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本物はどっち?

力石
07 /04 2014
昔、福島正則という武将がいました。
豊臣秀吉の家臣で、怪力の人だったそうです。
その人が持ったという伝承の力石があります。

場所は静岡県沼津市我入道の浜町公民館です。
CIMG0693 (2)

標柱石には「福島正則試力出石」と刻まれています。
標柱石の前に置かれているのが問題の力石です。
「二十貫」の刻字。寸法は54×26×30。

天正18年、天下統一の野望を企てた秀吉は、小田原の北条氏を攻めます。
その小田原への途次、福島正則は沼津市の隣り、
三島宿(三島市)の「世古本陣」に泊まります。
そのとき持ち上げたのが、この石だというのです。

明治になって本陣職が消滅したため、世古家はこの石と共に沼津市へ移転。
その後いくたびかの流転の末、現在の公民館に収まったというわけです。

ところがここへきて、福島正則の力石がもう一つ見つかりました。
これです。三島市塚原新田の個人宅にありました。
CIMG0150.jpg
かなり大きな石の塊です。
この家の人の話では、世古家が沼津へ移転した折、石はここへ運ばれたとか。
表面に「ふくしま左衛門太夫」の刻字があります。
福島正則が槍の先で書いたそうです。

さて、どちらが本物かわかりません。

ここに一冊の本があります。
幕府の官僚で儒学者の吉田桃樹(ももき・とうじゅ)が、
寛政4年に書いた伊豆の旅行記、「槃游余録」(ばんゆうよろく)です。

旅の終わりのころ、三島の世古本陣に宿泊した吉田桃樹は、
庭の池端に巨石があるのを見つけて、主人に尋ねます。主人がいうには、
「今から60年ほど前、岡山のお殿様がここにお泊りの折、この石が目に付いた。
殿さまは膂力の人であったので、戯れにこの石を動かした。
そしたら、埋没していた石の表面に、
”元和二年閏二月 福島左衛門太夫之を立つ”
と彫ってあるのを見つけた」と。

そのとき吉田桃樹が見た石は、
石の高さ凡そ六尺、その地上に露出する者は四尺。その地に入る者は二尺
苔蘚密封古色愛すべし」という形状だったそうな。

六尺は1・8㍍、かたや我入道の石は54㌢。寸法が合いません。
四日市大学の高島先生も、
「伝説上の力石のように保存してあるが、大きさと重量からして、
誰もがチャレンジしたことは充分に考えられます

どちらかといえば三島市の石の方が、桃樹さんの記述の石に似ています。
が、よく見ると石に、「大正」の年号が…。

まあ、この際、詮索はやめときましょう。

もともと石好きの桃樹さん、ここで「五言四句一章を賦す」


中庭一片の石  開国英雄の名あり
空しく名と石とを余して  千秋大平に伝ふ
芙蓉木雍
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞