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伝吉、本に載る

仏現寺は和田の船だまりを見下ろせる小高い丘の上にありました。
そこへふだん見慣れないどこかの船が入ってきました。

伝吉が来るとよーっ、 大島伝吉がな」

昨年12月、静岡県伊東市の本屋さん・サガミヤさんが、
地元の民話を集めた「伊東むかし話」を出版。

その中に、力持ちの大島伝吉が登場します。
その名も、「大伝石ものがたり」

「大伝石」とは、伝吉が持ちあげた力石「大傳石」のことで、
今もこの仏現寺に残されています。

これが「大傳石」です。
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静岡県伊東市物見が丘・仏現寺。 77×63×36㎝

こちらが「大伝石ものがたり」に描かれた力石です。

img002 (5)

大島伝吉(島田伝吉)は、伊豆・大島出身で、
江戸末から明治時代に活躍した力持ちです。

生誕の地・大島の岡田港には、伝吉を讃える碑が建っています。

碑の揮毫(きごう)者は第2代総理大臣・黒田清隆

明治18年には現在の静岡市へ力持ち興行に来ています。
一座は、清水湊と旧静岡市の小川座で興行。

それを伝えた当時の新聞です。

「昨今の不景気に似もやらず、ずいぶん大入りを占しという」

img577 (1)

「伝吉ってさ、いってぇ、何者なんだ」

「どえらい力じまんの力士でな。あっちこっちでひっぱりだこさ」

船着き場は黒山の人だかり。

そこへあらわれたのは、足に八升樽をはき、
両手に米俵を3俵ずつ持ち、口にもうひとつくわえた男。

img856.jpg

まるで仁王様のようにふんばって立っていた。


※ 大島伝吉の現存力石は9個

東京・千葉の伝吉の石には、
内田金蔵、画家・河鍋暁斎の飲み友達だった本町東助
鬼熊、矢向弥五郎など、
そうそうたる力持ちの名も刻まれています。


※参考文献・画像提供/「伊東むかし話」再話・山本悟 挿絵・内田進
                サガミヤ㈱ 2018
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はきもの絵引

急にドカンと夏がきました。

暑くて活字が頭に入りません。なので絵で遊びました。

参考文献は「石山寺縁起」

石山寺は滋賀県大津市にある日本最古の霊場だそうです。
奈良時代、聖武天皇の勅願により良弁(ろうべん)僧正が開創。

なんとここには、あの紫式部が、
「源氏物語」を書くために籠っていた部屋があるそうです。
巻き紙に筆でサラサラと書いていたんでしょうか。

全部で7巻あるこの縁起絵巻、
鎌倉時代から江戸時代までのいろんな画家が補写したとか。

こんな少年も登場します。鞍(くら)は藁(ワラ)製。
img025_20190805093947cb7.jpg

疾走する馬に乗る少年の髪は「放ち髪」
背中で風に舞っているのは「綾藺笠(あやいがさ)=イグサで編んだ笠。
短袖の着物の柄はでしょうか。なかなかおしゃれです。

さて、本日は足元に注目してみました。

深沓(ふかぐつ)です。
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牛皮製。
皮製は女性は履かなかったと書いた本もありましたが、
この絵巻には皮の深沓姿の女性も登場します。

下の絵をご覧ください。

右の女性の赤い履物は(しとうず)、今でいう靴下です。
下靴(したぐつ)ともいい、この上にワラジを履いたようです。

真ん中の男二人は浅沓(あさぐつ)を履いています。木製です。

子供は裸足(はだし)。
この時代は大人も子供も裸足が多い。なんだか痛そう。

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鼻緒のところがモジャモジャした草鞋(わらじ)は「舌地沓(したじぐつ)」
モジャモジャは「六葉の舌」というのだそうです。
舌に似た藁製の輪が6枚ついていたということでしょうか。

別名「乱緒の沓」

これは警護などをする衛府の役人の履物です。

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建久のころ(1190-99)、
山城国に謀反の輩が立てこもったため、
源頼朝の命を受けた中原親能が石山寺に戦勝祈願をした。

下の絵はその合戦に加わった兵士の足ごしらえです。

左の兵士は草鞋(わらじ)ですが、
右の二人は足半(あしなか)を履いています。

img023_2019080511422540c.jpg

下の絵の履物は今のサンダルにそっくりです。
私の子供のころは「突っかけ」と呼んでいました。

この時代にすでにあったとは驚きです。

渋沢敬三氏は著書「絵引」に、
「サンダルを思わせるものが描かれているが鼻緒を省略したとは思えないし、
この時代にサンダルに似たモノがあったかどうかも証明できない」
として、「よくわからない」と書いています。

でも、ちゃんとありました。

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ルイス・フロイスの「日欧文化比較」を訳した岡田章雄氏によれば、
これはげげ(下下、芥子)というものだそうです。

つまり下々(しもじも)の者が履くもの。
でも縁起絵巻には、「げげ」を履いた高僧もいました。

ゲゲとくれば、ゲゲゲの鬼太郎ですが、
鬼太郎のゲゲゲのゲは、この「下下」と関係あるのでしょうか。
ただ、鬼太郎の履物は普通の鼻緒の下駄ですが…。

絵巻には足駄(あしだ)も出てきます。
歯の高い足駄はトイレ用に好まれたとか。

、なんだかわからなかったのがこれ。

石山寺の深覚大僧正は、
病気の親王の加持祈祷のため内裏へおもむきます。

この不思議な履物は、大僧正が乗った輦車(れんしゃ)を護衛する
官人たちが履いていたものです。

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敬三氏の「絵引」では、糸鞋(しかい、いとぐつ)としていますが、
うーん?

「いとぐつ」は下の写真のような、貴族や能の楽人・舞人が履く絹製履物です。
上の絵の履物とはあきらかに違いますよね。

くつ糸

「石山寺縁起」の解説には藁沓(わらぐつ)とあります。

で、他の文献をあたってみました。

下の絵でみると、一目瞭然、
やはり、(わら)製の深沓(ふかぐつ)が正しいみたいです。

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もし「渋沢敬三の絵引」の解説が間違っていたのなら、
「敬三先生の勘違いを見つけちゃった!」わけで…。

なんだかウフフの夏のひとときとなりました。


※参考文献・画像提供/「石山寺縁起」日本の絵巻16 小松茂美編 
               中央公論社 昭和63年
              ./「新版絵巻物による日本常民生活絵引」第三巻
               澁澤敬三・神奈川大学日本常民文化研究所編
               平凡社 1984
               /「新修国語総覧」江午務ほか編 京都書房
                1987

山を乗り越えました

前回のブログにて、泣き言を書き連ねましたが、
このたび上田市の担当者さまより、協力の申し出をいただきました。

担当者さまが一番心配されていたことは、
一万円札の顔になる渋沢栄一の力石が見つかったことで注目され、
大勢の人が訪ねてきたら所有者の方に迷惑がかかる、というものでした。

市民の安全を第一に考えるという責任感から「お断わり」となったようですが、
力石は超マイナーな文化遺産ですから、
ポケモン現象はまず起きないと思います。

これを機にぜひ、渋沢栄一ゆかりのこの力石を、
町の誇りにしていただきたいと願っております。

私がこの力石の存在を探し出したのは、以下の資料からです。

もしご興味がありましたなら、以下のURLで検索してみてください。
手順を記します。

①URLをクリック

「デジタル版渋沢栄一伝記資料」

②第一章 幼少年時代をクリック

③画面項目の中から、「嘉永六年(1853年) 第一巻 92-163頁」の
 右の「資料リスト」をクリック

④画面に綱文、その下に「資料リスト」が出てきますから、
 その中から「第一巻 121-123頁」を探す。
 その項目に「上田郷友会月報 第620号 渋沢翁と紺屋手塚の老婆」が
 出てきますから、そこをクリック

⑤121-123頁の記事が出てきますから、123頁を見てください。
 そこに力石の記述があります。

孔子の弟子で大力だった子路(しろ)です。
渋沢栄一は、孔子の言行を弟子たちが書いた
「論語」を座右の書にしていました。

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「延命養談数」より

この「渋沢栄一伝記資料」にはほかに興味深い事柄がたくさん出てきます。

村の青年たちと下肥かつぎの競争をした話。
10貫の藍玉を入れた俵3俵を担いで信州の山地を歩いた話など。

渋沢栄一はかなりの力持ちだったことがわかります。

暑さが和らいだころ、
上田市の担当者さまのお世話で師匠と共に調査にまいります。

山を一つ乗り越えての調査です。

このご好意のありがたさを噛みしめつつ、
みなさまによいご報告ができますよう努めたいと思っております。
 

お詫び

渋沢栄一翁が青年時代に持った力石をご紹介するつもりでしたが、
上田市から「現段階ではブログ掲載も博物館への資料収蔵もお断りします」
との要請があり、掲載できなくなりました。

これは決して上田市が冷たいのではなく、
あくまでも、石の所有者や直接の情報提供者への配慮を考えてのことで、
私は、行政として当然のことと受け止めております。

実際、
担当者さまの熱心な働きかけがなければ、石の発見は難しかったのです。

ちなみに所有者さんなどのお名前や住所等、私は全く聞いておりません。
お聞きしても無断で使用したことは今までありませんし、これからもありません。

私が力石に関わる理由は、後学の研究者のために、
放置された力石の記録を一つでも多く残したい、そんな思いからです。

今後は、そういう活動であることをご理解いただくよう努力を重ね、
すでに計画していた現地調査を改めて慎重に練り直し、
師匠の高島先生と共に、
上田市のご理解を得ながら進めて行きたいと思っております。

「栄一」石の掲載を心待ちにしてくださっていたみなさま、
また、「上田市の報告がブログにUPされるのを楽しみにしています」
と言ってくださった栄一翁の生誕地・深谷市の
「渋沢栄一記念館」の学芸員さんをもがっかりさせてしまったことを
お詫びいたします。

10年余の力石調査では、現地でお会いした方はどの方も温かく迎えてくださり、
泥まみれの力石を前に笑顔で昔話を聞かせてくれました。
今度のような事態は初めてで、正直なところいささか戸惑っております。

せめて、栄一翁の力石がどんなものであったか想像していただきたく、
担当者さまが知らせてくださった現地の方の声を記します。

「渋沢栄一、ものすごき怪力なり」
「力石は"たすき掛け"であやつった」

近いうちにより充実した報告が出来ますよう、がんばってまいります。

栄一翁の力石の代わりに、楽しいお話を一つ。
題は「大石」

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「裏長屋へ引っ越してきた貧乏浪人のもとへ客が訪ねてきた。
貧乏なので世帯道具は手桶と煮炊きをする焙烙(ほうろく)しかない。
浪人、客に向かって、質素なのは心身鍛錬のためと大見得を切った。

そこで客は土間に置かれた大石をさして、
踏み石とは見えないが、これは何だと聞くと、
浪人がいうには、寒さしのぎに持ち上げる火鉢代わりの石だと答えた」

力石をストーブ(火鉢)代わりにするという利用法は初耳です。

やせ我慢の貧乏さむらいの
ちょっぴり哀れで笑うに笑えない笑い話でした。


※参考文献・画像提供/「江戸風俗絵入り小咄を読む」武藤禎夫 
               東京堂出版 1994
               「道づれ噺」安永4年刊 鳥居清経画 
               都立中央図書館蔵

絵引と漢字遊び

  =嬉しいお知らせです=

渋沢敬三の祖父で、
2024年発行の1万円札の顔になる実業家・渋沢栄一翁が
青年時代に担いだ力石が見つかりました。

長野県上田市教育委員会の方のご尽力です。
詳細は今しばらくお待ちください。

          ーーーーー◇ーーーーー

「字引と似かよった意味で、絵引は作れぬものか」

渋沢敬三の著作を読んでいて、
発想の凄さ、おもしろさにハッとしたのがこの「絵引」です。

渋沢氏はいう。
「絵巻物の中から貴族文化、あるいは武家文化を取り去ると
残るものはその当時の常民生活記録であります」

その生活記録を資料として残すために、
絵巻物の中から資料となりうる画面をチェックして、
その部分のみを画家に模写してもらい、これに題名と部分名を加え、
解説をつけて、1000枚に及ぶ絵図に仕上げていったそうです。

こちらは「一遍聖絵」に出てくる女性の旅の様子です。

img016_2019072805232638c.jpg
「日本常民生活絵引」よりお借りしました。

女性は市女笠(いちめがさ)をかぶり、(うちぎ)を着ています。
この市女笠に布を垂らして顔を見せないように工夫したものもあります。

袿を腰のあたりでしぼった形が壺のようにみえるところから、
これを「壺装束」といいます。

足ごしらえは脛巾(はばき=脚絆)と草履で、ふところに赤ん坊を入れています。
女の旅だけでも大変なのに、赤ん坊連れとは驚きです。
曲げ物の桶を担いだ男は従者です。

言葉だけの資料ではなかなか残らない。
また残ってもよくわからないいろいろの動作が、絵で見るとよくわかる」
と渋沢氏が言った通り、子連れの旅の様子が一目瞭然です。

下の絵は運搬の様子です。

なぜわざわざ裸の肩で担いでいるのかについて、
参考文献として使わせていただいた「絵引」では不明としていましたが、
たぶん、こうだと思います。

「東海力石の会」大江誉志氏からお聞きしたのですが、
「力石を担ぐとき、服を着てやると布でずれて持ちにくい。
素肌でやると石がピッタリ肌に吸い付いて落ちにくくなる」と。

それと同じで、
素肌の方が棒が滑りにくいからだと思うのですが、どうでしょうか。

img015_201907280550274d5.jpg
「日本常民生活絵引」「天狗草子」よりお借りしました。

さて、運搬方法には、
担ぐ、背負う、引っぱる、頭に乗せる、牛馬を使うなど様々あります。

この絵の人は天秤棒を使っています。
この天秤棒のことを「(おうご)」といいます。

木偏に力と書いて「朸(おうご)」。
木製の棒に力を加えて担ぐわけですから、理にかなっています。

力石研究の第一人者の高島先生もこうした漢字に注目しました。
先生が興味を持ち、著書で紹介した漢字をここに書き出してみます。

を発揮するのが
ないと劣る
労働で支払うのが主税(ちから)
いものにが加わると動く

なるほどなあと感心しつつ、次のこれでつまづきました。

●重いを加えると勇ましい

鐘に力で勇ましいって、意味がわかりません。
そこで師匠に問い合わせました。

答えは以下の通りです。

勇の文字の力の上は(よう)。
つまりこの文字はでできています。
で、この甬って何かというと、
甬鐘(ようしょう)という柄のついたのこと。

これが甬鐘(ようしょう)です。
ようしょう

この重い鐘に力を加えるには非常な気力がいる。
その気力を出す様子が猛々しく勇ましい
なので、「重い鐘に力を加えると勇ましい」になるとのことでした。

ちなみに「力」という文字は「力強い腕」を意味するとか。

私はまた、「マ」「男」だからマオトコだ、なんて思っちゃって。
どこまでも不肖の弟子で、師匠、すみません。

で、ついでながら、
を表わすサンズイをつけると「湧・涌」(わく)になります。
勇ましく湧き出る水ってわけです。

私も真面目に考えてみました。
力をたくさん加えたらどうなるか。

●一つの仕事に2人以上の力を合わせると協力のになる
●しかし協と同じ3つの力でも、
 月(肉)を切るのは脅しになってしまいます。
 
力も使いようで良くも悪くもなるってことなんですね。
漢字って実に味わい深い!

で、恐れながら、
わたくしメから三重県総合博物館さまへの提案です。

もしもいつか「力石の企画展」をやっていただけるなら、
ぜひ、力石にまつわる絵引と力の漢字遊びもその中へ入れてくださいね。

とまあ、
たとえ見果てぬ夢であっても、「いつでも夢を」の世代ですから。


力石に関する「絵引」は次回ご紹介いたします。


※参考文献・画像提供/「新版絵巻物による日本常民生活絵引」第一巻
               澁澤敬三・神奈川大学日本常民文化研究所編
               平凡社 1990
               /「新版絵巻物による日本常民生活絵引」第三巻
                編等同上
※参考文献/「澁澤敬三著作集 第3巻」平凡社 1992
        /「力石ちからいし」高島愼助 岩田書院 2011

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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