極限の運搬

「働く」という文字は、人が重いものに力を加えると書く。
つまり、
力を出して荷役や運搬することから生まれた文字だと平原氏はいう。

「人の体は一種の運搬機械といってもよいくらい都合よくできている。
しかし筋力は無限ではない。
だからこそ労働災害を起こさないための方策が必要なのだ」と説く。

昭和35年、氏は、第4次建設、
俗にクロヨンと呼ばれた黒部ダム建設の現場へ足を運びます。

この写真の人は黒部ダム建設の資材を運ぶボッカです。
まず手始めは道作りから。写真を見ているだけで足がすくみます。
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標高2500㍍以上の山が53座も連なる黒部峡谷。
そこにダム建設の話が持ち上がったのは大正6年のこと。
4回の難工事を経て昭和38年の完成まで、
1000万人の労働者と46年の歳月を費やしたそうです。

氷雪と風と岩と急峻な谷に囲まれた前人未踏秘境
そこにダムを作るという難工事を挑んだわけですから、
無傷で済むはずがありません。
雪崩や吹き出す高熱や有毒ガス、厳寒、雪解けの急流に阻まれての作業に、
ものすごい数の犠牲者が出ました。

今は一大観光地になっていますが、血のにじむような先人たちの苦労と、
多くの人命が失われたことを決して忘れてはならないと思います。

だいぶ道らしくなったとはいえ、滑ったら命はありません
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「物流史談」(毎日新聞社提供)より

どんなことでも、人の営みはまず荷物の運搬から始まりますが、
それもまだここでは、
足を踏み外せばたちまち千尋の谷へ落ちてしまう道での運搬でした。

この一日10里(約40㎞)の道を歩く苛酷なボッカ運搬は、
軌道が完成する昭和10年まで続いたそうです。

現場に立って、第3ダム建設で資材運搬を担当した方から、
その残酷物語を聞いた平原氏は、
荷役運搬の改善を改めて誓ったと本の中で語っています。

こちらは富士山測候所の専属強力(ごうりき)を、
静岡県御殿場市へ訪ねた時の写真です。
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強力の並木宗二郎氏と平原氏。平成6年。

冬の富士山は全山氷の塊りです。
一度滑ったらピッケルなど歯が立たず滑り続け、
氷から突き出た岩に激突して生きては帰れないといわれています。

薄い酸素の中、一人、重い荷を背負って頂上まで行くのですから、
孤独で危険な仕事です。心身ともによほど強靭でなければできません。

その人に会いに行った平原氏、このとき93歳

立山のボッカ。富士山の強力(ごうりき)。
平原氏の「体力の限界を越えて重荷と闘う」人への熱い思いは、
ますます高まったものの、このとき、こんなことを漏らしています。

「御殿場市は雪景色で、93歳の老人には少しこたえた」

こちらは私の富士山ルポです。
1995年、すでに廃道になって久しい旧道を1合目から歩きました。

ひゃー、あれからもう23年も経っちゃったんだ!
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新聞のタイトルがなぜ「臭い山」かというと、
このころは激増する登山者に対応しきれず、お山は糞尿まみれ、
加えてマナーの悪さでゴミだらけという有様だったからです。

なにしろこの日も、バスの発着所の5合目を少し登ったあたりには、
スカートにローヒールの子連れ女性や手ぶらにTシャツの外国人たちがいて、
「頂上はまだですか?」なんて聞いてくるのですから。

だからこの記事は、
商売優先の山の在り方に警鐘を鳴らしたつもりで書きました。

さて、旧道はすでに自然に帰りつつありましたが、
それなりに昔の顔をそこここに残しておりました。
荒れ放題の道際に朽ちた道路標識があったり、全壊した山小屋があったり。

ここは高校一年だった私の富士山初登山の道でした。
布製のズック靴にレインコート着て金剛杖ついて…。

ルポで登ったときは、まだ測候所がありました。

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この9年後の2004年、測候所は撤去されます。

夏の夜、麓から、
このドームと山頂をめざす登山者の光の列が帯のように見えました。

鼻のテッペンにできたにきびみたいなドームが消えたときは、
青春時代が遠くへ去ってしまったような寂しさを感じたものです。


※参考文献・画像提供/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」
               平原直 流通研究社 2000


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やんちょい

終戦後間もなく平原氏は、
永雄節郎という工学博士が書いた本と出会います。

それは全ページローマ字で書かれた「NIYAKU NO KIKAI」という
荷役に関する本だった。ローマ字で書かれているばかりでなく、
ベルトコンベアを「はこびおび」、つまり「運び帯」というふうに、
大和言葉で表現する不思議な本だった。

「はこびおび」を現場では「天狗取り」といった。
この荷役の手法を知って以来、平原氏は「天狗取り」に病みつきになり、
約40年間、その手法を追いかけます。

こちらは「天狗取り荷役」による石炭積みの光景です。
従事していたのは主に女性たちだったそうです。

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明治のころは船を動かす燃料は石炭だった。
軍船が大挙して海を渡っていく日露戦争の時代。
いちいち船足を止めていたら戦局に響きます。

そこで荷役業者が考え付いたのが、
艀(はしけ)に石炭を積んで本船へ行き燃料を補給する方法だった。

今でいう「海上給油」みたいなものでしょうか。

本船の舷側に、ひな壇のように板子の棚を艀(はしけ)まで吊り、
そこへ上下に並べた人の手で石炭を順送りして本船に積み込む、
まさに「人間ベルトコンベア」そのものだった。

「天狗取り」は「手繰り取り」が訛った言葉という説も。

このような人海戦術で、6時間半の間に2300トンもの石炭を積むという
迅速かつ正確なこの荷役手法は世界を驚かせ、
昭和7年には、ロンドンの新聞に写真入りで紹介されたという。

石炭といえば、私はカナダ・バンクーバー島で、
日本人炭坑夫が働いていた炭坑遺跡博物館を見に行ったことがあります。

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白人の抗夫は人間扱いでそれ以外は動物並み、
人種によって賃金も持ち場も違ったという待遇に、姉の白人の夫は憤慨し、
姉は、展示品の着飾った日本人一家の写真を見て、
「日本の親戚に送ったんでしょう。精一杯見栄張って」と涙ぐんだ。

次の写真は、日本の炭坑でスラ曳きをする婦人と子供ですが、
カナダにもこれと似た写真がありました。

博物館の説明にはこうありました。
日本人は小さいので狭い坑道での石炭掘りに適していた」

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田川市立図書館提供

残酷な写真ですが、目を逸らせてはいけないと思います。
こういう時代があったことを忘れてはいけないと思います。

姉夫婦や友人たちと別れてカナダ本土へ帰ったら、
日本人会のお年寄りを招待してパーティーを開くのだという。
いきなり私もフラダンスです。ありあわせの服を着て厚化粧して。

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フラダンスの次に踊ったのが炭坑節
日本人のお年寄りが知っているものを、との思いから選び、
レコード代わりにみんなで歌いながら、

♪月がー出た出たァ~、月がァ出たァ

と踊り出したら、招待席にいたご老人が突然、号泣。
もう「サノ、ヨイヨイ」どころではない。
慌てて駆けつけると、嗚咽しながら言うには、
「自分は今も日本語しか話せない。
今日、思いがけず炭坑節を聞いて、もう懐かしくて嬉しくて」と。

日本でもカナダでも炭坑夫だったそうです。

話を戻します。

三井、三池という国内最大の炭坑があった北九州で始まり、
昭和30年代まで続いた天狗取り荷役。
そのルーツは島原半島の口之津港と聞いて平原氏、早速出掛けます。

ここでは「やんちょい荷役」といっていたそうです。

そのやんちょい荷役に14歳から従事したおばあちゃんを昭和56年に訪ねます。
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平原氏と当時88歳の竹ハルおばあちゃん。

竹ハルさんは与論島出身。
明治31年の台風で与論島、沖永良部島、徳之島などの南西諸島が、
壊滅的被害を受けたとき、労働力不足の口之津に集団移住してきた。

長屋の6畳一間に家族が寝起き。常食はカライモ。
徹夜して雇い主から握り飯二つをもらうのが一番の楽しみだった。

島から来た人たちは一番波の荒い場所に行かされた。

「内地の人は私らを軽蔑するものですから、内地の人を班長に雇うとりました。
そうすると軽蔑されまっせん。でもあんまり軽蔑すると海へ投げよりました。
内地の人は泳げんでしょ。力では負けませんでした」

やんちょいはみんなで必死にがんばるための与論言葉の掛け声だった。

       やんちょい さらさら 
     やんちょい さらさら


平原氏は九州・佐賀県の生まれで、九州帝大(現・九州大学)ご出身。
その故郷で得たものをこんなふうに語っています。

「天狗取りとは、貧乏と封建的遺風と人口過多の中、
クレーンもコンベアも何一つ持っていなかった日本人が、
荷役近代化への突破口として、人間そのものを一種の機械にしてしまった
体当たり戦法の一つであった」


※参考文献・画像提供/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」
               平原直 流通研究社 2000


はこぶことは生きること

  =写真を追加しました=

下の写真は、故・平原直(ひらはらすなお)氏のご著書、
「物流史談 物流の歴史に学ぶ人間の知恵」です。

平原氏は、
「個々バラバラに分断され、分散されて、無力化のまま放置されてきた
輸送、保管、荷役、包装、情報という「物流機能」を個別に考えず、
トータルシステムとして捉えよ」と主張。
その普及・啓蒙に生涯を捧げた方です。

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この本は、流通研究社の月刊「マテリアル・フロー」に書き続けたものを
1冊にまとめたもので、連載期間は1996年から2000年までの4年半。
執筆したときの年齢はなんと、94歳から97歳のとき。

驚くべき記憶力と精神力です。

本の序章にはこう書かれています。

    はこぶことは生きること
   生きることははこぶこと


「ものを運ぶということは、この世に生きとし生けるものの、悲しい宿命である。
生きるためには、まずものを運ばなければならないし、
ものを運ばなければ、人間も虫けらも生きることができない」

どんなに文明が発達し産業構造が変わろうとも、
「ものをはこぶことは生きること」という本質は変わらない。

その原点を忘れず、そこで育まれた人間の知恵に学ぼうと、
日本の産業を底から支えてきた「ものを運ぶ」人たちを、
平原氏は全国各地に訪ね歩きます。

米どころ、山形県酒田市の山居倉庫で働く女性です。
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なんて美しい笑顔でしょう。
私は一瞬、往年の大女優・原節子さんの映画のワンシーンかと思いました。

この場所はNHKの朝の連続ドラマ「おしん」の舞台になったところです。
ここの女性たちは美しいだけでなく、おしんのごとく、
ものすごいがんばり屋さんだったんだと改めて思いました。

こうした女性仲士を「女丁持ち」(おんなちょうもち)といったそうです。
絣の着物に地下足袋に前掛け姿。この方は米5俵を担いでいます。

米1俵は60Kgですから米だけで300Kg。
それにバンドリという背あての重さ10Kgが加わりますから、
〆て310Kgです。

それだけではありません。

背負った米を倉庫に積み上げなければなりません。
本の中で平原氏は、これを「はいつけ」ではなく、
「併積み(はいづみ)と記しています。

彼女たちはこの「併積み」のため、夜の8時、9時まで提灯片手に、
天井まで届く「歩み板」を登っていたそうです。

これは江戸末期の力持ち、木村与五郎の錦絵です。

与五郎木村

いくら与五郎が強力の持ち主ともてはやされても、担いだ俵は4俵

酒田の「女丁持ち」には、
完全に負けているではないですか。


※参考文献・写真提供/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」
               平原直 流通研究社 2000 

      
         ーーーーー◇ーーーーー

※ヨリックさま、三島の苔丸さまからいただいたコメントに答えて。

昭和29年ごろの炭焼き窯と炭の搬出の光景です。
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大井川流域の村々を行商して歩いていた昭和50年ごろの「シマネー」
これだけの荷物を背負い、両手には一斗缶を下げていたそうです。

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「大井川 その風土と文化」野本寛一 静岡新聞社 1979

20年ほど前私は、この一枚の写真を頼りにシマネーこと「しま」さんを探し、
ようやく見つけてお会いしました。

しまさん(大正11年生まれ)は旅館で賄いをしていました。
「働くのが大好き!」
「子供のころからずっと働いてきたからね」とサラリと語ったしまさん。
とびきりの笑顔、今も鮮明に覚えています。

男の料理教室

ちょっと力石を離れておいしいお話。

本日は月に一度のお楽しみサタデー。
勤務先の施設の利用団体さんに、男ばかりの料理教室がありまして。
私はいつもご馳走になっているんです。

どんどん腕が上達して、本当においしいんです。

こんな感じで料理スタート。
今回はスタートしたての場面のみ撮らせていただきました。

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刻む。

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皮をむく。

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サクサクサク

左下に見えるのは本日のメニューです。
持っているのは、創作料理を次々考え出す美人の先生。
本日は「春の和食」

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くるくる、トントン じょきじょき

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2時間ほどで出来上がり。

「お待ちどうさまァ~」

頭にバンダナ、エプロン姿のお父さんが事務室に持ってきてくださる。
ぷ~んといいにおいがただよう。

よそ様の殿方からの上げ膳据え膳。なんというシアワセ…。

「いっただきまあ~す!」

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上段左は油揚げにひき肉などを詰めた「狐ステーキ」
油揚げはちゃんと裏返して使っています。
右は「たけのこの混ぜご飯」

下段左は「蕨(わらび)炒め」、右はたけのこと若芽の「若竹汁」
一番右は「抹茶ケーキ」

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盛り付けも美しく、どれも本当にいいお味です。
お腹も心も満腹!

完食です!

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みなさまの真剣なお顔、見事な包丁さばき、そして仲間との楽しげな様子を、
奥さまやお子様方に見せてあげたい。



はいつけの神さま

「はいつけ」って何だろうと思ったら、
木材や米俵などの荷を積み上げることだった。

積み上げた荷のかたまりを「はい」といい、
積み上げることを「はいつけ」、ばらすことを「はい崩し」というのだそうです。

昔、荷役の男たちが自分の力だけで倉庫に積み上げていたのが、
今ではフォークリフトやクレーンでできるようになった。
でも「はいつけ」という言葉は今も使われていて、
これを動かすには特別な技能がないとできないとか。

下の写真は、明治時代の荷役の頭(かしら)です。
もとは房州船(千葉県)の船頭(船長)で、
のちに静岡の清水港で働くようになった松下伊左衛門です。

威厳があります。

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「鈴与百七十年史」鈴与株式会社 昭和46年より

さて、荷役の現場で彼らを見続けてきた平原氏でしたが、
意外にも、
力持ちの習俗や力石を知るのは現場を離れたあとだったという。

終戦を機に、17年間勤めた日本通運を辞めた平原氏は、
昭和23年、「荷役研究所」を設立します。

「運搬」という作業の重要性を世間に理解してもらいたい。
荷役の人たちを苛酷な労働から解放したい。
彼らの社会的地位の向上に力を貸してほしい。

そんな思いからの独立だったという。

しかし当時は荷役の重要性を説いても馬耳東風。
啓蒙運動に走り回って2年が過ぎたころ、耳を傾けてくれる人がやっと現れた。

深川の帝国倉庫・常務取締役の内田貞三だった。
内田は荷役を深く愛し理解し、わがものにしていた人で、
二人はたちまち意気投合。

その内田から聞かされたのが、
「はいつけの神さま」、佐賀町の富虎だった。
これがきっかけで、平原氏は力持ちという習俗に惹きつけられていきます。

冨虎の名がある番付です。
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「東京力持興行広告番付」明治21年。「石に挑んだ男達」高島愼助より

中央の赤丸に「本町東助」、右の赤丸に東前頭として「佐賀町富虎」
右端には「豆州 大嶌傳吉」の名も見えます。
ちなみに我らが徳蔵はまだ生まれていないので、ここには出ていません。

内田貞三は、大正3年、早稲田大学を出て、
鉄道院(運輸・国土交通省、国鉄、JRの前身)に入り、
のちに帝国倉庫へ入社。

荷役の現場を40年も体験した人で、
「倉庫の中のネズミの歩き方まで研究している人」と言われるほど、
倉庫実務にかけては当代随一の人だったという。

冨虎はそんな内田氏のもとで米俵を扱っていた男だったのです。

富虎の名は、
世田谷区・幸龍寺の「本町東助碑」にも「年寄」として刻まれています。

虎東助碑富

昭和6年、冨虎は72歳でこの世を去ります。
徳蔵このとき、40歳
徳蔵もこの「はいつけ」をやっていて、米俵2俵を同時に揚げていたそうですから、
大先輩の神技を目にしていたはずです。

70歳近くになっても重い米俵を手先でコロコロ転がして、
若者たちをアッと言わせていた冨虎。

明治23年、明治憲法発布の祝賀会に呼ばれて、
米俵に筆をさして文字を書く「俵筆の文字書き」を披露。
見事な出来栄えに黒田清隆侯から短刀一振りとお墨付きを賜ったという。

冨虎の銘がある力石「大石」(右端)です。

虎富 (2)
千葉県松戸市下矢切・矢切神社

この神社には神田川徳蔵の「水神」(右)もあります。

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でもですね。「はいけつの神さま」の現存する石はこれ1個きり
しかも世話人としてのみ…。

寂しすぎです。


※参考文献/「東京都無形文化財力持力技の復活と私」
        =「荷役一筋の道」平原直 1985
        流通経済大学図書館OB・石坂正男氏提供



プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
力石(ちからいし)のことを知ってほしくて、ブログを開設しました。主に静岡県内の力石と力石を詠んだ句や歌、力石探しのつれづれを発信していきます。

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