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金杉藤吉と清水湊

巴川(ともえがわ)という川があります。
静岡市内のハイキングの山として人気のある「竜爪山」に端を発し、
麻機沼という低湿地帯で水を集めて、静岡市清水区の清水港まで流れています。

全長約18㌔。水源から河口までの高低差わずか7㍍。
この緩慢な流れがしばしば洪水を起こし、長い間人々を苦しめてきました。
昭和49年7月7日に起きた集中豪雨「七夕豪雨」ではこの川が氾濫し、
約8万戸が浸水、多くの人的被害を出しました。

しかし江戸時代には、駿府の町や城の生活物資を運ぶ重要な川の道でもありました。

歌川広重が描いた「日本湊盡(尽くし)駿州清水湊」です。
0802suehiro23-7.jpg

巴川河口には、徳川家康から沿岸海運の営業独占権という特権を与えられた
42軒(文化10年には39軒)の廻船問屋が軒を連ねていました。
そのうちの「播磨屋与平」は「鈴与(株)」として,
また「天野屋」は「天野回漕店(株)」として、今も清水の発展に寄与しています。

明治10年代の「巴川西岸」です。
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                     「清水港開港100年史」より転載。

中央2階建ての建物が侠客・清水次郎長の家
撮影者は次郎長の養子で、「東海遊侠伝」を書いた天田愚庵だそうです。

前置きが長くなりました。
今回は明治の力持ち力士「金杉藤吉」の登場です。

静岡県内には、関東や関西のような立派な刻字の力石はほとんどありません。
刻字どころか大半が無銘の石。
図書館で文献を漁り、寺社を軒並み尋ね歩いても力石はなかなか姿を見せてはくれません。

ところがあったんです。これです。
CIMG0572.jpg

次郎長の生家の近く、巴川に架かる港橋のたもとの「西宮神社」です。
この中の一つに、「金杉藤吉」の名前が刻まれていたのです。

      見つけたぞ金杉藤吉刻字石

金杉藤吉(慶応3年~昭和13年)。東京都港区芝金杉川口町出身。
故・伊東明上智大学名誉教授によると、
代々、薩摩屋敷に出入りしていた仲士の元締めだったとか。
藤吉自身は、同所で海運業を営んでいたそうです。

西宮神社には力石が3個。
このうち2個に刻字がありました。

      灯ろうの流るる岸辺力石(いし)三つ


<つづく>


※参考文献/「伊東明教授退任・古希記念原著論文」伊東明 1988
        /「清水港開港100年史」 静岡県 
                        清水港開港100年史編集室 田口英爾 1999

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力石、私の原点

世間から忘れられてしまった「力石」を、少しでもみなさんに知っていただけたら、
という気持ちで始めたこのブログ。
6月からスタートして、怒涛?の3か月が過ぎました。

つたない文章と写真ですが、
この「ちからいしワールド (chikaraishiworld)、お楽しみいただけたでしょうか。

ここで私の原点ともいえる、
力石の調査研究に入るきっかけとなった「力石」をご紹介します。
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静岡市葵区有永・大御戸神社の「代用力石」です。

この石を見たのは15年ほど前です。ある郷土誌に載っていたので見に行きました。
力石を見たのも、「力石」という名称を知ったのもこのときが初めてでした。
しかし、強く印象に残ったものの、
そのときは調査してみようという気持ちにまでは至りませんでした。

そのころ私は地域の石造物調査を一人でコツコツとやっていました
ある日、
収穫が終わったみかん山で、地蔵さんの寸法を計ったりスケッチをしていたとき、
通りがかった農家のおじさんんに通報されて、
警察官がバイクでかけつけてきたことがありました。

そのときのお地蔵さんがこちら。
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□永五年

「こんにちわ」と声をかけたんですけどねえ。
地蔵さんは子供のお墓だし、第一重くて盗めやしないのに。
こういう調査には、こんなことがつきものですから仕方がないのですが…。

さて、大御戸神社の力石です。
刻字があります。

   「元禄十六 午三月吉日」

これは、元禄16年3月に建立したこの神社の鳥居なんですね。
鳥居が壊れたので、その一部を力石として使ったというわけです。
これを力石の代用品「代用力石」といいます。

地元の方の話によると、
「昔の若者たちがこの石を担いで、
神社の石段を何回上り下りできるか競った」そうです。

       大御戸社鳥居転用力石              
                             高島愼助

      力石残夢の杜にまどろみて
                             雨宮清子

この「代用力石」を知人がブログに載せたことで、
力石の研究者・四日市大学の高島愼助教授から連絡が入りました。
そこから急速に「力石病」という病いに取りつかれていったというわけです。

たかが石ころ。なのに面白い。なにが面白いかって、この石には若者の顔がある。
汗と涙と喜びと哀しみの…。よく知られた武将や権力者の歴史ではなく、
社会の根っこを体ごと支えてきた、名もなき彼らの歴史がこの石には沁み込んでいます。
そこに惚れ込みました。

これは静岡市清水区三保の、とある三叉路です。
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これは道標の残骸です。
ここに力石があったという記録をみつけて行ってみたのですが、
もう影も形もありません。

平成7年発行の「三保のくらし」から、地元の古老たちの話を転載します。

その石(道標)の横に力石が置いてあって、
村の若い衆同士がその石を担いで力比べをやったです。
担ぎやすい鳩の格好をした石で、20貫以上はあったいかい(大きい)石でしたよ。

ここから松(秋)月堂のとこらへんまで担いで行けりゃあ、徴兵検査に行っても
甲種合格間違いなしだといって、担げえた人はうんと自慢して喜んだそうで、
あん人ん担いだ、こん人ん担いだとよく噂したもんですよ」

「でもそんないかい(大きい)石じゃあ、誰もかれもは担げないっけずらなあ」

………

力石探しは、こんなふうに空振りが多いのですが、楽しい宝探しです。
何事も足で知る、これが一番ですね。
静岡県内の力石の確認は、現在260余個。
力石の話のネタはまだまだ尽きません。

これからもどうぞ、この「ちからいしワールド」 (chikaraishiworld)で、
力石とのんびり遊んで行ってくださいね。



※参考文献/「三保のくらし 屋号ものがたり 第三集」調査・採話 御穂大学塾 
         三保公民館 平成7年。





わしが総社の力石 「ありがとう、力石」

力石総社「大人編」です。

26貫(97.5㌔)の石を持ち上げると決勝へ進めます。
しかし、
横綱力石に挑戦するには、30、32、34、35、36、37貫の石をクリアしなければなりません。
また、大関力石は形の悪い自然石です。
バランスが取りにくくて、形が整った横綱力石より難しいそうです。
5つあるうちの真ん中の土俵が優勝者を決める決勝土俵、ご神体の「力石」の真ん前です。

女性も果敢に挑戦します。
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皮ベルトをつけて腰やお腹を保護。  みんな素敵な若い女性です。

呼吸を整えて、集中力、集中力…
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      じりじりと照らす日差しも耐え忍び   小泉武彦

      力石炎暑に耐える修行かな        児島一成

      八兵衛うなるばかりで持ち上がらず  詠み人知らず

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ムムムーッ                   クリアした? やったあーっ! アッハッハ

          力石上げた男の仁王面  藤井一彦 

ほっそりした女性です。思いのほか力持ちです。
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  「かあさんがんばれ」の声援に 妻軽々と石を挙ぐ  
                                       雨宮清子
どこかで「去年の女性チャンピオンが来場した」との声。
残念ながら帰りの電車の時間が迫り、
私は肝心の優勝決定戦を見ずに会場を後にしました。

記念にこんなものを買いました。
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会場に素敵な歌が流れていました。
地元の方の作詞作曲です。後日、CDを送って下さったんです。
ほんのさわりをご紹介します。

「わしが総社の力石」  作詞・作曲 金池兼弘

♪どすこい どすこい どすこい どすこい
  昨日の自分に 勝つために
どすこい どすこい どすこい どすこい
  土俵に向かって 夢を追う

………

子供も若者も、とうさんもかあさんも、ジッチャンバーチャンも、
日本全国のだれもが楽しめる力持ち大会でした。
たかが石ころと笑うなかれ。この石一つがみんなの心をつなぎました。

「力石、ありがとう! 総社のみなさん、また会う日まで!」



※俳句・短歌は「力石を詠む」(高島愼助・板羽千瑞子)シリーズより。

※山陽新聞によると、今年(2014年8月24日開催)の力石総社の優勝者は、
男性が奈良市の公務員(50歳)、
女性が姫路市の小学校の教頭先生(50歳)だったそうです。





わしが総社の力石 「元気いっぱい!」

総社市の子供たちです。みんなやる気満々です。

「力石総社」には大切なルールがあります。
土俵に入ったら、行司のおにいさんに「おねがいします」、
石を持てても持てなくても退場するときは、
おにいさんに「ありがとう」とお礼の挨拶をすることです。

お塩で清めてから土俵に入ります。
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あっ、いきなり軍配があがりました! 合格です。
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あんなおチビちゃんに負けてたまるか!
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とはいうものの、お、おもい!         私、もうダメ…

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上げた高さを見てくれよ。       あれ、軽くあがっちゃった。
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あと2秒だ、がんばれ!            うしろでママが応援してるしなあ

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あなたもさわってみる?      黄色い麦わら帽子のぼうや、お見事!

みんな、元気いっぱいです。総社市の子供たち、幸せです。
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          石あげる子らの頭上に夏の雲
                                       雨宮清子

<つづく>                




わしが総社の力石 「いよいよ始まりました!」

会場に子供たちがたくさん集まってきました。

いつの間にかアマチュアカメラマンたちが、ここぞという格好の場所に、
これまた高そうなカメラを抱えて構えています。
安物のデジカメの私は、そのはるか後ろでウロウロ。
まあいいじゃないの、心で撮れば、ね!

いよいよ始まりました。厳粛に、そして楽しく。
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まずは安全祈願です。赤い台座に鎮座している「力石」さまに祝詞を奏上します。

こんなふうに神官さんからうやうやしく言葉をかけられる力石は、そうそうありません。
埼玉県越谷市・久伊豆神社の「卯之助の力石」と、ここぐらいのもんです。

式典を後ろから見たら、こんな感じ。
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裃を着けている人たちは行司です。
すべて岡山大学ウエイトトレーニング部の学生さんです。

ここでは中高年のおじさんたちは裏方へまわり、表舞台は学生さんたちに任せています。
あの「ひひーん」の神社パンフレットも、
岡山県立大学デザイン科の学生さんたちが制作したものだったのです。

いいですねえ、この神社。若い人たちを大事にして…。
地元の方たちとトコトン楽しんじゃっています。

と、ここで、上の写真の土俵際に置かれた力石を見て気が付きました。
この前、「横綱力石」としてご紹介した石、間違っていました。
横綱力石はこちら。まことに面目ない。
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48貫(180㌔)
最後は持ちこたえた時間の長さによって横綱が決まります。

ちょっとルールをご説明します。
ここでは担ぐのではなく、「地表から持ち上げる」という方法で競います。
これを「地切り」、蟻が通るほどの隙間という意味の「蟻通し」とも言います。
小さい石から始めて、石を地表から10㎝以上あげ、10秒間持ちこたえたら
次の重量の石に挑戦できます。そして最後にたどりつくのが、横綱力石です。

「力札」「認定証」
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「力札」には、持てた石の重量ごと合格シールを貼ってもらいます。
「認定証」は、今年持てた一番重い石の貫目を記入してもらいます。

ところで、この日は荷を背負った和服の謎のおにいさんが会場を歩き回っていました。
富山の薬売り?
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「写真撮らせてもらってもいいですか?」って聞いたら、「どうぞ」
とても真面目な顔で、ポーズを決めてくれました。
このおにいさん、なんとこのスタイルでかなりの重量の石を軽々上げていました。
ただ者ではありません。

さて、いよいよ力石総社の始まりです。
子供たちはとても積極的です。行司役のおにいさんたち、かっこいいですよ~!!

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       蝉しぐれはやし立ており力石
                               幸路春人


<つづく>


わしが総社の力石 「つかの間の境内巡り」

ここは日本だけど、ずいぶん遠くへ来てしまったなあと思いました。
岡山県は高校の修学旅行以来です。

あのときは大原美術館へ行ってドガやモネなんか見て歩き、作品図録も買いました。
兄に絵葉書でも送ろうかと、カリエールの「思い」を選びました。

こんなです。
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切手も貼ったのに、なぜか出さずじまいのままウン十年。
その兄も2年前、黄泉の国へ。

とまあ、そんなことを思い出しながら、静かな境内を歩きました。

回廊です。
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いました、いました。口をへの字に結んだあの「総社の力石」が…。
もう、柱という柱に。

こちらは歴代優勝者の氏名です。
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この大会は平成6年に始まり、この年19回目を迎えました。
この中には、15歳から参加して4連覇、通算11勝という女性の名もありました。
彼女はこの日、32貫(120㌔)を上げて、
なんと5連覇、12勝の快挙を成し遂げたんです。

これが総社宮にある唯一の力石です。        69×48×21㎝
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刻字があります。江戸後期に奉納された力石です。

奉納 力石 弘化四未歳 十一月吉日 山田屋石蔵 長尾屋勘吉 馬持柳五郎

山田屋と長尾屋は当地の商人で、この石を持った人は馬持柳五郎だそうです。

この大会を始めたきっかけを、実行委員長にお聞きしました。
「総社市や総社宮のことを知る市の歴史講座がありまして、それが終わったとき、
飲み会をやったんです。
そこで、このまま別れるのはつまんないね、何かやろうかということになって。
ふと浮かんだのが境内にあったこの石だったんです。これがヒントになった」

総社宮の神官さんも、
「この石はそれまで泥まみれで転がっていたんですよ

今はご神体として、力石総社のシンボルになって、

   わしが総社の力石、そんじょそこらの石じゃねえ

と怪気炎をあげています。

で、実際に大会で使われる力石がこちら。
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半貫(1.9㌔)から横綱力石48貫(180㌔)までの23個。
紅白の綱が実に美しい。

こちらが横綱力石です。
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5つある土俵の前に30貫から37貫、大関、横綱力石が置かれています。
賞品は、優勝者には米一俵、女子の部の優勝者には味噌一年分授与。

会場があわただしくなってきました。どんな展開になるのだろう。
緊張が走ります。


<つづく>


※参考文献/「山陽の力石」高島愼助 岩田書院 2007
        パンフ「力石総社のご案内」力石総社実行委員会




わしが総社の力石 「な、なんだよ、この石は」

な、なんだよ、この石は…。
これ、見てください。
額にしわを寄せ口をへの字に結んで、人間どもを盛んに煽っています。

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「あげれるもんならあげてみい!!」と挑戦状を叩き付けているのは、
岡山県総社市・総社宮の力石です。
ここでは毎年、
力石を使った力持ち大会「力石総社」が行なわれているのです。

煽られたからには、行かずばなるまい。
というわけで、2年前の夏の終わりに行ってきました。

岡山駅からJR吉備線に乗り、東総社駅で下車。
閑散とした無人駅です。あの石はこんな田舎で吠えまくっていたのか。

本当にここで力持ち大会やるんだろうかと不安がよぎる。
毎年全国から200人余りの挑戦者が来るそうだけど、
そんな人影は全くない。

すると、幟が見えました。「力石総社」、これだ!
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角を曲がったら、ありました。 「備中国総社宮」
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創建は平安末期。大変な古社です。
備中国の総鎮守で、備中国大小324社を祀ってあるそうです。

早速パンフレットを頂戴すると、
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えっ!? こ、これホントに神社の由緒書?

もう一つあるというので、「絵馬っぷ」というのをいただくと、
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やっぱりロングヘアの女の子が…。

「今日の夢」という四コマ漫画がありました。こんな内容です。
夢がありすぎて絵馬に書ききれないと悩む女の子に、絵馬の馬が声をかけます。
「欲張りな君には総社宮がオススメだ。きっとご利益があるヒヒーン」
女の子は大きく目を見開いて決意する。「さあ、行くヒヒーン、総社宮へ!」

うーん、恐るべき神社です。
これは期待できるぞ、「力石総社」 ヒヒーン!
というわけで、早速会場へ。

大会前の会場です。
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大会主催者のほかは、まだ誰もいません。

早朝から太陽がドカンドカンと照りつけています。
その青い空の下、幟が力強くはためいています。

闘い前の静けさが、境内にひたひたと流れておりました。


<つづく>




はじめてのちからいし

私事で恐縮ですが、です。

今年の1月に生まれた男の子。もちろん会いに行きましたよ、沖縄まで。
飛行機で2時間半、那覇空港から高速バスで2時間。遠い道のりもなんのその。
この私がバアバになるなんて、嬉し恥ずかし、こっぱずかしい
だけど、こんなふうに人並みに孫を授かるなんて、息子夫婦に感謝です。

で、その息子夫婦が、こんな写真を送ってきました。
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    「はじめてのちからいし」

ぼうやが手に握っているのは、せんべいでもおしゃぶりでもありません。
まぎれもなく「力石」です。

さすが「ちから姫」の孫です。嬉しいなあ。

そういえば、江戸時代にこんな子供がおりました。
「仕立て屋の倅、亀治郎」 歌川国安・画



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身の丈3尺5寸。差し上げているのは、35貫(131㌔)の力石。
12歳の怪童です。

さて、いつまで見ていても飽きない孫の顔ですが、
私の中で「もう一人のわたし」が、モゾモゾと動き出しました。
ここは沖縄だぞ。沖縄にも力石があるんだよなあ、
高島先生の本にいっぱい出ていたし…、
というわけで、    

   孫の顔見がてら力石(いし)も見て歩き

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沖縄県国頭郡今帰仁村謝名の公民館です。
玄関前に赤い石が…。無造作に置かれていますが、まぎれもなく力石です。
出がけに公民館に確かめたので、間違いありません。

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42×32×25㎝

   シーサーが見守る謝名の力石

沖縄県には48個の力石があります。
そのうち宮古島市の石3個が、有形民俗文化財になっています。
「力石による力持ち」は、石垣市、島尻郡久米島町、南条市で行われています。

力石写真⑥
南条市玉城「比嘉ウチョー杯力石(チチイシ)自慢大会」
ものすごい付け眉毛です。見物の人たちが盛んに拍手をしています。
楽しそう!

あらためて、
「はじめてのちからいし」を手にした私の孫クン
怪童亀治郎にならずとも、
沖縄の太陽と海と温かい沖縄の人たちに見守られて、
元気に明るく素直に伸びていってくださいね。

そして、戦争のない未来を、あなたの祖母は祈っています。


参考文献/「九州・沖縄の力石」 高島愼助 岩田書院 2009
        「チチイシ自慢大会」写真提供/宜野座隆之(南条市教育委員会)

「手筒花火」に酔って

私が初めて「手筒花火」を見たのは、今から20年ほど前になります。
場所は静岡県浜名郡新居町(現・湖西市新居町)。
江戸時代から300年続く「遠州新居の手筒花火」です。

驚きました。火柱を上げた筒を抱え、火の粉を浴びながら乱舞するんですから。
しかも、こんな笑顔で…。
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当時、遠州新居手筒花火保存会連合会の副会長だった杉浦政雄氏に、
「みなさん、気持ちよさそうに踊っていますね」と言ったら、意外な事を言ったんです。
「ほんとは恐いんだよ。あんな恐いもの、最初から好きな人間なんていないよ。
だって、いつ爆発するかわからない火の玉抱えているんだから」

新居に手筒花火が伝わったのは、元禄15年(1702)、
支配が幕府から、
手筒花火発祥の地の三河吉田藩に移ったことから始ったといわれています。
以後、諏訪神社の祭礼として行われ、
二日間で2000本もの手筒花火が出されます。

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杉浦氏の話は続きます。
「爆発すれば命の保証はない。だけど火薬が燃えるにおいや、
耳元でブオーォと鳴るうなり(花火の音)を聞くうちに、
恐怖が快感に変わり陶酔していく。
やけどをするとよけい好きになる」

「昔は男の子が生まれると花火を出したんだ。
片手で花火を持ち、泣き叫ぶ息子を抱えてねえ。親が出たい一心で…」

「参加資格は18歳以上の男子。花火も出せない臆病モンかと彼女にいわれるのが
いやで、みんな参加するんだよ」

「初めは恐いし重いもんだから、花火にしがみついてしまうんだよ。
それも一番火勢の強い時に。後ろから先輩たちが声をかけて指導するんだ。
みんな最初は顔面蒼白。だけど終わった途端、気持ちよかったア」

翌年、若い女性たちがこの手筒花火に挑戦しました。
火の粉の中に浮かんだ彼女たちの、いなせな姿と緊張した顔が非常に美しかった。

そして、昨夜、久しぶりに手筒花火を見ました。
静岡市葵区郷島(ごうじま)の「郷島煙火大会」です。
こちらは津島神社の祭典として行われ、190年の歴史があります。

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25人の若者によって、100本の手筒花火が披露されました。
市内最大の火薬量。火柱の太さといい、迫力満点です

手筒花火は、孟宗竹に畳表を巻き、その上から荒縄を固く巻き火薬を詰めます。
作り方は新居も郷島も同じですが、ただ違うことがあります。

郷島は「ハネ粉」というものを入れているので、
最後に筒の底が抜けて大きな音がします。
危険度が増すせいか、恐怖と緊張感が見物客にも伝わります。

一方、新居はこれを入れないので底が抜けません
そのため花火を持ったまま、練り歩いたり乱舞したりできるわけです。

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「花(花火)を浴びて男気(おとこぎ)を示 
 
 男たちの熱い夏が、終わりました。


※新居の手筒花火の画像提供/旧新居町役場

年がら年じゅう力んでいる「力神」のお話

盃状穴力石も、
歴史学者や民俗学者が素通りしてきてしまった庶民の文化遺産だと思っています。
私が住む静岡市に、今、歴史博物館を作る計画があります。
その博物館の庭に「ぜひ、力石を」とお願いするのですが、なぜか皆さん笑います。

決して取るに足りないものではないんですけどね。
いずれ、他県での保存などの取り組みについて、ご紹介していきます。

さて、盃状穴のお話はひとまず終わり、そのこぼれ話をご披露します。
静岡浅間神社に架かる石橋の「盃状穴」を見に行った折、
楼門の力神(ちからがみ)が目に入りました。

これです。重い梁を背に受けて、がんばっております。
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筋骨隆々。お腹も出ています。全身金色。有名な立川流彫刻です。

こちらは本殿の力神です。
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全身真っ青。中央で屋根を支えています。妻飾りというんだそうです。
足元で天女がのんびり笛を吹いています。

こちらは、祭りの山車に施された力神です。
「宮大工(株)飛鳥工務店」(静岡県掛川市浜野)の制作です。
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立川流彫刻。台輪にかかった足の親指に力の漲りを感じます。

棟梁がご自身のブログでこうおっしゃっています。
「我ながらいいケヤキを使いました(笑)。
腹も膝も等高線のように木目が出るように考えて、吟味し、木造りしました」

こちらは、石造の力神です。
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静岡県島田市・白岩寺。黄檗宗のお寺です。

元は近くの愛宕神社の門番だったこの力神、昭和63年に盗難にあいました。
ところがドロボーさん、重くて途中で捨てていったので、この寺に安置されたとか。

年がら年中、屋根や梁を支えてがんばっている力神ですが、
姫路市の円教寺には、重さに耐えかねて逃げ出した力神がいるそうです。

で、この力神ってどんな神様かというと、
天岩戸に隠れた天照大神を引き出した「天手力男(アメノタジカラオ)神」
という説があります。岩屋の戸の大岩を両手でぶん投げたという力の神です。
似たような神さまに「引手力命(ひきてちからのみこと)」がいます。
天手力男神は山の神で、引手力命は海の神らしいのです。

静岡県沼津市にこの引手力命を祀る「大瀬神社」があります。
ここでは、若者が海の小石を詰めた俵を背負い、神社に奉納する風習がありました。
力石を担いで一人前になったのと同じ「成人への通過儀礼」と言われています。

ちなみに、これは昭和10年ごろの「俵さし競技」です。
img234.jpg
力石同様、俵を使った力くらべも盛んでした。

静岡市駿河区下川原在住の男性の話では、大瀬(おせ)神社と同じように、
青年団へ入るとき、安倍川の小石を俵につめて天満宮へ運んだそうです。

重くてねえ、大変だったよ。
だけどこれやらないと、一人前の男として認めてもらえないから、
まずハー、がんばったよォ

     
       いにしえの若者はみな力神
                                  雨宮清子


※祭り山車・力神の画像提供/「宮大工(株)飛鳥工務店・棟梁のブログ」
※俵さし競技の画像提供/「ふるさと東豊田」
                郷土誌編集委員会・静岡市立東豊田小学校PTA  昭和58年





プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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