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「さんちゃん」

三重県総合博物館へ行ってきました。

往きの新幹線が豊橋付近で緊急停車。駅のホームから人が落ちたとか。
幸いケガもなく救助されたそうですが、20分の遅れ。

名古屋駅での乗り換え時間は充分取っていたものの、
階段を駆けあがってすべり込みセーフ。
その伊勢線みえ快速、なんと車両はたったの2両

私の下車駅まで停車駅は4つ。
焼きハマグリの桑名、昔、公害で大騒ぎした四日市
次はレースで有名な鈴鹿です。

目的地の駅で師匠の高島先生のお出迎えを受けました。
出発前、「レッドカーペット敷いて待ってます」とおっしゃっていたけど、

ない!

ともあれ、5年振りの再会です。
「お互い年をとりましたねぇ」なんて、口に出しては言いません。

三重県総合博物館です。ふつつかながら、わたくしメがご案内いたします。
CIMG4781.jpg CIMG4788.jpg
  
博物館の前身は昭和28年(1953)に開館した三重県立博物館。
東海地域で初めての総合博物館だったそうです。
第二次大戦の焼け跡から、わずか8年目に出来たんですね。
新時代への意気込みを感じます。

5年前の平成26年(2014)、名称を総合博物館に変えて現在地へ移転。
ここは美術館、図書館が建ち並ぶ総合文化センターになっていました。

市名は「津」と一文字ですが、
ここの住所は、一身田上津部田(いっしんでんこうづべた)

「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ」かと思うほど長いけど、
リズミカルで、一度聞いたら忘れられない地名です。

2階が正面受付です。
この階にオオサンショウウオの「さんちゃん」がいました。

img982_201905211911147ef.jpg
博物館パンフからお借りしました。

平成4年(1992)、伊賀盆地の川で発見。
しかし住みにくい場所と判断されて博物館へ保護したそうです。
この日は117㎝の全身を見せていました。

とにかくでかい!

こんなのが川底にいたら、岩と間違えて踏んでしまいそうです。

さんちゃんのエサはニジマス。
ひと月に一度の「お食事会」は子供たちに大人気だそうです。

img982 (4)
博物館パンフより

「さんちゃん」の旧住所は名張市美幡・小波田川(おばたがわ)。
現住所は津市一身田上津部田・博物館。

今年で27年博物館暮らしです。


※参考文献・画像提供/「南北の共存・東西の交流」「MieMuみえむ」
                三重県総合博物館
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ブログが博物館に収蔵されました

追記

ブログ「ちい公のドキュメントな日々@タイランド」
ちい公さまがご自身のブログ上で、この博物館収蔵を記事にしてくれました。
もう過分にお褒めいただき、なんだか恥ずかし~い。

でもぜひぜひ、お読みください。

       ーーーーー◇ーーーーー

私のブログ「力石に魅せられて 姫は今日も石探し」が、
三重県総合博物館に収蔵されました。

三重県総合博物館MieMu(みえむ)です。
MieMu_gaikan.jpg
三重県津市一身田上津部田(いっしんでんこうづべた)3060 
☎059-228-2283

息子から、
「ブログが博物館へなんて、そんなことがあるんだね。
ブログ書くのを勧めてよかった」と、驚きと祝福のメールがきました。

そうですよね。私自身が一番びっくりしましたから。

ブログを始めたころ、そのころよく会っていた女友達に、
「よかったら読んでね」と言ったら、即座に、
「どうせただの日記でしょ。興味ない」

グサッときたけど、めげずに書き続けました。

「力石のことを多くの人に知ってもらいたい」
その一念で。
夢中になって書いてきて、気がついたらまる5年が経っていた。

そして届いた思いもよらなかったビッグニュース。
「嬉しいーッ!」って、地球のテッペンで叫びたかったですよ。

その夜は興奮のあまり眠れませんでした。

近々、お礼を兼ねて博物館へ行ってきます。
報告、待っていてくださいね。

力石文化を次世代へ手渡す

力石研究者の高島愼助四日市大学教授が、なぜ力石と関わったのか、
ここまでご自身を突き動かしたものは何だったのか、いまだ聞いてはいない。

それは私自身にも答えられるものではなかったから。

強いて言えば、土の中から欠片を探す考古学者にしても、
山村の消えゆく芸能の保存に尽力する民俗学者にしても、
また断崖絶壁に挑むクライマーや戦場ジャーナリストや、
極限まで己を追い詰めるアスリートもそれは同じで、答えられるとすれば、
そのどこかに自分の琴線にふれる何かを感じたからではないか、と。

大学教授とはいえ、こんな言葉を何度も投げかけられたと思います。
「過去のあんな石に何の価値があるの?」
「石担ぎなんて、どうせ見世物とか下層階級がやったことでしょう?」

若い頃、石担ぎに興じていた経験者からは、
「力仕事だったしな、こんな田舎じゃあ、ほかに遊ぶもんもなかったし」
と、多分に自嘲気味な言葉を聞いたはず。

CIMG2787.jpg
東京都三鷹市下連雀・八幡大神社  60×40×24㎝

「奉納 三十八メ目 当所村越藤作 弟春吉」

そんなとき私は、民俗学者の宮本常一氏のこんな言葉を思い出すのです。

「私は長い間歩き続けてきた。そして多くの人に会い、多くのものを見てきた。
その長い道程の中で考え続けた一つは、
いったい進歩というのは何であろうか、発展というのは何であろうか
ということであった。すべてが進歩しているのであろうか

「進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、
時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを
絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。

進歩の陰に退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、
われわれに課されているもっとも重要な課題ではないかと思う」
=「自叙伝・民俗学の旅」文芸春秋 1978

宮本氏のこの言葉が私をとらえて離さないのです。

img869.jpg
「こうしんさまの力石」
野村昇司・作 安部公洋・絵 ぬぷん児童図書出版 1983

高島先生を励まし続けていた同大学の谷口 優教授は、
約30年にも及ぶ高島先生の力石行脚を「内観の旅」とイメージした。

宮本常一氏も、
「民俗学は内省の学問」という言葉を残しています。
内省も内観も同じ「自己探求」という意味です。

そしてフィールドワークに徹した宮本氏らしいこんな嘆きも。
「歴史を誤らせるのは、
事実を見ずに、本で得た知識に自分のわずかな体験を組み合わせて、
自分に都合のいい歴史を創作する人たちだ」

三重県総合博物館へ収蔵された力石の資料は膨大で、
博物館ではそのリストの作製に相当の時間がかかるという。

全国各地で地道に力石と取り組んできた
過去現在の「内観の旅人」たちの「事実の結晶」が、
谷口 優教授の助言通り、高島先生の手を経て、
「学問的トレンド」へ見事に昇華されたのです。

CIMG0233 (3)
静岡県・伊豆・古宇のかつての青年宿と調査中の高島先生。
右は、寝袋を積んで野宿しつつ全国行脚した軽自動車。

私が古い資料をめくって力石と出会ったときのように、
この博物館収蔵の資料は、50年100年のちの人たち
琴線をふるわせることと信じています。

    「遠郷」の文字刻みたる力石
         出稼ぎ人の想い潜めて
   高島愼助

「ぼくは死んでも墓はいらない、骨は捨ててくださいと言ってある」
師匠は時々ドキッとすることをおっしゃる。
でも自称弟子の私はこんな風に願っているのです。

師の伊東明先生との約束を見事に果たしたからといって、
脱力してひょいと石担ぎの手を緩めたら危ないですよ~。
先生自身が埋もれた力石になってはダメですよ~。

「見つけてくれ~」と、
どこかの草むらで叫んでいる力石と、
その石に触れた人々の文字として残らなかった文化が、
今もどこかでひっそりと息づいているはずですから。


テシャマンクに見送られて

山の中の雨は一直線に降る。
大きな雨粒が幾筋も交差しつつ、フロントガラスにドカドカ突き当る。
頭の上ではドシャドシャバタバタ乱れ打ちだ。
周囲の木々はざわざわと落ち着かない。

「どこかで雨乞いでもしているのかしらん」

坂の途中で停まったままの車の中で、私はそんな空想をしていました。

20分ほどたったころでしょうか。
突然フロントガラスに二つの大きな目玉が張り付きました。

竜神様に供えた牛の首が飛んできた!
と思ったら、中野さんと師匠を乗せた四駆のライトでした。

車外に出た中野さんはニコニコ。だが師匠は顔面蒼白。
その師匠の帰還第一声は、
「死ぬかと思った!」

なんでも中ノ沢沿いの道は断崖絶壁で、しかも今にも崩れそう。
おまけにどしゃ降りの雨で視界が効かない。そこを中野さんはガンガン飛ばす。
「ほかに道は?」と師匠が聞くと、「あるけどものすごく遠回りになるから」と。

「ここが終焉の場所かと覚悟した」と師匠。

私のトラバサミの恐怖を笑った師匠、今度は自身が怯えている。
クックックッ。お互いさまですねえ。

樹木におおわれてちょっとわかりにくいですが、
師匠が命がけ?で撮影してきたシャビキ石です。
川根本町・社引石3
榛原郡川根本町東藤川坂京

写真の右手に見える道が「遠回りの道」らしい。
地図で見ると沢沿いの道はこの道に突き当たり、三叉路になっている。
塞の神様をお祀りするには最適の場所です。
でも咳の神様、シャビキさまに今はお参りする人もなく…。

まだ青ざめたままの師匠と笑いをこらえた私は、柔和な中野さんに見送られて、
本日の最終目的地、大井川の最上流部静岡市井川へ出発。
坂京の山々を抜けるころにはストンと雨も上がり、川底から白い霧が…。

   霧深し井川の峰に力石(いし)尋ぬ   雨宮清子

井川に着く。
長い夏の日はすでに闇と交替し始めていました。
大急ぎで怪力テシャマンクの墓を探して撮影。
私たちは闇に追われるように井川をあとにしました。

「おーいおーい」
背後で誰かが呼んでいます。見るとテシャマンクが、
「また来いよーっ」と大きな手を振っておりました。

CIMG0216.jpg
静岡市井川

県内9ヵ所を巡った石探しの長い一日が無事終わりました。

シャビキさま

川根本町・坂京の元庄屋の中野さん宅で「シャビキ石」を尋ねたら、
このすぐ下のもう一軒の中野さんを教えてくれました。

直角に近いカーブを曲がるとその先は思わずのけぞるような下り坂。
元庄屋さんの家へは胸突き八丁みたいな急坂をウンウン登ったが、
今度はつんのめりそうだ。

坂の京(みやこ)とは言い得て妙。

坂下に人家が見えます。
傘をさした体格のいい柔和な男性が出迎えてくれました。
石は沢の一番下にあるという。
師匠の高島先生だけ行くことになり、中野さんの四駆で出かけていきました。

img868.jpg
平成10年ごろの坂京

左上赤丸の元庄屋さんの家から、急な角度を曲がって右の青丸のお宅へ。
そこから中ノ沢(波線)沿いを行くとシャビキ石です(下段赤丸)。

元庄屋さんは、シャビキは神社などを引く「社引き」としていました。
また平成10年、地元の教育委員会では、
「石・曳き(シャ・ヒキ)と解説しています。

恐れずにいいますと、私の見解はこうです。

坂京のシャビキ様は風邪を治す神様というのですから、
これはシャビキ、つまりシワブキのことではないか、と。

全国には咳を治す神様がたくさんおられます。
「社引岩」「シャビキ岩」「おしゃぶきさま」「シワブキバアサン」
または、「姥神社」「姥神」などなど。

ことに「姥神」は、子供の百日咳に効き目があり、疱瘡も治すというので、
「疱瘡ばあさん」とも呼ばれていました。
昔は百日咳や疱瘡で子供を失う親たちが多かったんですね。

「ジジババ尊」です。ここへは力石探しの折り立ち寄ったものの、
写真は撮らずじまい。下手な絵でご勘弁を。
img861.jpg
東京都墨田区牛島・弘福寺

この二人はとても仲が悪いので、少し離してあるのだそうです。
最初にばあさまに頼み、次にじいさまに頼むと治りが早いとか。
ばあさんは偉大なり。

ここからは、民俗学者の柳田国男先生からの受け売りです。

関・塞に通じます。
関や塞は峠や村境や三叉路、橋のたもとなどにあります。
昔の人は村に病気などの悪いものが入らないように、
それを「せきとめる」神様を村境や峠などに祀りました。
こうした神様には、
塞の神、姥神、サクチの神(シャグジン・境の神)、道祖神。男根なんてのも。

男根型の石棒や道祖神は、若者たちの格好の力石になりました。

山梨県や静岡県東部に多い双体道祖神は、
男女の激しい愛を見せつけて悪霊を退散させるというものです。
誰が考え付いたんでしょうかねえ。

石敢當も塞の神です。
CIMG1266.jpg CIMG0054.jpg
左は沖縄の石敢當  右は静岡市の塀につけられた石敢當

ちなみに「サクチの神」のサクは裂く、チはのこと。
またサ・クチのクチはでもありますから、坂口の神ともいいます。
長野県の「佐久」もこれからきているとか。

ひるがえって、坂京のシャビキ様を見てみると、
村と坂の入り口にあって、しかも咳に効力があるというのですから、
単に石を曳いた巨人ではなく、まぎれもなく、
咳の神様、つまり咳も悪霊もせき止める神様だと私は思います。

それからもう一つ、
町教育委員会ではシャビキ様はダイダラボッチとしていましたが、
ダイダラボッチとも少し違うのではないか、という気がします。

この大井川上流部には、怪力伝説がたくさんあります。
このあたりではダイラボッチと呼ぶダイダラボッチを始め、
三十人力のテシャマンク、20人分の仕事を一人でやった怪力女トクセイバー
力次郎左衛門海野七郎次郎なんていう現実的な怪力もいた。

テシャマンクはお墓まであります。
CIMG0217.jpg
静岡市井川

地元の人によると、
テシャマンクのテシャは器用・利口という意味で、
マンクは万九郎という名前だそうです。

さて、坂京のシャビキ様は、
風邪を引いて力が出なくなったなんていう人間臭さも持ち合わせています。
ダイダラボッチ、関の神、咳の神、塞の神、そういういろんな要素を持ち、
村人たちのたくさんの願いをこめた「巨人」だったのでは、と思います。

こちらは左衛門という、力は強いが限りなく人間臭い男の話です。

img866.jpg
「川根のむかし話」より

大井川河口部の町、島田市北部に、
大井川左岸の集落、上河内へ抜ける道がありました。
その途中にあったのが標高約600㍍の祭文峠(左衛門峠)です。
今ではハイキングコースになっています。

「むかしむかし、左衛門というたいそう力の強い男がおりました。
左衛門があんまり力自慢をするので村人たちが、
「あの大石は上がるまい」と言うと、左衛門は「なんだこんなもの」と、
100貫もあろう大石を担いで、坂道をエッサエッサ。

しかしもうすぐ頂上というところで、左衛門は力尽きて倒れてしまいます。
そこへちょうど通りかかった白装束のおばあさんが左衛門に水を飲ませると、
呪文を唱えつつ錫杖で大石をころがして頂上へあげてしまいました。

元の場所へ引き返したおばあさん、左衛門に向かって、
「あまりうぬぼれると身を滅ぼしてしまうぞ」と言って立ち去りました。
その後左衛門は、
おばあさんの言いつけを守り、平穏な一生を終えたということです

CIMG0817.jpg
富士市の三叉路にあった道祖神。まだ新しい。

旅のおばあさんの方が怪力だったという風変わりな、
そしてちょっぴり教訓めいたお話でした。
ここでは旅のおばあさんが超能力を持つ「姥神」です。
もちろん左衛門は、
坂京のシャビキ様のような神様にはなれませんでした。

力持ちになりたいものは峠のこの大石に花を添えて祈ったということですが、

今でもこの石、あるのかな?



<つづく>


※参考文献・画像提供/「本川根町田代・坂京・青部の神楽」
                本川根町教育委員会 平成10年
               /「川根のむかし話」川根町教育委員会
                昭和60年

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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