「竿忠の寝言」と「大王石」
柴田幸次郎を追う
先日、思いがけない方からメールをいただきました。
江戸和竿の職人の日誌「竿忠の寝言」をブログに掲載されていた方です。
話は昨年の7月にさかのぼります。
帰りのバスを待つ間、図書館で何気なく手にした古い写真集。
パラパラとめくったその時、くぎ付けになった一枚の写真がありました。
これです。

撮影/明治9~11年、ルイ・クレットマン
「オオーッ! これ力石じゃないの」
クローズアップするとこんな感じ。

石に刻字がある。「大王石」と彫付けてあるような…。
埼玉在住の研究者S氏は「現在確認されている大王石は一つだけ」といい、
写真を送ってくださったのですが、どうもそれとも違う。
師匠の高島教授も初めて目にした新発見の石です。
ここからこの石の探索が始まりました。
でも、撮影場所がわかりません。
苦心の末、前方に見える橋は東京・隅田川に架かる「両国橋」、
石が置かれていた場所は「元柳橋」のたもとということを突き止めました。
この写真に写っている柳は有名な夫婦柳で、
ここは絵師や写真師の格好の被写体になっていた場所でした。
その一つ、小林清親の「元柳橋両国遠景」です。

赤丸の中に「力石らしきもの」が描かれています。
当時、私が悪戦苦闘した様子は、
2014年7月29日の「両国橋 求む、情報!」をごらんください。
しかし、場所は判明したものの、
これが力石であるという確証や現在の石の所在地がわかりません。
私の探索はさらに続きました。
ある晩ネットをながめていたら、こんなブログが出てきました。
「竹林舎 唐変木のそばバカ日誌 人生の徒然を」
ブログ主さんは石川県・白山のふもとで蕎麦屋さんをやっている方。
その中に「竿忠の寝言」なる記事がありました。
これがやたらと面白い。
時代背景といい職人の気風といい、江戸の雰囲気がたっぷり漂っていて…。
ところが読み進むうちに出てきたんです。
もう狂喜乱舞(ちょっと大袈裟か)
「両国橋の角に東屋という釣具店があって、
そこの初代茂八の女房は「おひさ」といった」
これが「おひさ」さん。17歳。寛政の3美人の一人。喜多川歌麿画。

「このお久さんは柳橋と名付けられた起りの柳の木の下に、
昔、柴田幸次郎といい、
俗称鬼柴、あるいは鬼幸とも称された怪力の人が差したという
七十五貫の大王石のかたわらに水茶屋を出していた」
出ました! 「大王石」!
差した人物の名前まで!
すごーい!
そのときの私の気持ち、どうぞお察しください。
さっそくブログ主さんへ問い合わせのメール。
でもなかなかお返事がなくて、
諦めていたところへ年が変わった今月、ヒョコンと来ました。
ずっとブログを更新していなかったため、コメントに気づかなかったとか。
いいんです、いいんです。
お返事いただけただけでも嬉しいんです。感謝感謝。
よかったら「柴田幸次郎発見」のときの記事も是非ごらんくださいね。
これです。
2014年8月2日の「ここまで解けた、両国橋の「謎の石」のなぞ」
つづきはまた明日。
※参考文献
/ブログ「竹林舎 唐変木 そばバカ日誌 人生の徒然を」
「竿忠の寝言」中根忠吉・中根音吉
※画像提供
/「フランス士官が見た近代日本のあけぼの」アイアールディ企画 2005
/東京国立博物館
江戸和竿の職人の日誌「竿忠の寝言」をブログに掲載されていた方です。
話は昨年の7月にさかのぼります。
帰りのバスを待つ間、図書館で何気なく手にした古い写真集。
パラパラとめくったその時、くぎ付けになった一枚の写真がありました。
これです。

撮影/明治9~11年、ルイ・クレットマン
「オオーッ! これ力石じゃないの」
クローズアップするとこんな感じ。

石に刻字がある。「大王石」と彫付けてあるような…。
埼玉在住の研究者S氏は「現在確認されている大王石は一つだけ」といい、
写真を送ってくださったのですが、どうもそれとも違う。
師匠の高島教授も初めて目にした新発見の石です。
ここからこの石の探索が始まりました。
でも、撮影場所がわかりません。
苦心の末、前方に見える橋は東京・隅田川に架かる「両国橋」、
石が置かれていた場所は「元柳橋」のたもとということを突き止めました。
この写真に写っている柳は有名な夫婦柳で、
ここは絵師や写真師の格好の被写体になっていた場所でした。
その一つ、小林清親の「元柳橋両国遠景」です。

赤丸の中に「力石らしきもの」が描かれています。
当時、私が悪戦苦闘した様子は、
2014年7月29日の「両国橋 求む、情報!」をごらんください。
しかし、場所は判明したものの、
これが力石であるという確証や現在の石の所在地がわかりません。
私の探索はさらに続きました。
ある晩ネットをながめていたら、こんなブログが出てきました。
「竹林舎 唐変木のそばバカ日誌 人生の徒然を」
ブログ主さんは石川県・白山のふもとで蕎麦屋さんをやっている方。
その中に「竿忠の寝言」なる記事がありました。
これがやたらと面白い。
時代背景といい職人の気風といい、江戸の雰囲気がたっぷり漂っていて…。
ところが読み進むうちに出てきたんです。
もう狂喜乱舞(ちょっと大袈裟か)
「両国橋の角に東屋という釣具店があって、
そこの初代茂八の女房は「おひさ」といった」
これが「おひさ」さん。17歳。寛政の3美人の一人。喜多川歌麿画。

「このお久さんは柳橋と名付けられた起りの柳の木の下に、
昔、柴田幸次郎といい、
俗称鬼柴、あるいは鬼幸とも称された怪力の人が差したという
七十五貫の大王石のかたわらに水茶屋を出していた」
出ました! 「大王石」!
差した人物の名前まで!
すごーい!
そのときの私の気持ち、どうぞお察しください。
さっそくブログ主さんへ問い合わせのメール。
でもなかなかお返事がなくて、
諦めていたところへ年が変わった今月、ヒョコンと来ました。
ずっとブログを更新していなかったため、コメントに気づかなかったとか。
いいんです、いいんです。
お返事いただけただけでも嬉しいんです。感謝感謝。
よかったら「柴田幸次郎発見」のときの記事も是非ごらんくださいね。
これです。
2014年8月2日の「ここまで解けた、両国橋の「謎の石」のなぞ」
つづきはまた明日。
※参考文献
/ブログ「竹林舎 唐変木 そばバカ日誌 人生の徒然を」
「竿忠の寝言」中根忠吉・中根音吉
※画像提供
/「フランス士官が見た近代日本のあけぼの」アイアールディ企画 2005
/東京国立博物館
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