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お知恵拝借

力石に刻まれた文字が読めなくて困っています。

みなさまからお知恵をたまわりたいと思っております。

大阪市淀川区十三東の神津神社力石です。

淀川区十三東・神津神社2

文字の部分だけ大きくします。

淀川区十三東・神津神社2 (2)

扌(手)編に電(でん)という文字に見えますが、そういう文字はないんです。

扌(手)編に雷(らい)ならあります。「擂」(らい。する)。

「擂」には、直接手でその物に触れなくても特別な力で動かせる、
みたいな意味もあるようです。

(らい)はいかづち、雷鳴のことで、(ゴロゴロ)を意味し、
(でん)はいなづま、電光のことで、(ピカッ)を意味します。

まあ、どちらも神鳴(成)り(かみなり)さまなんですが…。

ここで知ったかぶりを一つご披露します。

雷が鳴ると雨が降って稲がよく育つ。
だから神鳴り稲成りで、それが稲荷になった。

神社のしめ縄、
これは(蛇)の雌雄が絡み合っている姿。
沖縄などの綱引きでは、雄綱、雌綱で引き合いますしね。

で、
龍(蛇)は水の神さまだから、昔の人は日照りが続くと、
龍神さまが住むという池や滝つぼへ雨乞いに行きました。

最初は若い娘が踊って龍神さまを楽しませ、それでも効き目がなかったら、
龍が怒ってゴロピカ暴れ出すのを期待して、牛の生首を池へ投げ込んだ。

だから「牛首」という地名のほとんどは、かつての雨乞いの場所なんです。

そのしめ縄から下がっている白い紙、紙垂(しで)といいますが、
これは稲妻・稲光りを現わしています。

稲妻があたると稲がよく育ち、おいいしいお米がたくさんできる、
そういう民俗を今に生かしたお米が群馬県で作られました。

コシヒカリと月の光を交配させてできたお米で、
そのものずばり、「ゴロピカリ」と命名したそうです。

さすが雷で有名な群馬!

江戸時代、そのカミナリの音と光を四股名にした史上最強の相撲取り
「雷電為右衛門」という人がいました。

下の写真は雷電が運んだと伝えられている「雷電の力石」です。
しめ縄がかけられた平たい大きな石の方です。

雷電の生誕地は信濃の大石村というんですから、これまた嬉しい。

img035_20190813191437e5c.jpg
長野県長野市東町・武井神社

「ゴロピカリ」は、品不足になるほど大人気のお米だそうですから、
まさにお米界の雷電

映画「眠狂四郎」を演じた市川雷蔵という俳優もいました。
「らいさま」なんて呼ばれていたけれど、思えば凄い名前ですね。

石の刻字に戻ります。

よく見るとこの文字、扌編ではなく、禾(ノギ編)のようにも見えます。
それですと、ぴったりくるのが、「穐」(あき、しゅう)という文字です。

「穐」「秋」の本字です。実りの秋を意味します。

「龍」のくずし字にもなんとなく似ています。

こちらは大阪市住吉区墨江1丁目の子安地蔵寺の力石「龍虎」です。

img034_2019081119335347d.jpg

どうでしょう。

神津神社の力石の文字に似ていませんか?
でも、専門家から「龍ではありません」とバッサリ。

それじゃあ何?となると、
学芸員さんも古文書の研究者もお手上げなんです。

「こうではないかなあ」「こうかもしれない」ー、
なんでも結構です。

どしどしお寄せ下さい。お待ちしています!

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広報紙に掲載されました!

埼玉県川越市の広報紙に「力石」が掲載されました。

情報をお寄せくださったのは、川越市在住で、
ブログ「山の彼方に」の管理人さんの安田和弘氏です。

本当に嬉しい!!

「広報 川越」の中のシリーズ「川越時間旅行」に、
「力自慢たちのモニュメント」として、

市内元町二丁目の六塚稲荷神社の力石をご紹介くださったのです。

この神社は、船運が盛んだった新河岸川のそばにあるそうです。

「広報 川越」です。

1広報川越
平成31年3月10日発行 川越市役所広報室 埼玉県川越市元町1丁目3-1  

赤い四角の部分が文化財保護課の方による力石の記事です。

2広報川越

記事を大きくしたのがこちら。
「力自慢たちのモニュメント」
3のあ広報川越
下に続く
3のい広報川越
石の大きさは49×33×15㎝

石刻は、
「懐中石 宝暦十二年三月 高澤町 忍田屋 峰徳七」

「懐中石」とはまた、変わった命名ですね。

たぶん、忍田屋の徳七さん、
「こんくれえの石なんぞ俺にとっちゃ、懐(ふところ)へ入れられるほどのもんだ」
と大見得切って、川越っ子の心意気を示したのでしょう。

実は、徳さん自慢のこの力石、
現在、年次刻字石として川越市最古の石なんです。
※宝暦十二年(1762)

ちなみに、
埼玉県最古の力石は、久喜市樋ノ口の八幡神社にあります。
年号は「懐中石」より130年も昔の寛永九年(1632)。
しかもこの石、日本で一番古い年次刻字石でもあるのです。

埼玉県は力石の宝庫で、なんと日本一が4つも。
力石の数が日本最多、日本一の力持ち・三ノ宮卯之助の出身地、
610Kgもの日本一重い力石がある、そして日本最古の力石を所蔵。

こんなすごい埼玉県の中にあって、
こうして広報紙に載せていただいたのですから、

徳七つぁん、川越っ子の面目躍如。

大見得切った甲斐があったよね!

新発見と調査中の力石

ここでちょっと、力石新発見のニュースです。

お一人目は埼玉県川越市安田和弘さんからの情報です。
山歩きのブログ「山の彼方に」を書かれている方です。

以前、埼玉県川越市の
「藤間・諏訪神社」の力石(2017・6・11掲載)をご紹介くださったのですが、
その折り安田さんは、まだ幼かったころ、今は亡き祖父が、
「これはおじいちゃんが使っていた「ためしいし」だよ」
と言っていたのを思いだし自宅の庭を探したものの、そのときは見つからず。

この「ためしいし」というのは、「力試しの石」のことです。

ところが先日、玄関先の柘植の庭木を剪定中、その根元に石を発見。
祖父のあとにくっついて遊んだり座ったりしていた思い出の石との、
60年ぶりの対面になったそうです。

氏神さまの諏訪神社での力比べで見事、石を担げるよう、
この石でひそかに練習に励んでいた若き日のおじいちゃんの姿が
ほうふつとしてきます。

なにしろ当時は、力自慢の若者は女の子にもてましたから。

おじいちゃんが残していった「ためしいし」です。
の力石安田家
長径45×高さ35×?㎝

「自然石のようですが、ここらは川の下流域で石はありませんから、
かなり上流から持ってきたのでは、と思います」と安田さん。

諏訪神社は子供のころの遊び場でしたから、
当然力石を目にしていたはずですが、まったく知らないままできました。
力石というものを知って初めて、これがそうだったのかと」

そんなものですね。
私も力石を知ってから改めて、「そう言えばあのとき見たあれが…」と。
だから、知ってくださる方が増えるのは本当にうれしい。
それがおじいさんとの思い出につながったのですから、なおうれしいです。

お二人目は島根県在住のちょびさんです。
写真の素晴らしさが際立つブログ「ネコと趣味の創作人形」
ブログ主さんです。

ちょびさんちのちょびクンです。ちょび髭に白靴下、タキシードの紳士です。
ちょび

今まで力石の存在を知られていなかった島根県江津市有福八幡宮です。

福江津市有

赤っぽい丸い石が力石です。
大黒天や干支の置物などもあって、
行き場のないいろんなものが肩を寄せ合っているといった風情ですが、
力石は説明板も付けられて、ちゃんと力石と認識されて保存されています。

3江津市

今まで散逸もしないで、よくぞ残しておいてくださった。
八幡宮さんと地域の方に感謝です。

説明板にはこう書かれています。

「ここは中世の山城だったところで、地頭・有福実長の居城だった。
そしてこの石は平素より家来たちが身体鍛錬のため使っていたもので、
家来たちが戦場から無事に帰る「福授けの石」とも
言い継がれている」

近代になってからも戦争のたびに、戦場に向かう若者や父母たちは、
この石を撫でて無事帰還を願ったのではないでしょうか。

説明板です。
石江津市

三人目の方は古代史に造詣が深く、狛犬、神社など楽しく発信されている
「無責任男の呟き」minekazeyaさんです。

お寄せいただいた力石は、今まで未発見のものでしたが、
つい最近報告があり、師匠の高島先生が調査に着手したばかりの石でした。
一足遅れで新発見にはならなかったのですが、
神社の由緒や奉納者銘など興味深いものなので、ご紹介します。

福岡市中央区・中司孫太郎稲荷神社です。
2孫太郎稲荷

力石です。

1孫太郎稲荷

ここにあるのは、
横綱玉の海の優勝記念の力石2個と、大関栃光の力石2個。

同じ福岡市博多区の櫛田神社はお相撲さんが奉納した力石で有名ですが、
ここにもあったんですね。

安田さん、ちょびさん、minekazeyaさん、
貴重な情報、ありがとうございました。

今後もみなさまからの情報、お待ちしております。

立派に保存されました

このブログをお読みくださっている方々から、
「力石、ありましたよ」との情報をいただくことが多くなりました。

本当にありがたい。

友人たちから、「観光で神社へ行くと、つい力石を探してしまう」と言われました。
シメシメと、私はほくそ笑んでおります。

またご自分のブログに、
行った先々で見かけた力石をアップしてくださる方も増えました。

中でもダントツなのは、東京都とその周辺を中心に、
見過ごしがちな路傍の遺物を丹念に訪ねて歩かれている
ブログ「路傍学会」の路傍学会長さんです。

関東大震災をくぐり抜けてきたレンガの塀
昭和8年の国旗掲揚塔にはめ込まれた在郷軍人会の徽章
吐水口がゆかりの梅の花になっていた天神様の手水鉢。
琺瑯(ほうろう)製の古い看板や住居表示などなど。

特に目を引くのは、
青面金剛像のさまざまな表情を丁寧に調査されていることです。
そして、
行く先々で見かけた力石もたくさん紹介してくださっている。

今回、ご了解をいただきましたので、そんな一つをご紹介します。

2屋敷神
東京都江戸川区松本1 個人宅  路傍学会長さん撮影

この写真は会長さんが2016年に撮影したものですが、
石の置かれた状況は、以前はこんな立派ではなかったのです。

順を追って説明します。

1999年「江戸川区の力石」(鷹野虎四)には、
9個確認されていたようですが、 
2003年「東京の力石」(高島愼助 岩田書院)では、
9個のうち2個不明で7個確認。

以下は2003年当時の記録です。

① 「さし石 大玉子石」  37余×38×31㎝

② 「七十五メ 本一色邑 無題 亀楽 金平 若□ 覚藤 
   元飯田町
 □□ 司」  55余×50×38㎝ 

「さし石 松本 平助」  55×40×35㎝
 
ほか無記銘の石4個。

そして2016年の路傍学会長さんの写真には4個写っています。
9個から7個、そして4個に減ってしまった。
でももしかしたら、裏側に並べてあるのかもしれません。

再調査してみなければなんともいえません。

さて、2003年当時はどんな状況だったかというと、

こんな感じ
2個見えていますが、ちょっと悲しい状況ですね。
img079 (2)
「東京の力石」より
 
ここにもありましたが…
あらら、植木鉢の置台になっちゃってます。

でもこの状態、わかる気がします。

だってご子孫の方にしてみたら、
わけのわからない、ただの邪魔な石でしかないわけだし。
でもそうかといって、
ご先祖が大事にしていたものだから捨てるわけにもいかないし。

img079.jpg

こちらは同じ番地の別のお宅の力石です。
このお宅は、一之江新田開発の旧家で、
2003年当時のご当主は18代目とのこと。

img079 (3)
80余×54×20㎝

「不老石 □□□□ 五郎 久蔵 金蔵 金助」

1999年当時は3個確認できたそうですが、2003年にはこれ1個だけ。
この石は藁打ち台に使い、別の1個は大黒柱の土台石にしたそうです。

昔、深川の洲崎遊郭力持ち大会があったとき、
この家の人が参加して見事に持ち上げた。
その褒美として石とお金をもらい船で運んできた。
それがこの石の由来です。

当時のご主人は、
「石の平蔵」の異名を持つ亀嶋平蔵などと親交があったそうですから、
かなりの力持ちだったのではないでしょうか。

丈が80余㎝もあるこの「不老石」
最後の調査からすでに14年。今、どうなっているのか気になります。

さて
先にご紹介した植木鉢の土台になっていた石、その後どうなったかというと、
立派に保存してくださっていました。
それが路傍学会長さんの写真で判明したのです。

本当に嬉しい。少々数が減ろうとも、持ち主の方に感謝です。

だってほとんどの力石はこの逆で、
放置され土に埋もれ忘れられていくという寂しい結末が多いのですから。

どうですか
赤い鳥居に屋敷神の祠。その土台を支えるように並んだ力石。

になります。美しいです。
これぞ日本の風景。 やすらぎを覚えます。

1屋敷神
路傍学会長さん撮影

会長さん、ブログでこんな感想を漏らしておりました。

千葉街道に面した場所で、フェンス越しに見つけました。
個人宅屋敷神に力石が奉納されているのも初めて見ました。
これも街歩きの楽しみであり、路傍学会の興味は尽きない」

出ましたね!
「路傍学会の興味は尽きない」

これ、会長さんの口ぐせ、ですよね!

藤間諏訪神社の力石

ブログ「山の彼方に」安田和弘さんから力石の情報です。

安田さんは経験豊富な山のベテランで、難度の高い山歩きをされています。
しかしブログの山行記録は、居ながらにして、
どなたをも難なく山の頂へ連れて行ってくださるように書かれています。

素人の私などがとうてい目にすることができない写真がたくさん出てきます。
ぜひブログへ訪問してくださり、
安田さんと一緒に山歩きを楽しんでいただきたいと思います。

このたびお寄せいただいた川越市・藤間諏訪神社の力石は、
すでに「埼玉の力石」(高島愼助 岩田書院 2007)に掲載済みですが、
なにしろ、
確認された力石が約2600個という日本最多の数を誇る埼玉県ですから、
写真もモノクロで小さくしか載せられませんでした。

そこで、
地元の方が鮮明に写した力石と地元の方ならではのお話をぜひお聞きください。

2個あります。
安田力石の位置_4906
埼玉県川越市藤間346・藤間諏訪神社

「地元のお祭りで神社の掃除と後片付けに行ったとき見つけました。
子供のころ遊んだ場所ですが、半世紀以上、気が付きませんでした」

「そのころ、うちのじいちゃん、大関だったという友達がいました。
相撲の大関とは思えないし、ひょっとして力持ちの大関だったのか?」

一つ目がこちら。
安田藤間諏訪神社力石Ⅰ_4902
55×40×27㎝

  「三十六メ目 氏子中」

「このあたりは鉄道が敷かれる前は、
新河岸川の舟運が盛んなところだったそうです。
力石はその当時のものと思われます」

「子どものころは神社の下まで川が流れ、その上流は掘割りになっていました。
今はすっかり暗渠になって、周辺は住宅が立ち並んでいます」

二つ目の力石はこちらです。
安田藤間諏訪神社力石Ⅱ_4905
59×41×31㎝

   「四十二メ目 氏子中」

「今は境内の片隅に置かれている力石ですが、氏子の役員の方に話して、
解説板とはいかないまでも存在のわかるようなものを立ててもらおうかな、と」

「力石をちょっと試してみましたがビクともしません。
非力な私、
当時、生まれていなくてよかった!

安田さん、悲観することはありませんよ。
36貫目は135㎏、42貫目は157㎏もあるんですから。
これは重量挙げ56㎏級や62㎏級のスナッチなら、
オリンピック優勝の重さですから。

安田さんは先ごろ、静岡の山へも来てくださったんです。
「大谷嶺」(おおやれい)にも足を運んでくださったとか。

この山には日本三大崩れの一つ、「大谷崩れ」があります。
作家の幸田文はここへ来て、その壮絶な崩れに圧倒され、
随筆「崩れ」を書きました。

下の写真は大谷崩れを歩く30代後半ごろの私。
いつまでたっても実力の伴わない山おばさん時代です。
改めて見たらすごいヘヤスタイルで自分でも驚きました。

img078.jpg
これはNHKの雑誌のグラビア撮影での一枚です。

安田さん、また静岡の山へお越しくださいね。

また、ブログをお読みくださっているみなさまも、
力石の情報、ぜひ、お寄せ下さい。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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