FC2ブログ

念ずれば

栗橋八坂神社の力石5個のうち、4個まではご紹介しました。

あと1個は、というと、

これです。

IMG_8755.jpg
埼玉県久喜市栗橋北・八坂神社

この石は無刻字の石ですが、もともとこの小祠の脇にありました。

当時の宮司さんが、
「大神輿渡御の担ぎ手たちが担ぐ前の肩慣らしに使った」
とおっしゃった力石の一つです。

知らない人にはただの石ころに見えようとも、
長年、この町の若い衆たちの肩を鍛えた大切な力石だったのです。

こちらは、移転工事中の神社の様子です。

古い鳥居の台石と「享保石」です。

IMG_8871.jpg

灯ろうの足元には亀さんが2匹。

ちょっと不安げです。

「私たち、新しい神社へ行けるかしらねぇ」

栗坂5

先日、近所を散歩中にこんな案山子(かかし)に出会いました。

用済みになった「嘆きの案山子夫婦」です。

妻です。
CIMG5542 (2)

夫はというと、
がんばって起き上がりかけて、力尽きたようです。

思わず、声を掛けてしまいました。

「大丈夫、大丈夫。実りの秋には出番がやってきますから」

CIMG5543 (2)

埋もれた力石や案山子夫婦を心配そうに見ている人が、
もう一人いました。

はるか埼玉県の、とある自販機の横に立つゴミ箱くんです。

IMG_0502.jpg

ちょっと悲し気な目をしたゴミ箱くん、意を決して声をかけました。

「力石くんに案山子さん。
先代のゴミ箱じいちゃんが言ってたよ。

念ずれば花開くって。

でもぼくらは自分では動けないし。
そういうじいちゃんだって年がら年中ここに立って、空き缶ぶち込まれて。

あげくに、
コーヒーだのジュースまみれでガタが来て、最後はゴミ捨て場行きだった。

じいちゃん、
何を念じていたのかなあ。
じいちゃんの花は開いたのだろうか」


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



みんな、埋もれていく

八坂神社の池の底には、3個の力石がありました。

「大橋源太郎」の石は前回ご紹介した通り、土嚢に埋もれていた。

次に斎藤氏の目に入ったのは、植木の根元にあった「三十□」の石。

こちらは13年前の「三十□」石です。
img20210225_16013757 (4)
埼玉県久喜市栗橋北・八坂神社

それが13年後には、こうなっていました。

雑草に埋もれていますが、以前と同じ木の根元にありました。

IMG_8897.jpg

石って不思議なんですよ。

長い年月のうちに、自らどんどん土の中へ潜り込んでいくんです。

こちらの石はまだそこまでいってはいませんが、この先どうなりますか。

CIMG0302_20210309204708784.jpg
静岡市清水区由比西倉沢・倉沢自治会館

下の写真は、木の根と囲いの石に挟まれた力石です。

10数年前に写したものですが、
ここに置かれてからすでに長い年月が経っていました。

当時、これが「力石」だということをご存じだったのは、
御年配の方、たった一人だけでしたから、
今はもう知る人もいなくなったのでは、と思います。

一生懸命探して記録して、後世に伝えてくださいとお願いしても、
あまり効果がなく、虚しくなる。

だんだん、私は何をやっているのだろうか、という気持ちになる。
外部の人間が勝手にやってきて、地元の方にあれこれ要求などして。

これってエゴではないか。自己満足に過ぎないのではないか。

まして無銘の石など、残してなんの価値があるのかとさえ思えてくる。

CIMG0227_20210309210226842.jpg
静岡県賀茂郡東伊豆町稲取・八幡神社

とまあ、ため息をつきつつも、八坂神社に戻らねば。

で、もう一つの人名刻字、「出井友吉」さんの石はどうなっていたかというと、

「以前は左のブルーシートの手前あたりにありました。
ただ池が掘り下げられていて危険なので、近寄るのは断念しました」と斎藤氏。

IMG_8780.jpg
埼玉県久喜市栗橋北・八坂神社

この3個の石はもう助からないかもなあと、またまた虚しい気分に。

埋もれてゆくのは石ばかりではない。

石に込められた人々の大切な思いも歴史的背景も、
それが定めかのように、こうしてみんな埋もれていく。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

ああ、無残!

栗橋八坂神社の力石は全部で5個

2007年に斎藤氏が4個発見。

残り1個は、2020年10月発見の「享保石」で、
発見者は、ブログ「路傍学会」">「路傍学会」の会長さんです。

この新発見の報を受けて、斎藤氏、「こりゃ大変だ」と八坂神社へ。

神社は移転工事の真っ最中。すっかり様相が変わっていました。

石鳥居の向こうが仮殿。後方に新築中の社殿が見えます。

栗坂6

2007年当時、力石は涸れた池の底にありました。

しかしその池も、塀と生垣で囲まれていて様子がつかめません。

IMG_8873.jpg

果敢にも、塀と生垣のすき間から池側に入り込んだ斎藤氏、
池を目の当たりにして、唖然茫然。

2007年当時、立ち会ってくれた宮司さんは、
「明治の石は日清戦争の出征兵士の奉納したものではないか」といい、

さらに、

「大神輿渡御の担ぎ手たちは、神輿を担ぐ前に力石を担いで
肩慣らしをしたという言い伝えがあります」
と、力石のことをよくご存じだった。

「この方なら」と思い、宮司さんに保存をお願いして帰ったのに、
13年目に来てみれば、放置されたまま。

しかも、さらに悪い状態になっていた。

土嚢を敷き詰めたすき間に、見覚えのある石を見つけた斎藤氏、
「二十五メ 舟戸町 大橋源太郎」の力石だと確信。

IMG_8905_20210306174755972.jpg

土嚢をどかしたら「二十五メ 明治」の刻字を発見。間違いなかった。

IMG_8911.jpg

氏子さんの反対にあって、保存を断念したのかもしれないけれど、
これでは、
この神社に戦勝安全祈願を掛けて、お国のためにと戦地へ向かった
「大橋源太郎」さんは、浮かばれません。

あとの石は、と探し始めた斎藤氏の目に、
またも無残な姿力石が…。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

狛鯉(こまこい)

八坂神社の池の底にあった力石。
その二つの石には、「舟戸町」と刻まれていた。

「栗橋町史」によると、この「舟戸(船戸)町」は、利根川の堤外にあって、
渡船場で働く船頭たちが住んでいた町とのこと。

彼らはいずれ劣らぬ力自慢揃いだったという。

下は、栗橋八坂神社付近の地図です。

江戸時代、この利根川沿いに「栗橋宿」(現・埼玉県久喜市)があり、
対岸には「中田宿」(現・茨城県古河市)がありました。

map.png

利根川をはさんだこの二つの宿場は、
日光街道、奥州街道が交差する軍事上の重要な場所だったため、
架橋は許されず、すべて渡船に頼った。

橋が架けられたのはなんと、江戸幕府崩壊から50年余もたった大正13年
その間の交通手段は、ずっと船。船頭さんたち、大活躍です。

江戸時代は、というと下の絵のような感じでした。
絵が見にくい上に、ちょっと傾いてしまいましたがご勘弁。

ピンクの丸が「栗橋宿」

この宿場の続きにあったのが、
「房川(ぼうせん)渡し船頭の屋敷」と呼ばれた「舟戸(船戸)町」。

対岸の黄色い丸が茨城県にあった「中田宿」

赤丸が「栗橋宿の関所」、現在の地図でいうと、利根川橋のたもとあたり。

一般には、「栗橋関所」と呼ばれていたそうですが、
正式名称は、「房川(ぼうせん)渡し中田御関所」といいました。

「栗橋宿」「中田宿」をひっくるめて一つ、という考えだったそうです。

青丸は筑波山です。

jpegOutput (3)
「新編武蔵風土記稿」巻之32、葛飾郡之19 国立国会図書館ウエブサイトより転載

渡船場は「栗橋関所」付近にあって、
旅行者や荷物を運ぶ「茶船」と、馬を運ぶ「馬船」が常備されていたそうです。

歴代の徳川将軍が先祖の家康さんが眠る日光東照宮へ行くときには、
50艘もの船を並べて、臨時の浮き橋を作ったとか。

「日光御社参栗橋渡し船橋之図」。最後の日光社参の図。
image_20210228204847069.jpg

十代家治の安永五年(1776)の時の経費は、
22万3000両。今のお金にして約140億円。
動員された人足23万余人。馬30万5000匹。(亀井・秋田両氏の論文より)

馬30万5000頭って、にわかに信じがたい数字ですが、
これ、みんな民衆から搾り取ったお金ですもんね。ああ、いつの世も…。

で、3年もかけて準備したこの船橋は、将軍がお帰りになったらすぐ解体。
こんな贅沢を19回も。付き合わされた船頭さんも大変でした。

さて、その船頭になる条件はなかなか厳しかったそうで、

20歳から50歳までの心身ともに健康で、
栗橋宿・舟戸町生まれの身元の確かな者とされていた。

力石に刻まれた「舟戸町」には、船頭としての若者の誇りが感じられます。

こちらは栗橋八坂神社の狛犬ならぬ「狛鯉」、「招福之鯉」です。

栗坂3
埼玉県久喜市栗橋北・栗橋八坂神社

なぜ、鯉かというと、洪水と関係があるのです。

なにしろ利根川は洪水常襲河川ですから、人々は常に危険と同居。
そのたびに土地を捨てる「瀬替え」を余儀なくされてきた。

水神の碑にも、
「忍び難きを忍び、小異を捨て大同につくの気概を持って」とあります。

家康さんがいた慶長年間のころ、大洪水がありました。

そのとき、濁流にもまれつつ、なにやら流れてきたのを村人たちが見た。
流れてきたのはなんと、に守られた神輿だったのです。

この神輿は茨城県五霞村(元栗橋)にあった「午頭天王社」のもので、
以来、流れ着いた栗橋宿の総鎮守として、ここに鎮座したとか。

「八坂神社縁起」
栗坂2

で、天王さまが鯉と亀に守られて流れ着いたことから、
それに感謝して村人たちは、祭りを行う6月には鯉を食べないとか。

それなら、6月以外の月には食べてもいいのかなぁなんて、
俗人の私は、ふと思ったのでありました。


※参考文献/「栗橋町史・民俗編」栗橋町教育委員会 2010
     /「利根川に見る河川と市街地の関係性の変遷
      -日光街道栗橋宿を対象にー」亀井優樹 秋田典子
      景観・デザイン研究講演集 2016
     /「洪水常襲地域における水神信仰と水防意識の実体調査・報告書」
      藤岡町古文書研究会 平成18年度
     /「利根川改修計画による栗橋河岸の変化」加藤光子
      文教大学教育学部「紀要」第30集 1996
※写真・情報提供/斎藤氏


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

生きた証しを力石に

13年前の2007年10月、
斎藤氏はこの栗橋八坂神社で、3個の力石を発見します。

3個とも刻字があり、
そのうちの2個には人名、奉納年が刻まれていた。

そのときの石の位置を図に書いてくれました。

栗橋八坂神社1

斎藤氏の説明によると、

「境内の左の方に水のないがあった。

深さは1メートルほどだったので、池の底まで下りて調査。

3個とも池の縁に置かれた状態で、そのうちの1個は植木の根元にあった」

右ページの一番右端、と書かれた力石からお見せします。

img20210225_16013757 (3)
埼玉県久喜市栗橋北・栗橋八坂神社移転前の涸れ池にて
60余×33余×10余㎝

奉納 三十メ 明治廿七年六月 舟戸町 願主 出井友吉」

次に、真ん中のと書かれた力石をご覧ください。

img20210225_16002276 (2)
47余×32×24㎝

二十五メ 明治廿七年六月 納人 舟戸町 大橋源太郎」

気になったのは、この二つの石の奉納年月です。
全く同じなんですね。

これを見た当時の宮司さん、
斎藤氏にこんな感想をもらしたそうです。

「もしかしたら、
出征兵士戦勝安全祈願のために奉納したのではないだろうか」

調べてみると、

日清戦争が勃発したのがこの明治27年で、
日本軍の朝鮮出兵が6月だったのです。宮司さんの推測は当たっていました」
と斎藤氏。

「日清両国戦争図」
jpegOutput (2)
国立国会図書館ウェブサイトより転載

戦地へ向かう若者たちが氏神様に集まって、
戦勝祈願や無事帰ってくることを願って力石を担いだ話は、
各地に残っています。

当地には昭和の大戦中、
この力石を担げたら甲種合格間違いなしと信じ、無事担げたら嬉しくて、
石を担いだまま村中の人に見せて歩いた、そんな話が残っています。

※当時は国による徴兵のための身体検査があり、
 甲、乙などとランク付けされた。重い力石を持てる頑健な若者は甲種合格。
 しかし、そうした若者ほど生きて帰っては来なかった。

この出井友吉大橋源太郎が兵士自身であったのか、
それとも兵士を送りだしたご家族だったのかはわかりません。

ですが力石には、それを担いだ若者の名前を刻みますから、
この二人は兵士自身だったのでは、と私は思います。

明治6年、政府は20歳の男子に兵役を課す「徴兵令」を公布。

ただし、戸主、養子、嗣子、官吏、学生と、多額のお金を支払ったものは免除。
そのため、実際には農村の次男以下が兵役の義務を負わされた。

その後、改正を重ね、明治22年には「国民皆兵制」となった。

日清戦争の戦病死者は1万3311人。

生きた証しを力石に刻んでいったこの二人は、
無事、戦地から戻ってこられたのだろうか。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

フリーエリア
お願い
このブログに掲載されている 写真・記事等には著作権があります。 無断使用はご遠慮ください。
カレンダー
04 | 2021/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
訪問者数
ランキングに参加しています
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR