蒲原余話 海ガメがきた町
世間ばなし
昨日ご紹介した静岡市清水区蒲原(かんばら)の話です。
蒲原は左手に富士川河口を、そして目の前に太平洋を望む町です。
江戸時代にはここに紀州・徳川家の藩公用の飛脚、七里役所があって、
刀と十手を持ち、昇り竜下り竜の伊達半てんをひるがえした男たちが5人
一組となって、街道を走り抜けて行きました。
そして広重は、ここで「蒲原夜之雪」を描いた。
そんな町にかつてアカウミガメが訪れていたのです。

この蒲原に大津さんという方がいた。
失われていく砂浜で小さな子ガメたちを見守り続けた人だ。
昭和59年のことだった。
「地曳網に何か動くものがあるってんで駆けつけてみたら、
大きな親ガメでね」
それから大津さんのカメの観察が始まった。
しかしこの記録も昭和61年で終わってしまう。
浜に波消しブロックを沈めるたびに、カメは姿を見せなくなったのだ。
この大津さんには、もう一つの顔があった。
蒲原はかつて「日本一のケレンの町」と言われた。
ケレンとは鉄橋や鉄塔などの危険な高所での塗装作業のこと。
あの東京タワーを塗ったのもここのケレン衆だった。
大津さんはそのケレン衆の監督をしていた人だ。
「バラカン気質っていってね、気は荒いけど心に裏表がない
気のいい人間ばかりで、みんな誇りを持ってやってましたよ」
お会いして間もなく、大津さんは亡くなった。
そして平成11年、蒲原の浜に海ガメがやってきた。
13年ぶりの上陸に町は沸いたが、それが最後となった。
蒲原は左手に富士川河口を、そして目の前に太平洋を望む町です。
江戸時代にはここに紀州・徳川家の藩公用の飛脚、七里役所があって、
刀と十手を持ち、昇り竜下り竜の伊達半てんをひるがえした男たちが5人
一組となって、街道を走り抜けて行きました。
そして広重は、ここで「蒲原夜之雪」を描いた。
そんな町にかつてアカウミガメが訪れていたのです。

この蒲原に大津さんという方がいた。
失われていく砂浜で小さな子ガメたちを見守り続けた人だ。
昭和59年のことだった。
「地曳網に何か動くものがあるってんで駆けつけてみたら、
大きな親ガメでね」
それから大津さんのカメの観察が始まった。
しかしこの記録も昭和61年で終わってしまう。
浜に波消しブロックを沈めるたびに、カメは姿を見せなくなったのだ。
この大津さんには、もう一つの顔があった。
蒲原はかつて「日本一のケレンの町」と言われた。
ケレンとは鉄橋や鉄塔などの危険な高所での塗装作業のこと。
あの東京タワーを塗ったのもここのケレン衆だった。
大津さんはそのケレン衆の監督をしていた人だ。
「バラカン気質っていってね、気は荒いけど心に裏表がない
気のいい人間ばかりで、みんな誇りを持ってやってましたよ」
お会いして間もなく、大津さんは亡くなった。
そして平成11年、蒲原の浜に海ガメがやってきた。
13年ぶりの上陸に町は沸いたが、それが最後となった。
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