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オビシャ

「オビシャ」という言葉をご存じでしょうか?

私は10年ほど前、力石の調査で訪れた某所で初めて知り、
ちょっとユーモラスな言葉の響きと素朴な風習に、たちまち惹かれました。

でも、見物は叶いませんでした。

「地区の人たちが密かにやっていることだから」とやんわり拒絶され、
加えて神社は人家もない山中で、日時もわからず断念。

それから5年ほどたったある日、
思いがけない方から「オビシャ」が出てきてびっくり。

その方は、
国際日本文化研究センターへ留学されていた韓国の大学の先生で、

オビシャの研究で日本に来ました。
かつては韓国にもあった風習でしたが、今は途絶えてしまったんです。
それが日本には残っていたんです」と。

これは千葉県立関宿城博物館・友の会発行の図録です。

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昨年、「万治石」保存式典に出かけた際、関宿城博物館で求めたものです。

「オビシャ」は「御奉射」「御歩射」「鬼射」とも書き、
おびしゃ、おんびしゃ、ほうしゃ、ぶしゃとも言います。

1月から2月にかけて行う年のはじめの「厄払い」の行事で、
三本足のカラス魔王の目などを描いた的を弓矢で射るものです。

図録から的の写真をお借りしました。

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茨城県取手市野々井・白山神社

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栃木県日光市小倉・三所神社(写真提供・篠崎茂雄氏)

この図録は関東一円のオビシャを扱ったものなので静岡県のものは皆無。

でもわが県にもあるんですよ。
かつては、弓矢を鉄砲に替えた「オビシャ」も。

下の動画は、
静岡県の伊豆松崎町池代・日吉神社「おんびしゃまつり」です。

ここでは的に鬼の文字を描き、それを黒く塗りつぶしてあります。



こちらは静岡浅間神社「奉射祭・大的式」です。

「奉射神事」は関係者のみで屋内で行われたのか、
屋外でのこの式がその両方だったのか、只今、問い合わせ中です。

神社弓道会の方々の登場です。女性がお二人いました。

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静岡市葵区宮ケ崎町・静岡浅間神社

片肌脱いで凛々しく弓をひく若者です。

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たおやかに矢を射る若い女性です。

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 なんと、いきなりど真ん中に!

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近くの幼稚園児たちも見学です。

今はよくわからなくても、
「ああ、これはあのとき見たのと同じだ」
という日がきっときます。

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「万治石」がある野田市今上でも、今ごろ厳かに行われていることでしょう。

この日私は、
厄が払われて、すっきりした気分で浅間神社を後にしました。

静岡浅間神社の百段階段です。
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大きな神社での奉射神事も素晴らしいけれど、
やっぱりムラの小さなお社での「オビシャ」を見てみたい。

と思いつつ、これを書き終えてわが身を見るとエプロンをつけている。

ブログを書くぞ!と意気込んでパソコンに向かうとき、
なぜか自然にエプロンを腰に巻いてギュッ。

妙なところで習性が出るものですね(笑)


※参考文献・画像提供/令和元年企画展「オビシャはつづくよ400年
               ~年のはじめの村まつり~」
               千葉県立関宿博物館友の会 2019


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行ってきました、草競馬ッ!

いったん行くのを断念した「さがら草競馬大会」。
今朝、トーストに夏みかんジャムをたっぷりのせて、ガリリとやっているうちに、

やっぱり、行くか!

特急バス+なんだかんだで片道2時間。今なら午後のスタートに間に合います。
いざ、牧之原市「さがらサンビーチ」へ。

オッ、いましたいました。午前の疾走を終えて、一休み中のお馬さん。
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静岡県牧之原市相良・さがらサンビーチ

本日の出走はサラブレッド19頭、ポニー16頭、中間馬12頭。
午前、午後とも9レースずつ。

子どもは苦手だけど、しゃーない
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決勝戦が始まる前に行われた子供たちの「人間草競馬」です。
馬のぬいぐるみを被って走ります。

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さあ、いよいよ始まりました。砂に、海にヨット、空に遊覧ヘリコプター

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なんだか興奮してきちゃった!  私はいつでも冷静よ。

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子どもの騎手さんが大勢出場しています。
遠く長野県から来た少年もいました。
ここに載せた写真の騎手は全員、少年少女たちです。

どうです、この手綱さばき
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外野のじじさまたちが「ほれ、行け」「やれ、行け」とうるさいこと。

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ポニーに乗った少年です。ポニーも少年に応えて懸命に走ります。

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すごいよ。
この馬と子供の一体化。

こんな文化が続いていたなんて。子供たちがあんなに生き生きと…。

祖父から父、父から子へ、連綿と引き継がれてきた草競馬。
じいさんの顔も父さんの顔も日に焼けて真っ黒。誇り高き日焼けだね!

闘いが済んで、お互いに健闘を讃え合う子どもたち。
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やっぱり思い切って出て来てよかった!
遠州名物の「干しいも」も買えたし…。

また来年。
お馬さんたちも元気でね!

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美しすぎる

「由比・東山寺」の途中ですが、ちょっと寄り道

今日は、富士宮市大晦日(おおづもり)の芭蕉天神宮へ行ってきました。
お祭りです。
標高約400㍍にある天神宮までの山道を、
ハイカースタイルで大勢の人たちが登っています。
私たち一行の車とすれ違うたびに、徒歩の人たちが手を振ってくれます。

蝋梅がほのかに香る境内では、
かや飴焼きそばを売る店が準備を始めていました。
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富士宮市内房大晦日・芭蕉天神宮

源平の戦いに敗れた平氏の落人が開いたと伝わる大晦日集落。
かつては由比から甲州・信濃への塩の道として栄えていましたが、
今は世帯数2軒という限界集落です。
ですが、この日ばかりは人々の歓声が響きます。

神事を待つまでの間、いろりにあたってお茶やお酒のお接待です。
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外では地元の「清流太鼓」のみなさんがスタンバイ。
「オヤジバンド」(写真左)も楽器の調整中です。

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数年前に奉納した高島愼助教授の俳句の短冊を見つけました(左)
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右の短冊は同行者・長倉千代さんが今回奉納したものです。

この芭蕉天神宮を守ってきた望月旭さんは、一昨年、98歳でご逝去。
いつもいろりのそばでニコニコと参拝者を迎えていたあの姿はもうありません。

大晦日の力石です。
写真上部は榧(かや)の木に囲まれた望月家の墓所。
12月31日の大晦日生まれの旭さんはその大晦日にこの世を去り、
大好きなふるさと・大晦日(おおづもり)で永遠の眠りにつきました。

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俳句は旭さんの奥さまが詠まれたものです。右は天然記念物の大榧(かや)

    大榧に抱かれ寄り添う夫婦石    高島愼助

神事終了後、山頂の望月家をお訪ねしました。
いつも旭さんが座っていた場所に、奥さまの順代さんが座っていました。
今年91歳。
長い年月を寄り添い歩いて来られたお二人。美男美女のままのご夫婦でした。

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    杖揃え力石背に並びおり
           美しきかな翁と媼
    雨宮清子

帰り際、「お墓まいりをしていってください」と奥さま。
みんなで墓所へ。真下に力石が見えます。
これを保存したときの旭さんの笑顔が浮かびます。

同行者の長倉夫妻に支えられながら、亡き夫の墓前にぬかづいた奥さま。
冷たい石の上に正座して、墓石に向かって呼びかけました。

「お父さん、見守ってくれてありがとう。天気もよくて大勢来てくれました。
私はみんなに支えてもらっていますから心配しないで」

それから突然、歌い出しました

♪甲斐の山々陽に映えて われ出陣に憂いなし 
  おのおの馬は飼いたるや 妻子につつがあらざるや あらざるや

か細くもしっかりした歌声が夕暮れの空気を震わせつつ拡散していきます。

曲がった小さな体をピッと伸ばし、冷たい石に正座して歌うその姿に、
私は泣きました

身はままならなくとも、
祭りの精神的支柱として、夫の代わりに大任を果たしたのです。
その安堵と感謝が小さな背中にうかがえました。

♪祖霊ましますこの山河 敵に踏ませてなるものか
 人は石垣人は城……

あまりにも美しすぎて、涙が止まらなくなりました。



※参考文献/「力石を詠む(七)」高島愼助・板羽千瑞子 岩田書院 2014

「ごせっぽい」

友人から急なお誘いを受けました。
なんだかよくわからないまま、午前の仕事の後、そのまま町へ。

待ち合わせのショッピングセンターへ行くと、山車(だし)が。
オオーッ、なんだこりゃあ」

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「木花車」

「山車がねり歩くんですって」と友人。
「祭りでもないのになんでまた」
「家康公400年祭の関連なんですって」

徳川家康が没してから今年で400年
静岡市ではこれに力を入れて、このところイベントのオンパレード。
家康は今川氏の人質時代の幼少期、青年期、隠居後の大御所時代と、
人生の重要な時期に駿府(静岡市)に住んだことで、こことは縁が深い
でもだからといって、市がいうように、
「駿府は家康が作った」と断言しちゃうのは、ちょっとなあ。

とにかく山車の「お踟(ねり)を見ようと、巡行コースへ急いだ。
巡行は3台とのこと。

1台目がいました。
「暫(しばらく)車」です。
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山車の前で町内の方々が踊っています。
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線からはみ出さないで踊る。静岡市民は律儀なんです。

イベント広場を抜け、左へ曲がるといました、2台めです。
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「神武車」。神武天皇の顔が見えます。

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踊りの衆は直立不動で合図を待っています。
静岡は「日本の北京」といわれるくらい、自転車の多い町です。
でも、自転車があっても除けて踊りますから大丈夫。

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先導役のおじさんたちものんびり待っています。

花笠を背にした少女たちも、静かに出番を待っています。
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すべてこんな調子。のんびりしています。

静岡には「ごせっぽい」という言葉があります。
同じ静岡でも私が育った県東部では使いません。
だから初めてこれを聞いたときは、
「のどがいがらっぽくてムズムズする」意味かと思ったら、全く違った。

一般的には、
「晴れ晴れした」「せいせいした」「清々しい」という意味で使います。
例えば「今日はうるさい夫がいなくて、ごせっぽいやあ」なんていう風に。
また「御所(ごせ)っぽい」という字をあてることもあるそうです。
一説には、大御所・家康が駿府に来たとき、町の平穏な様子に、
「居心地がよくて御所っぽい」と言ったことから広まったとか。

ブログ「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、
「平穏で清々しい様」という解釈をしています。
そしてブログにこう書いています。
「駿府はちぃーと覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」

この「御所っぽい」説で行くと、本日の祭りの方々は、
実にごせっぽい=平穏そのもの。単なるのんびりとは違うんですね。

さて、もう一つ
子供たちが舞い人になる「稚児舞」を、静岡浅間神社に奉納する
「廿日会祭」(はつかえさい)という行事があります。私も見ましたが、
背筋をピッと伸ばして凛々しく踊る小学生の舞い姿は実に感動的です。

この稚児舞の歴史は古く、
室町時代の公卿、山科言継の日記にも出てきます。
舞い人の稚児たちは安倍川の向う側の集落からやってきます。
この稚児たちを浅間神社まで連れて行くとき、こういった山車に乗せ、
町をねり歩くわけですが、本日のお踟はその稚児舞ではなく、
家康400年祭にひっかけて行われたようです。

展示されていた山車「稲荷車」。右はまとい持ちのおにいさん。
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桜の花が咲くころ、静岡市では静岡祭りを開催します。
元は稚児舞の廿日会祭を中心に、家康の花見行列を行っていましたが、
ある年から廿日会祭や浅間神社と切り離し、
市独自の祭として、東京から家康役の俳優を呼び、
市庁舎前でチャンバラなんかをやるようになったんです。

「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、このことについて、
「庇を貸して母屋を取られた」といい、
「市当局は、奇をてらうものばかりに一生懸命で、
伝統行事にあまり興味を示さない」と嘆いていました。

今度できる市立博物館にしても、そんな感じになりそうです。
なにしろ、家康を中心に据えた歴史博物館だそうで、
ある会合で、市側が、
「家康が作った駿府に家康の博物館を作るのは大変意義がある。
いずれ、これが経済効果を生むようになる」と胸を張った。
すかさず委員の一人が反論しました。
「なにも家康だけが駿府を作ったわけじゃない。
家康の関連施設なら、すでに立派なものが名古屋にある。今さら」と。

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家康像。静岡市企画展「武SHOW徳川家康」チラシより。

一にも二にも家康さま。
民俗関連などは、完全に消してしまった博物館です。

公立図書館を民間の本屋に任せてしまった結果、
本屋は貸し出しのあまりない郷土資料や明治大正の古い新聞などを
焼却してしまったというニュースがありましたが、
市歴史博物館構想には、それと同じような、
集客、経済効果、観光にこだわるという残念姿勢が垣間見えます。

これでは、力石を博物館の庭に置いて欲しいという私の願いなんて、
嘲笑されるわけです。

気を取り直して。
最後の5台目はこれ。「咲耶車」
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平成8年に作った一番新しい山車だそうです。
5台の内、一番古い山車は明治時代、あとの3台は大正時代のもの。

次の踊りの場所まで歩く踊りの衆
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市では、「5台の山車が400年の時を超え、
現在の城下町を大いに賑わします」と宣伝していましたが、
ご覧のように人々は、静々と「ごせっぽく」歩いています。

喧嘩もなく酔っぱらいもいない、けたたましい笑い声も歓声もない。
あるのは穏やかな人々とそれと同じような空。
その空に響くのは、朗々とした木遣りの声と横笛の音と鉦、太鼓

「覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」

私も今日は久々に、ごせっぽくていいっけやあ!

ナンマイダー

日本一の力持ち、三ノ宮卯之助をご紹介している途中で「戦争」に突入。
どっぷり漬かりすぎて、卯之助に戻れない。どうしよう…。

というわけで、
ここでちょっとティータイム。
民俗行事で気持ちを整えます。

「戦争展」の合間に、戸数70戸余の有東木集落へ盆踊りに行ってきました。

標高700㍍の有東木集落です。
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静岡市の中心部から車で一時間。山の向うは山梨県です。
わさび発祥の地でもあります。
その味に魅了された家康から、「門外不出」と言い渡されたとか。

ここに見える家がこの集落の全部の家です。
クネクネした山道を登るので、
友人の多くは「おっかなくて運転できない」としり込みします。

でもここで、
国指定重要無形民俗文化財盆踊りが育まれてきたのです。
それだけではありません。
ここには神楽も残っています。こちらは静岡市指定の文化財です。

神楽が演じられる白髭神社10本杉です。
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狭い境内に杉の巨木が10本もあります。

ここ有東木には、盆踊りの翌々日、またおじゃましました。
「百万遍」です。
場所は盆踊りをやったお寺の本堂。
集落の人たちの輪に入れていただきました。
子供からお年寄りまで、みんなで声を揃えて、

   ダーブツダーブツ、ナンマイダー

友人たちを誘っても誰も来たがりません。
なぜかなあ。私はこんなのがなんだか好きなんですけどねえ。

帰ってくると「どうだった?」と聞くので、
「ダーブツダーブツ、ナンマイダーってやってきたよォー」というと、
みんな笑います。なんでですかねえ。

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=東雲寺

大声で念仏を唱えながら、数珠を上下に動かして隣りへまわします。
時々黒光りしたひときわ大きな数珠玉がやってきます。
その都度、隣りのおばあちゃんが、
「ほれ、来たよーっ! いいことあるよーっ!」
と送ってくれます。
私はそれを有難く受け取ると両手でささげて「ナンマイダー」

どの顔もニコニコ。とっても楽しそう。
心を一つにするって大事なんだ。

有東木のみなさんには、本当にいろんなことを教わりました。、

ホントにホントに、  

  すてきな夏をありがとう!

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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