×38㎝

「五十五貫余 文政癸未冬十月六日此自持 
於之内田 子之刻其人誰東都
三有力 芝土橋久太郎 飯田町直吉 萬本店 金藏彌吉 定七 
□右衛門 権藏 権治良 
文政庚寅七月 武刕岩附 卯之助江戸本郷 久蔵」

石の刻字から、
江戸力持ちの有力な力士3名が、
文政6年(1823)に持った石を、
その7年後の文政13年に卯之助と本郷久蔵が持ち、
先輩たちの名前と並べて、自分たちの名を追刻したということがわかります。

この「三有力」のもう一人、飯田町直吉は、
錦絵に描かれた金蔵の隣りで、「大亀」という120貫目の石を
足で差している関脇直吉のことです。

尊敬する偉大な先人にあやかり、その同じ石を自分も持ったという誇りが
この石から読み取れます。

この時、卯之助23歳

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卯之助を描いた絵本「力くらべ」蒲生手作り絵本クラブ制作

千葉県木更津市・観蔵寺にあった卯之助銘のこの石を見た高崎氏は、
卯之助は埼玉から千葉の木更津まで来て力持ちを行ったと思い込み、
「それならこの近辺には卯之助石はまだあるはず」と、一年ばかり探し回った。
ところがいくら探してもこれ以外は見つからない。

そうこうするうちに、観蔵寺のご住職から連絡がきた。

「三代前の住職の時、木更津から海苔を積んだ舟が運航していた。
ある時、帰り舟に力石を積んできて寺の近くの山口市郎兵衛のところへ置き、
近在の若者が集まって力持ちをやった。
のちにその石を観蔵寺で預ることになったんだ」

なあんだ、江戸から運ばれてきた石だったのか、
どおりでいくら探してもほかに出なかったわけだ、という次第。
高崎氏もご苦労されてます。

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大正2年4月、舟で日本橋浜町から千住へ花見に行くところ。
舟の舳先に力石が置かれています。「週刊朝日」より

昔はこんなふうにして石が運ばれたんですね。
花見にも持っていき、
船上でも桜の花の下でも、みんなで石担ぎをして楽しんだそうです。

<つづく>

※参考文献・画像提供
/「三ノ宮卯之助の力石(2)」高島愼助・高崎力 
四日市大学論集第17巻1号 2004
/「日本一の力持 三ノ宮卯之助の生涯」高崎力 平成16年講演資料
/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
/「週刊朝日」第10巻第10号 1976
/「見世物研究」朝倉無声 1928
※参考文献/「力石を詠む(七)」高島愼助・板羽千瑞子 岩田書院 2014
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞