よいさよいさ
歴史を塗りかえた発見!
「この八幡神社の創建は寛文二年(1662)なんですよねぇ」
野田市の文化財保護審議会の委員で、
金石文の研究者・石田氏が、ふとつぶやいたこの言葉。
そういわれれば、万治石の刻字は1661年だから、
石が奉納されたとき、八幡さまはまだなかったはず。
確かに変だ。
「変ですか?」と八幡さまのパンダくんとラッコさん。

千葉県野田市今上・八幡神社
同じ今上にある稲荷神社は万治三年となっているから、
ここなら計算があう。
この稲荷社は田中吉右衛門なる人物の氏神だったそうですから、
ひょっとして、
八幡神社も最初はだれかの屋敷神だったかもしれません。
もう一つ考えられることは、
以前,境内社の一つだった「大杉神社」の存在です。
大杉神社の総本山は常陸内湾の茨城県稲敷市阿波にあって、
大きな杉の木が立っていたため、海上交通の目印になっていたとか。
古名「あんばさま・大杉大明神」
大杉神社のHPによると、創建は奈良時代。
あの万葉集ができたちょっとあとですから古いです。
こんな伝説があるそうです。
勝道上人という人が疫病に苦しむ人々の救済をこの大杉に祈願したら、
奈良の三輪明神が飛んできて大杉に宿り、たちまち病魔を退散させたー。
「飛び神明」というものですが、日本の神さまは元祖「すぐやる課」かも。
「ぼくは重くて飛べません」と万治石。

大杉神社といえば、滋賀県彦根市にもあるそうで、
いつも渾身の取材をされている下記のブログに詳しく掲載されています。
茨城県の大杉神社と関わりがあるかはわかりませんが、
大変興味深い記事なので、ぜひお読みください。
「神秘と感動の絶景を探し歩いて」
江戸の中期、八代将軍吉宗の享保十二年(1727)三月、
この大杉大明神の神輿が「ハヤリ神」となって江戸へなだれ込み、
江戸庶民を熱狂させます。
「安葉(あんば)大杉大明神
悪魔払ふてよいさ 世がよいさ よいさ、よいさ」
そう囃子ながら踊り狂う民衆を見て、幕府は弾圧に動きます。
大杉大明神の信仰圏は栃木、茨城、千葉の主に利根川流域で、
船運業に携わっていた人々が信仰していたそうですから、
今上に分祀されたことは当然と言えば当然ですよね。
今上の船頭さんたちの船の守り神・フナダマサマは、
もちろんこの「あんばさま」です。
ひょっとして最初に創建されたのはこの「あんばさま」か?
とも思いましたが、確証はない。
「よいさよいさ。
400年もここにおったんだしな。これからもずっといてくれよ」

「撫でられて力みなぎる万治石」 雨宮清子
枯れかかった頭であれこれ推測、邪推、奇想天外の空想に浸りつつ、
こんなことも考えました。
ひょっとして、あの「弁慶石」が鴨川の洪水で流されて、
京都三条に鎮座したみたいに、
万治石も江戸川の洪水と共にこの地にやってきたのかも。
そうと思えば、
また別のおとぎ話が生まれます。
※参考文献/野田市民俗調査書1「今上・山崎の民俗」
野田市市史編さん委員会 平成7年
/「民俗神道論」宮田登 春秋社 1996

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野田市の文化財保護審議会の委員で、
金石文の研究者・石田氏が、ふとつぶやいたこの言葉。
そういわれれば、万治石の刻字は1661年だから、
石が奉納されたとき、八幡さまはまだなかったはず。
確かに変だ。
「変ですか?」と八幡さまのパンダくんとラッコさん。

千葉県野田市今上・八幡神社
同じ今上にある稲荷神社は万治三年となっているから、
ここなら計算があう。
この稲荷社は田中吉右衛門なる人物の氏神だったそうですから、
ひょっとして、
八幡神社も最初はだれかの屋敷神だったかもしれません。
もう一つ考えられることは、
以前,境内社の一つだった「大杉神社」の存在です。
大杉神社の総本山は常陸内湾の茨城県稲敷市阿波にあって、
大きな杉の木が立っていたため、海上交通の目印になっていたとか。
古名「あんばさま・大杉大明神」
大杉神社のHPによると、創建は奈良時代。
あの万葉集ができたちょっとあとですから古いです。
こんな伝説があるそうです。
勝道上人という人が疫病に苦しむ人々の救済をこの大杉に祈願したら、
奈良の三輪明神が飛んできて大杉に宿り、たちまち病魔を退散させたー。
「飛び神明」というものですが、日本の神さまは元祖「すぐやる課」かも。
「ぼくは重くて飛べません」と万治石。

大杉神社といえば、滋賀県彦根市にもあるそうで、
いつも渾身の取材をされている下記のブログに詳しく掲載されています。
茨城県の大杉神社と関わりがあるかはわかりませんが、
大変興味深い記事なので、ぜひお読みください。
「神秘と感動の絶景を探し歩いて」
江戸の中期、八代将軍吉宗の享保十二年(1727)三月、
この大杉大明神の神輿が「ハヤリ神」となって江戸へなだれ込み、
江戸庶民を熱狂させます。
「安葉(あんば)大杉大明神
悪魔払ふてよいさ 世がよいさ よいさ、よいさ」
そう囃子ながら踊り狂う民衆を見て、幕府は弾圧に動きます。
大杉大明神の信仰圏は栃木、茨城、千葉の主に利根川流域で、
船運業に携わっていた人々が信仰していたそうですから、
今上に分祀されたことは当然と言えば当然ですよね。
今上の船頭さんたちの船の守り神・フナダマサマは、
もちろんこの「あんばさま」です。
ひょっとして最初に創建されたのはこの「あんばさま」か?
とも思いましたが、確証はない。
「よいさよいさ。
400年もここにおったんだしな。これからもずっといてくれよ」

「撫でられて力みなぎる万治石」 雨宮清子
枯れかかった頭であれこれ推測、邪推、奇想天外の空想に浸りつつ、
こんなことも考えました。
ひょっとして、あの「弁慶石」が鴨川の洪水で流されて、
京都三条に鎮座したみたいに、
万治石も江戸川の洪水と共にこの地にやってきたのかも。
そうと思えば、
また別のおとぎ話が生まれます。
※参考文献/野田市民俗調査書1「今上・山崎の民俗」
野田市市史編さん委員会 平成7年
/「民俗神道論」宮田登 春秋社 1996

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