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黄子と黒平

力石の大先輩・斎藤氏。

この人なくして私のブログは成り立たちません。

コロナ禍と炎天のもとでも今までと変わらず、
名もないお堂や路地裏、墓地に至るまで調査を続けています。

その足として斎藤氏を助けているのが自転車です。
「間宮家」の話の途中ですが、今回は斎藤氏の相棒をご紹介します。

相棒は二人。

一人は40年以上も連れ添った「黄子(きこ)嬢です。

「新発見の力石と」
1黄子
埼玉県杉戸町遠野

「メーカー名は忘れましたが、
昭和の純国産の婦人車、いわゆるママチャリです。
もう40年以上も乗っていますが実に丈夫。やはり昔の国産車は凄いですね」

「小坊主たちと」
2黄子
千葉県野田市内

「力石新発見は、彼女なしでは考えられません。

最高の相棒です」

相棒のおかげか、斎藤氏はこれまでに718個もの力石を新発見しています。

個人でこれだけの数を発見した人は、全国で斎藤氏だけだと思います。

最初の新発見は、2005年7月21日。これです。

img20200904_14483598 (2)
埼玉県春日部市粕壁 「粕壁神明社」 70×54×29㎝ 70×48×28㎝

  「奉納 六十貫 文政元年 □月□□」
  「奉納 四十五貫 □政元年」


「このときは結構冷静でした」

というのも、この2か月前、斎藤氏は大発見をしているんです。

長い間行方不明だった三ノ宮卯之助「指石」(赤丸)を、
既存の力石3個の隣りの土中から発見したのです。

この4個の力石は、のちに越谷市の民俗文化財になりました。
img698_202009041539189a1.jpg
埼玉県越谷市三野宮(香取)神社

「このときは興奮して、相当ドキドキして…。

白昼、オヤジが神社の片隅で、何やら地面をほじくっている姿は相当ヤバイ。
完全に不審者ですからね。それもドキドキの一部です」

そりゃあもう、日本一の力持ち・卯之助の石を掘り当てたのですから、
興奮せずにはいられませんよね。

この卯之助石について、以下に詳しく書きましたのでぜひお読みください。

「荒れた神社の境内に…」

「金乗院にて」
3黄子
千葉県野田市桐ケ作

斎藤氏のもう一人の相棒、「黒平(くろへい)くんをご紹介します。

ブロンプトンというイギリスの純製品。折り畳み式。

遠方の力石調査に輪行するために購入。

※「輪行」=袋に自転車を詰めて電車やバスなどで、
     目的地近くの駅やバス停へ移動すること。

「桝田家住宅横(旧桝田廻船問屋)」
1黒平
千葉県野田市今上

「黄子はもうおばあちゃんなので鍵は一個ですが、
黒平はまだ新しく知名度もあるので、盗難防止に鍵は2個」

「そのうちの一つは地球ロックといって、
電信柱などの地面に直結しているものに結んでいます」

「神明神社」
2黒平
千葉県野田市関宿内町

「信じられないほど小さく折り畳めますが、思っていたより重たい。
遠方の情報不足や体力の衰えから、
黄子よりも出番はかなり少なくなったので、黒平からブーブー言われています」

「そんなわけで黄子の一人舞台になりがちなので、
たま~に郊外へ連れていってあげています」

「熊野神社」
3黒平
茨城県境町稲尾

「両方とも色から名づけました。
時々会話しながら走っています(笑)」

みなさまのお近くで、

この「黄子(きこ)さんと「黒平(くろへい)くんを見かけたら、

調査へのご理解とご協力をお願いいたします。



       

      ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(9・6)

「神奈川県藤沢市遠藤・御嶽神社」

西国の師匠・高島先生、東国の大先輩・斎藤氏、
この素晴らしい指導者との出会いが、私を生かしてくれています。

両手にミツバチ。
だとすると私は女王バチ? なんちゃって。


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石探しのつれづれに

ーーーーー追記ーーーーー

コメントの「春日部市の東陽寺にも芭蕉と曽良の絵があります」に応えて、
斎藤氏が以前撮影した写真を提供してくれました。

東陽寺です。
1東陽寺

「曽良旅日記」の一節、「一、廿七日夜、カスカヘニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と、
芭蕉の門人・森川許六が描いた芭蕉と曽良の道中姿の石碑です。

2東陽寺

「曽良旅日記」が発見され、昭和18年に出版されて、
芭蕉の「おくのほそ道」の記述から出た「草加第一泊説」は崩れた。

許六の絵です。「永文商店」の壁画と同じです。

3東陽寺

楽しんでいただけたでしょうか。

関連するコメントをいただいたお陰で、素敵な写真をお見せすることができました。

         
           ーーーーー◇ーーーーー

斎藤氏の登場、第2弾と行きますか。

今回の発見は力石ではありません。

懐かしさいっぱいの、ずっと残しておきたい、
そんな「酒屋」さんを見つけたお話です。

埼玉県幸手市の日光街道沿いを、
いつものポタリングで走っていた斎藤氏。

一軒のひなびた酒屋さんを見つけて、そのたたずまいに惹かれました。

酒屋さんの名は「永文商店」。

1イラスト酒屋

建物の側面に、「奥の細道」の芭蕉と曽良の道中姿が描かれています。

いつごろ描かれたものでしょうか。
大胆な発想ですね。

※ 先の「この壁画は美大出身の息子さんが描いた」
   というのは間違いでした。訂正します」と、
   親戚の方から緊急の連絡がありました。

   「風聞を信じてお知らせしたものの、もしやと思い調べ直したところ、
   この壁画はシャッターの絵とセットで、春日部市の
   「ビッグアート」という会社が手掛けたものとわかりました。
   申し訳ない」

   「この絵には芭蕉と曽良の句も書かれています。
   奥州旅行の4年後、深川芭蕉庵での連句の会で詠まれたものです」
   
  「幸手を行けば栗橋の奥」  蕉(芭蕉)
 
  「松杉をはさみ揃ゆる寺の門」  良(曽良)

  「句の寺の門とはこの先にある聖福寺の門を指すと言われており、
  同寺に句碑が建立されています」

とのことでした。訂正のお知らせ、ありがとうございました。
また、「ビッグアート」さま、お許しくださいね。

いずれにしても、 
酒屋さんの街道に寄せた熱い思いがひしひしと伝わってまいります。

自転車から降りて、思わず中へ。

いきなり目に入ったのは、レールのようなもの。

2酒屋

カメラを向けていたら、お店からおばさんが出てきた。
話が弾んで、幸手の力石に刻まれた「岩間商店」にも話が及んだ。

許可を得て、さらに奥へ進むと、なんとトロッコが…。

かつては造り酒屋さんだったのでしょうか。
 ※造り酒屋ではなかったそうです。これも親戚からの情報です。
   私の推測が外れました.

当時はたくさんの使用人を抱えていて、
酒の原料や酒樽の運搬に、トロッコは大活躍していたはず。

前垂れをかけた丁稚どんの元気な声が、建物の奥から聞こえてきそうです。

3トロッコ酒屋

そのかたわらにあったのが、カルピスの大きな琺瑯(ほうろう)看板。

「滋強 飲料」とあります。

4看板酒屋

芭蕉と曽良のイラストといい、トロッコに巨大な琺瑯看板といい、

斎藤氏、たちまち懐かしい遠い日々へタイムスリップ。

お店のおばさんの温かい心遣いに接した斎藤氏。
吸い込まれるように、そのまま店内へ。

5酒屋

店の奥には美しいガラス障子があって、その上に神棚と大きな柱時計。

使わなくなったミシンの上に並べた洋酒が、なんともほほえましい。

「5%還元」などというチラシも見えます。

斎藤氏、感激のあまり、

「奮発して、獺祭(だっさい)を買ってしまいました」

その晩は、今も生きていた古き良き時代との遭遇と上等のお酒に、
したたか酔いしれて、桃源郷をさまよったことでしょう。

下戸の私には決して味わえない世界でございます。グスン。


「永文商店」のトロッコは今も現役で、「横丁鉄道」というのだそうです。
  
「永文商店」

「獺祭 旭酒造」


      ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(8・1) 「愛媛県伊予市中山町⑤」

時代の波が去って、力石は人々から忘れられてしまいました。
伊予市中山町の力石も、今や互いに肩を寄せ合い風化を待つばかり。

 「力石春夏秋冬出番なく」  雨宮清子


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「壇蜜」じゃなくて「断密」

ちょっと遅いご報告になりましたが、

埼玉の研究者・斎藤氏がいつものポタリング中に見つけた
新発見の力石をお目にかけます。

今年5月21日、ここで見つけました。

どこにあるかわかりますか?

1茨城県五霞町
茨城県五霞町幸主・本田薬師堂集会所

斎藤氏からのメール、
写真に添えた「独り言」が、これまた楽しいのですよ。

「マスクをし、時々無呼吸
風害、風評、日焼けを避けて、帽子を目深にかぶり、耳はダンボ状態。

目は上下左右、魚眼の如く、
ペダル漕力&速度は加減乗除。

全感覚を動員して「力石ビーム」を逃すまいと、
断密ならぬ隠密行動に終始しています」

隠密! とうとう忍者になっちゃいましたか。

で、見つけたのがこちら。

4五霞町

「ええーっ。どれよ!」ですって?

しょうがないなあ。では別の角度から、もう一枚。

町2茨城県五霞
74×38×27余㎝

ほらね!

お堂に集会所とくれば、
昔の若者たちが石の担ぎっこした定番の場所ですから、

まだどこかにありそうですね。

ついでにこんな方にも遭遇したとか。

(きじ)です。

「きじ」と聞くと、すぐ思い浮かぶのが山でのこと。

山で「トイレ」に行くことを、
男性は「雉撃ちに行く」といい、女性は「花摘みに行く」といいました。

3茨城県五霞町

で、この雉クン、斎藤氏にこう言ったそうです。

「断密を守ってポタリングとは、感心感心。
近ごろ断密を「壇蜜」と勝手に解釈する不心得者が増えて、
キケーン極まりない! ケンケーン

ついでに「高倉ケーン!」

と、言ったかどうか。


      -----◇ーーーーー

高島先生ブログ(7・28) 「愛媛県伊予市中山町①」

全国に力石を追いかけて孤独な旅に明け暮れた高島先生。
旅先で「力石」と焼印されたまんじゅうを見つけたけれど、

「力石なる菓子を食うのも一人」

まるで力石の山頭火。
記事にはそんな先生の句も載っています。


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断密ポタで見つけたドー!

私が、恥知らずな「十人の釣り客」や、
職場の老人からの誹謗中傷文書にカッカしている間に、
埼玉の斎藤氏は次々と力石を新発見

本日は今年4月24日にいただいた新発見をご披露いたします。

ここです。

ありますねえ、祠の右、左に…。
①斎藤新発見諏訪神社
埼玉県越谷市南荻島4317・諏訪神社

全部で3個発見!

まずは右の力石から。

    「奉納四拾弐貫目 若者中」

②斎藤新発見諏訪神社
67×41×33㎝

一見担ぎやすそうに見えますが、
左右の重さが違いすぎると、バランスがとれず担ぎにくいと聞きました。

これはどうなんでしょう。

2個目にいきましょう。

祠の左側にある石です。

    「奉納三拾弐貫目」

左側にうっすらと「奉」の文字が見えますので、
本当はもっとたくさん彫られていたと思います。

③斎藤新発見諏訪神社
57×44×29㎝

3個目は欅の木とブロック塀にはさまれていました。

無銘なので粗末に扱われちゃったのでしょうか。

大きさは前述の2個の石とほぼ同じですが、
名無しの悲しさ、痛いお姿です。

④斎藤諏訪神社
67×38×29㎝

斎藤氏、コロナ禍の中、「断密ポタリング」で徘徊の日々を満喫していたようです。

で、こんなのも見つけました。

デカマスクをつけた鬼兄弟
ここでは兄ちゃんのほうだけをご紹介します。

お兄ちゃんの鬼さん、金棒の代わりに聖火を持っています。

鬼デカのマスクの
埼玉県北葛飾郡杉戸町

この出べそクン、斎藤氏にこう話したそうです。

「ボクは聖火ランナーだよ。
コロナにめげず、東京オリンピック・パラリンピックを目指しているんだ!」

うーん…。

雷さんには雨がつきものだし、
そのせいか、
オリンピックも雲行きが怪しくなってきたけどねえ。

でもこの鬼さん、太鼓持ってないから雷さんじゃないよって?

あらら。


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弥五郎のおまけ

古文書や石碑では、しばしば判読不能な文字に出くわします。

昔の人が書いたのだからとか、偉い学者のお説だからと鵜呑みにして、
何とか理解しようとするものの、結局、解決できず。

神明神社の弥五郎石にも、そんな「珍字」がありました。

これです。

img20200417_22383871 (2)
千葉県野田市上花輪・神明神社

もうおわかりかと思いますが、「矢向」の「矢」の部分です。
「失」になっちゃってます。

これは「失礼しました」というわけで、まあ、この程度はお愛嬌。

img20200417_22383871 (3)

で、何を言いたいかというと、こういう事例に出くわしたら、
権威などにとらわれず、想像力を働かせてね!

ということなんです。

また、力石をアップしてくださる「へいへいさん」も「とりけらさん」も、
石の刻字(切付け)が読めなくて、四苦八苦した経験があるかと思います。

そんなときは石に水をかけると文字が浮き上がってきます。
雨の日にはっきり見えるでしょう。それと同じ。

これ、斎藤氏の直伝。

もう一つ、お見せします。
重箱の隅をつつくみたいで心苦しいですが、
間違いは間違いなので…。

千葉県「印西町の歴史」の調査資料「仙助河岸」を読んでいたら、
「あれ?」という個所がでてきました。

資料そのものは、
河岸に残る船頭たちの足跡を丹念に追った貴重な記録です。

もちろん、船頭たちが奉納した力石も出てきます。

ですが、あきらかに間違った部分がありました。
大阪市の住吉大社にある常夜灯の判読です。

その常夜灯に刻まれていた文字がこちら。
0003785_036 (3)
大阪市住吉区・住吉大社

著者は、
「住吉大社にある常夜灯の中に、
江戸の干鰯問屋たちの奉納したものがある」と書き、
続けて、
大阪の干鰯仲間が奉納した常夜灯を取り上げています。

実際、住吉大社まで出かけたようです。

しかし、
上部3文字のうちの向かって左の文字を「ば」と誤読、
さらに「うつば」と解釈してしまい、こう述べています。

「大阪のうつば干鰯仲間」の「うつば」とは「うつ場」のことで、
「干鰯場」を意味する、と。

これ、
「本」という漢字に点々を打って「ぼ」と読ませている「かなもじ」で、
「うつ」ではなく、「うつ」なんです。

で、「うつぼ」「靭」で、
大阪にあった「一大海産物市場」の地名です。

ちなみに「干鰯」は「ほしか」で、当時の貴重な肥料でした。
ですから、
この常夜灯を奉納したのは、「靭市場の干鰯商人たち」ということになります。

0003785_036 (5)

話変わって、
大阪歴史博物館のHPに、こんな記事が載っていました。

「大阪相撲の藤島部屋は、
靭の干鰯市場と関係が深い「靭部屋」から派生した相撲部屋の一つで、
干鰯市場で働く仲士たちと密接な関係を有していた」

そんな仲士の一人でしょうか。
靭市場の力持ちの石上げが千社札に描かれています。

右下に、「明治維新永代浜力競」とあります。

「永代浜」は荷上げ場で、靭市場の中心地でした。
千社札にも「うつぼ」の文字があります。

赤フンがチラッ。

img290.jpg

ブログ「神奈備にようこそ」に面白い記事が載っていました。

干鰯(ほしか)仲間が常夜灯を奉納したあの住吉大社についてです。

「住吉大社の人形祭りは大阪の夏の風物詩であったが、
人形の材料はすべて塩干魚類で、それに海藻やスルメなどを飾り付けた。

そのため特有な臭気が漂い、
ハエがたくさん集まってもの凄いことになった。
人々は団扇(うちわ)でハエを追いながら練り歩いた」

やだやァ、
ハエと一緒くたァじゃ、「やぶせったくて」しょんないに。

ふんだけんが、
大阪ン衆の「おだっくい」ぶりは、
うちっちら静岡人の上いってるだんて、いみゃーましいやァ。


※参考文献/「印西町の歴史 第六号」千葉県・印西町町史編さん室 平成2年
        /大阪歴史博物館HP「小林佐兵衛興行の寄付大相撲の
         案内書と入場券」平成20年3月5日~4月7日に展示
        /ブログ「神奈備にようこそ」「やすやす靭物語・魚市場編」


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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