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瀕死のヨット・ウーマン …㉚

田畑修一郎
02 /12 2022
ふと自分が、冬眠から覚めたばかりの熊のような気がした。

空腹だったけれど、長い「冬眠」から覚めたばかりだ。
とても食べられそうにない。

部屋中に広がっていたコーンの匂いだけで充分だった。

「雄二、一人でいるのねえ」と、かすれた声で二男のことを聞くと、
「心配ないさ。あいつだってもう子供じゃないんだ」と大介が力強く言った。

「あのね」と、私は一番聞いてみたいことを大介に言った。
「大介、お父さん、ちゃんと家に来てる?」

祈るような気持ちでそう聞くと、大介は不快気に顔を歪めてこう言った。

「あいつには関係ねえことだよ」

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「でも、お父さん、ここに来たよね?」と聞くと、
「ああ」と、ぶっきらぼうに答えた。

「来た。一度だけ。あとはお前がめんどう見ろって。
そう言ってそのまま東京へ帰って行った」

まもなく私は、個室からもとの4人部屋へ戻ることになった。

大介に言わせると、手術から三日目らしかったが、
そのときの私には、時間の観念はまるでなくなっていた。

看護師さんがベッドごと私を運び始めた。
ベッドの足のキャスターが、ゴロゴロ音を立てて滑り出した。

廊下を歩いていた人たちが、サッと道を開けてくれた。
なんだか波を蹴立てて大海原を行くヨットみたいだ。

首に点滴の針が刺さり、
下腹部の導尿管からは絶えず黄色い尿が流れている。

そういう無様なヨット・ウーマンだ。

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斎藤氏撮影

退院してしばらくしてから、夫の武雄がこんなことを言ったことがある。

「腹の傷はまるで魚の骨が張り付いているみたいでおかしいのなんの。
それに絶えずチューブからブクブク小便が垂れてくるんだぜ」

会社の同僚にそう言ったら、みんなゲラゲラ笑ったと言ったけれど、
今にして思えば、
その相手はそのときはまだ知らなかった愛人のM江だったのだろう。

元の4人部屋のドアの前で、ベッドは入り口へ向けて大きく旋回を始めた。

振り返ると大介が、スーツケースと紙袋を両手に下げて、
恥ずかしそうに付いてくるのが見えた。

部屋にベッドを乗り入れた途端、歓声が上がった。

「お帰りなさーい!」

ハツエはなぜか白い割烹着をつけていた。
その姿のまま、真っ先に飛んできた。

再入院したTさんは、上半身をベッドに起こして笑っている。
Mさんは、もうバルーンカテーテルをはずして、すっかり元気になっていた。

「よくがんばったわね」
そう言って、ハツエが手を握りしめてきた。

「私、あなたの手術中、ずっと時計を見ていたのよ」

下ぶくれのハツエの頬がぶるっと揺れた。その頬に白粉をはたいた跡がある。
きっと今日もご主人が見えるに違いない。

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私はハツエのこの幸せから離れていたいと思った。
決して妬みからではない。

ハツエには私の心を乱す何かがある。
そんな気がしたのだ。



ーーーーー企画展のお知らせーーーーー

「利根川の河岸で」のブログ主さまから、「物流近代化の父」と言われた
平原直先生の企画展のお知らせをいただきました。

場所は物流博物館(東京都港区高輪4-7-15) ☎03-3280-1616
入館料は高校生以上200円、65歳以上100円、中学生以下無料。月曜休館。
5月8日まで。

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「はこぶことは生きること。生きることははこぶこと」
と悟り、
荷役の重要性を広めて実践し、日本経済の発展に貢献した平原先生。

同時に近代化以前の日本の荷役を担った力持ちたちの支援を行い、
「深川の力持ち」の東京都無形文化財指定にご尽力された。

もっともっと多くのみなさまに知って欲しい方です。

拙ブログ「神田川徳蔵物語」に、詳細を記しました。

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企画展にちなみ、
●映画上映会 ●講演会(ZOOM配信あり) ●学芸員によるスライドトークも。
詳細は同館HPをご覧ください。

物流の初期の珍しい映画や展示など、ここでしか見られないものばかりです。


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怖かったんだ …㉙

田畑修一郎
02 /09 2022
苦しい…。
息を吐くことも吸うこともできない。体も動かせない。

あまりの苦しさに、両手を天井に向けてやみくもに振り回した。

そのとき、何かにぶつかった。
その何かを思いっきり払い除けたとたん、ガーッと喉からタンが離れた。

と同時に、下腹部にナイフで切り付けられたような痛みが走った。
その瞬間、私は間近に夫の顔を見た。

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その顔の背後に、誰かの怒鳴り声を聞いた。

「タンを切る薬、口に入れてあげてくださいって言ったじゃないですか!」

慌てたような気配が、何かただならぬことを教えてくれている。

バタバタと床を走る音のあと、誰かが私の口に触れて錠剤を押し込んだ。
うっすら目を開けると、まじかに看護師さんの顔があった。

救われたと思った。

安堵したと同時に喉に新鮮な空気が流れ込み、
私の胸は甘い空気でいっぱいになった。

看護師が部屋を出ていくと、また、間近に武雄の顔が現れた。

彼はちょっとの間、私を見降ろすと、
傍らの薬袋をいきなり胸に投げつけ、荒々しく部屋を出ていった。

幻なのか現実のことなのか、わからなかった。

ただ得体の知れない不安がムクムクと湧いてきて、
このまま眠ってはいけないという意識だけが鮮明になった。

だが、意識はすぐまた不鮮明になり、
私は再び深い混沌の中へ落ちていった。

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誰かが身体の汗を拭いているような気がしたし、
看護師が何度目かの注射を打ったような気もした。

途中、医者が顔を覗き込んだような気もした。

どれくらい時間がたったころだろうか。

私は香ばしいコーンの匂いで目を覚ました。カリカリという音もした。

廊下の明かりがドアのガラスごしにぼうっと光っている。
音の方に目を向けると、部屋の隅の薄暗がりに誰かがいた。

目をこらしてじっと見ていたら、どうやら長男の大介のようだ。
大介は床に敷いたマットの上で、しきりにスナック菓子を食べていた。

夏目漱石の小説「坊ちゃん」の中で、主人公のぼっちゃんが、

「階段の下の暗がりで、越後の笹飴を笹ぐるみむしゃむしゃ食べている
下女の清の幻を見た」

というのがあった。

その情景と、
床に座ってスナック菓子をむしゃむしゃ食べている大介とが重なった。

私も幻を見ているんじゃないかと思った。
でもだんだん意識がはっきりしてきたら、幻なんかじゃなかった。

それで大きな声で子供の名前を呼んだら、大介が顔を上げた。

「怖かったんだ。ずーっと。
お母さん、うーんうーんって唸ってばかりいるんで、死んじゃうのかと思って。

それで何か食っていないといられなかったんだ。
だから一晩中、コレ、食べていたんだ」

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気が付くと、痛みはずっと遠のいていた。

急に空腹を覚えて、「おなか、すいた」と言ったら、大介が、
泣き笑いの顔のまま、スナック菓子を袋ごとスッと差し出した。

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 別の手 …㉘

田畑修一郎
02 /03 2022
最初の手術は局所麻酔ですんだ。
それから一週間目に近づいたころ、医者が来て こう言った。

「ちょっと悪いものが見つかったので、もう一度」

今度は全身麻酔になった。
数を7つか8つ数えたところで、私は意識を失った。

その瞬間から私の生と死は医者の手に委ねられた。

完全な眠りの中で手術は進行した。
私はただ台の上で、「無」になっていさえすればよかった。

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「この試練を乗り切って見せる」

スーッと意識を失うその瞬間まで、私はそのことだけを念じていた。

どのくらいたったころだろうか。
術後の痛みでのたうち回っていたとき、遠くで人の声を聴いたような気がした。

なんだかカッコウワルツの輪唱を聞いているような、そんな気がした。
しかしその輪唱はトンネルの壁に跳ね返って、
すぐに耳障りな不協和音になった。

しばらくするとその不協和音は、はっきりとした一つの言葉になって、
私の耳に届いた。

「よくがんばったわね」

その声につられてゆっくり瞼を開けると、そこに老女がいた。
4人部屋に入院中のハツエさんだった。

こんなところになんでハツエさんが? と思った。

不思議なことにハツエの姿はずいぶん小さく見えた。

入院した日に見た、廊下の一番はずれに立ち込めていた、
あの灰白色の霧を通して見ているような、そんな気がした。

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ハツエはその霧を押しのけて近づいてくると見る間に大きくなり、
今度は両手を伸ばして執拗に私の手を握ろうとした。

私は握らせまいと必死で抵抗した。

入院したその日、ハツエが近づいてきて、「あなた、何の病気?」と聞いてきた。
面食らっていると、なんだか勝ち誇ったみたいに言った。

「私はみなさんと違って軽い病気なの。手術も簡単だったし」

それからなおも近づいてこう言った。

「あなたご存知? 廊下の一番外れに何があるか。
あそこには最期の部屋があるそうですよ。もう助からない人の…」

「やめてください」という隣りのベッドからの声も無視して、
ハツエはなおも続けた。「あそこへ入るともうおしまいっていう意味なの」

あとから、同室の患者がこっそり教えてくれた。
「あの人、もう手の施しようがない末期ガンなのよ」

2度目の手術に向かうとき、見送る者が誰もいないのを不憫に思ったのか、
ハツエが、ストレッチャーに乗せられた私に、
「がんばりなさいよ。まだ若いんだから」と言いつつ、手をギュッと握ってきた。

手術台に横たわったとき、「ここへ来るとみんな泣くのよ」と看護師が言った。
「だけど、あなたは強いのね」と言い足した。

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斎藤氏撮影

「手術は5時間半もかかった、輸血をした、顔が真っ青だった。
私、ずっと時計見てたの。あなたが手術室から出てくるまで」

個室から元の4人部屋に戻った時、ハツエが飛んで来てそう報告した。
得体の知れない闇に引きずり込まれそうな気がして、とっさに顔をそむけた。

「よくがんばったわね」

灰白色の霧の中で、またハツエが言った。
ありがとうございますと言おうとしたが、声にならなかった。

疲れて口を閉じたと同時に、視界からハツエの顔がパッと消えた。

そのとき急に息が止まった。ひどい呼吸困難になった。
吐くことも吸うこともできない。

あまりの苦しさに、両手を天井に突き出してもがいていたとき、
その私の手を抑え込む別の手があることに気がついた。


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奈落の底 …㉗

田畑修一郎
01 /31 2022
夫の武雄から「金ねえんだよ。自分でなんとかしろ」と言われても、
病気は待っていてくれない。

手術は12月の初めと決まった。

入院の際、持って行かなければならないものはたくさんあった。
遅延可能な支払いを後回しにして、お金を工面した。

病院から渡された印刷物を片手に入院準備をしているとき、
孤独という言葉がふと浮かんだが慌てて消した。

医者から告げられた入院期間は「まず一週間」だった。
しかし医者はこうも付け足した。「もしかしたらもう少し長くなる」

とにかく今の目標は「1週間を無事、通過すること」だ。

だが、最大の心配事があった。
母のいない家で息子たちは二人だけで暮らさなければならない。

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ひどいことになったと思ったが、心配しても仕方がない。
留守を頼む子供たちのために食料を買い、留守中の注意事項を書いた。

ガスの不始末が一番気がかりだったが、
退院後、それが現実に起こっていたことを長男から知らされて愕然となった。

ガス漏れ報知器の音で目を覚ました長男が、ガスの臭いに気づいた。
弟がやかんをコンロに掛けたがコンロの火を確認しないまま眠ってしまい、
漏れて流れ出したというのだ。

受験勉強に疲れていたのだろう。
長男の冷静な対処で爆発も中毒死も免れた。

せっかくガンが治っても、二人を失ってしまったらなんの意味があろう。

私は二人に、親の不甲斐なさを詫び、生きていてくれたことへ感謝した。

手術をしたこの年を境に、私は変わり始めていた。
これ以上、不毛の暮らしをする意味がない。

人間、落ちるところまで落ちたら後は這いあがるだけじゃないか。
その奈落の底が「今」なのだと思った。

病院での説明は一人で聞き、手術の同意書のサインも一人でやった。

看護師さんが「ご主人は?」と聞いたので、「仕事で来られない」と言ったら、
「いくら忙しいっていったって。あなた、普通の病気じゃないじゃないの」
と呆れたけれど、私はただ、笑い返すしかなかった。

ふと、隣りの夫婦の会話が聞こえてきた。

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「心配するな」

そう言った夫の横には、青い顔をした妻らしい人がぼんやり座っていた。

看護師さんには見慣れた当たり前の光景だろうが、
私にはひどく贅沢なものに映った。

妻の手術の説明にも来なかった夫に、もはや何も望みはしなかったけれど、
それでも私の心のどこかに、
手術当日ぐらいは駆けつけてくれるだろうという微かな希望はあった。

だが、それも叶わなかった。


※写真撮影は斎藤氏


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ネバーエンディング・ストーリー…㉖

田畑修一郎
01 /28 2022
記憶が抜けていた3年間の最後の年に、私はガンになった。
なんだか現実のこととは思えなかった。

不調を訴えて受診した開業医から、
「疑わしいものが見つかったから」と総合病院を紹介された。

入院はすぐ決まった。

夫に電話した。

「病院へ持って行くものを買ったり、
子供たちにお金を置いていかなきゃならないので送金を」
と告げた途端、受話器から怒鳴り声が響いた。

「金ねえんだよ。
寝巻買うくらいの金もないのか。アンタは主婦だろうが!」

「ガンなんて今どき珍しくもなんともないじゃないか!
そんなことでいちいち電話して来るな! このクソ忙しい時に」

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斎藤氏撮影

しどろもどろになって受話器をおいた私に、長男が叫んだ。

「お母さんはなぜ、そんなに遠慮ばかりしてるんだ!
お父さんになぜもっと強く言えないんだ。そんなだから僕らまで…。
つらいのはお母さんばかりじゃないんだよ」

ハッとした。その通りだと思った。

夫から、まるで他人を見るみたいにあしらわれても、
私は何の疑問も怒りもぶつけてこなかった。いくじなしだった。

この年の夏、長男は東京の予備校へ行き父と暮らした。

だが夜になると、「いつもぼく、一人なんだよ」という電話がきた。
それから1週間もたたないうちに帰ってきた。

帰るなり、「これはお母さんが持つべきものだよ」と、鍵を差し出した。
父の部屋の鍵だった。

あのとき長男は遠回しに、
「お母さん、しっかりしろよ」と、背中を押してくれたのに、
ただ、うやむやにするばかりで…。

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斎藤氏撮影

日ごろは偉そうなことを言っているくせに、いざとなると現実から逃げる私。

そう、私はいつも、
その先にある不安や不幸を見たくないという小心者だったのだ。

だから私は気づかないふりをしてきた。そうして不毛の年月を続けてきた。

まるでネバーエンディング・ストーリーではないか。

でももう、限界が来た。

気づかないふりなどというまやかしは、長続きするものではないのだし、
見たくないものでも、どこかできちんと見なくては同じ繰り返しになるだけだ。

ひょっとしてガン細胞は、そんな私の愚かさを覚醒させるために、
この体に巣くったのかもしれないとも思った。

このままでいいわけがない。
いやでも夫と対峙しなければいけないのだ。
だから私は、どうしても死ぬわけにはいかないのだと思った。

でも今は巣くってしまったガン細胞をどうにかしなければならない。
自分が今、闘う相手はあの夫ではなくガンなんだ。

エンデの本に出てきた少年は、大切なものは「本当の愛」だと知り、
「はてしない物語」から現実へ戻ってきたが、私にだってできないことはない。

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それはまず生きることだ。生きて戻ることことなのだ。
夫と対峙するのはそれからでいい。

入院は12月初めと決まった。

そのとき長男は高校三年生。二男は中学三年生。
ともに受験を控えていた。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞