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人の見残したものを見る

静岡県立美術館木下直之館長のことは、
ロバート・キャンベル氏との対談を聞くまで、私は何も知らなかった。

この対談から啓示のようなものを感じて、私は慌てて館長の著書を読んだ。
もうまったくの速読・乱読。
でも飛び込んでくる言葉は共感できるものばかり。私はたちまち魅了された。

「祭礼の数日間だけ出現しては壊されながらも次の祭礼にはまた出現する、
という具合に、日本にはハリボテをハリボテとして眺め、
いわば、そのインチキを笑い楽しむ文化があった」

「キッチュ」と解釈していいのかしら。
※キッチュ=まがいもの、俗悪、大衆的、独特の存在感などの意。

館長の著書に、
男の裸体彫刻を論じた「股間若衆 男の裸は芸術か」なんてのもある。
「股間若衆」はあの「古今和歌集」を彷彿させる響きですが、全く無関係。
でも今度は、
「新古今和歌集」をもじったような「せいきの大問題 新股間若衆」を刊行した。

先生、ちょっとハメを外しすぎてません?

こちらは、文部省体育研究所の嘱託時代の安藤熊夫氏です。
「この写真、わざと出したでしょう」って? 実はそうなんです

img017_20181014182322e68.jpg
昭和9年ごろ、同研究所の草原で。

安東氏は北村西望の彫刻のモデルになった人。
「北村氏作の長崎平和祈念像を見ると、顔をのぞけば体は安藤氏そのもの」
と、井口幸男氏。

その祈念像について、木下館長はこう言う。

「いくら北村氏が”とろける股間”を得意にしたとしても
あの大きさで、しかも大勢の参列者が目の前に来る。
やむを得ず?股間はで覆うことにした」

井口氏も西望氏のモデルになったが、やはり像の腰には布が巻かれていた。
芸術とわいせつ。悩ましい問題ですね。

そろそろ本題に入ります。

木下館長の別の著書、
「世の途中から隠されていること― 近代日本の記録
をご紹介します。

左上の角をご覧ください。なんと「力石」が載っています。
そうなんです。この本には力石が出てくるのです。

img012_20181015113528e98.jpg

本の冒頭には、こんなことが書かれています。

「あるものを引き出す作業は、別のあるものを隠す作業にほかならない。
そのことを、今からおよそ百年前の
日本美術と呼ばれるものの中に探ってみようと思うのだが、あるいは、
美術と呼んだとたんに隠されてしまった別のものの探索になるかもしれない」

「子どものころからヘソが曲がっていたらしい」と自認する木下館長、
博物館と美術館のその上に位置する「百物館」主人として
京都国立博物館やパリにまで赴き、
「美術と呼んだとたんに隠されてしまった別のもの」の探索に励みます。

その探索には、民俗学者の宮本常一が故郷・周防大島を離れるとき、
父親から与えられた言葉、
「人の見残したものを見るようにせよ」を肝に銘じて…。

そんな中で見つけたものの一つが金沢市・尾山神社力石だったのです。

館長が見た力石です。拝殿石も含めて全部で5個あります。
尾山町・尾山神社2
石川県金沢市尾山町・尾山神社

刻字は「さし石」、
「奉納 □藩主前田家ヨリ 拝領石 之御手木中」など。

「手木」は「てこ」と読みます。手木衆とは藩主・前田公に仕えた足軽。
  力量の優れた者たちが集められた。
  彼らの居住地は「手木町=てこまち」と呼ばれた。現・金沢市本多町1丁目。
  参考文献/「金澤古蹟志・第五編 巻十二」の46,47ページ。
      
さて、この「さし石」を見た館長、
「何のために重い石を高く持ち上げるのか」と考えたあげく、
「若衆たちの力競べを見守っている人間を超えた何ものかの存在」
を感じ、
「それこそが彼らに超人的なパワーを与えた張本人だ」と結論付ける。

う~ん、素人のアタシにはちょいと理屈っぽいニャ。

「かつて力持ちと呼ばれた人たちがいた。
今ならウエイトリフティングや相撲の世界という居場所があるが、
昔の彼らの居場所を説明するのはなかなかむつかしい。
と思っていた矢先、ひょんなところでばったり出くわした」

館長が「ばったり出くわした」相手は、幕末明治の画家・河鍋暁斎だった。

「暁斎の友人に浪野東助という力持ちがいる。
その東助の友人に清水晴風がいる。
荷車引きの家に生まれた晴風は、3、40貫目の力石を差し上げた力持ちで、
しばしば東助と連れだって近在各地で力持ちの技を見せたという」

「晴風はおもちゃの蒐集家で「うなゐの友」という画集も出した。
東助、晴風ともに単なる筋肉マンではなかった。
彼らの居場所が垣間見える」

清水晴風とは、フランス士官が撮った写真や小林清親の絵に出てくる
元柳橋の「大王石」「柴田幸次郎」のところで登場した人物です。

館長はここから、
「絵画を額縁に閉じ込め、さらに美術館という聖域に二重に閉じ込めた」
近代美術に対して、その場で「作者の芸を見せる書画会」に言及。

「書画会で東助は米俵に結びつけた大筆で文字を書き、
暁斎は八畳敷の大紙に竜頭観音を描いた。
この二人の行為は美術である前に身体の文化に属するものだ」

img101 (3)

「暁斎のパフォーマンスは北斎歌川国芳のそれを連想させる。
幕末には力持ちがその名称のまま見世物として成り立ち、
文化の一翼を担っていたこともここでは思い起こしたい」

酒屋の主人の東助は書も文もよくし、各界の著名人との交流も深かった。
晴風もまた家業の運送屋を番頭にまかせて、絵や民俗学の仲間と活動。
廃れゆくおもちゃの蒐集に全国を行脚した。

その晴風の墓には、墓石にした愛用の力石がデンと据えられています。

館長さん、文化の一翼を担ったこうした力持ちと力石のことを
もっとたくさん見て、知って、広めてくださいね。


        ーーーーー◇ーーーーー

※見世物研究の第一人者・川添裕氏、木下直之氏、
「明治の迷宮都市」の作者の橋爪紳也氏が登場する
別冊太陽「見世物はおもしろい」平凡社 2003は、お勧めです。


※参考文献/「世の途中から隠されていること」木下直之 晶文社 2002
        /「股間若衆」木下直之 新潮社 2012
※画像提供/「わがスポーツの軌跡」井口幸男 私家本 昭和61年
        /「酔うて候 河鍋暁斎と幕末明治の書画会」
         河鍋暁斎記念美術館ほか 思文閣出版 2008
※参考文献・画像提供/「石川の力石」高島愼助 岩田書院 2014
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意外なところに「東助」が…

久しぶりに美術館へ行きました。
絵を見に、ではなく講演と対談を聞きに。

私は美術館が苦手。

まず建物に威圧され、知的で上品な受付の女性に緊張し、
鑑賞者が一様に押し黙り、順路通りに歩くのを見て息苦しくなり、
暗がりに座り続ける生人形みたいな学芸員さんにギョッとなるから。

加えて、出口に至るわずかな時間に、
いかにも教養を高めたような気分になってしまう自分に嫌気がさすから。

かなりひねくれています。

小学生のころ、夏休みの「自由研究」に毎日、を描いた。
昔の夏休みは8月のまる1か月だったから、全部で31枚の「空の絵」。
それを見た先生が吐き捨てるように言った。

「バカじゃないの!」

翌年は石膏デッサンを提出した。
黒目のない白一色の両眼と腕をもがれた人体のなることに魅かれて。

2学期の初め、先生がその絵をみんなに見せてこう言った。
「この絵は非常にうまく描けている。
でも一番ダメな絵だ。これは姉さんか兄さんに描いてもらった絵だろう。
みんなはこんなズルイことをしてはいけないよ」

これで私のひねくれ度に拍車がかかってしまった。

とまあ、昔話はこれくらいにして…。

講演は、
静岡県立美術館で開催中の「幕末狩野派展」にちなんだもので、
講演者はロバート・キャンベル氏(国文学研究資料館館長)。
続いてキャンベル氏と県立美術館館長で東大教授の木下直之氏が対談。

img103_20181012060051a90.jpg
静岡県立美術館(静岡市駿河区谷田53-2)☎054-263-5755

「アートは2階、奥のお座敷で」のタイトル通り、
江戸から明治にかけて料亭の奥座敷で催された「書画会」の話だった。

書画会とは料亭の大広間で書家や画家が客の求めに応じて
即興で作品をかくという席書・席画パフォーマンス。

キャンベル氏は、天才絵師・河鍋暁斎の書画会についても、
「酔うて候 河鍋暁斎と幕末明治の書画会」という本へ寄稿されている。
暁斎のことは力持ち・本町東助のところで、私も書かせていただきました。

ただしこの日は、期待した「暁斎」は語られなかった。

木下氏は静岡県浜松市生まれ。同県人です。親しみが持てます。
昨年春、同館の6代目館長になられた。
ご本人は「この6代目という呼び名が気に入っている」とか。

ご専門は美術史、写真史、そして見世物史とあります。
「常に見下されてきた見世物を美術の偉い先生が…」
と、私は驚きつつも嬉しさ全開です。

先生はご著書にこう書いています。

暁斎はあまり書画会は好きではなかったようだが、
最晩年には中村楼での書画会には参加した。
友人浪野東助の主催だったからだ。東助は力持ちとして聞えた人物」

でも私が読んだ暁斎に関する本には、
暁斎は大規模な書画会にも個人的な席画にもよく出ていたとあった。
ただしいつも「酔うて候」の状態で…。

ま、それはさておき、

ここへきて、まさか、美術館館長から、
「力持ち東助」の名が出てくるとは思いもしませんでした。

次回の講演はその木下館長による「”暁斎画談”を読む」
期待が高まります。


<つづく>

うーれしいな、うれしーな!

埼玉の研究者、斎藤氏から封書が送られてきました。

中に入っていたのがこれ。
img099_20181008160409140.jpg

東京の地下鉄の駅で無料配布されている冊子、
「MetroWalker  メトロウォーカー」秋号です。

ヘェー、
東京にはこんなおしゃれな冊子があるんだと早速開いてみた。
地下鉄沿線の名所、味どころなど満載。

歴史・サイエンスライターの原島広至さんが写真と文と古地図でたどる
「メトロ今昔探訪」

今もつづく浮世絵の摺り師のお店や、
宮大工の木組みの技法を紹介する「木組み博物館」
江戸の火消しを知る「消防博物館」

どのぺージも、絵図や浮世絵、写真を駆使して色鮮やかです。

味どころの紹介がまた凝(こ)っています。
「味噌」を使った料理屋、パン屋、レストランがずらり。
米みそ、麦みそ、豆みそと種類も豊富。

行ってみたーい! 食べにいきたーい!

でも斎藤氏がこの冊子を送ってくださったのは、
私のそんな「欲望」のためではありません。

力石が掲載されていたからなんです。

ほらね!
img100_20181008165203ed2.jpg

タイトルの
「江戸の力試し!力石を散策」ってのもいいですねぇ。

なんと力石四ヵ所、地図まで添えて紹介されています。
志演尊空(しのぶそんくう)神社=南砂町駅(東京で最古の力石) 
報土寺=赤坂駅(雷電為右衛門の墓にある力石)
成子天神社=西新宿駅 ④鉄砲州稲荷神社=八丁堀駅

右端の絵は杉並区荻窪・田端神社絵馬です。

うーれしいな、うれしーな!
力石もいよいよメジャーになってきたか!

嬉しさついでに、大サービス。
江戸庶民がつくった力石と力持ちの川柳・雑排をご紹介します。
力石がいつもそばにあった庶民の暮らしに、思いを馳せていただければ…。

   今ちっと 端からきばる 力もち (文政七年。手引草)

   すゞみ場で 汗かいて見る ちから石 (元文五年。銀の月)
 
さて、上記の冊子とは別に、
六年前にも力石を紹介してくださっていた冊子がありました。

こちらです。「パトス」といいます。
img041_20181008170135315.jpg

日清ファルマの製品を購入したら、毎回、無料で送ってくださったのです。
表紙はいつも安野光雅さんの絵。
それがまた楽しみでもあり、心が和みました。

この冊子も歴史、自然、美術・音楽、職人さんの記事満載。
特に芸術に関しては内容が秀逸です。
その中に、
「むかしむかし 伝説の跡を訪ねて」という連載記事があって、
そこに力石を何度か載せてくださっていたのです。

その一つがこちら。
img040_201810081712251ad.jpg
東京都葛飾区東新小岩・上小松天祖神社

この神社には16個も力石があります。
で、特筆すべきは、左下の写真の真ん中の石です。
これは「小松川の力持ち連中」6人が、明治29年に奉納した句碑で、
こんな句が刻んであります。=区登録有形民俗文化財=

   名をあげて 若き力の 花納(はなおさめ)

血気盛んな若いころ、みんなで担いだ思い出の力石を無事奉納できた。
その喜びが石に刻まれたのです。

嬉しいですねぇ。
そんな句とともに、「パトス」さんや「メトロウォーカー」さんが、
力石をこんなふうに取り上げてくださった。

東京のみなさーん、
これらの冊子片手に、ぜひ力石会いに行ってくださいね!


※参考文献・画像提供/「メトロウォーカー・秋号」東京地下鉄株式会社
               企画制作 KADOKAWA「MetroWalker」編集部
               2018
               /「パトス」(株)ポリッシュ・ワーク パトス編集部
                2012年1月
※参考文献/「川柳雑排 江戸庶民の世界」鈴木勝忠 三樹書房 1996
        /「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003

尋ね石の時間です③

一週間ほど前、師匠の高島先生からメールがきました。

「大阪へ力石の調査に行ってきました。
例の此花区・立江地蔵堂の2個の力石、なくなっていました」

なに! 力石がなくなっていた?!

「近所のタバコ屋さんで尋ねたら、地蔵様が盗まれてお堂は閉鎖された。
その際、力石も撤去された、ということでした」

私、昔からフットワークいいですからね。
JRの「そうだ、京都へ行こう!」じゃないけれど、
「そうだ!」と思い立ち、気が付くと電車の中にいたなんてこともしばしば。

で、早速、
以前お世話になった大阪歴史博物館此花区役所へ問い合わせました。
歴博さんはまったくわからないとのこと。
大阪此花区役所さんからはこんな情報をいただきました。

「地蔵さまと一緒に力石も盗まれた」

ヴァーッ!! やい、どろぼう!

あんたっちゃ、力石なんか盗んでどうするダネ。
金になるとでも思ったんだか。やっきりしちゃうよ、ったく!
早く元の場所に戻してやらにゃあ、な、地蔵さまも泣いてるらヨ。

大阪弁で思いきりドツキたいけど知らないから、
それで静岡弁でやってみたけど、全然、迫力ないよね。
この時点で、もう負けてます。

で、ここは一つ、ネットの力をお借りしようと呼びかけることにしました。
みなさーん! どこかの庭先なんかで見かけたら、ぜひご一報くださーい!

「盗難にあった」力石です。
元の場所は大阪市此花区西九条1丁目 立江地蔵堂です。

此花区西九条・地蔵堂2 (6) 石左志 (2)

とまあ、ここまで書いて、
改めて、師匠からのメールと区役所からのを見比べてみました。

師匠のメールには、タバコ屋さんが言ったこととして、
「地蔵さまが盗まれてしまったのでお堂を閉鎖した。
その際、力石も撤去した」とありました。

で、区役所からのメールには、
「此花地区のまち案内の会の代表が、
「地蔵さんと一緒に2個の力石も盗難にあったと聞いております」
と言っております」とあります。

うっ? これって、「盗難話」は案内の会の代表者が誰かから聞いた話で、
区役所の方はそれをまた聞いただけ、言ってみれば「またまた聞き」

ご親切にお返事いただいたのに、イチャモンつけたみたいですみません。
これも力石を思うあまりですので、ご容赦を。

でもね、タバコ屋さんはこう言ったんです。
「力石はお堂が閉鎖されたとき撤去された」

ならば力石は盗まれたのではなく、
どこかに保管されているのではないでしょうか。

それに石の写真をもう一度ごらんください。
二つとも下部をコンクリートで固められています。
無理です。盗むのは。

師匠にそのことを伝えたら、
「力石があった場所はコンクリートで平らに埋められていた。
盗んだ人がこんなにきれいに整地していくでしょうか???」と。

やっぱりな。第一、こんな重い石、盗っ人なんぞに担げるわけがない。

保管場所は、私への回答から、
大阪歴博でも此花区役所教育委員会でもないことははっきりしています。

だったら、どこかにある。そう思ったら希望が出てきました。

此花地区のみなさーん!
お心当たりの方は、ぜひ、ご一報くださーい!

力石の無事を祈りつつ、吉報を待ってまーす!

尋ね石の時間です②

大阪市此花区の地蔵堂の力石。

立派な刻字がありますが、これが読めません。
地蔵めぐりのマップを発行した地元の歴史グループに問い合わせするも、
「まったくわかりません」とのお返事。

オイオイオイ!

というわけで、いろんな方に聞きまくりました。
みなさまも挑戦してみてください。
まず、三文字の一番上の文字がこちら。

此花区西九条・地蔵堂2 (3)

いろいろ出ました。

私は「鷲」(わし)と解読しました。
古文書会の大御所も「鷲だ」というので気を大きくしたものの、
ほかの先生方から「違うよ」のご意見が多数出て、またまた「うーむ?」

「勢」と呼んだ方もいましたが、これは即、却下。

「盤(磐)」。この方は「盤古」の「盤」と解釈しましたが、
こちらも古文書会の先生方や静岡県立大学の先生から否定された。

で、圧倒的に多かったのが、「稽」(けい)。
下の文字と合わせて「稽古」(けいこ)。

静岡県立大学と花園大学の先生は、迷うことなく「稽古」。
大阪(なにわ)歴史博物館の学芸員さんも同意見。
最終的には高島先生も「稽古」。

ちなみに、
右の石は大阪市浪速区・敷津松之宮神社の「稽古石」です。

此花区西九条・地蔵堂2 (4) img852.jpg

石担ぎの稽古に使ったんでしょうね。
そういう石として「力量石」とか「試し石」「剛試」と刻んだ石もあります。

石の命名もさまざまで、「虎」「龍」ならわかりますが、
「朝顔の種」とか「ボタ餅」「鮓司」「牛の顎」(あご)となると、
「ちょっとふざけ過ぎでは」なんて思ってしまいます。

男女の性器そのものずばりを命名した力石もありますので、
昔乙女の私、しばし顔を赤らめますデス。

さて、上の二文字は「稽古」で決まりました。
でもさらに難解なのは、一番下のこれです。

此花区西九条・地蔵堂2 (5)

私は「捺」(なつ)と読みました。

ほかに「袴」はかま)という意見もありましたが、
圧倒的に「捺」。
で、この石の刻字は、めでたく、

「稽 古 捺」に決定。

でもそうなると今度は、「稽 古 捺」ってどういう意味なんだ?
ということになったんです。

「捺」は、捺印の捺です。
つまり印鑑を押す動作の事をいいます。

このほかに、「手で押さえつける」「我慢する」「辛抱(しんぼう)する」
などの意味もあります。

となると、「稽古捺」というのは、

「重い石も辛抱して担げば、きっと力持ちになれていい稼ぎができて、
いい嫁さんもきてくれると思い、一生懸命稽古した。
そしたらその通りになった。その記念の印(しるし)にこれを刻んだ」

とまあ、少々こじつけの気味はありますが、これが只今のところの結論です。
「つらい稽古をした証しに、それを石に刻み印した」

みなさま、どう思われたでしょうか?
ご意見、お寄せ下さいね。

さて、この石の行方、驚きの事実が判明しました。


<つづく>


※参考文献・画像提供/「大坂の力石」高島愼助 岩田書院 2013

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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