慈しむ
富士塚
「的と胞衣」(横井清 平凡社 1998)を読んでいたら、こんな記述があった。
「高貴の家の台所を「御清所」と言った。
そこで働いていた上役の女性を「御清(おきよ)」と言い、
転じて、女中・下女のことを「お清」というようになった」
そういえば夏目漱石の「坊ちゃん」にでてくる女中も「キヨ」だった。
ありゃー。
私はお女中の名を付けられちゃったのか。(*`へ´*)
でもこの著者の名も「清」さん。
でも親は一生懸命考えて付けてくれたことだし、何でも感謝しなくちゃね。
それはさておき、
「縄文土偶ガイドブック」(新泉社 2014)の著者・三上徹也氏が、
序にこう書いています。
「土偶を見ると、何か心の一番奥にあるものを呼び起こされるような、
懐かしい、安心した気持ちになるのはなぜでしょうか」

そんな一つに、
死んだ我が子の足型や手形を粘土板に写し取ったものが
各地に残されています。
「手形・足形付土版」「大石平遺跡」(青森県新城字天田内)出土。
田中義道氏撮影。青森県立郷土館所蔵

「世界遺産・北海道・北東北の縄文遺跡群アーカイブ」よりお借りしました。
1歳前後の子供の手形と足形なんだそうです。
死んだ我が子の手や足の型を粘土に写し取り、
粘土板にあけた穴に紐を通して形見として家に吊るしておいたもので、
その親が死んだとき、副葬品として一緒に埋葬したのだそうです。
また函館市の考古学者さんの話では、
墓地から、ポリオのような病気で動けなくなった子供を、
みんなでケアして成人まで面倒を見たような人骨も出て来たそうです。
確かに、
「心の一番奥にあるものを呼び起こされる」
ような気がします。
さて、赤ちゃんは、
お母さんのおなかの中では「胞衣」(えな)に包まれています。
※胞衣とは羊膜と胎盤=後産(のちざん)のこと。
生まれてくるとき、その胞衣を破って出て来るそうです。
こちらは、
フォトエッセイ「わらべ地蔵」の中の「子育て地蔵」です。杉村孝制作
この本は、寺のご住職が亡き我が子を追慕して綴ったエッセイ集です。

「わらべ地蔵・悲しみをお地蔵さんにあずけて…」藤原東演、杉村孝
すずき出版 1996
この「胞衣」、
今はゴミとして廃棄されますが、昔の人たちは違いました。
「胞衣は桶や壺に入れ、日時や方角を見て吉方にあたるところに埋めた。
太陽の威力が最も盛んな時刻(正午)は、
胞衣に悪影響を及ぼすので避けた」(横井清氏)
「胞衣納めをめぐって」の著者・土井義夫氏は、より詳細に記述しています。
※「江戸の祈り」江戸遺跡研究会編 吉川弘文館 2004より。
「胞衣納めの記述は平安時代の日記にあり、胞衣を納める壺は
昭和の戦前まで売られていた。
胞衣は水と酒で洗い、男の子なら墨や筆を、女の子なら縫い針などを
胞衣と一緒に壺に入れ、それをさらに曲げ物や桶に入れて
吉方・恵方にあたる山中に行く。
人足が穴を掘り、埋めた上に松の木を一本植えた」

昔、取材させていただいた家具職人のかつみゆきお氏の著書、
「山の心 木の心 人の心」に、こんな記述があります。
「立木はね、伐らない方がいいと思ってる。
立って生きてる木が一番立派だよな。
山へ行くと、一般ではダメって言われてる木が一番立派でしょ。
山で苦労してるから。
人間だって苦労してる人間の方が味がある」
本当の職人さんって、こういう人なんだと思いました。
※かつみゆきお=静岡市生まれ。家具職人・木工作家。登山家で写真家。
傘寿で世界一人旅。現在82歳。
今なお精力的に日本各地で個展を開いている。
「ヒンズークシュ、サルトアンバスへの道で」1971

「山の心 木の心 人の心」文・写真=かつみゆきお 池田出版 1997より
かつみさんの足元には到底及びませんが、私も山が好き。
考古学者の三上氏が土偶を見て、
「心の一番奥にあるものを呼び起こされる」のと同じように、
かつみ氏も私も、「山に呼び起こされた」のかもしれません。
で、そんな山ン中を歩いていると、
ポツンと一本、見事な松の木を見ることがあります。
ひょっとして、かつての胞衣納めの現場だったのかもなんて思ったりします。
で、昔の人は「胞衣」をなんでこんなに大切に扱ったかというと、
ただただ、子の健やかな成長を願ってのことなんだそうです。
決して非科学的などと笑えないと思うのです。
だって、これって、
物事をなんでも金銭に換算してしまう現代人に一番欠けている
「無償の愛」だと思うから。
で、私、ふと思ったんですよ。縄文の土器に付けてある像は赤ん坊で、
これはその子の胞衣壺ではないのかって。
「人体文様付有孔鍔付土器」
「鋳物師屋遺跡」出土(山梨県南アルプス市下一ノ瀬)

出典は「南アルプス市ふるさとメール」
「南アルプス市ふるさと文化伝承館」所蔵
目の下から頬にかけての2本の線は入れ墨だそうです。
縄文時代の入れ墨は家族や出自などの「帰属を表すもの」で、
男女とも入れていたという。
素人考えですが、これがもし「胞衣壺」なら、
この中の胞衣と赤ん坊の帰属を示したものかなぁと思ったのです。
どうなんでしょう?
私の勝手な想像ですが、
壺に付けた像の手の指が3本で表されているのは、
まだ人間にはなりきれない半人前との認識があったからではないのか、と。
さて、南アルプス市ではこの土器の愛称を公募した結果、
「ピース」と決定したそうです。
ここにはふっくらとしたお腹をした女性の土偶「子宝の女神ラヴィ」もあって、
あわせて「ラヴィ&ピース」と呼ばれているそうです。
なんか、いいですねぇ。幸せを感じます。
詳しくは下のURLをご覧ください。
「南アルプス市」
ド素人の私メが、
「これ、胞衣壺ではないのか」などと発言するのは恐れ多いのですが、
でも、過去にそう考えた考古学者さんがいたんです。
土井義男氏の論文に、
「木下忠さんという方の論」として出て来たんです。
木下忠氏の論というのは、これです。
「縄文時代の竪穴式住居から出てくる埋め甕という遺構が、胞衣を納めた
容器であろうという仮説を民俗事例を採用して実証しようとした」と。
私は小躍りしましたが、結論を読んでがっかり。
「今のところ、類推に過ぎない」
でも、中沢新一氏の「精霊の王」(講談社 2004)に、
「長野県諏訪では子供が生まれると胞衣の代わりに綿を扇に被せて奉納する」
という話が出ていました。
やっぱり「胞衣」って、特別のモノなんだと思いました。
現代人には「ばかばかしい」と一蹴されそうですが、
今は廃棄物という認識の「胞衣」であっても、気づかないだけで本当は、
私たちの心の奥底にはこういう「慈しむ」という記憶が刻まれている、
そう思うんですよ。
その遠い先祖の記憶が、何かをきっかけに呼び起こされるんだと。
こちらは私が一番、心を打たれた縄文土偶です。
「子を抱く土偶」 縄文中期
東京都八王子市の「宮田遺跡」出土。国立歴史民俗博物館所蔵

「縄文土偶ガイドブック」三上徹也 新泉社 2014よりお借りしました。
おっぱいをあげているのでしょうか。赤ちゃんもまるまる太っています。
お母さんの足を見てください。横座りしています。
その太い腿の上に我が子をしっかり乗せて、
もう可愛くてしょうがないといった感じで抱きしめています。
縄文の母の慈しみ。
しみじみと胸に沁みました。
ーー「富士塚」のお話はこれにておしまいーー

にほんブログ村
「高貴の家の台所を「御清所」と言った。
そこで働いていた上役の女性を「御清(おきよ)」と言い、
転じて、女中・下女のことを「お清」というようになった」
そういえば夏目漱石の「坊ちゃん」にでてくる女中も「キヨ」だった。
ありゃー。
私はお女中の名を付けられちゃったのか。(*`へ´*)
でもこの著者の名も「清」さん。
でも親は一生懸命考えて付けてくれたことだし、何でも感謝しなくちゃね。
それはさておき、
「縄文土偶ガイドブック」(新泉社 2014)の著者・三上徹也氏が、
序にこう書いています。
「土偶を見ると、何か心の一番奥にあるものを呼び起こされるような、
懐かしい、安心した気持ちになるのはなぜでしょうか」

そんな一つに、
死んだ我が子の足型や手形を粘土板に写し取ったものが
各地に残されています。
「手形・足形付土版」「大石平遺跡」(青森県新城字天田内)出土。
田中義道氏撮影。青森県立郷土館所蔵

「世界遺産・北海道・北東北の縄文遺跡群アーカイブ」よりお借りしました。
1歳前後の子供の手形と足形なんだそうです。
死んだ我が子の手や足の型を粘土に写し取り、
粘土板にあけた穴に紐を通して形見として家に吊るしておいたもので、
その親が死んだとき、副葬品として一緒に埋葬したのだそうです。
また函館市の考古学者さんの話では、
墓地から、ポリオのような病気で動けなくなった子供を、
みんなでケアして成人まで面倒を見たような人骨も出て来たそうです。
確かに、
「心の一番奥にあるものを呼び起こされる」
ような気がします。
さて、赤ちゃんは、
お母さんのおなかの中では「胞衣」(えな)に包まれています。
※胞衣とは羊膜と胎盤=後産(のちざん)のこと。
生まれてくるとき、その胞衣を破って出て来るそうです。
こちらは、
フォトエッセイ「わらべ地蔵」の中の「子育て地蔵」です。杉村孝制作
この本は、寺のご住職が亡き我が子を追慕して綴ったエッセイ集です。

「わらべ地蔵・悲しみをお地蔵さんにあずけて…」藤原東演、杉村孝
すずき出版 1996
この「胞衣」、
今はゴミとして廃棄されますが、昔の人たちは違いました。
「胞衣は桶や壺に入れ、日時や方角を見て吉方にあたるところに埋めた。
太陽の威力が最も盛んな時刻(正午)は、
胞衣に悪影響を及ぼすので避けた」(横井清氏)
「胞衣納めをめぐって」の著者・土井義夫氏は、より詳細に記述しています。
※「江戸の祈り」江戸遺跡研究会編 吉川弘文館 2004より。
「胞衣納めの記述は平安時代の日記にあり、胞衣を納める壺は
昭和の戦前まで売られていた。
胞衣は水と酒で洗い、男の子なら墨や筆を、女の子なら縫い針などを
胞衣と一緒に壺に入れ、それをさらに曲げ物や桶に入れて
吉方・恵方にあたる山中に行く。
人足が穴を掘り、埋めた上に松の木を一本植えた」

昔、取材させていただいた家具職人のかつみゆきお氏の著書、
「山の心 木の心 人の心」に、こんな記述があります。
「立木はね、伐らない方がいいと思ってる。
立って生きてる木が一番立派だよな。
山へ行くと、一般ではダメって言われてる木が一番立派でしょ。
山で苦労してるから。
人間だって苦労してる人間の方が味がある」
本当の職人さんって、こういう人なんだと思いました。
※かつみゆきお=静岡市生まれ。家具職人・木工作家。登山家で写真家。
傘寿で世界一人旅。現在82歳。
今なお精力的に日本各地で個展を開いている。
「ヒンズークシュ、サルトアンバスへの道で」1971

「山の心 木の心 人の心」文・写真=かつみゆきお 池田出版 1997より
かつみさんの足元には到底及びませんが、私も山が好き。
考古学者の三上氏が土偶を見て、
「心の一番奥にあるものを呼び起こされる」のと同じように、
かつみ氏も私も、「山に呼び起こされた」のかもしれません。
で、そんな山ン中を歩いていると、
ポツンと一本、見事な松の木を見ることがあります。
ひょっとして、かつての胞衣納めの現場だったのかもなんて思ったりします。
で、昔の人は「胞衣」をなんでこんなに大切に扱ったかというと、
ただただ、子の健やかな成長を願ってのことなんだそうです。
決して非科学的などと笑えないと思うのです。
だって、これって、
物事をなんでも金銭に換算してしまう現代人に一番欠けている
「無償の愛」だと思うから。
で、私、ふと思ったんですよ。縄文の土器に付けてある像は赤ん坊で、
これはその子の胞衣壺ではないのかって。
「人体文様付有孔鍔付土器」
「鋳物師屋遺跡」出土(山梨県南アルプス市下一ノ瀬)

出典は「南アルプス市ふるさとメール」
「南アルプス市ふるさと文化伝承館」所蔵
目の下から頬にかけての2本の線は入れ墨だそうです。
縄文時代の入れ墨は家族や出自などの「帰属を表すもの」で、
男女とも入れていたという。
素人考えですが、これがもし「胞衣壺」なら、
この中の胞衣と赤ん坊の帰属を示したものかなぁと思ったのです。
どうなんでしょう?
私の勝手な想像ですが、
壺に付けた像の手の指が3本で表されているのは、
まだ人間にはなりきれない半人前との認識があったからではないのか、と。
さて、南アルプス市ではこの土器の愛称を公募した結果、
「ピース」と決定したそうです。
ここにはふっくらとしたお腹をした女性の土偶「子宝の女神ラヴィ」もあって、
あわせて「ラヴィ&ピース」と呼ばれているそうです。
なんか、いいですねぇ。幸せを感じます。
詳しくは下のURLをご覧ください。
「南アルプス市」
ド素人の私メが、
「これ、胞衣壺ではないのか」などと発言するのは恐れ多いのですが、
でも、過去にそう考えた考古学者さんがいたんです。
土井義男氏の論文に、
「木下忠さんという方の論」として出て来たんです。
木下忠氏の論というのは、これです。
「縄文時代の竪穴式住居から出てくる埋め甕という遺構が、胞衣を納めた
容器であろうという仮説を民俗事例を採用して実証しようとした」と。
私は小躍りしましたが、結論を読んでがっかり。
「今のところ、類推に過ぎない」
でも、中沢新一氏の「精霊の王」(講談社 2004)に、
「長野県諏訪では子供が生まれると胞衣の代わりに綿を扇に被せて奉納する」
という話が出ていました。
やっぱり「胞衣」って、特別のモノなんだと思いました。
現代人には「ばかばかしい」と一蹴されそうですが、
今は廃棄物という認識の「胞衣」であっても、気づかないだけで本当は、
私たちの心の奥底にはこういう「慈しむ」という記憶が刻まれている、
そう思うんですよ。
その遠い先祖の記憶が、何かをきっかけに呼び起こされるんだと。
こちらは私が一番、心を打たれた縄文土偶です。
「子を抱く土偶」 縄文中期
東京都八王子市の「宮田遺跡」出土。国立歴史民俗博物館所蔵

「縄文土偶ガイドブック」三上徹也 新泉社 2014よりお借りしました。
おっぱいをあげているのでしょうか。赤ちゃんもまるまる太っています。
お母さんの足を見てください。横座りしています。
その太い腿の上に我が子をしっかり乗せて、
もう可愛くてしょうがないといった感じで抱きしめています。
縄文の母の慈しみ。
しみじみと胸に沁みました。


にほんブログ村

スポンサーサイト