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心のうたかれんだあ

この時期になると必ず届くカレンダーがあります。

坂村真民氏の詩と海野阿育先生の版画による

「心のうたかれんだあ」です。

海野先生は東京芸術大学日本画専攻を出られた画家さんで、
東京・西方寺本堂の天井画や明福寺奥書院の襖絵も手掛けています。

20年ほど前、某大学の会合でお会いしてそれっきりだったのに、
以後、毎年、「心のうたかれんだあ」をお送りくださる。

なんのお礼もせず、ご無礼を続けている私ですが、
この時期になると「もう届くかな」とそわそわ。

「かれんだあ」は必ず、「念ずれば花ひらく」から始まります。

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ピンクはもっときれいで,蓮の葉ももう少し明るい緑ですが、
私がケチってインク5色のプリンターに替えたため、
思うような色が出ないんです。

海野先生、すみません。

先生はお寺さんのご出身で、
お名前の「阿育」は「アショカ」と読むそうです。

「アショカ」というのは古代インドの王さまで、仏教を守護した人だとか。

七月と八月のカレンダー「光と闇」。

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「光と闇

光だ
光だ
という人には
いつか光が射してくるし
闇だ
闇だ
という人にはいつまでも闇が続く」



思えば、海野先生のことは、
大学で教鞭をとっていたこと以外、私は知らないままできた。

でも一年中、「心のうたかれんだあ」と向き合っているから、
一年中、お会いしている、そんな気がします。

と、勝手に思っていますが、果たしてこれでいいのかな?

いいんだよね?


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(11・19)

「埼玉県川越市古谷本郷・古尾谷八幡神社」

埼玉県は力石の宝庫。
まだまだどこかで見つけてくれるのを待っている石がいるかも。


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書・柿下木冠②

画廊を入って突き当りの角に、柿下先生の書、「石」があった。

「わーい! 石だ石だ」と喜んでいた私に、染色家の鈴木健司氏が言った。

「実は今回のテーマはエロスなんです」

あ、そうなんだと途端にシュン。そういえば…。

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「石」の隣りには、
陰々滅々とした朱色の中に、煩悩にのたうっているような裸婦が黒々と。

その隣には、金精さまをほうふつさせる奇妙な「矢印」…。

そっかー。

江戸時代の盲目の国学者、塙保己一(はなわほきいち)は、
「群書類従」というお堅い本の編者として知られているけれど、
春本をもとに絵巻物に仕立てたポルノグラフィー作家でもあったというし、

などと、もぞもぞしながら次を見たら、「あっ!」

<感動を熟成して文字に変換した>とおぼしき「陰陽和合ノ図」

題は「竈(かまど)」。書のポルノグラフィーだ!

この発想は民俗学的にも正しい、なんてヤボなことは言いっこなし。 

「ワオッ! これ」
と言いつつ柿下先生を見たら、
先生、これ以上ないという楽し気な表情で、「そう!」

穴かんむりに旧字の亀で、たしかに「竈(かまど)」なんですけどねぇ…。
CIMG5348 (2)

柿下木冠。

木冠は「ぼっかん」と読む。
命名は「昭和の三筆」の一人、師の手島右卿氏。

「手島先生は最初、
グループの名称「抱朴会」の「朴」を考えていたようですが、
「卜」を取ったほうが奥が深いからと木にしたんです」とのこと。

”木”はすべての木(喬木・灌木)の総称であり、
筆力が強くて墨痕が木に三分染み込んだという
中国の書家、王義之の故事『入木道(書道の異称)』の木でもあること。

そして昭和初期の政治家、犬養毅の号「木堂」の木をも指す。
その三つがからまって生まれたのが「木冠」だという。

「重い名前です」と先生。

しかし、この重い名前の「ぼっかん」を「もっかん」と読む人がいるんです。

なんと、先生の作品を収蔵し、たびたび展覧会の会場にもなる
静岡県立美術館でも、作家紹介の欄に今も「もっかん」と記している。

学芸員さん、しっかりしてよ!

先生は南アルプスに源を発した大井川上流左岸の、
そのまた支流、河内川の一番奥の山村に生まれた。戸数わずか5軒。

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赤丸が先生の故郷、榛原郡川根本町文沢です。
向かって左側に大井川、川に沿って大井川鉄道が走っています。

右側の緑の〇は、生徒が一人しかいない静岡市立峰山小学校。

こちらは昭和50年代、峠越えして通学する文沢の高校生です。

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「大井川」よりお借りしました。

制服やカバンを背負いカゴに入れ、地下足袋をはいて、懐中電灯を持ち、
もう誰も通らなくなった荒れた峠を一時間かけて、たった一人で越えていきます。

行先は県立川根高校(茶色の〇)。

柿下先生も中学生のころは峠越えで徳山の中学校(青〇)へ通った。

こちらは先生のお父上と私。
お父上は著名な林業家として知られていました。

そのころ私は大井川を河口から源流部まで歩き、
その沿岸の人々の暮らしを訪ねる紀行を新聞に連載していました。

そんなある日、若き林業家を取材中、山から降りて来たお父上と遭遇。

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文沢にて

木材の価格が低迷する中、苦闘。このとき85歳。バリバリの現役でした。

この方の極めて印象深い言葉が残されています。

「蛇口をひねれば出る水も、水源に木を植え育てる者がいればこそです。
都会の皆さんにもぜひこのことをご理解願いたいものです。
山村に住人がいなくなることは、水道の管理人がいなくなることです」

「木冠」氏の「木」には、お父上が心血注いだ「木」も入っているはずです。

そのお父上の跡を兄が継ぎ、柿下少年は静岡市の町の高校生になった。

そこで手島右卿、山崎大砲という巨匠を師に、書の道へ邁進。

以来、音楽と書のコラボを、
ニューヨークのザンケル・カーネギーホールやアトランタの大学や、
日本でチェンバロ奏者と共演するなど、次々と書の魅力を打ち出してきた。

さて、この日、画廊にあった一番の大作はやっぱり「石」でした。

柿下先生と「石」
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カメラのレンズ越しに見たこの「石」、
なんだか男(上)と女(下)の姿に見えるなあ、などと思いつつ、パチリ。

そういえば、20年前、ご自宅へ取材に赴いたとき、
帰り際に上から布団が落ちて来て、

「せんせー! 布団が落ちてきましたァー」と叫んだら、
慌てふためいた先生が、やっぱりゴムまりが転がるように奥からバタバタ。

そういえば玄関へ入るとき、2階の手すりにドサッと置いてあったけど、
さては私の来訪で万年床を慌てて窓の外へホッポリ投げたなと、
笑いをこらえながら帰ってきたっけ。

そんなことを思い出して、ふふと笑ったらすかさず声が飛んできた。

「ずいぶん逞しくなったなあ」

ハイ、あのころに比べて胴回りが20㎝も太くなりましたから。

せめて、「豊満聖女」と呼んでください。


※柿下木冠(柿下康次)、昭和15年(1940)生まれの80歳。

毎日書道会評議員。独立書人団常務理事。抱一会理事長。一基会会長。
作品はシカゴ美術館、ジョスリン美術館、ニューヨーク日本クラブ、
土門拳記念館、静岡県立美術館、故郷の小学校などに収蔵。

米国シカゴ名誉市民。

※参考文献・画像提供/「大井川・その風土と文化」野本寛一 
          静岡新聞社 1979 

「三石」のはなしは、これでオ・シ・マ・イ。

チョー特急で書いてきたので、疲れましたァー。


     ーーーーー◇ーーーーー 

高島先生ブログ(10・15)

「埼玉県蕨市中央・和楽備神社」


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書・柿下木冠①

画廊の入り口から、
ゴムまりがコロコロッと転がるように入ってきた人がいた。

「あ、柿下先生」と声をかけると、
いたずらがバレたときの「しまった!」というような照れ笑い。

いつまでも少年のような先生です。

現代書家の柿下木冠(かきした ぼっかん)先生に初めてお会いしたのは、
今から20年も前、
ニューヨークでの個展から4年目、インドから帰国した翌年のことでした。

下の作品は、
1996年にニューヨーク・ソホー・キャストアイアンギャラリーで開催された
柿下木冠書個展の案内状、「RAIN(雨)」です。

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ちなみに私の姓の「雨」、手紙の宛名ではこんな感じ。

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この個展の期間中、先生は一人で夜昼ハーレムに通ったという。

「あそこにはアウト・オブ・アフリカの人達が、
いろんな問題を抱えながら暮らしていますが、ぼくはそういう人達と一緒に
バーでお酒を飲んだり踊ったりしました」

個展会場です。
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「怖かったけど違った意味で引き締まったものを感じました。
それはぼくにとってとても大事な事でした。

そのときのことを素材にして書いたのが、合衆国の『衆』です。

文字は自分がどう感動したかによって、意味も表現も全く違ってくるんですね。

ぼくの場合、感動に出会ったらすぐカタチにしないで熟成させるんです。
そこで初めて文字に変換していくわけですが、
それが人間の尊厳とか生命の根源に繋がっていくんだと思うのです。

代表作を書いていくには、”生きる”ということと噛み合っていないとダメ。
現代の社会と絡み合いつつ内なる自分に向かっていかないと
言葉になりません。

だからぼくは一年に2点ほどしか書けない。
年に3点書けたら大ハナマルです(笑)」

「衆」
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「ニューヨークへ行って、ぼくは変わりました。
何かそこに自分が求めていたものがあって、それを発見した。
それで書くテーマが絞れてきたんです。

それまでは日本の美を書くというような、
切り込みが浅いというか生活が甘かったというか…。

例えば一つのイメージがあってそれに紙をかぶせた。
それがニューヨークへ行ってから、オブラートに包まず
ズバリと入っていくようになったのです。

結果的には魂が入ってくる、生命の根源に入っていく。
それができないと気がすまない、
そういうところにきたんです」

ニューヨークでのデモンストレイション中の柿下先生。
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「昨年、インドの一番汚いところと言われるベナレスに行ったんです。
ニューヨークのハーレムと共通点があるんですが、
自然もいいけど人間を書きたいという思いがあって。

日本の美しい緑の風じゃなくて、土の色をしたベナレスの風を書きたくて…。
その風の中に命みたいなものを入れたいな、と思っているんです」

「ベナレスの風」と柿下先生。
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静岡市のご自宅にて。

20年前にお聞した言葉の数々、今もそのときのまま新鮮です。

深く感動した時の魂の叫びは、どんなに年月がたとうとも生き続ける、
私はそんなふうに思っています。


※参考文献・画像提供/「柿下木冠ニューヨーク書個展・帰国展」1997


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・13)

「埼玉県さいたま市桜区田島・如意輪観世音堂」

絵を描かれた酒井正さんは、元・文字デザイナー。
後年、原因不明の歩行困難になりましたが、
自転車と杖で石仏と力石行脚。

膨大なスケッチは、「さいたま市の力石」(高島先生との共著)、
「郷土の石佛」(自費)として出版されました。

俳名の「一止」は、ご自分の名前「正」を分解。
「1のところで止める」意だとお聞きしました。


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染・鈴木健司②

「磊(らい)展」会場をのぞくと、
鈴木氏が部屋の一番奥の椅子に前かがみに座っていた。

「雨宮です!」と声をかけたら、パッと顔をあげて、「やあー!」

立ち上がると同時にさっとマスクを外した。私もとっさに外した。
やっぱり私たち、「昭和の人ですねえ」

コロナ禍になったら、マスクをしないのは非常識となったけれど、
私たちの時代には、マスクをしたままでは相手に失礼だと、
そう、教わってきましたものね。

はずしたマスクの下から、あの懐かしい柔和な笑顔が現れた。

20年ぶりの再会です。

取材で一度お会いしただけなのに、不思議ですね。
あの日の取材の続きのような感覚です。

「石と聞いてすっ飛んできました」と告げたら、
鈴木氏、ちょっと戸惑いつつも静かにこう言った。

「本当のテーマはね、エロスなんです」
「エロス!、ワオッ」

そういえば、ありますねぇ、「裸婦像」。あっちにもこっちにも。

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確かに、「交遊記」の中で寺田氏が、
「渋みのある男が密かに描きためた裸婦像」、なんて言っていた。

鈴木氏は、と見ると、ふんわり笑っている。
私もつられて、ふんわり、うむむ。

こちらは今年の新作です。
私の腕もデジカメもポンコツで、本当の色が出せません。
会場でぜひ、本物に接して欲しいです。

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ちょっと痩せられたかな? 

CIMG5350 (3)

「新聞紙・染」とあるように、作品には新聞紙が使われています。

それを渋木(やまももの樹皮)などの植物染料で染めている。
黒あり茶あり白あり。黄土色にも緑色にも見える。

単純そうに見える植物染料も作家の手にかかると、
数億万年も積み重ねてきた遺伝子の多様性が花開くのだろうか。

その複雑な色合いが錯綜するすき間から、新聞記事が見え隠れしている。
新聞の寿命は短い。翌日には古紙になる。

「再生」としたのは、なんでだろう。

ニュースの残骸を植物エネルギーで染めることで、
古紙は別人格に生まれ変わる、ということなのだろうか。

と、あれこれ理屈をこねていたら、
鈴木氏は笑いながら、「感じるままでいいんですよ」と。

近づいてみると、こんな感じ。小説家の「池波正太郎」の文字が見えます。
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さて、今から遡ること50年ほど前、
鈴木氏は「染めでアートを語る」という独自の世界へ踏み出します。

昭和58年(1983)、転機が訪れます。

新しい展開として始めた作品が認められて、
東京銀座の文藝春秋画廊で個展を開くことになったのです。

作品は、まんだらシリーズ「円と黒 実相の空間」

「ここは第一線の人がやるところだし、3年待って実現したときは、
身も心も震えるほど嬉しかったですよ」と、取材のとき語っていた。

以後、染めによるタブローや布を使ったインスタレーションと、
個展や展覧会への出品も順調に運んだ。

そんな中、「富士山」という難しいテーマに挑みます。
この「富士曼荼羅」は代表作の一つになった。

「赤富士」

赤富士 (2)

「黒富士」

父から受け継いだ県無形文化財の
「手描き草木染蝋纈(ろうけつ)・糊流し染」による技法が、
ユネスコ世界遺産の富士を生かし、富士に生かされています。

CIMG5343 (2)

「富士曼荼羅」は、
2007年から2013年にかけて、「富士山を世界に」展のため、
ベルギー、モスクワ、ニューヨーク、インドなど約12か国へ出品。

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開催国には、アーティスト8人とピアニストのフジ子・ヘミングさんが臨んだ。

鈴木健司富士 (2)

平成19年(2007)、文部科学大臣表彰。
平成27年(2015)、春の叙勲で旭日双光章受章。

そして令和2年(2020)の今年、
後継者の娘さん、五代目鈴木緑さんが静岡県文化奨励賞を受賞。

授賞式は今月15日。

父・健司氏も35年前に同賞を受賞。父娘二代の快挙となった。

緑さんは父と同じ多摩美術大学出身。

かつて鈴木氏はこう言っていた。

「植物染料はそんなに多くないのですが、
その色だけで自分の言葉として表現するように、と娘には伝えています」

伝統技術を継承し、アートの先輩の父からアドバイスを受けつつも、
父とはまた違うご自分の世界を創出している、

鈴木緑さんはそういう美術家です。

「紺友染色工房・鈴木緑」

     
    ーーーーー◇ーーーーー

「磊(らい)展」は、明日まで(10:30~16:00)。本日は17:00まで。
     静岡市庁舎からすぐ、青葉通り沿いの江崎ビル2F・ギャラリーえざき。
    
 「磊展」は明日で終了ですが、ブログ記事はまだ続きます。
  柿下先生の書と戯れ、挑み、安らぐ、そんなお話です。

    
    ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・11)

「長崎県五島市増田町・水神社」


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染・鈴木健司①

とにかくカッコいいおじさんです。

「おじさん」だなんて気安く呼べないほどの経歴の方ですが、
お会いした瞬間から、大きな優しさに包み込まれます。

元・静岡新聞の寺田氏も「交遊記」の中で、こう言っています。

「イキで、おしゃれで、男マエ」

同性にこう言わせるのですから、本物です。

傘寿を過ぎても変わらず、それにいぶし銀の渋みが加味されて。

自身の作品の前で。
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2018年の賀状より。

鈴木健司 染色美術家。日本美術家連盟会員。静岡県工芸家協会顧問。

県工芸家協会の重鎮であり、同時に現代アート作家。

江戸時代末期から続く紺屋「紺友」に生まれた四代目。
曽祖父も祖父も徳川家出入りの染色職人で、
徳川の家紋を染めることを主な仕事にしていた。

「紺友染色工房」です。今は娘さんが伝統の技を継承。
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静岡市追手町7-14 

庁舎や銀行、病院、商業施設などのビル群の中の「お江戸」。

家康の居城だった駿府城址は目の前。

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鈴木氏は無形文化財技術保持者だった父から、
「デッサン力をつけてこい」と言われ、多摩美術大学絵画科へ進学。
あえて、油絵の道へ進んだ。

33歳のとき、「今日の美術 静岡展ー自然、存在、発見ー」で大賞受賞。

下の写真は、その大賞受賞作品「BASE」です。

寺田氏の解説によると、

「弾力性のある物質の上に、敷石を並べた物体。
その上を歩くと沈む。歩き終えて振り向くと、敷石はもとのまま。
無表情な物体としてそこに居る。
次の時代を支配する<もの派>の先駆的作品と見倣すことができる秀作」

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「<三石>との交流」よりお借りしました。

この受賞がきっかけで、
当時静岡・清水市で活躍していた前衛的なグループ「幻触」に参加した。

同時に父・福富氏が開拓した
「のり流し染」「草木染ろうけつ」の技法を継承。

以来、その技法を根底にすえ現代の感性を表出させたアート作品を
次々生み出してきた。

しかし、鈴木氏はまもなくそのグループから離れることに。

「私の場合はどうしても根底に”職人”がありますから、
技術に裏打ちされていない仕事はダメなんですね。
それで自分はやっぱり<染めで語ろう>と」

以来、「曼荼羅」「実相の空間」シリーズ、「赤のシリーズ」と、
染めで表現した斬新な現代アート作品を矢継ぎ早に発表。

美術の「美」の字も知らないひよっこの私が、
鈴木氏の工房を訪れたのは、そんな脂の乗り切った時期だった。

その時の新聞です。

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取材のあと、「なんでも描いてごらん」と、染めの手ほどきまで。

できあがったのがこれ。ちょっと紫っぽく写っちゃいましたが本当はこげ茶。

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染色の大家を前に頭が真っ白になって。

美的センスのかけらもない絵で、こっぱづかしいですが、
でも、20年間、大切に持っています!


※参考文献/「磊展による《三石》との交遊記」寺田行健 磊展事務局 2020


   ーーーーー◇ーーーーー 

「磊(らい)展」
 ー染・鈴木健司、石彫・杉村孝、書・柿下木冠によるー

 ギャラリーえざき/七間町(青葉通り沿い)江崎ビル2F。
 13日まで。10:30~17:00.最終日のみ16:00終了。


   ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(10・8)

「岡山県瀬戸内市長船町・浦上宅」

個人のお宅の力石をその持ち主が詠みました。
おじいさんが愛用した力石でしょうか。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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