富岡八幡宮ミステリー
力石余話
前回、富岡八幡宮には、力石の保存場所が2か所あるとお伝えしました。
ここと、

もう一ケ所は「横綱力士碑」の片隅のここ。

こちらの保存は、ちょっとひどいですねえ。
あまりのお粗末さに埼玉在住の力石研究者・S氏は、こんな句を…。
さし石の捨て場か 藪蚊 蜘蛛 毛虫 呆人
で、ここからがミステリー。
今から3年前の初秋、
S氏は富岡八幡宮からさほど遠くない「紀文稲荷神社」へ出かけた。
と、そこに見慣れない力石が二つ。
ここの力石は16個のはずが2個増えて18個になっていたというわけです。
いつの間にか増えていた力石がこちらの二つ。

「飛龍」(左)と「つる乃子」(右)=紀文稲荷神社(江東区永代) 撮影/S氏
「飛龍」と「つる乃子」は一体、いつどこから来たのかとS氏は頭を巡らした。
「飛龍」のことはとんと分からないが、
「つる乃子」という力石には、以前お目にかかったことがある。
「もしや…」とS氏が確かめに行った先が、富岡八幡宮です。
すると、

6個あったはずの力石が5個になっていた!
撮影/S氏
なんと、その消えた一つが「つる乃子」だったのです。
八幡宮にあった「つる乃子」と紀文稲荷の「つる乃子」の刻字は、
「つる乃子 さし石 さが町 又三 由き夫 実」
と、全く同じ。間違いなくこの石は同一の石だったのです。
「誰が、どうして、こんなことをしたのか」とS氏。
石が一人で歩いて行くわけがないし、
さては紀文稲荷のおキツネさまのいたずらか?
江東区の文化財課でも八幡宮でも、なぜ石が移動したのかわからないという。
まさにキツネにつままれたような展開です
そのときS氏の脳裏に浮かんだのが、かつて、本の中に写っていた石の、
現在の所在地を突き止めた時のことでした。
そのとき、S氏が見た写真です。
昭和34年の「深川力持ち」のイベントです。

ここに「朱雀」と刻字のある石が写っています。
S氏はこの「朱雀」の探索に乗りだし、ついに探し当てます。
「朱雀」はこの力石群の中から見つかりました。

「福住稲荷神社」=江東区永代・渋沢倉庫敷地内 撮影/S氏
これです。

このことから、S氏は富岡八幡宮の「つる乃子」の移動をこう推理しました。
「つる乃子も飛龍も深川の力持ちイベントで、
このような使われ方をしたのではないだろうか。
その結果、元あった場所から移動してしまった」
富岡の「つる乃子」どこぞ消えたのは
惚れた「飛龍」のもとぞ紀文の 呆人
さて、そのころ私は、力石の師匠の
「東京の力石」の富岡八幡宮のページとにらめっこしていました。
本には、「八幡宮所有の13個の力石のうち7個が文化財」と書いてある。
でも何かおかしい。
どれっ、電話かけて確かめてみるか、というわけで、
江東区役所で文化財の台帳を調べていただくと、案の定、
「富岡八幡宮の力石文化財は7個ではなく、<3個です」とのお返事。
わーい! 師匠がミスった。 弘法も筆の誤りってなことなのね!
でも残念なことに、江東区が有形民俗文化財に指定した3個のうち2個は、
この「ゴミ捨て場」みたいな場所に置いてあるんですよね。
八幡宮のみなさま、こんな粗末な扱いをしていると、
「つる乃子」さんみたいに、
み~んな家出してしまいますよ~!
<つづく>
※参考文献/「昭和30年・40年代の江東区・なつかしの昭和の記録」
三冬社 2010
※参考文献・写真提供/埼玉在住の力石研究者S氏
ここと、

もう一ケ所は「横綱力士碑」の片隅のここ。

こちらの保存は、ちょっとひどいですねえ。
あまりのお粗末さに埼玉在住の力石研究者・S氏は、こんな句を…。
さし石の捨て場か 藪蚊 蜘蛛 毛虫 呆人
で、ここからがミステリー。
今から3年前の初秋、
S氏は富岡八幡宮からさほど遠くない「紀文稲荷神社」へ出かけた。
と、そこに見慣れない力石が二つ。
ここの力石は16個のはずが2個増えて18個になっていたというわけです。
いつの間にか増えていた力石がこちらの二つ。

「飛龍」(左)と「つる乃子」(右)=紀文稲荷神社(江東区永代) 撮影/S氏
「飛龍」と「つる乃子」は一体、いつどこから来たのかとS氏は頭を巡らした。
「飛龍」のことはとんと分からないが、
「つる乃子」という力石には、以前お目にかかったことがある。
「もしや…」とS氏が確かめに行った先が、富岡八幡宮です。
すると、

6個あったはずの力石が5個になっていた!
撮影/S氏
なんと、その消えた一つが「つる乃子」だったのです。
八幡宮にあった「つる乃子」と紀文稲荷の「つる乃子」の刻字は、
「つる乃子 さし石 さが町 又三 由き夫 実」
と、全く同じ。間違いなくこの石は同一の石だったのです。
「誰が、どうして、こんなことをしたのか」とS氏。
石が一人で歩いて行くわけがないし、
さては紀文稲荷のおキツネさまのいたずらか?
江東区の文化財課でも八幡宮でも、なぜ石が移動したのかわからないという。
まさにキツネにつままれたような展開です
そのときS氏の脳裏に浮かんだのが、かつて、本の中に写っていた石の、
現在の所在地を突き止めた時のことでした。
そのとき、S氏が見た写真です。
昭和34年の「深川力持ち」のイベントです。

ここに「朱雀」と刻字のある石が写っています。
S氏はこの「朱雀」の探索に乗りだし、ついに探し当てます。
「朱雀」はこの力石群の中から見つかりました。

「福住稲荷神社」=江東区永代・渋沢倉庫敷地内 撮影/S氏
これです。

このことから、S氏は富岡八幡宮の「つる乃子」の移動をこう推理しました。
「つる乃子も飛龍も深川の力持ちイベントで、
このような使われ方をしたのではないだろうか。
その結果、元あった場所から移動してしまった」
富岡の「つる乃子」どこぞ消えたのは
惚れた「飛龍」のもとぞ紀文の 呆人
さて、そのころ私は、力石の師匠の
「東京の力石」の富岡八幡宮のページとにらめっこしていました。
本には、「八幡宮所有の13個の力石のうち7個が文化財」と書いてある。
でも何かおかしい。
どれっ、電話かけて確かめてみるか、というわけで、
江東区役所で文化財の台帳を調べていただくと、案の定、
「富岡八幡宮の力石文化財は7個ではなく、<3個です」とのお返事。
わーい! 師匠がミスった。 弘法も筆の誤りってなことなのね!
でも残念なことに、江東区が有形民俗文化財に指定した3個のうち2個は、
この「ゴミ捨て場」みたいな場所に置いてあるんですよね。
八幡宮のみなさま、こんな粗末な扱いをしていると、
「つる乃子」さんみたいに、
み~んな家出してしまいますよ~!
<つづく>
※参考文献/「昭和30年・40年代の江東区・なつかしの昭和の記録」
三冬社 2010
※参考文献・写真提供/埼玉在住の力石研究者S氏
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