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愛の石

「かるた」です。

下記のURLは、フットワーク抜群のへいへいさんのブログ記事です。

「カップルに大人気 力石!」

こんな写真とキャプションが登場します。

「愛の石 癒しの空間」

「力石とハート形の石を組み合わせたパワースポットです」

ヘイヘイさん愛の石
埼玉県蕨市塚越・塚越稲荷神社
※ピンクのハートマークは私が勝手につけました。へいへいさんお許しを。

江戸の若者たちのエネルギーがしみ込んだ力石二つを、
「夫婦岩」風にしめ縄で結び、その間に縁起物の玉石。

それを見守るかのようにデンと置かれたハート形の「愛の石」。

  「縁結び任せといてと力石」

頼もしいですねぇ。

でも元はこんなんじゃなかったんです。

10数年前、
埼玉の研究者の斎藤氏が見つけたときはこんなんでした。

img20200120_10573791 (3)
52余×34×34㎝

威厳はあるけれど、鉢巻きまいた頭痛持ちみたいな、
ちょっと「くたびれたじいちゃん」って感じ。

ところが2016年9月に再訪したら、

「どこから持ってきたのか力石が一つ増えていて、
ハートの石と玉石まで置いてあった」

という変わり様。

最初からあった「しめ縄じいさん」(右側の石)は、すっかり若返って、
みちがえるようにピッカピカ。

仲間も増えて誇らしげです。

すでに人気スポットになっていて、
「愛の石」への橋の傍らにはおみくじがびっしり。

1蕨市稲荷

橋に結わえてあった新聞にはこんな記事が…。

「氏子連中が話題の場所にしようとハート形の自然石、球石も置いたところ、
ネットで縁結びスポットと話題になり、若い女性も来るようになった」
 =毎日新聞・2016年8月24日付け=

いいですねぇ。氏子さんたちの遊び心。

長い間、木陰で独りポツネンといじけていた?力石が、
氏子さんたちのアイデアで、こうして生かされ蘇り、
人さまのお役に立っているというのですから。

  「縁結び寂しい人はみなおいで」

昔は力石にさわって安産や子宝祈願をしたそうですし、
健康・長寿、家内安全、学問・スポーツ成就と、
この際、なんでもお願いしちゃうのもいいかも。

「私の写真はハート形の石が不鮮明ですが、
へいへいさんは見事にきれいに撮られていますね」
と斎藤氏。

そのハート形の石、実は私も持っているんです。

ユネスコ遺産になった
あの「天女の羽衣」の三保の海岸で拾ったものです。

これです。
CIMG5111 (3)

手のひらサイズの小さなハートですが、大きな愛を感じます(^∇^)

右も同じ三保海岸で拾ったもので、どちらも4㎝弱の小石。

この石には先っぽや胴体に白い線がグルリと入っていますが、
こういう石を拾って奉納すると願いが叶うといわれています。

塚越稲荷神社の「愛の石」パワーには及ばないけれど、
ささやかながら私は、

この「海からの贈り物」にいつも癒されています。


※画像提供/ブログ「へいへいのスタジオ2010」
       /斎藤
※参考文献/「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007


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偉大なひいじいちゃん

「かるた」です。

 「定七はぼくの偉大なひいじいちゃん」


所沢市・日月神社・肥沼ダ定七 (2)
肥沼家提供

肥沼定七(こいぬま さだしち)=文久元年(1861)七月十二日生まれ。

文久元年といえば幕末の動乱期。
この前年、
勝海舟たちが咸臨丸で、初の太平洋横断へ乗り出して行った。
 
眉目秀麗。
定七さん、なかなかのイケメンです。

その上、力持ちとくれば、村の娘っ子たちの胸を焦がしたはず。

定七の力石です。これを担いだのは二十歳のとき。
所沢市・日月神社・肥沼ダ定七 (3)
埼玉県所沢市北秋津・日月神社。72×39×29㎝ 

 「奉納 三拾五メ目 明治十三年辰一月吉日 肥沼定七」

この立派な台座は、
定七の孫の亞男氏が、平成十七年に奉納。

「石には神様の魂が宿っていて、
その神様の力をいただけたという感謝の気持ちから奉納した
と伝えられています」(北秋津物語)

台座の上に鎮座ましましている石。
知らない人が見たら、「なんだこりゃ?」だろうな。

そこんところが「エヘヘ、ウフフ」なんですけどね。

こちらは肥沼家の蔵の前に置かれた練習用の力石です。

所沢市・肥沼宅2
肥沼宅。54×43×34㎝

で、この「偉大なひいじいちゃん」のひ孫はどなたかというと、
知る人ぞ知る地方財政学の研究者、肥沼位昌(のりあき)氏です。

所沢市役所の職員で、
「図解 よくわかる自治体財政のしくみ」(学陽書房)の著者。

2002年初版から版を重ね、2015年に改訂版を出すというロングセラー。

「定七じいさんが練習をした石はどれなのか父に聞いたところ、
蔵の前のもみじの根元にある石ということがわかった。
その石ならば、私が子どものときから同じ場所に存在している」
 =肥沼位昌氏


 「定七は石もひ孫も世に残し」


※参考文献・写真提供/「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007

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卯之助「う」がつく…

「かるた」です。

  卯之助「う」がつく魚吹(うすき)八幡


CIMG0412 (2)
兵庫県姫路市網干区宮内・魚吹八幡神社

神社社務所前に建つ「卯之助像」です。
三ノ宮卯之助=武州岩槻領三野宮生まれ。
               文化四年~嘉永七年。享年47歳。

天保十一年(1840)、
姫路市網干の廻船仲間たちが卯之助一行を招き、神社境内で興行。

それを踏まえ、平成十八年の社務所再建に際し、
この「稀有の力持ち力士」を後世に伝えるため、
記念として建立したそうです。

故郷・埼玉県からはるか離れた異郷での厚遇

卯之助の人気のほどが偲ばれます。

台座にはめ込まれた興行引き札です。
CIMG0413_20200109093114a44.jpg

  「江戸力持三ノ宮卯之助」

本物はこちらです。

現在は三重県総合博物館「みえむ」にあります。

※この引き札の版木は、
  越谷市郷土研究会常任理事で、卯之助研究者の高崎 力氏が
  昭和26年、卯之助生家で発見したもの。

  生家ではそんな貴重なものとは思わず、まな板代わりに使っていたので、
  傷だらけだったそうです。

CIMG4756 (4)
高島愼助先生寄贈。34.3×46.5㎝

わかりやすく復刻したのがこちら。

img20200108_21180089 (3)

卯之助銘の現存力石は力持ちの力士中で最多39個

この像の台座にある6個の力石のうち、卯之助銘の石は2個。

そのうちの一つに「江戸力者三ノ宮卯之助曲持があります。
この「曲持」刻字の力石は、全国で唯一のものです。
 
曲持(きょくもち)=体のどこにも触れることなく石を持ち上げたり、
             仰向けに寝て両足で高く上げたり、
             上げた石を足底でくるくる回したり蹴り上げたりする技。

こちらは、
卯之助の生誕200年記念イベントのポスターです。

2007年、生誕地の現・埼玉県越谷市で開催。

CIMG4771 (2)
三重県総合博物館蔵。高島先生寄贈。64×46.5㎝

こんなのもあります。

稲荷神社(埼玉県桶川市)にある卯之助の、
日本一重い「大盤石」(610㎏)を模したお守りとお饅頭です。

img756.jpg img792_202001091906510b7.jpg
桶川稲荷神社の「大盤石守」と力石饅頭「大盤石」(桶川市寿の栄屋菓子舗)

  山は富士山、力士は卯之助

饅頭やお守りまであるのは卯之助だけ。まさに力持ち界の最高峰です。

お守り持って、まんじゅう食べて、

  卯之助「う」がつく運が付く

      -----◇----- 
  
     =卯之助像の制作者について=

魚吹八幡神社へ問い合わせたところ、宮司さまの澤 弘隆氏から、
以下の丁寧なお返事をいただきました。

「原案ポーズなどは過去の写真を参考にしながら、
宮司が絵(スケッチのようなもの)を描きました。

また写真・FAXも参考にしながら、制作現場と打ち合わせて進めました。
製作工場は中国厦門(アモイ)の石工房です」

ありがとうございました。

それにしても宮司さん自ら制作に、という並々ならぬ熱意、
力石に携わる者にとって、こんな嬉しいことはありません。


※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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