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疑惑 …61

田畑修一郎3
08 /14 2022
大阪の医療研究所に従兄弟を訪ねた。
武雄はただヘラヘラ笑っているだけで何も言わない。

「わざわざ来なくても」と、いぶかしげに従兄弟が言った。

「輸血をしたって聞いたけど、できればしない方がよかったね。
とにかく無事に済んでよかった」と言い、

最後に、終始「えべったん笑い」をしていた武雄を見て、
「仕事の途中なので、これで失礼する」と言い残して部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送りながら、
従兄弟が私に向けて、ふと見せた柔らかい表情を思い浮かべていた。

「ぼくはね、仕事で疲れると車を走らせて田舎へ行くんだよ。
地蔵さんに会いに。地蔵さんを見るとホッとするんだ」

最先端医療の中枢にいる科学者が地蔵さんに癒されている。
冷たい印象の人だったのに意外な一面を見せられて驚いた。

科学では解決できない心の安寧を野辺の地蔵に求めた。
地蔵は黙って手を差し伸べた。

私の胸にポッと灯が点った。


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「おい、行くぞ」

ぼんやりしていた私に、武雄がイラつき気味に声を掛けてきた。
見るとさっきまでのヘラヘラ顔はすっかり消えている。

せっかくだから大介に会って行こうと提案したら、「いいよ」と言う。
すぐに電話をかけたが、大介は「悪いけど、忙しいから」と、断ってきた。

残念だったが、これで家へ帰れると思ったが、そうはならなかった。

「奈良へ行くぞ」と、武雄が唐突に言った。
「えっ?」
「奈良だよ。たまにはゆっくりするのもいいじゃないか。
もう宿も取ってあるし、無駄には出来ない」と、武雄は語気を強めた。

「宿をとってあるって…」

そう返すと、また武雄があの笑い方をした。

その不自然な笑い顔をみているうちに、
夫の本当の目的が透けて見えた気がした。

武雄は最初から従兄弟へのお礼なんか本気ではなかったのではないか。
本当の目的は「奈良」だったのではないだろうか。

でも何のために? それを今まで黙っていたのはなぜ?

いやな予感がして心がざわついた。

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翌日の奈良には、こぬか雨が流れていた。
武雄は慣れた様子で電車を乗り継ぎ、とある駅で降りた。

駅を出ると何の迷いもなく、そこから真っすぐ貸自転車屋へ行き、
自転車を2台借りた。

私は不意打ちを食らって頭の整理がつかず、
せかされるままに自転車に乗った。

霧状の雨が顔に当たり洋服が重くなったが、武雄は平気で前を走っていく。
時折り振り返り、私を見ている。

飛鳥寺や石舞台古墳へ立ち寄った。茶店のようなところで何かを食べた。
何を食べたか、どこへ寄ったかこれ以外は記憶にない。
ただやたら起伏の激しい坂道を上ったり下ったりした。

何度目かの坂を上り、交通量の激しい道路を横断して踏切を越えた。

霧が晴れたかと思うと薄い日差しが差し、すぐまたこぬか雨になる。

数か月前、2度の手術をしたガン患者の妻を自転車に乗せて、
こんな目まぐるしく変わる天気の中を連れまわす。

おかしいなと思いながらも私はお腹の傷を押さえて、
必死で夫のあとを追った。

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武雄はまるで住み慣れた町のように走り抜けていく。

濡れた道路で車輪が滑る。また車の激しい道路へ出た。

武雄は後に続く私を翻弄するかのように白い霧の中に紛れたり、
車の陰から出たり入ったりしている。

猛スピードで走っていく夫を見失うまいと、私は必死でペダルを漕いだ。

やっと前方に小さく夫の背中を見つけた。だが安堵より恐怖に襲われた。

武雄は車の陰からこちらをジッと見ていた。
その顔は私の知らない別人の顔だった。

このまま夫を追いかけていたら危険な気がして、
私は道路の端に自転車を止めた。

その日夫は、行く先々でどこかへ電話をし大量に土産を買った。

「どこへ持って行くの?」と聞くと、「会社に決まってるじゃないか」と言う。

「会社に佃煮とかって変じゃないの?」と言うと、
またあの「えべったん笑い」が出た。

「雄二への土産は?」と言うと、「もう高校生だから必要ないだろ」と言う。

武雄が袋いっぱいに買った土産は、
会社へのものでないことはわかっていた。

「君んちのお父さん、愛人がいるんじゃないって友だちが言うんだよ」

小学6年生の雄二がそう言ってから、すでに4年も立つ。
それに対して私は何もしてこなかった。

小雨の降る奈良の山里で、雄二のその言葉が黒雲のように湧き上がった。

だが、私はそれを夫に問いただす勇気を出さなかった。

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たとえ勇気を出したとしてもヘラヘラ笑うか、
「おれが家へ帰れないほど働いているのは…」の常套句を、
怒鳴りながら聞かされるのがオチだという諦めが先に来た。

それに、認めたくないという自分自身のこだわりもあって、
私はずっと気づかない振りを押し通した。

お腹の傷がうずく。ふくらはぎがパンパンに腫れてきて少しふらついた。

しかし武雄はそんな私には目もくれず、今朝降り立った駅から電車を乗り継ぎ、
何ごともなかったかのように新幹線に乗り込んだ。

情けないことに、私自身も何ごともなかったかのように従った。

春とはいえ、日没は早かった。
静岡駅へ着くころには、すでに夜になっていた。

「あのさぁ、おれ、このまま東京へ帰るから。
この二日間、お前に付き合ったから仕事が溜まっているし。そいじゃあ」

そう言って武雄は静岡駅で私だけを降ろすと、
そのまま東京へ帰って行った。

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罠 …60

田畑修一郎2
08 /11 2022
退院した翌年は不気味な一年だった。

どんな困難であっても逃げない、ケリをつける、
そう決めて勇ましく歩き出したはずなのに、そうはならなかった。

自分はしっかりしているから大丈夫と思っていたが、
今まで通り、夫に振り回される情けない年になった。

大学生になった長男は、
父親のいる東京を避けるように関西の大学へ進み、
二男は高校生になった。

そして二男と私との二人暮らしが始まった。

あれは退院から4か月余りの4月末のことだった。

久し振りに東京から帰ってきた夫の武雄が帰って来るなり、
「大阪へ行こう」と言い出した。


私はてっきり、こう思った。

長男に会いに行こうとしているのだ。
新生活の手助けを何一つしなかった自責の念に駆られたのだと。


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ところが違った。

「ほら、お前が入院した時、親戚の医者が口利きしたんだろ? 
お礼に行くべきじゃないのか」

お礼? 何故、今? 

従兄弟は関西に住んでいた。
私はこの人とは東京にいたころ、1度か2度しかあったことがない。

まして武雄は会ったことも話したこともないのに、
こうも馴れ馴れしくわざわざ出向くってどういうことなんだろう。

「雄二を一人、家に残して行くことはできない」と言うと、
口辺を歪めて声を荒げた。

「今しかないんだよ。クソ忙しいのに一緒に行ってやるって言ってんだよ。
行くのか!行かないのか!」と凄む。

そうして凄んだかと思ったら、今度はご機嫌を取るかのように優し気な声で、
「オレが費用、全部出すからさァ」と、エヘラエヘラ笑った。

いやな笑い方だった。

今にして思えば、それは、
彼の叔父、田畑修一郎が小説の中で描いていた
武雄の父のあの「えべったん笑い」そのものだったのだが…。


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しかし、この強引さは何だろう。
費用はオレが出すって、夫婦なのに変ではないか。

なにかいやなものを感じて私は返事を渋った。

それに武雄は、私の従兄弟の勤務先をなぜ、知っているのだろう。

それだけではない。すでに先方に連絡済みだと言う。

ずいぶん後になって兄から聞いた。

「武雄君が電話して来て、
どうしてもお礼に行きたいから連絡先を教えてくれと言うので、
その必要はない。第一、妹は病み上がりじゃないか。
どうしてもと言うのなら、電話で充分だよと言ったんだ」

兄のその助言を無視して強引に行こうとするのは、やっぱり変だ。

ふと、あの手術直後の個室での出来事が頭をよぎった。

タンが絡んで呼吸困難になっていた私を、ただ見下ろしていた夫のあの顔。

看護師から「なぜタンを切る薬をあげなかったのか」と叱責されて、
私の胸にその薬を投げつけて出て行った、あの冷酷な顔を…。


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ここ数年、おかしなことばかり続いていた。

小学6年生だった二男が友人を連れて、
「ジャーナリストの自慢の父」に会いに行ったのに部屋に置き去りにされた。

友人の前でメンツをつぶされた二男の雄二が、ポツリと言った。

「友達が言うんだよ。君んちお父さん、愛人がいるんじゃないのって。
そんなに家に帰らないのは愛人がいるせいだって」

「愛人」という言葉を、まだ小学生の息子が口にした。

私はうろたえた。
そんな言葉を息子に言わせてしまって、どうしたらいいのか。

だがこの時も私はいつものように、沈黙を押し通した。

二男だけではない。

夏休み、東京の予備校に通うために
父の暮らすアパートへ出かけた長男の大介が、夜になると電話でこう言った。

「いつもぼく、独りなんだよ」

それからまもなく家へ帰ってきた大介は、父の部屋の鍵を私に出して言った。

「これはお母さんが持つべき鍵だから」


そう言って父の部屋の鍵を突き付けられたときも、
私は動揺を悟られまいと口を引き結んだままだった。


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私は長い間、夫の居場所も電話番号も知らせてもらえなかった。
おかしなことだと思ったし緊急の時どうしたら、という不安はもちろんあった。

だが、「俺をそんなに信用できないのか」と言う夫に逆らえなかった。

「お母さんが強く言えないから、ぼくらまで惨めな思いをする」
と、長男がうめいた。

その通りだと思ったし、このままではいけないとも思った。
きちんとしなければ子供たちに迷惑をかけてしまう。

ある日、勇気を出して夫に言った。
「もう私と一緒にやっていく気がないのなら、はっきり言ってください」と。

武雄は激怒した。

「お前はホントに何んにもわかっていないんだな。
オレが家に帰れないほど働いているのは、なぜだと思ってるんだ。
みんなお前たちのためじゃないか」

そうわめくとそのままプイと家を出て、そのまま戻って来なかった。

久し振りに帰宅した夫にすき焼きを出すと、
「肉の顔見るのは何カ月ぶりかなあ」という。

そういう夫の言動のなにもかもが芝居がかっていると感じたが、
そのときも私はまだ、
「帰れないほど忙しく働いている」という言葉を信じたい気持ちと、
「食べさせてもらっている」という負い目に囚われていた。

それに優しい時も確かにあった。
そんなことをぼんやり考えていた時、武雄の怒気をはらんだ声が飛んできた。

「行くのか! 行かないのか!」


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ハッと我に返ったとき、
「行きます」と言う言葉が口を突いて出た。


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無になる …59

田畑修一郎2
08 /08 2022
退院して間もなく、ふいの訪問客が増えた。
みんな初めて見る顔ばかり。

どこからともなく、わらわら湧いてきた。

押し売りではなかったが似たようなもので、宗教の押し売りだった。
子連れもいた。

この人たちの、人の不幸を嗅ぎつける嗅覚は犬も顔負けだと思った。

こちとら病み上がりだよ。しかも全く知らない人。
そういう輩が他人の家に押しかけるってどう考えても、まともじゃない。

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所属教団名を名乗る者はほとんどいなかったし、
「宗教じゃない」と言い張る者もいたが、雰囲気は同じ。

顔つきはみんな似たりよったりで、始終笑ってやたら自信にあふれていた。

かれらがゾッコンの教祖はいろいろで、
メシアだの救世主だのキリストの生まれ変わりだの、
東西の神さまのごちゃまぜだのって、

なんとまあ、「神さま」ってたくさんいるもんだなと驚いた。

「興味がない」と断ると、あっさり引き下がる人もいれば、
「そんな態度だからガンになったんだ」と、
どこで聞いたのか、「ガン」という言葉を使って捨て台詞を吐く「羊」もいた。

10歳ぐらいの子供が絵を示して、「これが理想世界です」と得意気に言った。
うしろにいた父親も得意満面で胸を張っている。

見るとライオンや虎や象などの猛獣と人間たちが、
仲良く広場に集まってニコニコ笑っている。

ちょっといたずら心が起きて、
「もしこのライオンが腹ペコだったら、僕、食われちまうよ」
と口に出掛かったが、無言で手を振ってドアを閉めた。

「イワシの頭も信心から」と言うのだから、あなた方の好きにすればいい。
だけど、子供だけは自由にした方がいいよ。

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どの人も善良そうで真面目そうで熱心で、
それで言うことは決まって「愛」「平和」「救済」

おいおい、愛だの救済だのと自信たっぷりに言うのなら、
ちょいと品がないけど、今の私の気持ち、お伝えしましょうか。

「同情するなら金をくれ!」

「信心しなければ地獄に落ちる」って、あんた、地獄を見たことあるの?
「先祖の因縁」って言うけどさ、
縄文の昔から考えたら、そりゃ、いろいろあるだろうさ。

私は今、地獄の真っただ中だけど、こう思ってる。
現実の出来事は現実の世界で解決するしかないんじゃないの?って。

現実に立ち、
これから自分の身に起きたことを一つ一つ解決していこうとしている私には、
こういう「クローン人間」はその対極にある人たちだ。

彼らは他人が作った「仮想世界」の住人たちなんだろうと思った。

その仮想世界でただ一人、「現実の世界」に生き、俗世を謳歌しているのは、
彼らが神と崇める教祖だけなんだろうなとも思った。

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人の冗談を真に受けては笑われ、頼まれ事は無理してでも引き受ける、
そういう私を見て、「どうしてキミは周りに遠慮ばかりしているんだね。
もっと自分を大事にしなきゃダメだよ」

と、人生の先輩たちから忠告されてきたトンチンカンで隙だらけの私が、
この長い人生の中で、
マルチやカルト宗教や詐欺を回避できたのはどうしてなんだろう。

単なる幸運なのか、それとも干渉され嫌いが幸いしたのか。

はたまた、
誘われて行った有名歌手のコンサートで、観客総立ちで熱狂している中、
独り冷めて座っていた私を見て友人は困惑したが、
そういう「乗れない性格」のせいなのか自分でもわからない。


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私は登山が好きだった。

ただ頂上を目指して黙々と歩くという行動に、
修行のようなものを感じてもいた。頂上についた頃、いつも思ったものだ。

「無になれた」と。

孤高を気取っていたわけではない。

どんなに大勢で登っていても、歩くのは自分自身だから孤になれる。
この瞬間のために私は歩いた。
だれに指図されたわけでも誰のためでもない。自分のために。

何も考えずただ歩く。ひたすら歩く。一歩、また一歩と。

花、木、川の音、鳥の声や風の音、
空や雲や踏みしめた大地のそのすべてに、私は精霊や命を感じつつ歩いた。

そうして、
解き放たれた心のすき間に自然からの恩恵を埋めていった。

下山した時、
俗世間から受けた垢や埃が浄化されて、新たな生きる力を獲得できたと思った。

流した汗、足の筋肉痛のひどい分だけ、
心身の迷いや苦悩や穢れが外へ押し流されたと感じた。


笊ケ岳登頂への途中の「幻の池」。消滅していた池がこの日は姿を見せていた。
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10代の頃は坐禅をやった。

夕方から夜間の参禅、明けの明星を背にした早朝参禅、
夏には緑陰禅をやった。

ただ座っているだけ。
誰かに強制されたわけでも、小難しい法話を聞いたわけでもない。

シンと静まり返った坐禅堂でひたすら座り続け、
時折り僧が打つ警策を肩に受けて、そうして「無」になり、現実へ戻った。

登山は坐禅に似ていた。
子供のころから群れることが苦手だったから、どちらも性に合った。

禅の「来る者は拒まず、去る者は追わず」がしっくりきたし、
なによりも、人を頼らず自分自身で決め、実行することが快感だった。

「自分でやるしかない」という母の言葉が、さらに現実直視へと私を促した。

退院した翌年はそのスタートの年となった。
だが、解決までの道のりは遠かった。


       
         ーーーーー◇ーーーーー

ーーー原爆投下で被ばくさせられた方々を悼むーーー

今年も「2度と過ちを繰り返させてはならない」と誓う日がやってきました。
私は夏が来るといつもこの写真を見ます。


「焼き場に立つ少年」 ジョー・オダネル撮影
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そして山の先輩だった広島の橋本さんを思い出します。

爆心地からほど近い場所で倒れたまま何日か過ごし、
探しに来た兄に発見されて奇跡的に助かったと何度も聞かされた。

背中一面のケロイドにもめげず、生涯独身で山を友として生き、
そして一人で世を去った。

子連れの鳳凰三山で知り合い、共に神奈川、広島の山を登った。
わが家へ泊った時は「もっと立派な家かと思った」と笑い、
彼女の家へ泊めていただいたときは「こんな小さな家で」と、顔を赤らめた。

動物園が大好きでひまさえあれば動物園へ通った。
小さな山にこれまた小さな手作りの山小屋を建てて住み、
「夕べは熊がきたらしい」と笑った。

原爆の話になると形相が変わったが、
くっついたままの手の指を庇いながら、グチをこぼさず明るく生きた橋本さん。
あの笑顔を思い出します。


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カブトムシ

できごと➁
08 /05 2022
夕方、
買い物に行こうとドアを開けたら、カブトムシがひっくり返っていた。

助けなきゃ。

朝から今までずっとひっくり返っていたようで、
指につかまらせようとしたが反応が弱い。

ならばと、厚紙に乗せて室内へ。

鉄筋長屋の長い通路は、明かりに寄ってきた虫たちのたまり場。
カミキリやクワガタ、カナブン、蛾とまるで昆虫館。

しかし、カブトムシの訪問は近ごろでは珍しい。

買い物から帰るまで、とりあえず黒砂糖水を浸した布を置いて出かけた。

帰宅後覗いたら、布にしがみついている。
これなら元気になるかもと思いつつ、今度はしがみつく木の枝を探しに。

ダンボールに木の枝を渡し、そこへ誘導するも反応が鈍い。
バナナを割りばしに刺して、鼻先に置いても動かない。

2時間ほど後で見たら、なんと、バナナにしがみついていました。

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心なしか、埃まみれだった羽根にツヤが出ている。

翌朝、箱を覗いたら、いない!
ヤレヤレ、良かった。元気に飛んで行ってくれたと思ったら、
器の陰からゴソゴソ。

ありゃー。

すっかり元気になって歩き回っている。
もう大丈夫だ。

夕方、近くの神社へ出かけ、大イチョウの根本へ置くと、
水を得た魚のごとく、太い根っこをしっかり掴んで元気に歩きだし、
根元に溜まった落ち葉の中へゴソゴソ潜っていった。

ヤレヤレ、一件落着。

小さな本殿の屋根から、一部始終を見ていた「四方睨みの猿」
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帰り際、神社に手を合わせて「カブトムシをお守りください」と祈った。
虫のために二礼二拍手一礼したのは初めて。神さま許してね。

ところがです。

次の日、ドアを開けたら、
またもや「ダルマさんが転んだ」状態のカブトムシが…。今度のは若い雄。

またかよ!と思ったが、見て見ぬ振りは出来ない。

一晩中恋人を求めて飛び回っていたのだろう。
うしろ羽根ははみ出し、角も足も蜘蛛の糸だらけ。

からまった蜘蛛の糸を取り除いている間も抵抗なし。
ダメかもなあ。

他のバナナは私が食べちゃったので急きょスイカを与えたら、
弱々しいけどしがみついた。


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いけるかも、と期待したが、やっぱり力尽きた。

せめてもと思い、頭をちょっと撫でてやりました。


カブトムシくんの遺影
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これでおしまいと思っていたら、
3日目の早朝、またしても「ダルマさんが転んだ」が一匹。

勘弁してよ~。

今度のは大きな雄で、兜もツヤツヤで元気いっぱい。

彼らは太陽に弱いから、
コンクリートの上でひっくり返ったままにはしておけない。

というわけで、保護と相成りました。

そして3時間後、昨日、雌を放った神社へ行き、
「ヘビさん、出ないでよ」と念じつつ、同じ場所に放してやりました。


20220801_051457 (2)

ついでながら、みなさま、教えてください。

台所のガス台の壁に、オレンジ色の虫を発見。
体長は1㎝ほどと小さいけれど、触覚はやけに長くて、体の2倍弱。

こんなところにいたら火あぶりになっちゃうよと、慌ててベランダへ。
これ、神棚用の榊についてきたのかも。

小さい上に動きが早くて写すのに四苦八苦。
ピンボケですが、どなたか虫の名前、教えてください。

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Welcome To Shizuoka !

できごと➁
08 /02 2022
タイからお客様がやってきました。

タイの魔女・PERNさんと日本男児のちい公さんご夫妻です。
PERNさんにとっては2年数か月ぶりの来日。

各地に旧知の方々を訪ねる旅を始めて20日余。
九州からスタートしてどん尻が静岡という壮大な二人旅です。

さて、静岡でのPERNさんの希望はただ一つ、

「富士山が見たい!」


CIMG5808 (2)

ちい公さんは、
「静岡市はどこからでも富士山が見える」と思っていたそうですが、
見えないんですよねえ、これが。

江戸の頃は、安倍川を渡りいよいよ駿府の町へ入ると、
眼前に白亜の駿府城と富士山が威風堂々と現れたそうですが…。

そこで富士山が見えるコース、
日本平・夢テラスと清水港湾内クルーズはどうかと思ったのですが、
暑さに加え、コロナ患者急増やらワクチン未接種の私への配慮で、

静岡市内で食事ということに落ち着きました。

初めてお会いするので、こんな工夫をしました。


「Welcome To Shizuoka」
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これを掲げて改札で待ち受けていたら、すぐわかってくれた。

「あ、紙が逆さだ」とPERNさん。

この日は、
以前、PERNさんが送って下さったタイの巻きスカートを巻いて…。

金糸をふんだんに使った豪華なものです。


「どこから見てもタイのおばさんだ」と言われて、タイ人になり切りました。
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まずはランチ時間まで、ホテルアソシアのロビーラウンジでお茶。

広々とした空間にクッションの利いた大きな椅子で、感染の心配なし。

そこから料亭「浮月楼(ふげつろう)」へ。

駅から徒歩5分という近さ。
それでいてそこだけ、静寂の異次元空間になっている。

ここは明治維新で江戸を追われた最後の将軍、
徳川慶喜公の屋敷だったところです。

しかし、すぐ後ろを東海道線が走ることになり、その騒音を嫌って、
慶喜公は別のところに屋敷を構えて転居してしまいます。


「東海の名園」と謳われたお庭です。
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池に突き出た薪能の舞台です。
若い美魔女と老魔女の撮影の競演。

ここの鯉はみな肥え太っていました。
手を叩いても知らん顔。さすが将軍家の鯉です。気位が高い。


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PERNさんのファッションセンスは抜群です。

私は息子二人なので、昔は玄関に赤い靴があるのを夢見ていましたが、
この日はちょっぴり叶いました。

可愛くてね、娘か孫娘を持ったようで内心、嬉しくて…。
ハグをしたかったけど、こんな時期に接触は迷惑かなと思い断念。

PERNさんは、古風なものと現代風なものを合わせ持つ魅力的な女性でした。

気配りと優しさの奥に見えるのは芯の強さ。

悲しみも苦しみもみんな慈愛に変えて自力で乗り越えてきた、
そんな潔さを感じました。


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食事は3階の「レストラン浮殿(うきどの)」

静岡の滞在はほんのわずかでしたが、お会いできて本当に良かった!

遠方からのお越しだったのに、両手いっぱいのお土産です。
ココナツのお菓子、タイのポッキーにキャンディ、ジンジャー&蜂蜜の飲み物、
足指のパウダーまで。


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極め付けは洋服と大きな手提げです。
どれもみんなPERNさんが一生懸命選んでくれたものなんですね。

さっそく着てみましたよ! 如何でしょう?

秋になったら使わせていただきますね。


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あとから気付いたのですが、PERNさんは訪問先で、
お得意のタイ料理を作ってくださる計画だったんですね。

またの機会に、我が「倒れ荘2」へ。

そうそうご夫妻は到着早々、駅のロッカー前で、
鍵の開け方がわからないおじさんやおばさんから次々頼られて、
親切に開けてあげて…。

みんな、静岡市初訪問の旅のお方にお世話になっちゃって。

申し訳ないような、でもなんだかおかしくて笑ってしまった光景でした。

PERNさん、ちい公さん、

老い先短い私ですが、無事、コロナ禍を乗り切って健康に留意しつつ、
またお会いできる日を楽しみにしております!


奇しくもPERNさんと私、同じ8月生まれ。

HAPPY BIRTHDAY TO YOU!
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。