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モーツァルト …78

田畑修一郎3
11 /22 2022
俵萠子さんの「自立を支援する集会」で、
離婚せざるを得なかった女性たちの、その後の生き生きした姿に接して、
私は自信みたいなものを得た気がした。

それまで読んでいた本の中の言葉に、素直に頷けるようにもなった。

言葉は私に話しかけた。

「失敗と思わず、一つの経験と思うこと」
「私はサバイバー(被害を体験した人)だったという自覚を持つこと」


「被害者は敗北者ではない」

それには、「鈍感であってはいけない」

「自分の経験を言語化」し、「怒りに名前をつけ」
「声を上げること」

「声を上げて加害者に責任を取らせることで、脱被害者へと変わっていく」


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「私が私を大切にするということ」

そうそう、私は職場の上司や年配者からよく言われていた。

「人にばかり気を遣いすぎる。もっと自分を大切にしなけりゃだめだよ」って。

そうよねぇ、思えば職場でも近所でも家でも、
「自分に非があるのではないか」といつも自分を責めて、
加害者と一緒になって自分自身をいじめていたものね。


「自己責任の罠から抜け出し、自分の人生を取り戻す」

そうか、そうだよね。
がんばってみようという思いがふつふつと沸いた。

それから間もなく、俵さんから一冊の本が送られてきた。


「五十代の幸福」

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四十代で泣きわめいている私への、大先輩からの導きだと思った。

同封の手紙にはこう書かれていた。

「あなたにこの本の最後のところを読んでいただきたいので贈ります」


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私はその「最後のところ」から読んだ。

俵さんは五十代になったとき、赤城の森の家で一人で、
「モーツァルト・ピアノソナタ十一番」を聴いた。

音楽を聴くのは何十年ぶりだろうと思いつつ聴いているうちに、
越し方が思い出されたという。


「若い時、この曲を聴いた。
あれから結婚した。
貧しかった。
共働きだった。
家が狭かった。
こどもが生まれた。
必死で働いた。
働いた。

働いた。

   ……略……

二人の子が成人した。
その間に、夫との別れがあった。
若かったころの夫は、この曲が好きだった。
彼はよくこの曲を聴いていた。
でも私は、二人の子と仕事と家事を抱え、音楽なんて、聴こえなかった。
そのくらい必死だった。


すべてが、
過ぎ去った人生のすべてが、
甦り、
胸に溢れ、
押し寄せ、
押し倒し、
気がつくと、私は声をあげて泣いていた」

そして、こんな心境になったと述懐している。


「2回繰り返して聴き終わるころ気持ちは鎮まり、ふと考えた。

でもよかったじゃない。
私にはまだ音楽が滲み込んでくる感性が残っていたということが…。
ともかくも女手一つでまだ小学生だった二人の子供を育てた。
育て終えた。


あの夜聴いたモーツァルトは、
独身のころ聴いたどのモーツァルトより、優しく、深く、美しかった。
あの夜以来、私の中で何かが変わった。ひとくぎりがついた。
それが私にとっての五十代のはじまりだったのではないか
という気がする」


のちに俵さんは本の中で、子供の一人は障がい者だと告白している。

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ポエム2編② …77

田畑修一郎3
11 /20 2022
色を取り戻しに

雲の下に地面がある
雲の上に空がある
そしてわたしは その空の中にいる


空に突き出た岩の上に 私は立っている
悠久の時の中
眼下に広がる雲海の中に 
こどもが作った砂のお山みたいな頭だけの富士山が見える
その左手にうっすらと八ヶ岳が 
そして右手には南アの山々が不確かな影となって連なっている
ああ、わたしは富士山より高く
八ッや南ア連峰よりもはっきりとここにいる


下界を隠した雲よ
意味のない生活のすべてを覆い隠した雲よ
そして同時にわたしを本当のわたしに覚醒させてくれた雲よ


家族がいると足手まといだって あの人が言った
自分の才能は家族に潰されたと あの人は暴れた
そう、だからわたしは小説家になりたいあの人のために
病めるときも健やかなときも
貧しい中でこどもをひとりで育ててきた


だけどあの人はとうとう父親にも夫にも小説家にもなれなかった
酒と女と そして妻をいたぶるだけの生活
風景から色が抜けてモノクロの世界を歩き続けていたわたし
しかし今わたしは 空に突き出た岩の上にいて
富士山より高く 八ッや南ア連峰よりもはっきりとここにいる


去年 この岩峰から飛び下りて死んだ青年がいたという
その人は自分よりもずっと低い富士山を見なかったのだろうか


岩のテッペンで一晩眠ったら
わたしは空から雲へ その下に続く地面へと降りていけるだろう
そのときわたしはきっと見るに違いない
色を取り戻した風景を 
深々と呼吸する地と空と自分自身を


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ポエム2編① …76

田畑修一郎3
11 /18 2022
子供のころは枕元に、ノートと鉛筆を置いて寝た。

うす暗い天井を見上げていると、
言葉が溢れて書き留めずにはいられなかった。

浮かぶのは暗いことばかり。
自分には楽しい「歌」は歌えないのだなと子供心に思った。

大人になっても同じだった。
孤独の中で、こんなポエムを書いた。

   ーーーーー◇ーーーーー

皮を編む

夫が皮を脱ぎ捨てた
臭いの浸みた醜悪な皮だ
わたしはその皮をほどきにかかる
糸を引き抜くたびに埃が舞い立つ
ああ、いやだ 背信の臭い
それでもわたしは糸を抜く


昔、大切な人に贈るために わたしは皮を編んだ
それはまばゆいばかりの真っ直ぐな糸だった
細やかな産毛がふんわりとそよぎ
わたしは思いのたけを込めて編んだ


それも年を経れば着古され
込めたはずの思いは恥辱にまみれた
裏を返せばそこここに背信の数々
わたしの知らない夫の世界が 生々しく姿を見せていた
そうした現実を突き崩すように
わたしは糸を引く
舞い立つ埃を吸うまいとして わたしは息を止める

夫に新しい皮を着せなければならないので
わたしはまた 皮を編む
もはやまばゆさも消え よれよれと曲がりくねった糸で
好きな人のために編むという面映ゆい感情もないまま
悲しみと侘しさと諦めと
そして化石と化したわたしの心を砕きほぐして
編みこんでいく


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俵萠子さん …75

田畑修一郎3
11 /15 2022
日本にDV防止法ができる24年も前に、
DVにさらされて行き場のない女性たちのために、
シェルター(駆け込み寺)をつくった人がいた。

しかも個人で。

そのころの私は、
夫からの不可解な加害行為を見極めたくて情報の収集に明け暮れていた。

個人でシェルターを作ったのは評論家の俵萠子さんで、
その存在を知って私はすぐ手紙を書いた。


間を置かず返事が来た。

「集会にいらっしゃいませんか」

そのひと言で光明を得たと思った。


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のちに読んだ本で私は、
俵さんが女性の自立を支援するシェルターを作ったその一旦を知った。

それはこんな出来事を綴った一文からだった。

家への帰りに乗ったタクシーの運転手が、
客が俵さんとは知らずに悪口を言った。

「あの人、離婚した人でしょ。自分の家庭も満足に収められないのに、
区の教育委員長だなんて、笑わせるよねえ。

口を開けば男女平等なんていってる。ああいう女じゃ、亭主に嫌われるさ。
俺は家に帰れば断固として亭主関白を押し通してるよ」

運転手の話を黙って聞いていた俵さん、本の中でこう述べている。

「これと同じことを何べん聞いたか。
亭主に逃げられた女、心がけの悪い女。

日本では女にとって離婚は人格証明を失うこと。
世間では離婚された女とは言うけれど、離婚された男とは言わない」

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こんなに活躍されている俵さんでもそうだったのかと、私は驚いた。

離婚したことで嫌がらせを仕掛けるのは、男ばかりでないことも、
私はいやというほど経験した。

女が女に抱く憎悪やいやがらせは、自分の不満や嫉妬心を上乗せしたまま
直接、行動に出るからわかりやすいがキツイ。

田舎でも都会でも同じなんだと思った。

世の中には、
「人格証明」を失うことが怖くて離婚に踏み切れない妻たちが大勢いる。
しかし行政は何も助けてはくれない。

そこで俵さんは、「自立を手助けするシェルター」を考えたという。

私が初めてお目にかかったころの俵さんは、
群馬県の赤城山麓の家と東京の家を行き来する忙しい身だった。

その多忙な中でいただいた手紙を私は何度も読み返し、
すぐに集会への参加を伝えた。


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あれは晩秋のころだったと思う。

降りた駅や会場までの経路はさっぱり思い出せないが、
集会所での光景は今も鮮明に覚えている。

暗い夜道を来たせいか、集会所から漏れてくる明かりがまばゆく感じた。

その光に吸い込まれるように中に入るとすでに大勢の女性たちがいて、
みんな楽しそうに笑っていた。

深刻な顔が並んでいると思い込んでいた私は、その明るさにまず驚いた。

集会が始まり、やがてそれぞれが体験談を語り始めた。

生々しい過去を引きずりつつも、暮らしに安定感が出てきた経験者だろうか。
それを新参者と古参者たちが聞く形になっていた。

「元・夫は怒り出すと手が付けられず、椅子を振り上げてピアノに叩きつけた。
もうあの恐怖は…。

普段は温厚で優しいし、近所の人にも会社でも好かれていたから、
夫がこんなことをするのは私に落ち度があるんだろうと…。
だからこれがDVだなんて自分でもわからなかったんです」

今度は別の女性が立ち上がり、また体験を話し始めた。

「夫は酒乱で。
でもお酒を飲まない時は子煩悩な優しい人で…。
だからこれならやり直せると思って…。

でもお酒が入ると…。
私は殴られて、そのたびに顔を腫らしたり、ろっ骨や腕を骨折しました。
そういうことをされていると近所に知られるのが怖くて、
医者にも自分で転んだとウソをついて…。

でもあるとき、猫の首を、猫の首、はさみで切ったんです。
切り落としたんです。
それで今度こそ子供が殺されるかもしれない、私も殺されるかもと思って、
家を飛び出しました。

でも行くところがなくて、子供と電話ボックスで一晩…。
俵先生のことを教えられて、助けていただきました」


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能楽の世界に嫁いだ人がいた。

「父が同じ世界の人なので望まれて嫁ぎました。
でも夫はいつも家にいない。

悩みました。なぜだろうって。それで思い切って姑に相談したら、
息子には以前から馴染みの女がいて離れられないと。

普通の家の女じゃないから嫁にできないので、あんたを迎えた。
あんたは跡継ぎを産んでくれさえすればいいのよ。
そのためだけに嫁にしたんだからって。それで夫の家を飛び出しました。

狭い世界だし父の立場は悪くなるのはわかっていましたが、
でも父は理解してくれました」

再婚報告もあった。

「幸せです」のひと言に、大きな拍手が起こった。

集会所には50人ほどいただろうか。
末席で体験談や報告を聞いていた私に、俵さんがそっとささやいた。

「今はね、自立して安定した暮らしをしている体験者たちが
この会を運営してくれているのよ。

着の身着のままで逃げてくる人が多いので、
お茶碗やらナベカマから洋服までみなさんが差し出して…。
そうして助け合っているの。
本当は国が率先してやらなければいけないことなんですけどねぇ」

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終了後、私は俵さんと夜道を並んで歩いた。

「先生、皆さんのお話、壮絶で驚きました。
でも、私はああいう身体的暴力は受けていないんです。
それでもDVなんでしょうか?」

私の質問にウンウンと頷きながら俵さんが言った。

「精神的暴力っていうのがあるのよ。実はそれのほうがやっかいなの。
目に見えるような傷がないでしょ。だから誰にもわかってもらえない」

内閣府の言葉を借りれば、私が受けたDVはこうなる。

心理的攻撃。経済的圧迫。


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媚びる …74

田畑修一郎3
11 /12 2022
「田畑修一郎」シリーズの最中に別の記事を挿入するため、
お読みくださっている皆さまは戸惑われたかと…。

書いている私も頭の切り替えがなかなか。
でも、ゴールまであとひと息。がんばります。

   ーーーーー◇ーーーーー

女が女を貶める。

見渡せば、これは今なお身近なところで「当たり前のように」起きている。

職場の年かさの独身女性は、
「尻を触られたぐらいでギャーギャー騒ぐなんて。減るもんでなし」
と若い女性を叱った。

また、新興住宅地で自治会役員を決めるとき、
「上に立つ人はやっぱり殿方でなければ」と主張するのは、
決まって教授や教師という「教育者」の妻たちだった。


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のちに移り住んだ集合住宅ではそんなことは全くなかった。

そこは一年交代で当番が回り、すべてをくじ引きで決めたから、
女性が会長になるのは珍しいことではなかったし、
新興住宅地の所帯数の4倍ものこの大団地をみんな見事に運営していた。

私が離婚したことで執拗に嫌がらせを続けた教授夫人から、
「どこへお引越しですの?」と聞かれて、「団地です」と答えたら、
「あー、あー、低所得者層の住むところですわね」と、
口辺を歪めつつ言われたが、

こいつは「上に立つのはやっぱり殿方でなければ」という
「男に媚びて生きるしかない」女の典型で、「低所得者層」と蔑んだ
団地の女たちの足元にも及ばないヤツだと思った。

市井の女であれ企業内のお局的女性であれ、政治家であれ、
同性として被害女性に寄り添うのではなく、笑いものにしたり貶めたりする人、
つまり、DV加害者に味方する女は、

常に自分自身を男の下、強いて言えば権力のある男の下に置くことで、
身の安泰を図り、男に媚びて世の中を渡っている、
そういうずるい、自立できない女ということではないだろうか。


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「愛を言い訳にする人たち」(山口のり子 梨の木舎 2016)に、
おもしろい問題提起があった。

この本はDV加害男性700人の告白をまとめた貴重な記録で、
そこに、
「ふだん何気なく聞いたり口ずさんだりする歌詞に織り込まれた
メッセージについて、考えたことがありますか?」という問いかけがあった。

少々古いが、例としてこんな歌が挙げられていた。


「言うことをきかない彼女に手を挙げることはカッコいいことだ」
と受け止めた男性たちがいたに違いない歌詞として、

♪聞き分けのない女の顔をひとつふたつ張り倒して 
 背中を向けて煙草をすえば それで何も言うことはない

=沢田研二 カサブランカ・ダンディ

DV促進歌です。
女は支配されるのを待っているというメッセージの歌として、

♪じゃましないから 悪いときはどうぞぶってね
 いつもそばにおいてね あなた好みの女になりたい

=奥村チヨ 恋の奴隷

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暴力をパロディ化することで、
暴力を軽く見る意識を人々に強力に刷り込む例として、

♪君にジュースを買ってあげる 月収10万以下だけど
 ときどき暴力ふるうけど

=グループ魂 君にジュースを買ってあげる

レイプ促進歌として、

♪ベッドに押し倒して腰なんかもんじまえ
 思い切りいやがるけど 照れているだけだから
 バタバタ暴れるのは喜んでいる証拠さ

=爆風スランプ 青春りっしんべん

このほか著者は、以下もあげていた。

♪I will follow you あなたについていきたい
=松田聖子 赤いスイトピー

一見、これが危険なメッセージを含んだ歌詞とは思えなかったが、
「この歌詞を信じて、女は引っ張ってくれる男を待っているんだ。
そうならなくちゃと目指した結果、妻にDVをしてしまった、
と告白した加害者がいた」と著者は本に記している。


そして、こうも書いていた。

「これらの危険なメッセージは、たぶん作詞家自身が持っている価値観
なのでしょうが、作詞家が一般大衆の持つ価値観に迎合して
歌詞に織り込んだものであり、
歌が流行することで人々の間に流布されて強化されます。


歌詞だけではない。漫画や小説、テレビや映画など社会に表出している
あらゆる表現に、そのような作用があるとみるべきでしょう」

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確かに、人は刷り込まれた習慣で行動する。
そして一旦刷り込まれたものはなかなか消すことができない。

そのことはかつて各地にあった若者の組織「若衆組」の
「夜這い」にも見ることができる。

某村の小学校に都会から若い女性教師が赴任してきた。
早速、村の若者数人が教員宿舎へ夜這いをかけた。

驚いた教師の通報で若者たちは逮捕。しかし、彼らは納得がいかない。
「なんでだ! 今まで普通にやってきたことなのに」と。

彼らは時代が変わり、それが犯罪になったことを知らなかったか、
もしくは、
知ってはいたが気持ちの切り替えができなかったか、見くびっていたか。

しかし、それから100年以上たった今も「夜這い」は存在するようで…。

ただ、昔の若い衆にはそれなりのルールがあって制裁も課せられたが、
強制わいせつや強姦で逮捕された現代の男たちは、
犯罪と知りながら「合意の上だった」と自分の正当性を主張するのだから、
より卑劣で悪質だ。

今、「若衆組」の頭がいたら、こう言うかも。

「屁理屈をこねるだけで力石も持てねぇヤツは、女に手を出すんじゃねぇ」

会社内でセクハラに悩む若い女性に、
「尻を触られたぐらいで…」と大声で嘲り、男たちに媚びたお局さま、
言わなければいいのに、「私なら自分から差し出すよ」と。

とっさに周囲の男どもが尻をからげて逃げ出した。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞