FC2ブログ

遺跡から出土した力石

力石が体育史学の中で取り上げられたのは、
昭和27年、当時の東京教育大学の太田義一教授が
第3回日本体育学会において発表したのが最初だといわれています。
つまり、日本の力石研究は、体育史学の分野から始まったというわけです。

その力石に、考古学の立場から取り組んでいる人がいます。
静岡県埋蔵文化財センターの岩本 貴氏です。

2005年、伊豆半島の付け根にあたる静岡県田方郡函南町の「仁田館遺跡」」から
「二十四メ」の切付(刻字)のある力石が発掘されました。
img191.jpgimg192.jpg
60.8×28.0×29.6㌢ 86㌔ 楕円形の礫

岩本氏は言う。
「尺貫法換算のほぼ24貫に近い重量があり、
切付が重量を示しているとみてほぼ間違いないこと、同種の切付はいわゆる
力石以外に想定しにくいことから本資料は、力石と断定できる

この仁田館遺跡は、狩野川支流の来光川沿いにあります
建物の年代は、推定18世紀後半から19世紀前半。
ここは、源頼朝の家臣、あの曽我十郎を討ち取った仁田忠常の地です。
今もご子孫がお住まいです。鎌倉時代から連綿と続いているなんてすごいですね。

明治前半に撮影されたと推定される仁田館の母屋
礎石の配置などから、この建物と判断された。
img190 (2)
力石は母屋の南東隅柱の基礎材に転用されていたそうです。

この仁田館遺跡からは、法華経を写経した「こけら経」(867枚)も出土しています。
500年も地下に眠っていたそうです。
img194.jpg
静岡県指定文化財。

岩本氏によると、今までに全国の遺跡から出土した切付のある力石は
民家、地元名士宅の母屋=仁田館、城郭天守(2個)、
町屋石階段基礎の4例(5個)。
建物規模、身分階層に一貫性は認めがたく、
柱を支える礎石というような建物基礎材に転用という共通点が認められたという。

研究の対象外に置かれてきた力石に目を止め、
「こうした考古学・埋蔵文化財の発掘調査が提供する情報は、
力石研究に新たな視点を与えられるのではないか」
と発言した考古学者は、岩本氏が初めてではないでしょうか。

歴史、民俗学、体育史学、考古学、
いろんな分野の方がいろんな角度から、この力石を研究してくださったなら、
力石ももっと豊かなものになるだろうと私は思います。


※仁田館遺跡出土の力石は、現在、菊川市の小笠保管庫(小笠高校内)に保管。
※資料・写真等/第17号「研究紀要」
  「力石の考古学的検討~函南町仁田館遺跡出土「力石」の紹介を兼ねて~」 
  岩本 貴  静岡県埋蔵文化財調査研究所(現・静岡県埋蔵文化財センター) 
  2011




スポンサーサイト



研究者・高島愼助・四日市大学教授

谷口 優・四日市大学教授はいう。

高島先生の”力石行脚”が、我を悟る為の内観の旅から始まったかどうかは、
私は未だ聞いていない。だが真摯に、ひたむきに、殉教者の様に
日本全土の力石を探ねるエネルギーの背景には、
先生の敬虔な自己探求性”内観の旅”をイメージするのである」

平成5年、高島先生の師、伊東 明・上智大学名誉教授が亡くなられた。
ご遺族は残された膨大な資料を、この最後の弟子に託された。
そこから高島先生の力石行脚が始まります。

調査中の先生です。
CIMG0096.jpg

  シュラフ積みヤドカリの旅力石(いし)を追い
                                   高島愼助

谷口優先生に絶えず「尻を蹴飛ばされながら」、軽自動車にシュラフを積んで、
北海道から沖縄まで、ただひたすら…。
その成果を都道府県別に本にまとめ
さらに力士たちを紹介した「石に挑んだ男達」
総論としての「力石ちからいし」などを出版しました。

高島先生です。
DSCF0013.jpg

ユニークなのは、全国から力石を詠んだ俳句や短歌、川柳、スケッチなどを集め、
それを本にしていることです。この「力石を詠む」シリーズは、7冊目となりました。

今年2月の埼玉県越谷市中央市民会館での講演です。
日本一の力持ち、三ノ宮卯之助の力石6個が、
市指定の有形文化財・歴史資料になった、その記念講演です。
CIMG1087.jpg

私も駆けつけました。
埼玉在住の調査研究者3名も顔を揃えました。
この方々のことはまた改めてご紹介します。

そして、コレ、先生の密かな楽しみ、「伊勢型紙」です。
伊勢型紙とは、三重県鈴鹿市白子の伝統工芸です。
柿渋で張り合わせた和紙を細かく彫って、着物の文様などの染色に使うそうです。
先生はこの伊勢型紙の技法で、
広重の「東海道五十三次」を
二年がかりで完成させました。

これはそのうちの「原 朝之富士」。
tokaido14.jpg

姫路市出身。学生時代は体操選手。医学博士にして力石研究者。
「郷土および庶民の文化遺産”力石”について」
で毎日郷土提言賞三重県優秀賞受賞。

 
 ひとひらのはなびらふわりちからいし
                              高島愼助




研究者・伊東 明上智大学名誉教授

平成5年に亡くなるまで、力石の研究に尽力された上智大学名誉教授、
伊東 明先生をご紹介します。
ご専門の「体育史学」の立場から、力石に光をあてられた方です。
先生の残された資料は、青森県から沖縄県にまで及びます。

伊東 明先生です。
img055 (2)
写真提供/高島愼助・四日市大学教授

「力石は、ほとんどの全国各地の神社仏寺などの境内で見かけることができる。
それでありながら、文献資料としては番附などを除いて全くないし、
規則ややり方に関するものも皆無に等しい」

という状況の中で、先生は、
「大石を高く持ちあげて群がる敵に投げつける大力無双の豪傑物語
といういわゆる伝説上の力持ちから掘り起こし、
東京都江東区の志演神社内にある寛文4(1664)年の切り付け(刻字)の石が、
刻字の力石としては、都内で最古のものであることを突き止めます。

「力石による力持ちの最盛期は江戸中期から明治初年
「演技の様式も一応決まり、神社の神賑わしの行事、花相撲の余興、
大都市では曲俵、曲持ちなどを加えて、力持ちの興行として行われるようになった」
農山漁村の若者たちによる力石は、都会の興行化とは異なり、
生活に密着して発達した」
と述べています。

東京都江東区・亀戸天神社の力石と伊東先生のスケッチです。
CIMG0869 (3)img184 (2)

写真とスケッチは違う力石です。
伊東先生は、1988年当時、亀戸天神社で4個の力石を発見していますが、
その後新たに2個見つかり、現在では6個保存されています。
写真の力石は新たに見つかった石の一つです。

そして写真の石は文化9年に、またスケッチの石は寛政8年に亀戸天神社に
奉納されたものです。そのどちらにも名前が刻まれているのは、
石の平蔵と異名をとった「八丁堀亀嶌平蔵」です。

こちらは熱海市上多賀・多賀神社の力石です。
img185 (2)
寸法は53×32×24㌢

伊東先生が、昭和54年7月に調査したときのスケッチです。
「若衆力石」と墨書があります。

ところが昨年、再調査したときには、
この力石はすでに行方が分からなくなっていました。
まだどこかにあるのではないかという淡い期待と寂しい思いを抱きながら、
神社を後にしました。

資料/上智大学研究紀要。伊東 明。1968年、1988年。






プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

フリーエリア
お願い
このブログに掲載されている 写真・記事等には著作権があります。 無断使用はご遠慮ください。
カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
最新コメント
訪問者数
ブログランキング
ブログランキング
ランキングに参加しています
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR