ビビッとX波が…
斎藤ワールド
=斎藤氏から新たな情報=
今回新発見の力石に名を刻んだ「紙屋 忠治郎」についてです。
末尾に載せましたので、あわせてお読みください。
-----◇ーーーーー
「臨時ニュースです!」
なぁんて、少々大げさですが…。
ここで「万治石」を一度お休みして、
力石の新発見というほやほやのニュースをお伝えします。
「万治石」発見の功労者・斎藤氏は、今までに数多くの力石を発見。
発見した数をお聞きしたあとすぐ発見するので、
私は正確な数を覚えきれません。
確か900個ぐらいになるかと思います。
そして10月28日、またまた新発見!
「ポタリングに出かけたら、ビビッとX波が…」
力石から発信されるX波なる電波をたどって行ったら、
ありました!
これです。

埼玉県杉戸町下高野396・永福寺
永福寺のご住職が言うには、
「2か月ほど前、隣家を解体したらこれが床下から出てきた」
な、なんと!
「それで、刻字のある立派な力石だったので寺で引き受けて、
地蔵堂の真裏に立札を立てて保存処置した」とのこと。
切り付けも深くしっかりしていて、状態は良好です。
「文政八酉年 幸手久㐂町 紙屋 忠治郎
六拾貫目
江戸□ 庄兵衛」
今から194年も前の力石です。
「万治石」の約200年後の力石なので文字も鮮明ですが、
それだけではなく、
こちらは床下、万治石は野ざらしで人々に踏まれてきた、
その違いが出ていますね。(でも、こうした石の来し方も歴史です)。
なにはともあれ、幸せな力石。
忠治郎さんに庄兵衛さん、いい方に拾われてよかったね!

70×48×26余㎝
斎藤氏の話はここで終わらなかった。
ご住職の話と斎藤氏の調べた話を合わせると意外なことが明らかになった。
「解体した隣家は大橋家といい、それ以前は東大寺という修験の寺だった。
その大橋家のご先祖も東大寺の関係者だったという。
文治二年、あの西行が東大寺の大仏再建の勧進に
奥州・藤原氏を訪ねる旅の途中で、ここを通った。
しかし旅の疲れか西行さん、この地で病に倒れ、しばらく小庵で療養。
やがて村人たちの手厚い看護のおかげで全快。
そして旅立ちの時、
西行が村人たちとの別れを惜しむように、
小庵の庭先の松の木を見て振り返ったことから、
この松は「西行見返りの松」と呼ばれるようになった。
その後西行が療養していた小庵は奈良の東大寺にちなみ、
東大寺と名付けられた」ー。
こちらは「西行見返りの松」の標石です。
達筆です。

「東大寺は今はなく、大橋宅もなく、松の木もなくなって、
草の生い茂る更地が広がるばかり。
そしてこの標石は少し離れた墓地の片隅に横たわり、
はるか昔を懐かしむように空をあおいでいました。
「六拾貫目」石はそのすべてを見渡せる場所に今、います」と斎藤氏。
その斎藤氏、感慨深げに…、
「偶然とはいえ、
雨宮さんが取り上げた「文治二年」から西行絡みで、
この力石につながるとは…」
ふふふ。
何を隠そう、実は西行さんに託してあの力石に、
X波を送っていたのはこの私メでございます。
ーーーーー◇ーーーーー
=「紙屋 忠治郎」=
大橋家の床下から出てきた「六拾貫目」石には二人の名前がありました。
その中の「忠治郎」には意外な事実が…。
江戸に「飯田町 万屋金蔵」という超有名な力持ちがいました。
有名ですから渡辺崋山にも描かれました。

東京都江東区の亀戸天神社には、
狂歌師の大田蜀山人が揮毫した力石もあります。
2014年のブログに書きましたので、お読みいただけたら幸いです。
渡辺崋山が描いた「飯田町万屋金蔵」
大田蜀山人が書いた「臥龍石」
この金蔵さん、埼玉県にも力石を2個残していますが、
その中の一つに、「忠治郎」も名を刻んでいたのです。
「万屋金蔵と共演していたことを知り、
改めて彼の膂力の凄さがわかりました。
でも彼の力石はこれを含めて2個しかない。
田舎の紙屋の使用人だからか?」と斎藤氏。
こちらがその力石です。右が忠治郎と金蔵共演の力石です。
左の石には願主として「久喜町 吉右エ門」とあります。
紙屋の主人なのでしょうか?

80×58×26㎝(左) 73×50×21センチ(右)。共に文政五年正月。
埼玉県幸手市中・雷電神社
ひょっとして、
この「紙屋」さんのことや忠治郎のご子孫がわかるかも。
※情報・画像提供/斎藤
=悲しすぎる=
沖縄の首里城炎上、悲しすぎます。なぜ?なぜ?と思うばかりです。
本当に無念。5,6年前に行きました。
炎上する画面、見ていられませんでした。
原因はなんであれ、文化遺産が消えてしまうのは本当に悔しい。
今回新発見の力石に名を刻んだ「紙屋 忠治郎」についてです。
末尾に載せましたので、あわせてお読みください。
-----◇ーーーーー
「臨時ニュースです!」
なぁんて、少々大げさですが…。
ここで「万治石」を一度お休みして、
力石の新発見というほやほやのニュースをお伝えします。
「万治石」発見の功労者・斎藤氏は、今までに数多くの力石を発見。
発見した数をお聞きしたあとすぐ発見するので、
私は正確な数を覚えきれません。
確か900個ぐらいになるかと思います。
そして10月28日、またまた新発見!
「ポタリングに出かけたら、ビビッとX波が…」
力石から発信されるX波なる電波をたどって行ったら、
ありました!
これです。

埼玉県杉戸町下高野396・永福寺
永福寺のご住職が言うには、
「2か月ほど前、隣家を解体したらこれが床下から出てきた」
な、なんと!
「それで、刻字のある立派な力石だったので寺で引き受けて、
地蔵堂の真裏に立札を立てて保存処置した」とのこと。
切り付けも深くしっかりしていて、状態は良好です。
「文政八酉年 幸手久㐂町 紙屋 忠治郎
六拾貫目
江戸□ 庄兵衛」
今から194年も前の力石です。
「万治石」の約200年後の力石なので文字も鮮明ですが、
それだけではなく、
こちらは床下、万治石は野ざらしで人々に踏まれてきた、
その違いが出ていますね。(でも、こうした石の来し方も歴史です)。
なにはともあれ、幸せな力石。
忠治郎さんに庄兵衛さん、いい方に拾われてよかったね!

70×48×26余㎝
斎藤氏の話はここで終わらなかった。
ご住職の話と斎藤氏の調べた話を合わせると意外なことが明らかになった。
「解体した隣家は大橋家といい、それ以前は東大寺という修験の寺だった。
その大橋家のご先祖も東大寺の関係者だったという。
文治二年、あの西行が東大寺の大仏再建の勧進に
奥州・藤原氏を訪ねる旅の途中で、ここを通った。
しかし旅の疲れか西行さん、この地で病に倒れ、しばらく小庵で療養。
やがて村人たちの手厚い看護のおかげで全快。
そして旅立ちの時、
西行が村人たちとの別れを惜しむように、
小庵の庭先の松の木を見て振り返ったことから、
この松は「西行見返りの松」と呼ばれるようになった。
その後西行が療養していた小庵は奈良の東大寺にちなみ、
東大寺と名付けられた」ー。
こちらは「西行見返りの松」の標石です。
達筆です。

「東大寺は今はなく、大橋宅もなく、松の木もなくなって、
草の生い茂る更地が広がるばかり。
そしてこの標石は少し離れた墓地の片隅に横たわり、
はるか昔を懐かしむように空をあおいでいました。
「六拾貫目」石はそのすべてを見渡せる場所に今、います」と斎藤氏。
その斎藤氏、感慨深げに…、
「偶然とはいえ、
雨宮さんが取り上げた「文治二年」から西行絡みで、
この力石につながるとは…」
ふふふ。
何を隠そう、実は西行さんに託してあの力石に、
X波を送っていたのはこの私メでございます。
ーーーーー◇ーーーーー
=「紙屋 忠治郎」=
大橋家の床下から出てきた「六拾貫目」石には二人の名前がありました。
その中の「忠治郎」には意外な事実が…。
江戸に「飯田町 万屋金蔵」という超有名な力持ちがいました。
有名ですから渡辺崋山にも描かれました。

東京都江東区の亀戸天神社には、
狂歌師の大田蜀山人が揮毫した力石もあります。
2014年のブログに書きましたので、お読みいただけたら幸いです。
渡辺崋山が描いた「飯田町万屋金蔵」
大田蜀山人が書いた「臥龍石」
この金蔵さん、埼玉県にも力石を2個残していますが、
その中の一つに、「忠治郎」も名を刻んでいたのです。
「万屋金蔵と共演していたことを知り、
改めて彼の膂力の凄さがわかりました。
でも彼の力石はこれを含めて2個しかない。
田舎の紙屋の使用人だからか?」と斎藤氏。
こちらがその力石です。右が忠治郎と金蔵共演の力石です。
左の石には願主として「久喜町 吉右エ門」とあります。
紙屋の主人なのでしょうか?

80×58×26㎝(左) 73×50×21センチ(右)。共に文政五年正月。
埼玉県幸手市中・雷電神社
ひょっとして、
この「紙屋」さんのことや忠治郎のご子孫がわかるかも。
※情報・画像提供/斎藤
=悲しすぎる=
沖縄の首里城炎上、悲しすぎます。なぜ?なぜ?と思うばかりです。
本当に無念。5,6年前に行きました。
炎上する画面、見ていられませんでした。
原因はなんであれ、文化遺産が消えてしまうのは本当に悔しい。
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コメント
おはようございます
姫の念力ですね。
斎藤氏とのコンビは素晴らしいです。
それにしても埼玉県に多くあるのは何故?
などと空想が豊かになってきます。
おそらく東京では石を別の用途にしてしまったのかな。
首里城、折角復元できたばかりなのに、
管理の不十分さが残念です。
日本中、多くの文化財が無事保全されますように祈ります。
以前、湯島神社では木造再建がなかなか許可されず、
防火設備の設置に注力することでOKになったとか。
これから寒くなりますので、
我々も防火には十分気を付けたいですね。
2019-11-01 07:20 one0522 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2019-11-01 09:34 編集
No title
姫のときめき、輝きが、パワフルに伝わってきます。素晴らしい。感動しています。
ランダムに、時間をかけて、読まさせていただきます。三重県総合博物館の展示が待ちどおしいですね。
2019-11-01 17:18 tensyun URL 編集
No title
大切にされて、喜んでいますよ。
2019-11-01 18:12 へいへい URL 編集
テストです
2019-11-01 18:42 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
やれやれ、直りました
斎藤さんは本当にすごいですよ。石の方から「ここだここだ」と呼ぶんですから(笑)。で、石探しにはどこまでも自転車で行くんです。内緒ですがあの年で…。そういう私も「あの年」ですけど(人のことは言えません)。
埼玉、千葉は江戸に近いこと、利根川などを利用した河川交通が発達していたこと。川の津には屈強な男たちがたくさん働いていましたから、石もたくさん残ったのだと思います。
なにしろ埼玉県は力石保有数、日本一の力持ち、日本一重い力石という日本一が三つもある県ですから、すごいです。
2019-11-01 18:51 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
はじめまして
超がつくマイナーな庶民文化遺産の力石ですが、これがなかなか魅力的なんです。でもこの素晴らしさがみなさまに伝わらなくて苦労しました。
ブログを始めたころは閑古鳥が鳴いておりましたが、めげずにやってまいりました。おかげさまで大勢の方が訪れてくださり、「よかったなあ」と。
今後ともよろしくお願いいたします。
2019-11-01 18:57 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
こんばんは
野田市の万治石をすぐ見に行かれたと聞いてびっくり。埼玉は力石の宝庫ですから、まだまだ人知れず眠っている石があるような気がします。
一生懸命探しても見つからないときの方が多いのですが、ひょんな偶然から見つかったりと力石もきまぐれです。でももし発見したらお知らせくださいね。
楽しみにしております。
2019-11-01 19:03 雨宮清子(ちから姫) URL 編集