総代さんの行動力
力石の保存
その日私は、力蔵さんのご子孫宅から図書館へ直行。
そこで願ってもない本を見つけました。
府川松太郎さんという方が書いた「追分今昔記」です。
府川氏というのは、追分の角で「追分羊羹」を売る老舗のご主人だった人。
追分の道しるべです。
江戸時代、駿府と清水湊を結んだ道です。
左へ入る小道が清水湊への道。道しるべの背後が「追分羊羹」のお店。

「追分今昔記」(昭和60年。私家本)によると、
春日神社は鎌倉時代にこの辺りを支配していた入江氏の氏神だったが、
その後、追分の氏神になったもので、元は線路を越えた田んぼの中にあった。
そして、
昭和46年に持ち上がった県道建設のため、現在地へ移転したとのこと。
ということは、あの力石は神社移転と共に運ばれてきたことになります。
「いかい石」は、元の場所に置いてきたのかもしれません。
で、府川氏は本の中で「力蔵と力石」を取り上げていたのです。
そして力蔵さんのこんなエピソードも。
「その頃このあたりは寂しいところでよくキツネに化かされた。
ある晩、ここを通りかかった力蔵さんは、
頭に里芋の葉っぱを載せたキツネを見た。そこで力蔵さん、
よし、逆にキツネを化かしてやろうと、川の中を歩く真似をして、
深いよォ深いよォと言いながら、キツネの周りをグルグル」
追分の狐ではありませんが、おキツネさんとおタヌキさんをお目にかけます。

静岡市・畑守稲荷大明神のおキツネさん。右は某寺のおタヌキさん。
参拝者の目に触れないよう、秘所を隠してございます。
それを見たおキツネさん、皮肉っぽく笑っております。
力蔵さんといたずらギツネの勝負はどうなったかというと、
「人間を化かしたと思いこんだキツネが油断したすきに、
力蔵さん、担いでいた天秤棒でキツネをしたたかに打った。
不意打ちを食らったキツネはコンと鳴いて闇に消えた。
さしものキツネも懲りたとみえて、その後は姿を見せなくなったとさ」
さて、力石です。
その後、私の神社惣代さん探しは難航。
個人情報保護とかで、教えていただけません。
ところが翌2012年早々、師匠の高島先生から、
「春日神社の総代さんから問い合わせが来た」との知らせです。
総代さんの話では、以前から境内にある「力石」が気になって調べていたら、
図書館で「静岡の力石」という本を見つけ、師匠へ連絡したとのこと。
総代さんは保存に動いていましたが、工事費がかかります。
氏子さんたちの説得に苦慮されている様子だったので、
私の講演へお誘いしました。
私、新聞に載っちゃいました。=静岡新聞=

その日、総代さんとお二人の役員の方がお越しくださいました。
それから保存が急ピッチ。
完成したのがこちらです。

立派な説明板も立てました。

説明板には「静岡の力石」の紹介と、
師匠と私の名前(赤丸の中)までいれてくださった。
光栄です。
これはすべて総代さんの迅速で強大な行動力のおかげです。
こういう例は富士市今泉の愛鷹神社にもありました。
この愛鷹神社の総代さんは元富士市立図書館長だった方で、
境内に埋まっていた石が気になって調べ、
周囲を説得して保存されたとのことでした。
それがこちら。
富士山の噴火の際飛び出した石もあります。さすが富士山麓の地区ですね。

富士市今泉・愛鷹神社
清水区の春日神社の総代さんは保存だけではなく、
自ら民俗文化財指定の申請をされましたが、
残念ながらこちらはなりませんでした。
なにしろ旧静岡市は今まで一度も石造物の悉皆調査をしていない所で、
今後もその予定はないという。
私はこれを庶民文化軽視行政といっています。
今、計画中の歴史博物館も徳川家康一辺倒の感じで、
静岡弁でいう「やっきり」しちゃう状況です。
「ぜひ、博物館の庭に力石を置いてください」とお願いしましたが、
笑われるだけでしたもの。
くやじい~
ま、それはさておき、
春日神社の全景をご覧ください。
拝殿左に、保存された力蔵さんの力石がございます。
狛犬がお尻を向けていますが、気にしません。
旧清水市の石造物悉皆調査でも見落とされた力石ですが、
こうしてめでたくデビューできました。
末永く地域のみなさまに愛されていっていただきたいと願っております。

静岡市清水区追分・春日神社
そこで願ってもない本を見つけました。
府川松太郎さんという方が書いた「追分今昔記」です。
府川氏というのは、追分の角で「追分羊羹」を売る老舗のご主人だった人。
追分の道しるべです。
江戸時代、駿府と清水湊を結んだ道です。
左へ入る小道が清水湊への道。道しるべの背後が「追分羊羹」のお店。

「追分今昔記」(昭和60年。私家本)によると、
春日神社は鎌倉時代にこの辺りを支配していた入江氏の氏神だったが、
その後、追分の氏神になったもので、元は線路を越えた田んぼの中にあった。
そして、
昭和46年に持ち上がった県道建設のため、現在地へ移転したとのこと。
ということは、あの力石は神社移転と共に運ばれてきたことになります。
「いかい石」は、元の場所に置いてきたのかもしれません。
で、府川氏は本の中で「力蔵と力石」を取り上げていたのです。
そして力蔵さんのこんなエピソードも。
「その頃このあたりは寂しいところでよくキツネに化かされた。
ある晩、ここを通りかかった力蔵さんは、
頭に里芋の葉っぱを載せたキツネを見た。そこで力蔵さん、
よし、逆にキツネを化かしてやろうと、川の中を歩く真似をして、
深いよォ深いよォと言いながら、キツネの周りをグルグル」
追分の狐ではありませんが、おキツネさんとおタヌキさんをお目にかけます。


静岡市・畑守稲荷大明神のおキツネさん。右は某寺のおタヌキさん。
参拝者の目に触れないよう、秘所を隠してございます。
それを見たおキツネさん、皮肉っぽく笑っております。
力蔵さんといたずらギツネの勝負はどうなったかというと、
「人間を化かしたと思いこんだキツネが油断したすきに、
力蔵さん、担いでいた天秤棒でキツネをしたたかに打った。
不意打ちを食らったキツネはコンと鳴いて闇に消えた。
さしものキツネも懲りたとみえて、その後は姿を見せなくなったとさ」
さて、力石です。
その後、私の神社惣代さん探しは難航。
個人情報保護とかで、教えていただけません。
ところが翌2012年早々、師匠の高島先生から、
「春日神社の総代さんから問い合わせが来た」との知らせです。
総代さんの話では、以前から境内にある「力石」が気になって調べていたら、
図書館で「静岡の力石」という本を見つけ、師匠へ連絡したとのこと。
総代さんは保存に動いていましたが、工事費がかかります。
氏子さんたちの説得に苦慮されている様子だったので、
私の講演へお誘いしました。
私、新聞に載っちゃいました。=静岡新聞=

その日、総代さんとお二人の役員の方がお越しくださいました。
それから保存が急ピッチ。
完成したのがこちらです。

立派な説明板も立てました。

説明板には「静岡の力石」の紹介と、
師匠と私の名前(赤丸の中)までいれてくださった。
光栄です。
これはすべて総代さんの迅速で強大な行動力のおかげです。
こういう例は富士市今泉の愛鷹神社にもありました。
この愛鷹神社の総代さんは元富士市立図書館長だった方で、
境内に埋まっていた石が気になって調べ、
周囲を説得して保存されたとのことでした。
それがこちら。
富士山の噴火の際飛び出した石もあります。さすが富士山麓の地区ですね。

富士市今泉・愛鷹神社
清水区の春日神社の総代さんは保存だけではなく、
自ら民俗文化財指定の申請をされましたが、
残念ながらこちらはなりませんでした。
なにしろ旧静岡市は今まで一度も石造物の悉皆調査をしていない所で、
今後もその予定はないという。
私はこれを庶民文化軽視行政といっています。
今、計画中の歴史博物館も徳川家康一辺倒の感じで、
静岡弁でいう「やっきり」しちゃう状況です。
「ぜひ、博物館の庭に力石を置いてください」とお願いしましたが、
笑われるだけでしたもの。
くやじい~
ま、それはさておき、
春日神社の全景をご覧ください。
拝殿左に、保存された力蔵さんの力石がございます。
狛犬がお尻を向けていますが、気にしません。
旧清水市の石造物悉皆調査でも見落とされた力石ですが、
こうしてめでたくデビューできました。
末永く地域のみなさまに愛されていっていただきたいと願っております。

静岡市清水区追分・春日神社
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