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ふう~

♪ 秋よ来い 早く来い

  暑さでまいったきよちゃんが

  ザックにカメラをととのえて

  調査に出たいと待っている~




力くらべの折りに青年たちがはいた鉄の下駄です。
CIMG1166_20190823203735e52.jpg
静岡県富士宮市大中里青見丘路・丘路八幡宮


もうね、写真の編集がうまくいかなくて四苦八苦です。

ペイント3Dなるものでやってみましたが、
保存したはずの写真は行方不明になるし。

で、以前のペイントでやってみましたが、
これまた、以前のようにはいきません。

ブログ記事の書体も知らぬ間に変わっちゃうし、

ふう~

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超常現象!?

夏ですから、たまにはこんなお話もいかがでしょう。

20年ほど前の古い写真です。
写り込んでいるんです、変わったものが…。

この日私は山仲間と、大分県の九重(くじゅう)連山をめざして、
夜の名古屋港からフェリーに乗りました。

途中、神戸に入港。
港の観覧車が夜空にキラキラ光ってきれいでした。
船のお風呂に入ったのはこのときが初めて。
船が傾くと湯船のお湯もグラリ。斜めの水平線に浮かんでいるって感じ。

船室の窓から外を見たら、波の間に間に島影が黒々と。
あ、今、瀬戸内海を航行中だってわかりました。

早朝、大分港着岸。
そのとき撮った写真がこれです。

img030 (3)

右側に、船と重なって変なモノが写っています。
人の指のようなモノ。わかりますか?

右上の赤い光と左上の白い光ってのもなんだか変。
早朝とはいえ、妙に重苦しい靄(もや)だなァって思いました。
で、続いてもう一枚撮ったのがこちら。

曇り空ですが、すっきり撮れています。
先の写真と時間の差はほとんどないのに、この違いは何?

img030 (2)

お山です。
全山、ミヤマキリシマのピンク一色。

晴れていたかと思うと小雨という目まぐるしい天候で、
合羽を着たり脱いだり。

20年前の紙焼きなので色が褪せたかも。
本当はもっと鮮やかなピンクです。

img030 (4)

この日は山荘に泊まりました。
口をついで出てきたのが「坊がつる讃歌」

♪ ミヤマキリシマ咲き誇り 山くれないに大船(たいせん)の
  峰を仰ぎて山男 花の情けを知る者ぞ

怪現象はお山でも出ました。

img030_20190808205736c17.jpg

といっても気が付いたのは帰宅後、写真を見たときです。
どうみても指ですよね、これ。

大分港での指とほぼ同じ。

カメラを持つ自分の指が霧に反映してこうなったのかと思いました。
でもよく見ると、小指のような指の爪が半分しかない。
それに私の指は長いし、こんなふうにぷくっとしていないし。

なんでしょうね、これ。

自慢にはならないけど、子供のころから不思議なモノとよく遭遇してきました。
本当にゾッとしたのは数えるほど。
ほとんどは恐怖を感じなかったし、この写真も同じ。

こちらは船のデッキでの私です。
写真を通して、久しぶりに20年前の自分と対面。
この頃はまだ若かったなァ。歳月は人を待たずって本当ですね。

ご一緒した山の先輩の何人かはもうこの世にいないし。

img033_20190808212417187.jpg

で、この写真よく見ると、
私の後方に名探偵エルキュール・ポワロ氏に似た人が…。

ここは一つ、
この超常現象の謎の解明をポワロ氏にお願したほうがよさそうですね。
それとも謎は謎のままにしておいた方が?

埼玉のオヤジたち

ここでちょっとティータイム

「力石ハンター」の斎藤氏の趣味はポタリング路上観察
路地裏、街角、田舎道で見つけた観察物件を
いつも楽しませていただいていますが、今回はこんな写真が届きました。

スカイツリー蓮田

埼玉県蓮田市井沼のSさん(68)宅に立つ「蓮田スカイツリー」です。

アルミ製で高さは本物の50分の1の約12・7m。
重さ約200Kg。
白と青のLEDを仕組んであるそうです。

農家のご主人のSさん、
「お土産についていたスカイツリーの設計図を見て作った」
というのだからすごい!

生まれも育ちも埼玉っ子の斎藤氏、
こういうオヤジが埼玉にいるのが何だか嬉しい」と、ちょっぴり誇らしげ。

でも、「こういうオヤジ」って埼玉に多くないですか?

以前、送っていただいた「墓地を覗く植木の坊やたち」
これも埼玉県草加市だし、

IMG_6649.jpg

新たにいただいた植木のオブジェ、
「生垣四兄弟」も埼玉県北葛飾郡杉戸町。

4兄弟生垣

ひところ、「ダサイタマ」なんて言葉が巷でささやかれたけど、
自分がトコトン楽しんで、周囲の人をも和ませる、
「ダサイタマ」どころか、
なんとも乙なオヤジたちじゃないですか。

無駄なようで無駄じゃない

人生にはそんな遊び心が必要ですもの。

孫が来た!

沖縄から孫が来ました。
3歳と5歳のやんちゃな男の子。

大井川鉄道のトーマスくんかSLに乗せてあげたいと思って、
静岡のおばあちゃんは張り切りました。

でも運行時期や時間が孫たちの時間とあいません。
それで小さなトロッコ電車に乗ることにしました。
昔の森林鉄道です。

登山をやっていたころはこれに乗って、南アの入口・井川まで入りました。
そのころは屋根だけしかない吹きさらしでした。

今はミニ列車というそうです。途中、日本一の急勾配を登ります。
CIMG4797.jpg
大井川鉄道=静岡県榛原郡川根本町千頭

小さなトンネルをいくつも通ります。
ダム湖で大勢の人がカヌーをやっていました。

木々も川も緑一色です。

CIMG4808_20190519191549864.jpg

茶畑も美しい。

CIMG4823.jpg

私たちは途中の「接阻峡温泉駅」で下車。
ここから上り電車で元の千頭駅まで戻ります。

ここにはおじいちゃんの駅員さんがいました。
「ふるさと資料館があるけど、ぼくたちにはまだ無理だなあ」

駅員さんが言っていた「ふるさと資料館やまびこ」です。
遠くから大学の先生や研究者、学生さんたちがやってくるそうです。

CIMG4819.jpg
静岡県榛原郡川根本町犬間

駅近くのトンネルです。
線路の一番奥の暗がりがそうです。
小さな小さな山のトンネルです。

CIMG4818.jpg

往復約2時間。幼い孫たちにはやはりきつかった。
孫たちをSLやトーマスくんに乗せてあげたい、
お嫁さんが気兼ねしないよう山の温泉宿でゆっくりしてもらいたい、
そういう私の意見を息子たちは優先させてくれたのだが…。

千頭駅に着いたら、運よく到着したばかりのSLが…。
海外からの団体さんが降りてきました。

CIMG4824.jpg

機関士さんの席に乗せてもらいました。
釜の蓋も開けて見せてくれました。

昔はもくもくと黒い煙を吐き、
吐きだした火の粉が茅葺の屋根について火事になったとか。
今は燃料も改善されて、そんなことはなくなったそうです。

CIMG4830.jpg

若い機関士さん、汗だくです。
でもニコニコとみんなを迎え入れていました。

千頭駅から山越えで今度は静岡の我が家へ。
峠越えの猛烈なクネクネ道で、孫二人はゲーゲー。

それでも家に入ると元気いっぱいになって、お菓子をパクパク。
一休みのあと、今度は東京のおばあちゃんの家へ。
孫も大変ですね。

キーボードを送る約束をして、
ハグを二回もして見送りました。

CIMG4833.jpg

最初息子は我が家にゆっくり泊まることを望んでいました。

豪華な旅より、
自分が育ったふるさとを自分の子供たちに見せたかったのだと
あとから気づきました。

「また行きます」の息子からのメールに、
「今度は家へ」と返事をしたことは言うまでもありません。

※5歳の長男、SLを見て喜ぶと思ったら、「イヤダ!」と近づきません。
 どうやら思い描いていたのはトーマスくんだったようで…。

 号トーマス

確かにこちらのSLおじさん、コワモテですものね。

CIMG4833 (2)

「おばあちゃんも機関室に乗れたよ」と写真を見せたら、「じゃあ乗る」と。

トーマスくんは構内にいたのですが、しっかり隠されていて見えません。
トーマスの権利元の承認を経て実施されているそうで、
来月6月と7月には運行されるようです。

海外からも申し込みが殺到するほどの人気で、
チケットはなかなか取れないとのことでした。

長男坊は事前に送ってあった大井川鉄道の絵本で学習してきたそうです。
期待通りにいかなかったけど、この次のお楽しみとなりました。

駿府二丁町

駿府、今の静岡市は江戸幕府を開いた徳川家康が、
幼少時代を過ごし、晩年になって隠居所として住んだ町です。

慶長12年(1607)、66歳で秀忠に将軍職を譲った家康は、再び駿府へ戻り、
ここに「大御所政治」を展開。
そして、矢継ぎ早に、
全国通貨の慶長小判の鋳造、活字印刷金属瓦西洋式帆船
建造を手がけます。これはすべて、日本初のものです。

駿府城下には全国から商工業者が集まり、諸外国の要人たちが家康を訪問。
駿府はたちまち人口が膨れ上がり、東海一の都市と称されました。

そんな中にできたのが「二丁町遊郭」です。
敷地1万坪。幕府公認。
のちにここの一部が江戸吉原へ移ります。

これは二丁町の花魁が差していた髪飾りの一部です。

img697_20190323172146b83.jpg

記者時代、取材先の画家さんが花魁の髪飾りをペンダントに作り替えて、
私にくださったものです。

黒漆地に螺鈿(らでん)、金工象嵌(きんこうぞうがん)。
 ※螺鈿=夜光貝や真珠をはめ込んだもの。
 ※金工象嵌=金をはめ込んだもの。

どんな女性の持ち物だったんだろう、幸せになれただろうかと思いつつ、
ずいぶん愛用しましたが、とうとう壊れて、今はこれだけ残りました。

「わたしの叔母は二丁町の娼妓であった」ー、
という書き出しで始まる「静岡の遊郭二丁町」という本があります。
著者の叔父が身請けした「つね」という娼妓は、
最後に訪れたこの幸せに感謝しつつ、間もなく結核で亡くなります。

しかし叔父は、身請けまでしておきながらなぜか決して入籍はしなかった。
そんな「つね」への思いを胸に、戦後、著者の調査が始まります。

この遊郭は静岡大空襲で焼失する昭和20年まで存在しました。

著者は調査の過程で、終戦間際の二丁町に、
「20人くらいの朝鮮人慰安婦がいた」という話を元・楼主から聞きます。

「若い女たちを集めたものの大陸への運搬船が沈んじゃって運べなくて。
それで日本のあちこちへ分散させた。その一部が二丁町へも来た」
「日本語も出来ないのに、戦後、彼女たちはどうなったのか」

思いがけない話を耳にした著者は、こんな感想を漏らしています。
戦争がこのようなかたちで二丁町に繋がっていようとは想像もできなかった」

ずいぶん前になりますが、私にも衝撃を受けた経験があります。
調べていた郷土資料の中に、娼妓たちの名前や住所を書いたものがあって、
その中に見知った家の住所を見付けてしまったのです。

貧しい家のため、その親から身売りされた娘なのに、
親はその娘を恥じて、年季が明けても家へ迎え入れることをしなかったという。

今、贅沢をしたいがために売春をする少女たちがいる。
そんなことを昔の娼妓たちが知ったら、どう思うだろうか。
「自分を粗末にしちゃいけないよ」って、言うのかもしれません。

私はこの「花魁の髪飾り」をいつもパソコンの横に置いています。
螺鈿や金工象嵌は今も美しく輝いています。

苦界に落ちても「穢れのない、凛とした気高さ」を感じるのです。


※参考文献/「静岡の遊郭 二丁町」小長谷澄子 文芸社 2006
        小二田誠二・静岡大学教授のHP「人言小二田研究室」

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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