新発見力石②
斎藤ワールド
再び、現地へ立った斎藤氏、はやる気持ちを抑えつつ、新たな石と再会。
なにしろ斎藤氏は今までに723個もの力石を発見している人。
ひとりでこんなに多くの石を見つけた人は、
たぶん全国で斎藤氏のほかはおりません。

埼玉県杉戸町才羽162・八幡神社
しかもすでに先人が見つけ尽くして、
もうないだろうと言われている場所から次々と発見するのですから、
その凄さは誰もが認めざるを得ません。
2022年11月8日、
この日発見した724個目の石の知らせが私にもたらされたのは、
400数十年ぶりという「皆既月食」の晩で、
写真を添付したメールには、「只今、皆既月食進行中」と書かれていた。
私は慌ててベランダへ。
「こんな歴史的な日に新発見とは」と、興奮しつつオレンジ色の月を眺めた。
なんだか、この新発見石、月食中のお月さまに似ているなァ。

さてこの日、神社に隣接する家を訪ねると、奥さんが出てきた。
あいにくご主人は留守とのことで、奥さんに現場を見てもらうことに。
「これは力石といって、有形民俗文化財にもなる貴重な石であること」
「ここに刻まれた平三郎なる人物は、どなたかのご先祖かもしれない」
「ほかの2個より価値のある石なので、掘り起こしてくれるよう」頼んだ。
それに対して奥さんは、
「境内を掃除していても全く気付かず、多分、主人も誰も知らないはず。
みんなと相談してみます」と、前向きなお返事。
奥さんが去ったあと、斎藤氏、小さなスコップでさらに掘り下げてみると、
村の名前まで出てきた。
「□□□貫目 □□□□ □月十五日
米野谷村 宮木平三郎」

50余×37余×10余cm
このとき、「遠くで農作業をしている人を気にしながら掘った」
なぜ気にするのかというと、
「怪しい人」と間違われることが度々あるからなんです。
私も力石探しで石仏泥棒だと思われて通報されて、
お巡りさんが駆けつけてきたり、
あんな重いもの、持てるわけないのに。(*`へ´*)
賽銭泥棒と疑われて、どこからともなく現れた初老の男から詰問されたことも。
賽銭などとは全く無縁そうな寂れ果てた神社なのに。
逆に私はどこでも必ず賽銭を上げて私なりのご挨拶をしているってのに。
でもこのあたりでは見かけない顔。しかもザックを背負って…。
「怪しい!」と思われたのでしょうが、
私の動きをこっそり見ていたのかと思うと、こっちの方が気味が悪かった。
駆けつけた初老の男が探るような目で、大声を出した。
「ここで何やってるんだ!」
力石を探しているといくら説明しても、
力石の名称そのものを知らないのだから、全くお手上げ。
女が、という偏見も手伝ってか、
「力石だと? なんだいそりゃあ。でたらめ言うな」と、せせら笑う。
とうとうこの男、携帯を取り出し私の目の前でどこかへ電話。
「今、頭のおかしなのが来てる」と、大声でしゃべり出した。
電車とバスを乗り継いで海岸沿いの片田舎へ来て、
一つも成果がなかったばかりか、この扱いです。
貧乏人のくせに身銭切って、こんな見捨てられた石ころもどきのために、
今日は東へ明日は西へ、
あげくに「石もて追われて」、あたしゃ、いったい…、
情けなかったですよ~。

社殿の裏や木の下や草むらを目を皿のようにしてうろつくのですから、
確かに「怪しい!」動きです。
都会ならまだしも公共交通もない草深い田舎では、
確実な紹介者がいなければ村へ入ることさえ阻まれます。
大学の先生や「東京の」がつく「偉い人」だと無条件でありがたがるのに、
素人のおばさんだと「頭のおかしな人」になるのですから、もう涙、涙です。
で、そういうところの人ほど、こう言うんですよね。
「東京の偉い先生が古文書を持って行ったきり返してくれない」って。
「肩書に釣られるからだよん」と、私は内心、ザマァ…。
でもねぇ、力石はそういう村にこそ放置されているんですよねぇ。
さて、思い出話はこのくらいにして、
「米野谷村」はどこかということですが、
斎藤氏が地図と地名の由来を送ってくれました。
これです。

●「才羽(さいは)」
角川版・地名辞典によると、
「才場」とも書く。サイハはサバの転嫁でがないか」とある。
サバには礫土(礫土)の意味がある。
この地帯は渡良瀬川や古利根川の乱流地帯であったことを物語っている。
●平三郎がいた「米野谷(こめのや村)」については、
湾曲して流れる庄内古川(中川)沿いの地域。
この地で穫れる米は砂地ゆえ非常においしいため、
東京から、特に寿司屋さんが買い付けにきた。
平三郎は米農家の力持ちだったのではないでしょうか。
●「八幡神社」
もとは幸手市木立に鎮座していたが、洪水で流されてこの地に祀られた
との伝聞がある。以来、この村の鎮守。のちに合祀。
※「杉戸町の地名・地誌」-その由来と所在を訪ねてー
鈴木 薫 平成5年より
平三郎石さん、早く掘り出してもらえるといいね。

そんなこんなを思いながら、大空の天体ショーをながめていると、
久々の新発見で元気はつらつの斎藤氏から、
出来立てホヤホヤの句が送られてきました。
「小春日や斜めに埋む力石(いし)ひとつ」 斎藤呆人
ついでに私も一句。
「平三郎この地に新風(かぜ)を起こしやれ」 雨宮清子

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なにしろ斎藤氏は今までに723個もの力石を発見している人。
ひとりでこんなに多くの石を見つけた人は、
たぶん全国で斎藤氏のほかはおりません。

埼玉県杉戸町才羽162・八幡神社
しかもすでに先人が見つけ尽くして、
もうないだろうと言われている場所から次々と発見するのですから、
その凄さは誰もが認めざるを得ません。
2022年11月8日、
この日発見した724個目の石の知らせが私にもたらされたのは、
400数十年ぶりという「皆既月食」の晩で、
写真を添付したメールには、「只今、皆既月食進行中」と書かれていた。
私は慌ててベランダへ。
「こんな歴史的な日に新発見とは」と、興奮しつつオレンジ色の月を眺めた。
なんだか、この新発見石、月食中のお月さまに似ているなァ。

さてこの日、神社に隣接する家を訪ねると、奥さんが出てきた。
あいにくご主人は留守とのことで、奥さんに現場を見てもらうことに。
「これは力石といって、有形民俗文化財にもなる貴重な石であること」
「ここに刻まれた平三郎なる人物は、どなたかのご先祖かもしれない」
「ほかの2個より価値のある石なので、掘り起こしてくれるよう」頼んだ。
それに対して奥さんは、
「境内を掃除していても全く気付かず、多分、主人も誰も知らないはず。
みんなと相談してみます」と、前向きなお返事。
奥さんが去ったあと、斎藤氏、小さなスコップでさらに掘り下げてみると、
村の名前まで出てきた。
「□□□貫目 □□□□ □月十五日
米野谷村 宮木平三郎」

50余×37余×10余cm
このとき、「遠くで農作業をしている人を気にしながら掘った」
なぜ気にするのかというと、
「怪しい人」と間違われることが度々あるからなんです。
私も力石探しで石仏泥棒だと思われて通報されて、
お巡りさんが駆けつけてきたり、
あんな重いもの、持てるわけないのに。(*`へ´*)
賽銭泥棒と疑われて、どこからともなく現れた初老の男から詰問されたことも。
賽銭などとは全く無縁そうな寂れ果てた神社なのに。
逆に私はどこでも必ず賽銭を上げて私なりのご挨拶をしているってのに。
でもこのあたりでは見かけない顔。しかもザックを背負って…。
「怪しい!」と思われたのでしょうが、
私の動きをこっそり見ていたのかと思うと、こっちの方が気味が悪かった。
駆けつけた初老の男が探るような目で、大声を出した。
「ここで何やってるんだ!」
力石を探しているといくら説明しても、
力石の名称そのものを知らないのだから、全くお手上げ。
女が、という偏見も手伝ってか、
「力石だと? なんだいそりゃあ。でたらめ言うな」と、せせら笑う。
とうとうこの男、携帯を取り出し私の目の前でどこかへ電話。
「今、頭のおかしなのが来てる」と、大声でしゃべり出した。
電車とバスを乗り継いで海岸沿いの片田舎へ来て、
一つも成果がなかったばかりか、この扱いです。
貧乏人のくせに身銭切って、こんな見捨てられた石ころもどきのために、
今日は東へ明日は西へ、
あげくに「石もて追われて」、あたしゃ、いったい…、
情けなかったですよ~。

社殿の裏や木の下や草むらを目を皿のようにしてうろつくのですから、
確かに「怪しい!」動きです。
都会ならまだしも公共交通もない草深い田舎では、
確実な紹介者がいなければ村へ入ることさえ阻まれます。
大学の先生や「東京の」がつく「偉い人」だと無条件でありがたがるのに、
素人のおばさんだと「頭のおかしな人」になるのですから、もう涙、涙です。
で、そういうところの人ほど、こう言うんですよね。
「東京の偉い先生が古文書を持って行ったきり返してくれない」って。
「肩書に釣られるからだよん」と、私は内心、ザマァ…。
でもねぇ、力石はそういう村にこそ放置されているんですよねぇ。
さて、思い出話はこのくらいにして、
「米野谷村」はどこかということですが、
斎藤氏が地図と地名の由来を送ってくれました。
これです。

●「才羽(さいは)」
角川版・地名辞典によると、
「才場」とも書く。サイハはサバの転嫁でがないか」とある。
サバには礫土(礫土)の意味がある。
この地帯は渡良瀬川や古利根川の乱流地帯であったことを物語っている。
●平三郎がいた「米野谷(こめのや村)」については、
湾曲して流れる庄内古川(中川)沿いの地域。
この地で穫れる米は砂地ゆえ非常においしいため、
東京から、特に寿司屋さんが買い付けにきた。
平三郎は米農家の力持ちだったのではないでしょうか。
●「八幡神社」
もとは幸手市木立に鎮座していたが、洪水で流されてこの地に祀られた
との伝聞がある。以来、この村の鎮守。のちに合祀。
※「杉戸町の地名・地誌」-その由来と所在を訪ねてー
鈴木 薫 平成5年より
平三郎石さん、早く掘り出してもらえるといいね。

そんなこんなを思いながら、大空の天体ショーをながめていると、
久々の新発見で元気はつらつの斎藤氏から、
出来立てホヤホヤの句が送られてきました。
「小春日や斜めに埋む力石(いし)ひとつ」 斎藤呆人
ついでに私も一句。
「平三郎この地に新風(かぜ)を起こしやれ」 雨宮清子

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