「消えた卯之助石」の検索結果 6件中 1 - 6件表示
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消えた卯之助石⑥
今まで卯之助石は「消えた、消えた」と騒いできましたが、ひょっとして、消えていなかったかも。問題の石のある「瓦曽根(かわらぞね)」ですが、利根川水系の河岸場で栄えた村だったそうで、若き日の卯之助も荷揚げ人足として働いていたとか。そうした船頭たちや荷揚げの男達が、最勝院観音堂に集まって、相撲や力くらべを
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消えた卯之助石⑤
「卯之助石」の現状をあれこれお話してきましたが、ここでようやく、「重箱つつき」に戻ります。重箱の隅その2 碑の「文政12年」の根拠が見当たらない。碑にはこう刻まれています。「文政12年(1829) 卯之助(22歳) 本郷・小島久蔵と越谷市瓦曽根の最勝院観音堂(現照蓮院駐車場)で、力石七十貫余を持つ
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消えた卯之助石④
地面に這いつくばって見つけた「文政十二己丑歳」と「瓦曽根」の文字。どうやらこの石は裏返しになっているようだ。でもこれが探していた「卯之助石」だとすると、地名の「瓦曽根」が二カ所になってしまう。ひっくり返してみたい衝動に駆られるものの、どうしようもない。そう思いつつ、もう一度上から見た。一見、何の変哲
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消えた卯之助石③
ーーーお願い最後に書き添えてありますので、ご覧ください。 ーーーーー◇ーーーーー「須賀初五郎」の3個の石の前で、ゴロンと横たわっている石は、果たして行方不明の卯之助石だろうか。と、気を持たせつつ、検証していきます。斎藤氏は2006年、この場所を訪れた際、この石に注目。もしかしたら、これこそみ
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消えた卯之助石②
フェンスに囲まれているのは、廃寺跡に保存された石造物群です。保存というより、閉じ込められて窮屈そうに見えますが、散逸はまぬがれますね。ただそばへ寄って調査できない、それが難点です。かつて栄えた寺院が消滅するって、寂しいものですね。埼玉県越谷市瓦曽根・最勝院跡地(現・照蓮院駐車場)下の写真は、15年前
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消えた卯之助石①
今回の「重箱の隅」は次々回につつくことにして、その前に、疑問に思ったコレを展開していきます。江戸の力持ち「小島久蔵を取り上げ過ぎ」じゃないの?碑面という限られたスペースに、「小島久蔵」は3項目も出てきます。そのせいか、もっと大事なことが落ちてしまっています。これはのちのちお伝えします。さて、碑に3度
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