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泣いた石、笑った石

盃状穴①
02 /28 2023
斎藤氏が上戸田氷川神社に特別の思い入れがあるのは、
ここで力石を新発見しているからなんです。

これがそのときの力石です。2016年11月13日のことでした。


手水鉢の横に土に埋もれ、端っこが大きく欠けた石、これなんです。
上戸田氷川神社1
埼玉県戸田市上戸田3-20-11・上戸田氷川神社

長い間、一人ぼっちで空を仰いでいた自分を、
この日、誰かが覗き込んでいることに気づいて、
チャンス到来と思ったのかどうか、思わず、

「オレ、力石だよー!」

その石の声なき声を斎藤さんが見事、キャッチ。

この石、デコボコで、ほかの力石のようにきれいな楕円形でもなし、
おまけに角が欠けて貧相。とても力石には見えません。

でも、そこは永年の勘。

斎藤さん、汚れた石ッ面に水を掛けたら、
出ました!

「上戸田村力石」の文字が…。

居合わせた宮司さんと町会長さんに確認していただき、
晴れて今回、ほかの力石と同じ土俵に飾られたという次第です。

良かったね!

晴れ姿がこちら。見栄えは今一つですが、
なにしろ有形文化財として認められたのですから、胸張ってね!


ショボいけど、まあ、これも個性というもんです。味がありますもんね。
上戸田氷川保存3

さて、
これらの力石が句碑や他の石造物と共に文化財に指定された理由を、
戸田市教育委員会ではこのように説明しています。

「これらは出羽国羽黒山に関わるもので、元は戸田の渡し近くにあったが、
明治40年の合祀の際、上戸田氷川神社へ移転。

江戸時代の羽黒山の賑わいと共に、荒川を通じた戸田と江戸との
交通・信仰の様相を知ることができる貴重な文化財です」


でも、こうした笑う石の陰で泣き泣き退場した力石があるんです。

泣いたこの石(赤丸)、
「埼玉の力石」では、
力石と認定されていましたが、今回取り消され除外されました。

その結果、
ここに出ている3個のうち、力石は右端の刻字石のみとなりました。
保存前の上戸田氷川神社4

右端の石の刻字を記しておきます。

「奉納 二十六貫目 上戸田村中」


下は晴れて「力石」と認められて「笑った石」の、かつてのわび住まいです。

右側の手水鉢に「溝状の凹み」があるような…。

もしあったなら、(気のせいかもしれないけれど)
宮司さんはこれを見て、「盃状穴では括れない溝」に着目したのかも。

左の手水鉢の傍らにあるのが、新発見の力石です。
保存前の上戸田氷川神社6

人生いろいろ、力石もいろいろ


ーーー奈良文化財研究所の取り組み

ブログ「O KKANABIKKURING」の「ぢょん でんばあ」さんからの情報です。

石造物に刻まれた文字を光で写し取るという画期的な「拓本」です。

「なぶんけんブログ」

「ひかり拓本プロジェクト」

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壮観! 力石

盃状穴①
02 /25 2023
思いのほか、盃状穴の話が長引きました。

「穴」はすでに世間一般に知れ渡っていますが、
新たに「溝」が浮上して、つい、この謎解きに夢中になりました。

ことの発端は、
へいへいさんのブログ「へいへいのスタジオ2010」がもたらした
力石がきれいに保存された上戸田氷川神社の記事でした。

これを見た埼玉の力石研究者の斎藤氏、
「そういえば…」と思い出したのが、
かつて宮司さんから聞いた「盃状穴では括れない溝状の凹石」の話。

ここから「穴と溝」の深みにハマりました。

上戸田氷川神社は斎藤氏にとって、思い入れ深い場所。


早速、現地へ飛びました。

ありました。
上戸田氷川神社の
埼玉県戸田市上戸田3-20-11 ・上戸田氷川神社

近づいてみると、壮観です!

宮司さんと氏子さんたちの並々ならぬ熱意が感じられます。
上戸田氷川保存2

元の姿はこちらでご覧ください。

「力石を愛する宮司さん」

さいたま市の酒井 正氏が絵に残してくれています。

酒井画上戸田氷川

こちらは絵に描かれた実際の力石です。15個のうちの4個。

どれも卵型のきれいな力石です。
これに自分の名を刻んだ時の興奮が伝わってきます。
保存前の上戸田氷川神社3

石に刻まれた力士名は左の石から、

● 上戸田村 八五郎 久五郎 清次郎

● 本町東助 代地由五郎
 本町東助は東京力持ち界の代表的人物で、画家・河鍋暁斎の飲み仲間。
 由五郎は上戸田村出身の御蔵前 代地由五郎のこと。

河鍋暁斎が描いた本町東助です。
本町東助
「河鍋暁斎絵日記」河鍋暁斎記念美術館編 平凡社 2013より

● 御蔵前代地 竹次郎 民五郎 上戸田村 豊蔵
  御蔵前とは、浅草・隅田川右岸にあった町で、
  幕府の年貢米を入れる蔵が並んでいた。

  御蔵前を名乗る由五郎らは、ここに軒を連ねていた問屋で、
  米俵を担いでいた(おか)仲士だったのでしょう。

● 南新川 三吉 平治

  南新川は江戸の酒蔵が立ち並んでいた河岸の一つ。
  ここには力持ちが大勢働いていました。

重い酒樽をコロコロ転がして運ぶので、彼らは「タルコロ」と呼ばれていた。
ここに名が出てきた三吉と平治も、
南新川のタルコロだったのではないかと思います。

タルコロの有名人に、神田鎌倉河岸の酒問屋・豊島屋の鬼熊がいます。

そんな彼らの働きぶりと酒問屋の蔵に関西から新酒が届く様子を、
下記の記事でご覧ください。


「チョイチョイとよし」

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あな!

盃状穴①
02 /22 2023
あな! (ああ…)

力石かなあと思って調べたが、証言は得られず断念した石です。
立派な盃状穴がありました。

CIMG0075.jpg
静岡市駿河区曲金・金(かな)地蔵尊

あなや! (あらまあ)

その名も「穴地蔵」

焼津市と静岡市の県境、日本坂峠に鎮座。
この穴は、横穴式石室の羨道といわれ、
ヤマトタケルが敵に追われて隠れた穴との伝説があります。


奥にもう一体、古い地蔵さんがおります。
穴あけ石やら丸石やらたくさん奉納されています。
ハイカーには馴染みのお地蔵さんです。


穴あき石と地蔵さん

あなわびし (ちょっと寂しいけど…)

こちらは「穴観音」

CIMG1119 - コピー
静岡市葵区

昔は山道に祀られていたのですが、新道開通のため、
こんなふうに保存されました。

今はみなさん車で素通りですが、でもいつもきれいなお花に囲まれて、
大事にされていますから、寂しくないですね。


道路建設の時、みなさん、考えたんでしょうね。
撤去するにはしのびない、かといって通行の邪魔になる。それで崖に穴を…。
CIMG1118 - コピー
同上

あなめでたや 

石の真ん中に貫通した穴がある。
この穴は「あの世とこの世の通路」といわれて、命の甦りができる穴とか。

富士山周辺では溶岩にできたこうした穴が見られます。

樹木が溶岩流に飲み込まれてできた穴だそうです。

この穴から太陽が差し込んだら女神が受胎したとか、
母親が太陽を浴びて受胎して生まれた武将とか、そんな話があります。


女性解放運動の先駆者・平塚らいてうは、

「元始、女性は太陽であった」といったけれど、
元始、太陽は「男神」であった。

それをだれかさんが女神の「アマテラス」に変えちゃいました。


三囲(みめぐり)神社の穴が貫通した巨石です。その前に力石がゴロゴロ。
CIMG0911.jpg
東京都墨田区向島・三囲(みめぐり)神社

ちなみにこの「みめぐり」という言葉には、こんな意味もあります。

マタギの名人が鹿狩りに行って日が暮れたので、大木の下に宿った。
そのとき魔除けに、自分と木のめぐりに縄を三巡り引き回して難を逃れた。

「遠野物語」佐々木喜善 石井正己編 河出書房新社 2009

孟母三遷、三位一体、三社めぐり、三々九度など
「三」という数字はよく使われてきました。

これは、
「三つ」は「みつ(満つ)」=願いが叶うに通じることから好まれたそうです。

あなかしこ (ああ、恐れ多い)

石の穴ではありませんが、こういう穴もどうでしょう。

クスノキに彫られた聖観音像です。

CIMG4297.jpg
静岡市清水区由比・林香寺 仏師・中村奥堂が昭和10年ごろ制作

いずれ木に飲み込まれるか、木と共に倒れるかでしょうが、
壮大なロマンを感じます。

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なんじゃ、こりゃ

盃状穴①
02 /17 2023
「穴」を究めるのはチョー難しい。

だいたい「石」そのものが曲者ですから。

どこにでも転がっていて、「石っころ」だなんて見下されている反面、
「石は魂の入れ物」だとか「神の依り代」だなどと崇められて、
道祖神だの丸石だのとあらゆるものに化けて神がかり。

その上、自分では動けないことをいいことに、ドンと居座り続けてきた。

とまあ、石に八つ当たりしても、石は何も語りません。


曲者中の曲者
「なんじゃ、こりゃ」の「石の穴」、3つご紹介します。

まずは、こちら。
CIMG1216.jpg
静岡市葵区籠上・三叉路(どこかの寺の入口」だったかも)

はるか昔、力石探しの途中で見つけて、
変わっているなあと思い、写真だけ撮っておいたものです。

碑面の文字です。
「寛文□□
一□心信徒□
阿部駿府籠上
□□蔵三□
後期月夜□
□□□」


日月星の「三位一体の信仰」でしょうか。
近くに妙見神社がありますから、あるいは…。

次の「なんじゃ、こりゃ」はこれです。

以前掲載した姫路市の「さいとくさん」。
穴を穿った板石をうやうやしく祀ってあります。

これ、
「歳徳神」と書いて「さいとく」と読ませている「さいのかみ」というので、
「歳徳神」なら「としとくじん」という神様なのにと疑問に思い、
姫路市に問い合わせました。
さいとくさん
姫路市別所町土佐・道路の分岐。「盃状穴考」よりお借りしました。

「歳徳神」(としとくじん)は、お正月に恵方の方角から家々を訪れて、
その年の豊穣や安全を約束する神様で、道祖神のサイノカミとは別物。


ちなみに、今流行りの「恵方巻を食べる」風習の仕掛け人は関西の花街説、
海苔業界、コンビニ説などいろいろありますが、こちらの来訪は「立春」。

姫路市からのお返事はこちら。

「ここのは「としとくじん」ではなく、塞の神の「さいとくじん」です。
恐らく近くにある歳徳(さいとく)神社(飾東町左良和)から来ていると
思われます。
ここの神社の祭神はサイノカミですから」

でも、こんな平板で少しも凄みのない石では、
邪悪なものが「へへへ」と笑って昼寝でもしそうなんですけどねぇ。


「双体道祖神」です。長野などにはキワドイものがたくさんあります。
キワドイものや仲の良さを見せつけて、魔を退散させたと言われています。

静岡県東部には信州高遠の石工が大挙して出稼ぎに来たことから、
こうしたものが残っています。どんど焼きには火に投じられました。
双体道祖神
静岡県富士宮市

さて、「盃状穴考」でこの「さいとくさん」を取材した執筆者は、
地元の方からこんな話を聞いていました。

「1月13日に祭祀を行っている」
「田んぼの神さんだから、ボラを供えた」「1月にはオトウもしていた」


1月13日ごろの行事といえば、豊作や無病息災祈願の「道祖神祭り」。
これは村の辻にある道祖神場での火祭り(どんど焼き)のこと。
またオトウは、
年頭に大歳神を迎える「オトウ祭り」で、五穀豊穣を願う行事です。

この石には「田んぼ」の行事が濃厚に出ています。


住民の証言にもあるように、元は田んぼの神さまで、
「燈明石」と同じように穴に油を注ぎ、豊穣・無病息災を祈願したのでは?
それが街道の辻にあったことから、道祖神に転化したと思うのですが…。


こちらは単体像のサイノカミです。上に載っているのは力石
伊豆の道祖神は僧形や女神などの単体が多いので、その影響のようです。
こうしたサイノカミ一つとっても、文化の流入経路が見えて面白いですね。
CIMG0237.jpg
静岡県裾野市富沢・塞の神(道祖神場)

前述した姫路市の「さいとくさん」について、
姫路市埋蔵文化財センターさんにも聞いてみました。

●盃状穴が刻まれた石材は遺跡から出土したものではない。
●石の形状の変形五角形に特別な意図が含まれていた可能性は低い。


●「盃状穴考」の執筆者は「さいとくさん」と報告されているが、
 市教委の調査では「さいのかみさん」という呼称しか
 地元では確認できなかった。


次にご紹介するのも摩訶不思議な「穴」なんです。斎藤氏からの情報です。
これです。
白幡2
さいたま市南区白幡1-16-4・白幡地蔵堂

どう見ても、北極星を中心に星が周りを囲んでいるとしか…。
穴の真ん中の金色がまたすごい!

♪ キラキラ星よ、あなたはいったい誰でしょう

さて斎藤さん、ついに溝状の窪みの命名に決着をつけた模様で、
新名称を考え出したとか。


「溝状凹(ぼこ)

「ぼこ」とは、ちょっと可愛らしい。

別の角度からの写真をお見せします。

白幡地蔵堂1

見れば見るほど不思議な「盃状穴」+「溝状凹」ですね。
この星座のような凹みは、下の写真の石階段にあったそうです。

上から3段目に穿たれていたそうですが、中間や下段にも見られたとか。

写真からだと石段の石質がそれぞれ違うように感じますが、
そうだとしたら他からの転用ということも考えられます。

また、東大寺二月堂など有名無名の社寺の石段や敷石をよく見ると、
さまざまな文様が刻まれています。

一説には、これを踏むことで魔除けになったり、
極楽浄土を約束されるという言い伝えがあります。

金色や朱色は魔除けの色といわれていますし。

ここのも、
あえて石段に施したとすれば、「踏んでご利益」のためかもしれないですね。


白幡3

足元の何気ない文様や穴にも、人の思いが込められている、
そのことに私は感動を覚えるのです。

石はその身を人に任せて刻まれて、何万年もの年月を生き続ける。
そしてのちの人は、沈黙する石の前であれやこれやと謎解きに夢中になる。


石は人間にとって、永遠の友だちなんだなぁとつくづく思いました。

このごろの記事は年寄りの長話みたいになっちゃって…、反省。

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当たるも八卦…

盃状穴①
02 /14 2023
「易学に見られる〈太一九宮理論〉」

フーッ…。
私の苦手な中国の古代思想が出てきました。
陰陽五行だの干支だのって、”ヘ”理屈っぽくって…。

でもそうは言ってられません。少し調べました。


「易学」とは、儒教経典の一つ。

「太一(たいいつ)とは、
万物の根元。天の中心に位置する北極星(北辰)のこと。

私はずっと、北極星は北斗七星にあると思い込んでいましたが、
違うんですね。

北斗七星は大きなひしゃくの星座で「おおぐま座」と呼ばれ、
北極星は小さなひしゃくの星座の一つで「こぐま座」とのこと。


「とむさん星空ノート」より
とむさんこと青野友彦氏はフリーアナウンサーで星空案内人。

この北極星、一年中真北に輝いている星で目立つから、
古代人は航海のときなど、この星を目当てにしていたという重要な星で、
中国では「太一神」として崇められていた。


「九宮(きゅうきゅう)とは、
災害、兵乱、政変、水干など地上に起きる9つの分野のこと。

太一神はこの九つの宮(貴神)を順次巡るとされ、
それに基づき占ったのが「易」

あの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」だそうです。

「盃状穴考」の執筆者の一人、小早川氏が着目したのは、
この「太一九宮理論」に基づいた「燈明石」です。


前回ご紹介した真木大堂を始め、大応寺(大分県豊後高田市)や、
東国東郡国見町の畠の中の「十二燈石」など4か所、あげています。

「燈龍石(十二燈石)」大分県東国東郡国見町竹田津陣之内
国見
「盃状穴考」国分直一監修 慶友社 1990よりお借りしました。

いずれも穴は13個。
太一神を真ん中に、その周りを12個の穴が囲んでいます。
穴に油を注ぎ火を灯し、
大晦日から夜7日間、無病息災・豊穣祈願をしたそうです。

この星信仰は日本に入って仏教や妙見信仰、山岳修験などと融合して、
神紋や家紋の「九曜(天体紋)」など、
さまざまなところにその痕跡を残しています。


そんな一つに、海女さんの魔除けの「盃状穴」があります。

このことを、橋本好史氏が、
「伊勢民俗(41)」(伊勢民俗学会 2012年9月30日)
現代の盃状穴鳥羽市相差町の石穴信仰」で報告しています。

三重県鳥羽市の海女さんたちの「魔除け」セーマン(星型)=「洗米石」
海女さん穴1
「伊勢民俗(41)」からお借りしました。

石には5個の穴(星)が穿たれていますが、
潜水のときの衣服には、ひと筆書きの五芒星を縫い付けます。

snap_chikaraishiworld_20230213181355.jpeg
この洗米石のセーマンとよく似ているのが、
鹿児島県十島平島「オーニワ」の力石です。穴の数も配列も同じなんです。

もしかしたら、魔除けの意味が込められていたのかもしれません。


「オーニワ」とは、盆踊りなどをする広場のこと。
昔の若者たちはここで石担ぎに興じたそうです。


この5つの穴を繋ぐとWになります。カシオペア座です。
また5個は火、水、木、金、土で「五曜」を表わしているそうです。
オーニワ
鹿児島県十島平島・オーニワの力石

下の写真は、同じ鳥羽市の海女さんたちが、
平成12年に石屋に依頼して作った新しい「洗米石」。

「海女漁の初磯(解禁)の日に海女たちが、洗米石の穴に
塩でゆでた白米と小豆、魚、野菜、酒を供えて、
漁の安全と大漁を祈願している」
(橋本氏)

この5個の穴を一筆書きでつなぐと星型(五芒星)になります。
海女さん穴2
同上
橋本氏は手水鉢の盃状穴にも触れていて、
同町の神明神社境内に埋められていた手水鉢について、
こう記しています。

「盃状穴は大漁や命の再生、子供の授かりなどを祈願して穿った。
穿つ行為を人に見られると効験がないといわれていたので、
おそらく夜間、密かに通って穿ったものと思われる」


「明治になって迷信禁止令が出たとき、
盃状穴をセメントなどで埋めたり隠したり、
盃状穴のある手水鉢を廃棄した例がある」


今もどこかに、
地中に埋められたままの手水鉢があるかもしれないですね。


ーーー「九宮八卦」

拙ブログにご訪問くださる方から、

「小川哲氏の直木賞受賞作「地図と拳」に、 
石に人間にあるのと同じ数の穴(九宮)八卦という話がありました」
とのコメントをいただきました。

図書館に貸し出しを申し込んだら、順番はなんと35番目。 
数か月先とのことで、せっかく教えていただいたのに間に合わず。
後日、ゆっくり読むことにいたします。  

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞