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戦争と若者と力石・万福寺

戦争と力石
06 /13 2014
昨日の続きです。
南小岩の円蔵院から、今度は東小岩の万福寺へ向かいます。
ここは第44代横綱・栃錦の菩提寺です。
小岩駅構内に、その栃錦の銅像がありました。


CIMG1064.jpg

銅像の台座が荷物置きにちょうどいいのか、いつも人がいます。

万福寺に着くころから、お日様が顔を出し気温が急上昇。
ブーツに入り込んだ雪が解けて、靴の中でチャプチャプしています。
万福寺のお母さんが「まずはお茶をどうぞ」と。
下町の人の温かさをお茶と一緒に飲み込みました。

若いご住職が「川野家の墓ですか?」と首を傾げる。
懸命に探してくださるものの、なかなか見つかりません。
私も墓地へ入れていただいたら、すぐ見つかった。
「さすがですね」とご住職に感心されて、少し照れました。

CIMG1082.jpg

力石は灯ろうの横にありました。
寸法は54×37×26。重さは不明です。
刻字がありました。
「さし石」のほかは「□□□ □□□」と判読不能。
碑がありました。

碑文
「陸軍騎兵二等卒 川野定次郎之墓 明治三十八年十二月行年二十二才」

日露戦争の戦死者です。
円蔵院の若者は二十三才、こちらは二十二才です。
力石を担げるほどの力持ちは、戦争で前途を断たれました。
力石さえ担げない支配者たちは、口先だけで戦争を勧めますから長生きします。

力石(いし)探す行脚巡礼に相似たり

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞