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そばつぶさん、世界へ!

そばつぶさん
11 /16 2023
そばつぶさんから動画が送られてきました。

なんと、「世界最強の男」、ストロングマンのマーティンス・リシス選手と
力石のコラボをやったというのですから、

たまげました!

「力の頂点に君臨するストロングマンとコラボできるとは、
夢にも思いませんでした」と、そばつぶさん。

動画には力石の高島先生も登場しますよ。

先生、年取った! 私も年取ったからお互い様ですが、
(笑)

マーティンス選手は日本語も堪能で、
日本の歴史もよく勉強されていて驚きました。
そして巨漢に秘めた繊細な感性にも…。

彼は動画の中でこんな感想をもらしています。


「日本の伝統の力石を、なぜ誰も知らないのか」

しかし、そうした疑問も神社を巡り力石を担いでいくうちに、
「力石は自然と一体になった控えめな性質だから」の境地に。

「ストロングマンは持ち上げたりしたとき雄たけびを上げるが、
神社のこの静けさの中では、そういう見せびらかしはそぐわない。
最初はこの静けさに戸惑ったが、大好きになった」とも。

まずは動画をご覧ください。素晴らしいです。




そばつぶさんも、
「マーティンス選手は外国人でありながら、
日本の力石をリスペクトされていて素晴らしいです。
死んだ力石
(固定・厳重な柵に置かれた石)を量産している現代日本人も
見習っていただきたいことだと強く思いました」と。

こうした動画を見ていると、
外国からヒト、モノ、文化が押し寄せて、明治の「文明開化」になったように、
「死んだ力石」も、外国人の力を借りて「生き返る」しかないのかな
なんて思ったりして…。

高島先生、よかったですね。
長年の苦労と努力が報われました。


そして時代を越えて力石に挑戦してきた「力持ち」のみなさん、
その「力石」と「力持ちたち」を見出し、この歴史が消えないよう
頑張ってこられた日本各地の研究者や役所、博物館、史料館・資料館さん、
それを応援してくださった多くの方々の「力」が、
世界に向けて発信されました。

微力ながら私も、この世界に遊ばせていただけて本当に嬉しい!


今後とも「力石」と若き力持ちたちをよろしくお願いいたします。

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そばつぶさん、機関紙に載る

そばつぶさん
12 /07 2022
金沢市在住の「そばつぶ」さん。

金沢大学の関係者でつくる教育サロン機関紙に載せていただきました。

同機関紙は「e教育サロン事務局」が発行するもので、
サロン代表理事の鈴木健之先生のご厚意により、実現しました。

「チョウゲンボウ82号」

そばつぶさんは今なお、テレビに引っ張りだこ。

これはご本人の不断の努力の結果であることは言うまでもありません。

ですが忘れてはならないことがあります。


こうして注目されるのは、
これまで力石に真摯に取り組んできた多くの先輩方の力があってこそです。

そのことを決して忘れないよう、慢心しないよう、
そばつぶさんには肝に銘じつつ邁進していただきたいと願っております。

ーーーその先輩方を改めてご紹介します。

力持ちへの道を開いてきた現代の力持ちです。

まずは「浪速の長州力」さんです。(尼崎市)

尊敬する長老から贈られた黒まわしをしめて。
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姫路市天満・蛭子神社

福島県須賀川市・菅船神社「太郎石持ち上げ大会」では、
三連覇を果たした。持ち上げた石は100㎏。

テレビ出演も果たしました。

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トレーニングジムを経営。
日々、努力を惜しまず、
還暦を迎えてなお、挑戦者として意欲を燃やし続けた。


京都・醍醐寺「五大力 餅上げ奉納」では、
ご夫婦そろって優勝という快挙を成し遂げた。

岡山県総社市・総社宮の「力石総社」にも出場。
力さん3

島根県雲南市吉田町の善福寺観音堂「餅さし行事」では片手で餅を、
兵庫県たつの市の「野見宿祢・力自慢競争」では、米俵を上げた。

浪速さんを通じて雲南市のお米のおいしさを知って以来、
私のごはんはいつも、雲南市飯南町産のこしひかりになりました。


力石上げれば天国落とせば地獄 浪速の長州力

地元関西はもちろん、東北、北陸、中国地方と全国の力持ち大会を総なめ。
まさに「力の人生」そのもの。


「健さんに会いたくて…」

律儀な方で、今も私のもとへご夫妻からクリスマスプレゼントが届きます。

と、本日、書いたら、今日届いたんですよ。わーい!\(^o^)/


「ちりめん招き猫手鏡」
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にゃんこのお腹から手鏡が出てきました。裏を見たら「宝」の文字。
逆流性食道炎の再発でヘロヘロだったけど、

元気が出ましたよ!!

今年、ちょっと体調を崩された浪速さんへ、
みなさまからも声援を送っていただけたら嬉しいです。


ーーーーー

そしてこの方です。
拙ブログにもファンが多いですね。

「大江誉志」さん(岐阜市)

蛭子

大江さん2
兵庫県姫路市大津区天満・蛭子神社

大江さんに初めてお会いしたのは、
姫路市天満の
「力石による力持」神事の神明・蛭子神社でした。

奥様と今は亡き愛犬さくらちゃんを連れて…。

ここは神事なので地元以外の人の参加はご法度。
それを浪速さんの「大江くんに上げさせてください」との熱心なお願いで、
誰もいなくなったらという条件で実現した。


神明神社では明治11年と昭和10年に、
二人しか上げられなかった
「上がらずの石」を大江さんは見事に上げた。

大勢のみなさんに、この快挙を見ていただきたかった。

おおえさん3
同・神明神社

石川県小松市の菟橋神社「盤持ち神事」では、長年、誰も上げられなかった
「上がらずの石」の「八斗石」(120㎏)を担ぎ優勝。


「うぉーっ! やったァ、あがったァ!」と、地元の人たちは大興奮。

同じ小松市向本折町の白山神社では、「赤石」「浮石」「冬瓜石」と、
120㎏を越す石3個を次々持ち上げて喝さいを浴び、
地元マスコミで取り上げられた。


こうして各地の「上がらずの石」を次々成功させた大江さん。

持って生まれた優れた運動能力だけでなく、
それに、人一倍の努力と研鑽をコツコツと重ねてきた証しです。

大江さんタイヤ

己に厳しく、礼儀正しい人

これが私が持っている大江さんの印象です。
そしてそれは今も変わりません。

若き日は空手に汗し、その後はケトルベルトレーナーとして後輩を指導。
ご自宅に広いトレーニングルームを持つ。


このお三方、みなさん、自前の練習場をお持ちです。

石担ぎを一つの立派なスポーツとして捉えている、
決して、面白半分に石を上げているわけではないことがわかります。

そしてどの方も、郷土の先人たちを敬いつつ石に触れています。

「ケトルベルって何?」

大江さんは仕事の合間に各地の神社や寺を訪ね、
神社の方から許可を得て、力石を担がせていただく日々を過ごしてきた。


あまりの怪力に、宮司さん、思わずカメラを構えた。
大江さん4
三重県桑名市・多度神社

大江さんのもう一つの功績は、力石のグループを結成したこと。

石担ぎは危険を伴い、ウエイトリフティングとは違う技術が必要ですから、
誰もができるものではない。
また一見「ただの石」ですから、今どきの若者にはほとんど受けない。

だから孤独の中での自分との闘いになります。

でも大江さんは仲間たちと
「東海力石の会」を結成して、
絆を確かなものにし、力石への道を大きく前進させた。


拙ブログで私が着ている「東海力石の会」のTシャツは、
私サイズに特注してくださった大江さんからの贈り物です。(*^_^*)

大江さん1

「ぼくはもう年ですから、引退です」

そう言っていた大江さんですが、
今年、NHK名古屋放送局からの依頼で、テレビ出演を果たしました。


浪速の長州力さん、大江誉志さん、そばつぶさん、
私にとってはどの方も誠実で心優しく、かけがえのない方々です。

力石は誰かの手で持ち上げてもらわなければ、ただの石ころです。
それをこのお三方は、
「昔の人との力比べが楽しい」と言いつつ、己の力の限界に挑み、
石に命を吹き込んできた。


私は声を大にして叫びます。

みなさん、ありがとう!!

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力石、昔と今②

そばつぶさん
11 /09 2022
第二次大戦が終わったのが、昭和20年(1945)。
戦後、急速な機械化が進み、同時に人力の時代は終焉を迎えます。

敗戦国・日本にアメリカがやってきました。
彼らはハイカラなものを貧しい日本人にもたらします。

ジャズ、チョコレート、チューインガム…。

スポーツや娯楽の世界も様変わり。

私が調査した中で、
昭和50年代まで力比べをやっていた集落がありましたが、
大半はそんなドン臭いことをやっているのは「遅れている」と言われて、
力石は捨てられてしまいました。


そうして、
かつて若者たちを熱狂させた力石は、ただの石になっていったのです。

ここは富士川の船着場として栄えた所。


荷揚げの男たちや船頭たちのたまり場だったが、今は見る影もない。
力石は捨てられ、神社も物置風の建物があるだけ。
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静岡県富士市・子之神社

でも記憶だけは残ります。庶民文化という「歴史」です。
庶民文化は土地の人の感情、郷愁、友情、同郷意識を内包しています。

下は、兵庫県宍粟(しそう)市の文化センターに置かれた力石です。
18個あります。


どこから来た力石かというと、廃村になった村々からなんです。
だから石の一つ一つに消えた村の名が刻まれています。

村を去った人々の「絆」がここに再現されています。

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兵庫県宍粟市波賀・波賀文化創造センター

緩やかな変化をしていった山村では、「記憶」が生き続けましたが、
急激な工業化や商業化が進んだ都市では、力石なんて時代遅れの遺物。

有名武将が座ったという伝説の石は有難がっても、
庶民が持った力石に価値を見出すところは少ない。

歴史遺産になった力石も、保存という形で居場所を見つけたものの、
多くはコンクリで固められて、もはや昔の面影はゼロ。


八丁堀平蔵や内田屋の金蔵などの石も埋め込まれてしまった。
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東京都墨田区・牛嶋神社

力石は人に担がれてナンボのものだから、
こうなったら、もはや生けるシカバネです。

そんな中、見事、復活した石もあります。

日本一の力持ちと名声を究めた江戸の力持ち・三ノ宮卯之助の石も、
初めは捨てられ、さびれた神社の車止めに成り果てていました。


斎藤氏が土の中から発見した卯之助の「指石」です。
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埼玉県越谷市三野宮・三野宮神社

捨てられてから160余年もたってから「文化財」として、うやうやしく祀られ、
故郷の偉人になったのですから、運命とはわからないものです。

でもこんなふうに幸運な石ばかりではありません。


こちらは個人宅の石です。物干し台の脇に転がしてありました。
「邪魔でしょうがない。欲しけりゃ持ってって」と。


  「いらない」と若き当主は言い放つ
             亡父の愛でし力石哀し
  雨宮清子

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静岡県富士宮市・個人宅

でも、哀れな話ばかりが残っているわけではありません。

神事として今も行われている兵庫県姫路市の「天満力持ち」は、
市の重要文化財にも指定されていて、まわし姿の若者たちが主役です。

ここの力石は神事以外のときは、鍵をかけて厳重に保管されています。


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兵庫県姫路市大津区天満・神明神社

でも力石の多くは放置されたまま、自然に帰っていきます。

泥まみれの石を見ると、立派な文字が刻んである。

栄枯盛衰は世の習いとはいうものの、
それを刻み付けた当時の若者の顔がチラついて、痛々しくなります。

さて本題です。

これらの石の所有権はどうなんでしょうか。
野っ原の石の場合は?


廃屋にも所有者がいて第三者が立ち入ることはできませんから、
野っ原の力石も土地の所有者のものかも。

でも、
許可を取りたくても所有者の所在すらわからないときは、どうすれば…。


たとえ所有者から石を担ぐ許可が出ても、
空襲などで焼かれた石はもろいから、破損させてしまうこともあり得ます。

もしそうなったら、どうなるんでしょう。
それに万一敷地内でケガをしてしまったら、

と、心配は尽きません。


予測しない事故が起きたとき、
担ぐことを快諾してくれた所有者が豹変するかもしれないし、
泥まみれで放置されていた石でも急に欲が出て、損害を請求されるかも。


ポツンと一軒家ならぬポツンと力石が…。
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埼玉県北葛飾郡杉戸町才羽・八幡神社

斎藤氏は10数年前、ここで力石を2個、新発見しています。
再び今月8日に訪れた際、なんと、土に埋もれた石を見つけ、
掘り起こしたら、人名が刻まれていました。


新発見です! 

詳細は改めて記事でお伝えします。

さて、以前、勤務していた生涯学習施設でこんなことがありました。

ある日、一人の婦人が能面のような顔で抗議にきたのです。

「駐車場の車止めにぶつかってバイクごと転倒してしまった。
責任は駐車場の管理者にあるのだから、
バイクの修理代とケガの治療代を払ってください」


駆け付けた役人が応対するも、1時間以上、一歩も引きません。
近所の住宅地に住むごくごく普通の中年の主婦が、です。

無料駐車場での自損事故。無理筋でもゴネました。実に堂々と。


だから石担ぎも、善意であれ「許可する側」は慎重にならざるを得ません。

昔はこんなにおおらかだったのに。


江戸時代の茶屋「望嶽亭」のご主人だった松永宝蔵さんが描き残してくれた
「大門薬師堂の力比べ」です。
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静岡市清水区由比東山寺

でもあれやこれや考えたら、こんな世の中、窮屈です。
生きている実感が薄れます。

「あんな石っころなんか担いで何になる」って?
なァんにもなりません。ですが、このバカバカしさが人間には必要です。

窮屈は、
若者たちの冒険心や勇敢さや無謀でも突き進む勇気や夢を砕きます。


では、万一、破損やケガが起きたらどうすべきか、

所有者にも挑戦者にも明確な答えがないのでは、と思います。

私にもわかりません。

ただ、今ある力石は、もう「生きてはいません」
それだけは明らかです。


その「死に体」の力石を今一度持ち上げて、命を吹き込みたい、
石に耳をつけて、力石に込められた昔話を聞いてみたい、

そういう「文化財級」の若者が現れて、担ぐ許可を求めたらどうするか、

所有者側が試されています。

「たかが石だよ。割れても構わないから思いっきりやってみろ!
ただ、ケガだけはするなよ」

そういう度量を示せるかどうか…。


下は、地主さんのご協力で保存された石です。

「だれでも自由に力試しができるように、石は固定しませんでした」
と、これを手掛けた石材所の職人さん。
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静岡県富士宮市内房

岡山県の力石総社の石の如く、

「挙げれるもんなら挙げてみな!」

と、力石が挑発しております。

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力石、昔と今①

そばつぶさん
11 /06 2022
「そばつぶさんの大事件!」をみなさまにお読みいただきましたが、

ここで今一度、「力石」という石のことを、簡単にご説明します。


「そばつぶさんの…」を通じて浮かび上がってきた一つに、
「力石の所有権」の問題があります。

今はおおむね、石が所在する土地の人に所有権があります。
神社ならその神社や氏子さんたちの共有財産ということになります。


だから行政では手出し、口出しはできません。

下は、 市の文化財課の方にアドバイスを乞いつつ、
総代さんや氏子さんたちのご努力で、2019年に保存された「万治石」です


「明治」と誤読されたため、長らく土留めに使われてきた力石ですが、
ここを再調査した斎藤氏が、
「明治ではなく、400年前の万治の石だ」と気づき、助かりました。

この発見により、千葉県最古、日本で3番目に古い石と認定されました。


石への「魂入れ」の日、住民の方々が「これからもここを守ってくれよ」と。
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千葉県野田市今上下・八幡神社

では石の所有権、昔はどうだったのか、
当時の経験者たちが残した言葉から探っていきます。


 力石は担ぎ上げた人のもの

重い石ですから力のある者しか持てません。
だから担ぎ上げることができたなら、自宅だろうと寺社の境内からだろうと、
その瞬間からその人に所有権が移った。

持ち去られたほうは悔しいし、評判がガタ落ちになる。
そこでなんとしてでも取り返そうとしたため、石は一晩に何度も移動した。

こういう移動は夜間に頻発し、重い上に隠密行動だから事故になりやすい。
そこで「若衆組」の長老たちは、
安全確保のため一人では担がないという掟を作りました。


力石に限らず、石仏もよく移動しました。
これもみんな、当時の若者たちの仕業です。


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そしてそういう行為は許されていたのです。
それだけ、力持ちは特別な存在だったんですね。


今でも民話などに、
「連れてこられた地蔵さんが元の場所に帰りたい」と、夜な夜な泣くので、
元に戻したという話が残っています。


 寺社はただ力比べの場を提供したにすぎなかった

村の辻や若者の集会所の庭、神社や寺の境内などが力比べの場所でした。
ただし、有名力持ちを招いての興行は寺や神社の境内が多かった。
当時はこうした場所が、文化の発信地でしたから。


現在、多くの力石は境内などに保存されていますが、
これは元からここにあったというより、力石が廃れて行き場がなくなったため、
あとから運ばれてきた石が大半です。


また、寺の住職の中には、
自分の墓石を力のある若者たちに担いでもらいたくて生前、力石として提供。
当県内にも2か所ほどに、そんな墓石があります。


東牛和尚の墓石です。地区の集会所わきにあります。
ここは昔の若者たちの遊び場だった。
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静岡県藤枝市兵太夫・阿弥陀堂

 有名力持ちの担いだ石はだれもが挑戦できた

見事に担ぎ上げたら、挑戦者の名前を先人の横に刻んで栄誉を称えた。

今は有名力持ちの石ほど民俗文化財になっているため、追記はできません。

でも、現代の力持ちに担ぐことを許して、見事担いだら名前と年号を刻み、
それを後世につないでいけば、「石は生き続ける」と、私は思うのです。


 江戸時代は力石の争奪戦が起きたほど、若者たちは熱中した

力石を巡って若者たちの争いが激しいので、
町内総代が取り上げて神社に預けたが、それも盗み出してしまった。

今後はこのようなことがないようにしますと、
町内総代と若者総代が奉行所に誓った、
そんな文書が静岡県沼津市に残っています。


「若衆組」の新人の組入り。長老から訓示を受けている。
日本で一番、「若衆組」が発達し機能していた伊豆の若者たちです。
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 人力の時代の力石は、
仕事、暮らし、結婚などに直結していた。明治以降は戦争につながった


力のあるなしで採用や給金が決まりました。だから、
豊かな暮らしが保障された力持ちは、娘たちのあこがれの的でした。


明治になると、
若者たちの自治組織だった「若衆組」が国策で「青年団」に改編され、
国の機関の一つとなって、
日清、日露、第二次大戦の戦争へ若者たちを駆り立てました。

この制度を利用して、
国が若者の力を巧みに利用したと言っても過言ではありません。


各地の村に残る当時の資料を見ると、
兵隊の検査がきた若者は氏神さんへ集まって石をあげ、 
無事、持ち上がると「これで甲種合格間違いなし」と喜び、
担いだまま村中に見せて歩いた話があります。

健康で力のある若者ほど、命を散らしました。


東京の下町には、
戦死してしまった息子の墓の前に、生前愛用した力石を置いて、
息子をしのび、残された親自らがそれを生きがいとした例も。


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昔の人々は力持ちが持った力石には特別な力が宿っていると信じていました。

その霊力に頼り、妊婦さんが石に手を置いて「安産祈願」をしたことも。

「暮らしの中に力石が生きていた」時代は、こんな感じでした。


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そばつぶさんの大事件!

そばつぶさん
11 /03 2022
現代の力持ち・そばつぶさんから久々に便りが届きました。

そばつぶさんは石川県金沢市在住のチャレンジャーです。




届いた便りを見て、大笑い!

富山県小矢部市の棚田神明社で、大事件が勃発!

なんでも、神社の境内隅にあった力石が、
何者かによって参道わきに移されていたっていうんですから。

この珍事に神社関係者の方々、石が一人で動くはずはないし、
人為的だとしても、いたずらとも思えないしと困惑。

そこで新聞社に協力してもらい、
「心当たりのある人は教えてほしい」と呼びかけたそうです。

なにしろ100㎏もある石を始め6個もの石が、
引きずった痕跡もなく移動していたというんですから、

そりゃあ、驚きます。

詳しくは下記の新聞記事をご覧ください。


「盤持ち石が移動 誰が?」

その「犯人」は、なんと「そばつぶさん」だったのです!

神社の関係者から新聞社に通報されちゃったんですね。(*゚Q゚*)

そばつぶさん、すぐ宮司さんと総代さんに連絡して、
謝罪と移動させた理由を説明したそうです。

「この素晴らしい力石が境内の隅に追いやられ埋もれている姿を見たら、
我慢できなくて、人目に付くところへ、と。
事前に宮司さんに連絡すべきでした」と反省しきり。

厳重に罰せられると覚悟したが、そうはならなかった。

逆に神社関係者から、
「力石に興味を持ってくれる人がいて嬉しい」と声を掛けられ、
みなさん、笑って許してくださったそうです。


その顛末は下記のtwitterでご覧ください。

「そばつぶtwitter」

確かに、やり方は少々荒っぽかったですね。

そばつぶさんは、忘れられ泥を被っていた力石を哀れに思い、
この力石に今一度命を吹き込むには、
皆さんの目に触れるところに置くしかない、

そういう一途な思いで突っ走ってしまいました。

でも棚田神明社の関係者さまや地元のみなさまは、
そういうそばつぶさんをご理解くださった、

本当にありがたく思いました。

令和の時代に、こんなにも熱き思いを持った若者がいる、
そのことを誇りにしていただけたら、
力石にかかわっている者として嬉しい限りです。

これを機に、

力石へのご理解とふるさとの名もなき先人たちの偉業を、
今一度振り返っていただけたらと思っております。


そばつぶさんのインスタグラムより。富山県小矢部市・法楽寺
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その後、そばつぶさんは「時の人」になってしまったようで、
テレビで取り上げられました。


「重さ100キロの石が動いた」

テレビ局の人も力石(盤持ち石)の存在を知らなかったんでしょう。
思いがけず注目されてしまいました。

「急にこんなことになって取材を受けて、心の整理が追いつかないんです」
とそばつぶさん。


「人物と目的が判明」

     ーーーーー◇ーーーーー

     そばつぶさんへ

twitterを拝見して、たくさんのファンができたことに驚くやら嬉しいやら。
これもそばつぶさんの「力石への愛」のたまものですね。

みなさんにその心意気と優しさと強さが伝わったのだと思います。
力石を持てないのに力石を語る私メですが、心から応援しております。

マスコミが取り上げてくださったのは、力石にとっても地元の方々にも
いい効果をもたらしたと思います。
そしてそれはまぎれもなく、そばつぶさんのおかげです。

でも、このあとが正念場です。

あんな重い、忘れられた石ですし、
石担ぎは誰の力も借りられない自分自身との孤独な闘いですから、
注目を浴びたいなどという浮ついた気持ちはさらさらなかったことは、
みなさんにもわかってもらえたはずです。

でも、注目されるのは悪いことではない。
作家でも政治家でもアーティスト、芸能人、スポーツ選手、市井の人、
だれでも「一番になりたーい!」欲望があるからこそ、頑張れます。

そしてそれが世の中に新風を起こす。そのことは今回のことでもわかります。

ただ、油断は禁物です。

「人間離れした力技」と持てはやされるのは一時と心得、有頂天にならず、
今まで通り地道に力石と向き合い、失敗を恐れず、無理をせず、
結果はおのずとついてくることを肝に銘じて、
わが道を究めていってくださいね。


私としたことが偉そうにお説教をしてしまいました。
お許しを!

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞