東京、大阪、タイランド
みなさまからの力石
「みなさまからの力石」、続きます。
今回はすでにみなさまお馴染みの方お一人と、初登場のお二人です。
ーーお一人目はブログ「路傍学会」の路傍学会長さんーー
2か所、ご紹介します。
記録済みの力石ですが、19年たったらこんなにきれいになりましたという、
ビフォー、アフターをご覧ください。
● 熊野神社(東京都杉並区天沼)
ビフォー ただ地面に転がしてあります。
でも、これが本来の姿ではありますが…。

「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003より
アフター。オオーッ、これは!

①46余×47×24㎝ ②50余×45×24㎝
「奉納 三十メ」「奉納 四十メ 喜蔵」
すごい変わりようです!
年月が経るごとに放置される石が多い中、こんなにきれいに磨かれて…。
前の写真、違うのを載せちゃったのかと思うくらい変わりました。
担ぐ人がいなくなって捨てられるより、こうして生まれ変わって、
みなさまに親しんでいただけるのはありがたい、と力石も言っております。
「路傍祠のLandscape53」
会長さんによると、説明版に、
「神の御前で勇姿を見せ祈願した」と彫られているそうです。
● 白山神社(東京都大田区東嶺町)
ビフォー

「東京の力石」より
こちらは19年前もきちんと保存されていました。
「三十五貫目 峯村」「三十メ」
アフター。さらに進化。

①66余×37×28㎝ ②58余×41×26㎝
出世して「縁結びの神様」になりました。
コンクリートで固められていたものを一度掘り起こし、
新たに玉砂利を敷いたみたいですね。神々しいです。
もはや力石として活躍した昔日の面影はなくなりましたが、
これも時代ですね。
真ん中に置かれた石は
型の石でしょうか。
この「女」「男」の札は、昨年までは掛けてなかったみたいです。
恋占いのおみくじを置いて、
力石の前あたりにおみくじを結ぶ場所があったら、なおいいですね。
「青面金剛のLandscape369」
力石ではありませんが、会長さんが見つけた
そこはかとなく切なくて、やがて笑いがこみあげてくる、
「昭和生まれの店主」の意地と根性の張り紙をご覧ください。


「そうだそうだ! 何が悪い。姫も昭和生まれだい!」
詳しくは下記のURLへどうぞ。
「界隈のLandscape95」
--お二人目はブログ「晴耕雨読-田野登-」の田野登先生ですーー
田野先生は「大阪民俗学研究会」の代表をされている民俗学者さん。
ほかに「大阪春秋」編集委員、大阪区民カレッジ講師、大阪あそ歩ガイドなど、
多方面に精力的に活動をされていて、「ちっともジッとしていない」方。
その先生が力石をご紹介くださっています。
● 三社神社(大阪市港区磯路)
「さし石」

54余×37×24㎝
ある日、ガイド場所の下見に出かけた先生、
「かつての市岡新田会所の場所へ」
たどり着いたのは波除公園。
「この場所ってホンマの場所?」
そこで、
「古地図や古写真から、新田会所のホンマの場所を推測」
さらに西進。
「地元のウジガミサン三社神社の鳥居の傍らに謎の石、発見」
「さし石です。力石です」
「三社神社は近世は現在地より北東の市岡新田会所の南東の一画に鎮座。
近代になって遷座を繰り返し、
その後、嵩上げ工事が完了した現在地に鎮座した。
宮司さんが、この石は港湾関係の人と関係があるのではないかと話していた」
と、田野先生。
「幻の市岡新田を歩く」
先生、もっともっと見つけて、
「大阪あそ歩」参加のみなさまに見せてあげてください!
ーー三人目はブログ「ちい公ドキュメントな日々」のちい公さんーー
大阪とタイランドを忙しく行き来しています。
奥さまはタイの方で、可愛い「魔女」のPERNさん。

PERNさんのブログ「魔女の手紙タイランド」もぜひ、ご覧ください。
タイの暮らしや歴史、子供の遊びなどに日本との共通点があるなど、
興味深い事柄がたくさん出てきます。
さて、ちい公さん、ある日、力石探しにアユタヤへ出かけました。
「石を探してアユタヤ王朝を」
「アユタヤのお話 ①」
アユタヤは駿府(静岡市)生まれの山田長政がいた町です。
江戸の初期、朱印船に乗ってタイへ渡り政府高官に上りつめたという人物。
市内に建つ長政の胸像です。マスクをしています。

「空ゆく雲のようにいつも自由でありたい」と夢見る「浮雲」のちい公さん。
アユタヤの遺跡を自在に動き回ります。
そして、
「この石もしかして…。ま、まさか」

意図的な置き方だけど、確証はないしねぇ。
「アユタヤ遺跡にて」
後日、メールで、
「アユタヤ探索では、力石らしき石には巡り合わず」
寺院の関係者に聞いたら、
「歴史遺跡のような場所より、豊作を祈ったり祝ったりする
カントリーサイドの寺院をあたるべきだ」と。
そこで田舎出身の人から情報収集したら、石の写真が届いた。
これ、何かの祭祀跡みたいですねぇ。
環状列石(ストーンサークル)かなぁ?

下の写真も同じ場所みたいですが、これ、石棒(男根)かなぁ?
環状列石の真ん中にはこういう立石が立ててあって、
縄文人の墓なんていわれていますよね。また太陽信仰を伴っていたとも。
円を描くように石を配置するのは、お母さんの子宮のつもりで、
そこに死者を入れて、命の再生を願ったということのようです。
なぜ太陽信仰が伴うかというと、
太陽の光を浴びて子供を授かったという信仰があったからなんです。
で、生命の誕生を望むのなら、石棒(陽石)が必須だし。
こんなことを言うと考古学者に笑われますけど、
私は古墳も同じではないかと思っているんです。
前方後円墳でいうと、
遺体を安置した円墳部分が子宮で蘇りの場所、方墳部分が産道。
古墳の周りの水は羊水。
どんなもんでしょう?
古代から人は、いったん浄土に行き、再びこの世に生まれ出る
「生まれ清まり(替わり)」を願っていたし。
とかなんとか。
でも、物事は柔軟に考えなくちゃね!
力石とは全然違うけど、タイのこれはこれでおもしろい! 興味深々です!

「詳しい調査はやはり現地へ行かなければどうにもならず。
コロナの終息待ちです。
しかしアンテナを広げておれば、何かが飛んでくるでしょう。
粘り勝負になりそうです」と、ちい公さん。
私も粘り強く待ってまぁーす!
ーーーお知らせーーー
岐阜の大江誉志さんがテレビに出ます。力石を担ぎます。
NHK名古屋放送局「東海ド真ん中!」
● 放送日は15日19時30分~19時55分(愛知・岐阜・三重)
● 再放送は16日9時30分~9時55分(上記の県+静岡)

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今回はすでにみなさまお馴染みの方お一人と、初登場のお二人です。

2か所、ご紹介します。
記録済みの力石ですが、19年たったらこんなにきれいになりましたという、
ビフォー、アフターをご覧ください。
● 熊野神社(東京都杉並区天沼)
ビフォー ただ地面に転がしてあります。
でも、これが本来の姿ではありますが…。

「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003より
アフター。オオーッ、これは!

①46余×47×24㎝ ②50余×45×24㎝
「奉納 三十メ」「奉納 四十メ 喜蔵」
すごい変わりようです!
年月が経るごとに放置される石が多い中、こんなにきれいに磨かれて…。
前の写真、違うのを載せちゃったのかと思うくらい変わりました。
担ぐ人がいなくなって捨てられるより、こうして生まれ変わって、
みなさまに親しんでいただけるのはありがたい、と力石も言っております。
「路傍祠のLandscape53」
会長さんによると、説明版に、
「神の御前で勇姿を見せ祈願した」と彫られているそうです。
● 白山神社(東京都大田区東嶺町)
ビフォー

「東京の力石」より
こちらは19年前もきちんと保存されていました。
「三十五貫目 峯村」「三十メ」
アフター。さらに進化。

①66余×37×28㎝ ②58余×41×26㎝
出世して「縁結びの神様」になりました。
コンクリートで固められていたものを一度掘り起こし、
新たに玉砂利を敷いたみたいですね。神々しいです。
もはや力石として活躍した昔日の面影はなくなりましたが、
これも時代ですね。
真ん中に置かれた石は

この「女」「男」の札は、昨年までは掛けてなかったみたいです。
恋占いのおみくじを置いて、
力石の前あたりにおみくじを結ぶ場所があったら、なおいいですね。
「青面金剛のLandscape369」
力石ではありませんが、会長さんが見つけた
そこはかとなく切なくて、やがて笑いがこみあげてくる、
「昭和生まれの店主」の意地と根性の張り紙をご覧ください。


「そうだそうだ! 何が悪い。姫も昭和生まれだい!」
詳しくは下記のURLへどうぞ。
「界隈のLandscape95」

田野先生は「大阪民俗学研究会」の代表をされている民俗学者さん。
ほかに「大阪春秋」編集委員、大阪区民カレッジ講師、大阪あそ歩ガイドなど、
多方面に精力的に活動をされていて、「ちっともジッとしていない」方。
その先生が力石をご紹介くださっています。
● 三社神社(大阪市港区磯路)
「さし石」

54余×37×24㎝
ある日、ガイド場所の下見に出かけた先生、
「かつての市岡新田会所の場所へ」
たどり着いたのは波除公園。
「この場所ってホンマの場所?」
そこで、
「古地図や古写真から、新田会所のホンマの場所を推測」
さらに西進。
「地元のウジガミサン三社神社の鳥居の傍らに謎の石、発見」
「さし石です。力石です」
「三社神社は近世は現在地より北東の市岡新田会所の南東の一画に鎮座。
近代になって遷座を繰り返し、
その後、嵩上げ工事が完了した現在地に鎮座した。
宮司さんが、この石は港湾関係の人と関係があるのではないかと話していた」
と、田野先生。
「幻の市岡新田を歩く」
先生、もっともっと見つけて、
「大阪あそ歩」参加のみなさまに見せてあげてください!

大阪とタイランドを忙しく行き来しています。
奥さまはタイの方で、可愛い「魔女」のPERNさん。

PERNさんのブログ「魔女の手紙タイランド」もぜひ、ご覧ください。
タイの暮らしや歴史、子供の遊びなどに日本との共通点があるなど、
興味深い事柄がたくさん出てきます。
さて、ちい公さん、ある日、力石探しにアユタヤへ出かけました。
「石を探してアユタヤ王朝を」
「アユタヤのお話 ①」
アユタヤは駿府(静岡市)生まれの山田長政がいた町です。
江戸の初期、朱印船に乗ってタイへ渡り政府高官に上りつめたという人物。
市内に建つ長政の胸像です。マスクをしています。

「空ゆく雲のようにいつも自由でありたい」と夢見る「浮雲」のちい公さん。
アユタヤの遺跡を自在に動き回ります。
そして、
「この石もしかして…。ま、まさか」

意図的な置き方だけど、確証はないしねぇ。
「アユタヤ遺跡にて」
後日、メールで、
「アユタヤ探索では、力石らしき石には巡り合わず」
寺院の関係者に聞いたら、
「歴史遺跡のような場所より、豊作を祈ったり祝ったりする
カントリーサイドの寺院をあたるべきだ」と。
そこで田舎出身の人から情報収集したら、石の写真が届いた。
これ、何かの祭祀跡みたいですねぇ。
環状列石(ストーンサークル)かなぁ?

下の写真も同じ場所みたいですが、これ、石棒(男根)かなぁ?
環状列石の真ん中にはこういう立石が立ててあって、
縄文人の墓なんていわれていますよね。また太陽信仰を伴っていたとも。
円を描くように石を配置するのは、お母さんの子宮のつもりで、
そこに死者を入れて、命の再生を願ったということのようです。
なぜ太陽信仰が伴うかというと、
太陽の光を浴びて子供を授かったという信仰があったからなんです。
で、生命の誕生を望むのなら、石棒(陽石)が必須だし。
こんなことを言うと考古学者に笑われますけど、
私は古墳も同じではないかと思っているんです。
前方後円墳でいうと、
遺体を安置した円墳部分が子宮で蘇りの場所、方墳部分が産道。
古墳の周りの水は羊水。
どんなもんでしょう?
古代から人は、いったん浄土に行き、再びこの世に生まれ出る
「生まれ清まり(替わり)」を願っていたし。
とかなんとか。
でも、物事は柔軟に考えなくちゃね!
力石とは全然違うけど、タイのこれはこれでおもしろい! 興味深々です!

「詳しい調査はやはり現地へ行かなければどうにもならず。
コロナの終息待ちです。
しかしアンテナを広げておれば、何かが飛んでくるでしょう。
粘り勝負になりそうです」と、ちい公さん。
私も粘り強く待ってまぁーす!

岐阜の大江誉志さんがテレビに出ます。力石を担ぎます。
NHK名古屋放送局「東海ド真ん中!」
● 放送日は15日19時30分~19時55分(愛知・岐阜・三重)
● 再放送は16日9時30分~9時55分(上記の県+静岡)

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