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祖先が残した暗号

盃状穴③
06 /28 2023
手水鉢の縁に穿たれた穴と溝の、妄想第2弾です。

この穴と溝を見ていてハタと浮かんだのが、
奈良の
「酒船石」と鹿やイノシシの骨で占った「骨卜」です。

またまた飛躍しすぎだァーって?
そうです。素人だから無責任なんです。
(^^♪

ここでは「酒船石」を取り上げます。

私の下手な手書きの「酒船石」です。
img20230612_17332983.jpg
所在地は奈良県高市郡明日香村岡

酒の醸造、辰砂の精製の装置なんて言われた時期がありました。
その後は「導水施設」となったそうですが、
近くの山下に本格的な導水施設が出土して、この説も消えたそうです。


早くからこの説を否定していた考古学者の河上邦彦氏は、
こう主張していました。


「酒船石は、毎年春に行われる
五穀豊穣を祈念する〈水口祭〉の施設
だったのではないだろうか。
そのため水口に水神を招かねばならず、その供犠に牛を使った」


これと同じ説を、井本英一氏も大阪外国語大学論集33で言っています。

「酒船石は水の神の崇拝施設」と。

石と穴と水と祀り
古代から地球上の人間はみんな同じことを考え、実行してきた。

「酒船石」に似た「穴と溝をつなぐ」、そんな石をいくつかお見せします。

こちらはへいへいさんのブログ
「へいへいのスタジオ2010」からお借りした氷川神社の手水鉢です。


神聖な手水鉢ですから、ふざけて穿ったとは思えません。
きっと何かの意図があったはずですが、残念ながら現在には伝わっていない。
へいへいさん氷川神社
埼玉県比企郡川島町上八ツ林854・氷川神社

手水鉢ではありませんが、ホッとする記事をご紹介します。
へいへいさんのブログに登場した猫ちゃんと力石です。


「春うらら」

こちらは斎藤氏撮影の、踏み石にされてしまった石造物です。

もったいないですね。


DSC01981.jpg
埼玉県春日部市備後東5‐10‐48・雷電神社

石の側面に、「願主 酒屋内 おかつ」と、あります。

酒屋のお内儀が、どなたかのために心を込めて奉納したものと思われます。
それが後世になって踏み石にされるとは、思いもしなかったことでしょう。 


この石造物を奉納してのち、参拝者がこうした穴と溝を穿ったわけですが、
穿つだけの価値やご利益がこの石にはあったということだと思います。

DSC01980.jpg

こちらは、地蔵堂への石段に穿たれた穴と溝です。
穴の中に金が塗りこめられています。

かつて家の入口に胞衣や亡き嬰児を埋めて、
たくさんの人に踏んでもらうことで無事の成長や亡き子の再生を願う、
そういう風習がありましたから、
これも同じ意図から穿たれたのでは、と思うのです。

ここは地蔵堂へ向かう石段ですから、なおさらのこと、
幼くしてあの世へ旅立ったわが子を守ってくださるよう、
再びこの世に生まれてくるよう、お地蔵様へお願いしたはずです。

白幡地蔵堂
さいたま市南区白幡1‐16‐4・白幡地蔵堂

小学一年生の頃、亡くなったばかりの赤ちゃんを見ました。

そこは小学校の先生の家で、ある日遊び仲間とその家の庭へ入ったら、
赤ちゃんを抱いたおばあさんが出てきて、「見てあげて」と声を掛けてきた。
死産だったことを知っていたからみんなは逃げたが、私だけはとどまった。

おばあさんは縁側に座ると、抱いていた赤ちゃんを傾けて私に見せた。
真っ白い産着とフリルの付いた帽子を被ったきれいな赤ちゃんだったが、
その顔は硬く、もう息をしていないことは子供心にもわかった。

「よかったねぇ。お姉ちゃんに見てもらえて」
と、おばあさんは愛おしそうに赤ちゃんに話しかける。

座敷の布団の中から赤ちゃんのお母さんの先生が顔をこちらに向けて
微笑んでいた。たくさん泣いて赤く腫れた顔だった。

「生まれてきてよかったねぇ。お姉ちゃんが見てくれたよ」
おばあさんは子守歌でも歌うように、優しく何度もささやいた。

今になって思います。

はかない命だったけれど、
赤ちゃんがこの世に存在した証しを誰かに覚えておいて欲しかった、
おばあさんはそう願ったんだ、と。


DSC05491.jpg

話が湿っぽくなりました。元へ戻します。

いかがでしょう。
こうした穴と溝、「酒船石」の穴と溝に通じるものがあると感じませんか?

願う目的は違っても、

誰かのために穿つ。神に願い、祈る。

そんな姿が見えるような気がします。

そんな穴と溝が「盃状穴考」にも紹介されていました。
「水路の石橋の板石上に穿たれた連結盃状穴」です。
中村2

酒船石の穴と溝のことについて、
日本文化史研究者の重松明久氏は、こう言っています。

「これには古代国家の道教的色彩がある。
中国梁(りょう)代の陶弘景の「天地陰陽昇降図」が、
酒船石の池と溝の構成に酷似している」


「天地陰陽昇降図」

これは、「この世はすべて陰と陽の二つの「気」の動きによって、
盛衰、天変地異、寒暖などが起きる」ということらしいのです。

ということは、酒船石の「穴は陰で溝は陽」ということになります。

骨卜では骨に穴を開けてその割れる溝の方向で、吉凶を占ったそうですが、
酒船石でも同様に、その年の「気」の動きを知るために、

陰の穴に水を注ぎ、どの陽の溝を通過するか、
そこから次のどの陰(穴)に辿り着くかで、
その年の雨の降り方や、豊作か不作かを占っていたのではないでしょうか。

こちらは全身に穴を穿たれたサイの神さん(道祖神)です。
「何のために、かくまでたくさんの穴をつけたのであろうか」と著者。
静岡県沼津市桃里中町
img20230625_21394394.jpg
「伊豆のサイの神(前編)」吉川静雄 吉原書店 昭和51年 

「盃状穴考」の執筆者の一人が、
「溝は陽(男根)を表わしているのではないだろうか」と言っていたが、

私もそう思います。


河上邦彦氏も、著書「飛鳥を掘る」の中で、こう言っている。

「終末期古墳から飛鳥の初めに、道教思想がかなり入っていた。
風水思想に基づき古墳は作られた。
ハミ塚古墳から白黒の小石が出たが、これは道教の陰陽説からと思われる」

酒船石も飛鳥時代のものだそうですから、
陰陽思想が入っていると考えてもおかしくないはずです。

ただそれ以前の縄文遺跡からも、
盃状穴が穿たれた石や石棒が出土していますから、
そうした日本の古くからの「穴」と「溝」に、中国伝来の陰陽思想が融合し、
日本の風土と人に合う形で独自に発展してきた、と思うのです。

手水鉢などに残る穴と溝は、そうした思想を一般民衆が、
土俗信仰として取り入れて穿ったものではないでしょうか。


CIMG1691_20230623112013100.jpg
静岡市清水区・八幡神社

盃状穴の謂れについて、古代のどの国にも共通していたのは、
穴は「女性器」で、「子宝」「多産」を祈願して開けたということでした。


そして「子宝・多産」から、穀物や家畜の「豊穣」が想起された。

人でも動植物でも子孫を生み出すには当然、
「女性=陰」と「男性=陽」の交わりがなければ成り立たない。

それを国家的規模ではなく個人的・私的目的で具現化したのが、
身近にある手水鉢や石造物への穴と溝だった。


神域にあって生と死の境に置かれ、不浄を流すとされた手水鉢、
その大切な石の縁を傷つけるこの行為を寺社が黙認していたということは、
それだけの重要な意味があったからで、
誰もが暗黙のうちに了解していた大切な風習だったからだと思うのです。

下の絵は、
幕末・明治初期に来日した外国人が描いた「手水鉢の前に座る女性」です。
「何のために座っているのか解し兼ねる」と添え書きがあるように、
非常に珍しい不思議な光景を捉えた貴重な一枚です。

女性は正座して目を閉じています。何かを祈っているように見えます。
img20230625_20480209.jpg
「外人の見た幕末・明治初期 日本図会〖文化・景観篇〗」
池田政敏編 春秋社 平成20年新装版1刷発行よりお借りしました。

祖先が残したこの「暗号」から、いろいろ学び、考えさせられました。
迷走しつつ妄想しつつたどった
「私の盃状穴考」

これにておしまい。

※参考文献
「盃状穴考」国分直一監修 慶友社 1990
「飛鳥を掘る」河上邦彦 講談社 2003
「飛鳥発掘物語」河上邦彦 産経新聞社 2004

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医療のシンボル

盃状穴③
06 /16 2023
見れば見るほど不思議な穴、考えるほどわからなくなる、
それが「盃状穴」だと思います。

穴だけならまだしも、溝状の窪みまであるのだからますます混迷。
で、ちょっと推理してみました。

先に古代中国の最高仙女「西王母」を出したのは、
西王母の髪飾り「勝」と、溝状の窪みに何か関連がありそうだぞ、
と思ったからなんです。


でもこれ、例によって全くの思い付きですから、
「なるほどねぇ」と笑って楽しんでください。


古代中国の墓門につけられた「勝」です。(両側にヒレ状のものを付けた円)
「西王母と七夕伝承」の著者・小南一郎氏の結論は「魔除け」
墓門の勝
「西王母と七夕伝承」小南一郎 平凡社 1991よりお借りしました。

死者の家の屋根や墓門に刻まれているそうで、
最高仙女・西王母の本来の「世界の秩序を織り出す」役目に、
宗教的要素が加味されて、
「円」が蓮弁や日輪、月輪になっているものもあるそうです。

で、これを見て、とっさに浮かんだのがこれ。

手水鉢に刻まれた「盃状穴」です。ちょっと似てませんか?

古代エジプトの「有翼円盤」や、
ゾロアスター教の「有翼日輪」にも似ています。

いますぐにでも、大空へ飛び立ちそうです。
お正月のしめ飾りは、この有翼日輪から派生したという説もあります。
越谷香取神社
埼玉県越谷市大沢3-13-38 香取神社。天和二年(1682)奉納

でも「勝」って瑞祥ではなかったっけ? それがなんで墓に?
と思いましたが、


「勝」は「甦り」と邪を退ける「魔除け」の二つを求められたそうですから、
墓門にあってもおかしくはない。

加えて、生命の誕生に不可欠な水盤を持つ手水鉢は、
生と死の境にあって、「命の再生・誕生」を願うものとされてきた。


考古学者の河上邦彦氏によると、
「西王母の絵の下には野合図が描かれていることが多い。
(この野合図、リアルすぎてぶったまげました)
西王母は子供を産むという生産に関わる神と認識されていたのではないか」

「一旦死して再生する」という考えは、現代の祭りや行事にも見られるし、
だから墓に「勝」が刻まれたのも、自然なことだったのかも。

こちらは、
ブログ「へいへいのスタジオ2010」のへいへいさん撮影の手水鉢です。
大間木稲荷
埼玉県さいたま市緑区大間木1914・大間木稲荷神社

船運(見沼通船)で栄えた八丁に鎮座する神社だそうです。

「大間木稲荷神社の力石と手水鉢」

この長ーい溝を見たとき、思ったんです。これは蛇だ!って。

蛇は脱皮を繰り返すことから、昔から再生復活のシンボルで、
永遠の命をもらえるものとされてきた。

だからこれは蛇を象ったものではないか、と。

西王母の髪飾りの「勝」にも、
蛇を模したものがあることを小南氏が著書で紹介していました。


後漢墓画像石「勝図」。
図の中央に軸を通した「玉勝」が刻まれている。
「勝」の上下に玄武と羊。羊は「祥」を表わしているという。

蛇の頭に角が生えています。龍に移行中なのでしょうか。
後漢墓
「西王母と七夕伝承」平凡社 1991よりお借りしました。

蛇は剣としても表現されますが、せんじ詰めれば男根。
民俗事例を見ていると、この「陽物」がいろんなところに出てきます。

神さまになって神輿に担がれるものもありますが、
殿方には気の毒なくらい、笑いの対象にされているものも多い。
男性自身が自虐ネタにしていたり。


で、ふと気が付いたのですが、WHOや救急車のマーク、
あれも蛇なんですよね。


あれは古代ローマで疫病が流行ったとき、
太陽神アポロンの子・アスクレピオスが蛇の姿になって市民を救った
という伝説から「医療のシンボル」として用いられたそうですが、


なんで市民を救済するのに「蛇」なの?って、思うわけです。
だって、瀕死の病人のところにあんなのがニョロニョロ現れたら、
恐怖で絶命しそうじゃないですか。


WHOの紋章
WHO.png

論文「蛇についてー神学的考察ー」の小林謙一氏によると、

「蛇は気味が悪い、陰険、不気味でサタンの化身であると言われる一方で、
そうした力を我が物にしようとして、トーテム(呪物)にされてきた」
という。

考えてみると、宗教ってのもお決まりみたいに、
「地獄と極楽」「サタンと救世主」のセットで人心を惑わせて勧誘してるよな。
サタンの有効利用ってことか。

古代エジプトの王は王冠にコプラをつけ、
その猛毒と強さを我が身と一体化させて民衆を威嚇し、国を統治した。

「邪悪と崇拝という二面性を持つ」ゆえに利用されたわけですが、
蛇にしてみたら勝手に解釈されて、いい迷惑だったかも。

さて、手水鉢のあの溝状の窪みが「蛇」のつもりなら、
あれは陽物で、それに穴が組み合わされれば子宝に結び付くわけで…。


下は、ブログ「路傍学会」の路傍学会長さん撮影の
「盃状穴と溝状窪みを組み合わせた手水鉢」です。

この穴を見て、
「四隅の穴は手水舎の柱を受ける穴」なんて言う学者もいますが、
いくらなんでもそれはないんじゃないですか?
だって、手水舎は手水鉢全体を覆うものだし、
じゃあ、他の場所にある穴は何なのよってことになるし。

路傍学会手水鉢
千葉市長州一丁目・龍蔵神社

会長さんの記事には手水鉢のほかに、
中央区の神明神社や王子神社の見事な力石も掲載されています。


「神社のLanndscape313]

もう一つ余計なことを言えば、
「蛇石」は医学的な力があると信じられて、削って飲んでいたそうですから、
あの溝状の窪みの中には、

遊郭なんぞで遊び呆けた挙句いただいちゃった「梅毒」の治癒祈願に、
男どもが開けたものもあるのでは、などと、勘ぐってしまったのであります。

盃状穴でボコボコになった手水鉢にあった説明板です。
これによると、「石を擦ってできた粉を薬として用いた」とあります。
CIMG1689_2023060918011563f.jpg
静岡市清水区・八幡神社

で、思うんですよ。
もし、病気の平癒祈願にこの石の粉を飲んだのなら、

丸い穴の粉なら妊産婦の体調不良や婦人病の薬として、
長い溝の粉なら殿方の性病の薬として、飲んだんじゃないかって。

石の穴に溜まった水を「いぼ取り」に使っていたことからも、
昔の人は、石には特別な力が宿っていると信じていた。

だから、神社やお堂に木彫りや石造りの陽物を奉納したことと同様、
やがて廃人になっていく恐ろしいこの病いから救われようと、
神聖な手水鉢の「蛇状の窪み」に頼った。

瘡守り稲荷なんていう神社が、各地にありますしね。

ちょっと飛躍しすぎ? でも、

当たらずとも遠からず かも。

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西王母

盃状穴③
06 /13 2023
「盃状穴」からとんだ方向へ行きましたが、
大丈夫! 最後はちゃんと戻ります。


天の川のアメノタナバタ姫、アマテラスに続く3人目の機織りの姫は、
中国の最高仙女
「西王母(せいおうぼ・さいおうぼ)です。

紀元前1600年ごろの中国・殷の時代の甲骨文字に、その名があるとか。

アマテラスさんはこの女神をモデルにしたそうですから、
「岩穴に籠って再生復活」とか、「人間界の秩序を担っている」、
「男女二要素を持っている」「機織り」などの共通性があります。


西王母の一番の特徴は、「勝」という髪飾り。
原初の「人頭獣身」のころのザンバラ髪にも、「勝」をつけていたとか。


「勝」には「金勝」「玉勝」「華勝」「織勝」などの呼び名があるという。
写真は、円の両側に台形状のヒレをつけた「勝」。(中国・漢代)。

「ヒレ」=天女が肩に掛けている長い布。これを人を招いたり別れるとき振る。
神話にスサノオがヒレを振って蛇を退けた話が出てきます。
img20230531_09372896.jpg
「西王母と七夕伝承」よりお借りしました。

この「勝」をつけているのは西王母だけなので、
他の女神との識別になるそうです。


で、この「勝」って何なんだというと、機織り機の部品で、
織り機の経(縦糸)を巻き付ける「軸」のことだそうです。


勝
同上

「西王母と七夕伝承」の著者・小南一郎氏によると、

「機を織るという行動は、世界の秩序を織り出すという重要な行為で、
一人で再生を繰り返す円環的な時間=永遠の循環の中にいる神と、
織り機の軸の回転とを重ね合わせて、
この「勝」を象徴的に利用したものと推測される」

「もし勝が折れたりして、天上の機織りに支障が出ると、

宇宙の秩序を失って混乱に陥る

と考えられていた」

ということは、
戦争や天災って、天上の機織り機の「勝」が折れちゃったってことか。


ということは、
ロ・ウの戦争も天上の機織り機の軸が壊れちゃったからなんだ。
まだ戦火止まずってことは、
G7に集まった偉い方々の誰も、軸の直し方を知らなかったってことか。

img20230531_09265372.jpg

そんなわけでこの仙女さん、桑摘みや養蚕にも深く関わっていたため、
中国の皇太后などが儀式として養蚕を行っていたという。

そういえば日本の皇室でも皇后さんが、
蚕に桑の葉を与える「御給桑」や「繭搔き」をされていますね。

あれは単なる蚕の世話なんかではなくて、
こうした神話の世界からの深いつながりがあってのことだったんですね。


宇宙の秩序、日本国の秩序を司っているのは、
実は皇后さんであったともいえそうで、私はちょっと嬉しくなりました。


天皇ご一家に幸あれ!
実は私、このご一家、大好きなんです。

品格、知性、優しさ、あたたかさ、すべてが自然体でホッとします。

崑崙山
「西王母と七夕伝承」よりお借りしました。

機織りなんてただ布を織るだけのものと思っていましたが、
「宇宙の秩序を織り出す」

そういう思想があったとは。


で、その西王母のお住まいはどこかというと崑崙山(こんろんさん)で、
そこに生えている世界樹のテッペンに、「勝」の髪飾りをつけた西王母が
いつも座っているそうです。


そして、そのまた上には北斗七星があるというのです。

この山は天地のヘソで、天上、地上、地下の三つの世界を貫いていて、
その中心軸においてのみ、この三つの世界を行き来できた。
そしてこの中心軸を行き来していたのは
「気」なんだそうです。

私、ふと思ったんです。
この「気」、現代人も日常的に使ってるよなって。

「天気」なんてのもそう。

当たり前みたいに使っているけれど、これ「天」の「気」なんですよね。
「天気予報」なんてのは、
天の気のご機嫌を予測してみなさんにお知らせしているんですから。

で、長い年月の間には「勝」の形も変わり、神仙思想などの影響で、
西王母に人間に不死の生命を与える役目も加わります。

月の中のうさぎですが、私はずっと「餅をついている」と思ってきましたが、
あれは不老不死の仙薬を突いているところだとか。


中央に「勝」をつけた西王母。右でうさぎが不老不死の仙薬を突いている。
うさぎ
同上

こうして、
長い間、世界の中心に君臨していた最高位の女神・西王母でしたが、
のちに両性具有から男性的な要素が分かれて、

「東王父」「西王母」となり、
「東王父」に権力が移って弱体化していったそうです。

「西王母」(中央)と「東王父(公)」(左)
西王母と東王父
同上

天の川と西王母の伝承はいろいろありますが、ここでは、
「牽牛と織女は、西王母が統一する男女二要素」とだけ、記しておきます。

※参考文献
「西王母と七夕伝承」小南一郎 平凡社 1991
「勝についての一考察、「勝」と昇仙思想の関係について」八木春生
成城大学 論集9 1992

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞