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は~るばる来たぜ、岡山~

力石
08 /05 2014
永井荷風を気取るわけではないけれど、
地図とカメラを手に老骨に鞭打ち、
はたまた紫外線対策怠りなく岡山は笠岡市へ

すぐ隣が広島県という、県境の港町です。
なにしろ探し求めるものが「力石」なる過去の遺物。
遺物は往々にして、人けのない寂れた寺社なんかに転がっています。

力石(いし)のほかは我を迎える者もなし
             笠岡の海は沈黙の海 
  雨宮清子

この日はムカデに咬まれるというおまけまで。こんな所で何ヤッテンダロ、私。

岡山県笠岡市立郷土館の力石です。
CIMG0501.jpg
どうです、ここの力石の立派なこと
私と比べて、いかに大きな石かおわかりいただけたかと思います。
ほとんどが100㌔以上。最も重いもので68貫(206.5㌔)あります。
郷土館には20個の力石が保存されています。
うち16個が県重要有形民俗文化財です。

ここには笠岡港という港がありまして、江戸から昭和初期にかけて
瀬戸内海の海運で栄えたところなんです。
こうした港には物資を運ぶ浜仲士がおおぜい働いていました。
そうした人たちが東浜組、西浜組に分かれて力比べをやった、
そのときの石がこれなんです。

一番はじの石に「礫」(れき)と彫られています。
こんな大きな石なのに、小石? つぶて?
「こんな石、オレにとっちゃあ小石みてえなもんよ」という心意気でしょうか。

さて、この石を見てください。
CIMG0487.jpg
左から2個目の「要石」(かなめいし)と右端の「玉獅子」

それからこちらのこれ、
CIMG0484.jpg
一番左の「鷲」(わし)
これに「一亭書」と揮毫者の名前が入っています。

「岩佐一亭」
飛騨国高山生まれの江戸後期の書家です。
岩佐一亭夫妻の肖像画です。
img213.jpg
先の「要石」「玉獅子」も一亭の揮毫ではないかといわれています。

さて、幕末、江戸城の無血開城に貢献した山岡鉄舟という人がいました。
この鉄舟の書の師が、岩佐一亭なんですね。
鉄舟はよほど秀でていたと見えて、
若干15歳で一亭から、
「弘法大師流入木道(じゅぼくどう)」52世を授けられます。

埼玉県の神社に、鉄舟が書いた
「苦抜力石」(くぬきちからいし)という幟り旗があったそうです。

ついでながら鉄舟にまつわるお話を二つ三つ。
これ、前にもご紹介した高島先生との共著「静岡の力石」です。
何度も宣伝するな!って? ちょっと小さめに出しました。
大目に見てください。

静岡の力石

この表紙の絵を描いた人は、江戸時代の茶店、
由比・西倉沢の「望嶽亭」のご主人、松永宝蔵さんです。
生前、この方の蔵座敷で、最後の将軍徳川慶喜の助命などを話し合うために、
鉄舟が勝海舟の使者として江戸から駿府へ向かった、
その時の顛末をよくお聞きしました。

駿府に向かうその山岡を薩埵峠で待ち伏せていた官軍が襲ったッ。
命からがらこの望嶽亭に逃げ込んだ山岡は、
この家の主人・七郎兵衛の機転で漁師に変装、部屋の隠し階段から脱出したッ。
舟で無事清水湊に着いた山岡は…」

薄明りのひんやりした土蔵の中での名調子、なんともいえない味がありました。

そのとき鉄舟が置いて行ったピストルがこれ。
img214.jpg
真偽はともかく、フランス製だそうです。

山岡鉄舟は静岡に縁の深い方で、あの清水次郎長さんとも昵懇の間柄でした。
鉄舟寺というお寺には、義経の笛と伝わる「薄墨の笛」があります。
本堂で聞くこの笛の音は、また格別です。

そしてこれまた宣伝です。
私が運営委員を務める「静岡市文化財資料館」では、「幕末の三舟」と謳われた
山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟の書を見ることができます。
ぜひ、ご堪能あれ。


※資料/「石に挑んだ男達」 高島愼助 岩田書院 2009
      笠岡市笠岡市立郷土館
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞