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モデルはオレだよ

某役所へ写真借用許可を申請中。

許可書が届くあいだ、「万治石」はちょっとお休みです。

そこで、
毎年すすきで干支を作っているおじさん宅へ。

そろそろ始めているかなとのぞいてみたら、

ありゃァー!

埴輪のような、中世の兵士のような、変な「人」が立ってましたよ。

CIMG4962 (3)

奥で農作業中のおじさんに、
「こりゃまた、すごいものを…」と声をかけたら、

「うわっはっは」

おじさん、
農協マークの帽子の下からいたずら小僧みたいな笑顔を見せて、

「近所でたくさん植木鉢を捨ててあってな。
これ、どうするだネって聞いたら、捨てるっていうからもらってきた」

植木鉢で「植木鉢像」ですか。

凄い発想!

「ところで、このモデルは何ですか?」って聞いたら、

「モデルはオレだよ」

「えっ!」
「身長はオレとぴったり同じに作った」

うーむむむ…。

CIMG4963 (3) CIMG4965 (2)

おらが村の芸術家さん。

なにも芸大出て、個展をやる人だけが芸術家じゃないんだよね。

地下足袋はいたおじさんの創造力は、のびやかで健康的だ。

「来年の干支の制作もそろそろですね」って聞いたら、
「それがな、むずかしいんだよ、ネズミってのは」

でも、植木鉢のおじさんのほうは、やる気まんまん。

CIMG4964 (2)

大きな植木鉢をかぶったまま、もう楽しくてたまらないという顔で、
ニンマリしておりました。
    

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新聞に載りました!

即位の礼に合わせてお披露目された「万治石」

新聞2社とネットニュース、
野田市の広報誌とタウン誌に掲載されました。

一挙、公開です!

朝日新聞です。
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朝日新聞・千葉首都圏版・令和元年10月23日朝刊。

日本全国どこでも注目度の低い力石が、
これほどまでに取り上げていただけたのは、

ひとえに、
八幡神社の氏子さんたちの熱意と努力のたまものです。

産経新聞です。
img20191117_18552660 (2)
産経新聞・千葉県版・令和元年10月23日朝刊。

記事はこんなふうに結んでいました。

<地域の人たちは「ふるさとの宝」としてよみがえった力石に
笑顔を見せていた>

でも「写真はモノクロだったなァ」とちょっぴり残念と思ったものの、
ネットニュースでも取り上げてくださった。

ここではきれいなカラー写真です。しかも当日、載せてくださった。



img20191117_18581512 (2)


使われなくなった力石は散逸を恐れて、
境内に埋めてしまったり、木の根元や地面に並べて置いたりします。

地面に置いた石は、長い年月の間に、
なぜか自ら地面にもぐってしまうんです。

ですから、この八幡神社の力石も土留めに転用したというより、
並べて置いたのが土にめり込んでいったとも考えられます。

タウン誌「月刊とも」へも載りました。

千葉県、埼玉県の11の市で配布。
今年で創刊41年という長い歴史を持つタウン誌です。

img20191117_19104231 (2)img20191117_19083627 (2)
「月刊とも」484号。令和元年11月1日発行。有限会社ふるさと工房。

そして地元野田市の広報誌です。

2年前、野田市民でもない私メがヤイノヤイノと騒ぎ立てたにも関わらず、
根気よく丁寧に対応してくださり、ついにお披露目へと導いてくださった。

その職員さんがいらっしゃるところです。

広報誌「のだ」です。

「野田・ふるさとめぐり」として紹介されていました。

img20191117_19015729 (2)img20191117_19035949 (2)

どの記事にも踊る言葉は、

「千葉県最古」
「全国で3番目に古い力石」


新聞には、
神主さんが力石になにやら振りかけている姿が写っています。

これは「切幣(きりぬさ)による清めの儀式。

「切幣」とは、五色の和紙、塩、麻の繊維などです。

「斎竹(いみだけ)」を巡らせた聖域で、
力石に新たな魂を吹き込んでいるのです。

みなさまへの提言です。

力石は文化財になろうとも、触ってこそ価値があるものです。

落ち込んだときやいじめにあったとき、
勉学やスポーツなどの勝負に挑むとき、
健康や家内安全、平穏を願うときなどに、

ぜひ、この石を撫でて活力をもらってください。

特にこの「万治石」は、
400年前の元気な若者たちの特別パワーを秘めていますから。

 
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浦安の舞、おごそかに

八幡さまの神前では準備も整い、いよいよ式典が始まります。

CIMG4913.jpg

斎藤氏と石田氏と私は最前列へ招じ入れられました。

「ひと言ずつご挨拶を…」とのことで、慌てました。
蚊の鳴くような声?で、保存してくださったことへの感謝を述べて、

ホッ!

本殿の中に150人ほどが人が着席。
入りきれない人々がカメラ片手に外から見守っています。

私たちが奉納したお酒がちょこんと見えました。
なんとなく嬉しさジワリ。

CIMG4938 (2)

神主さんの祝詞(のりと)奏上です。(この場面だけは撮影禁止です)

ここでなんと、私たち3人の名前が読み上げられたんですよ。
祝詞で名前を言われたのは結婚式以来です。

玉ぐしも奉納しました。

厳粛な気持ちになりました。

私の先祖は、祖父の代まで長く神主をやっていた家だったから、
やっぱり血が騒ぐんですね。

巫女さんの浦安の舞が始まりました。

CIMG4914.jpg

初々しいお嬢さんです。

CIMG4918 (2)

清らかな花びらがひらりひらりと舞っているようです。

CIMG4924.jpg

舞を見ているうちに、お正月、緋の袴をはいた幼い日と重なって…。
同級生たちから、「先生みたい」とからかわれたっけ。

あの袴は母の手作りだったと、成人してから知った。

静寂の中、鈴の音だけが響きます。

CIMG4928 (2)


   即位の日万治の石に陽のさして
                     門出を祝う浦安の舞     雨宮清子


   万治より令和の今もここに在る
       力石(いし)よ永遠(とわ)なれ今上の里に    斎藤呆人



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よいさよいさ

「この八幡神社の創建は寛文二年(1662)なんですよねぇ」

野田市の文化財保護審議会の委員で、
金石文の研究者・石田氏が、ふとつぶやいたこの言葉。

そういわれれば、万治石の刻字は1661年だから、
石が奉納されたとき、八幡さまはまだなかったはず。

確かにだ。

「変ですか?」と八幡さまのパンダくんとラッコさん。
CIMG4912 (2)
千葉県野田市今上・八幡神社

同じ今上にある稲荷神社は万治三年となっているから、
ここなら計算があう。

この稲荷社は田中吉右衛門なる人物の氏神だったそうですから、
ひょっとして、
八幡神社も最初はだれかの屋敷神だったかもしれません。

もう一つ考えられることは、
以前,境内社の一つだった「大杉神社」の存在です。

大杉神社の総本山は常陸内湾の茨城県稲敷市阿波にあって、
大きな杉の木が立っていたため、海上交通の目印になっていたとか。

古名「あんばさま・大杉大明神」

大杉神社のHPによると、創建は奈良時代。
あの万葉集ができたちょっとあとですから古いです。

こんな伝説があるそうです。

勝道上人という人が疫病に苦しむ人々の救済をこの大杉に祈願したら、
奈良の三輪明神が飛んできて大杉に宿り、たちまち病魔を退散させたー。

「飛び神明」というものですが、日本の神さまは元祖「すぐやる課」かも。

「ぼくは重くて飛べません」と万治石。
CIMG4905 (2)

大杉神社といえば、滋賀県彦根市にもあるそうで、
いつも渾身の取材をされている下記のブログに詳しく掲載されています。

茨城県の大杉神社と関わりがあるかはわかりませんが、
大変興味深い記事なので、ぜひお読みください。

「神秘と感動の絶景を探し歩いて」

江戸の中期、八代将軍吉宗の享保十二年(1727)三月、
この大杉大明神の神輿が「ハヤリ神」となって江戸へなだれ込み、
江戸庶民を熱狂させます。

   「安葉(あんば)大杉大明神 
    悪魔払ふてよいさ 世がよいさ よいさ、よいさ」

そう囃子ながら踊り狂う民衆を見て、幕府は弾圧に動きます。

大杉大明神の信仰圏は栃木、茨城、千葉の主に利根川流域で、
船運業に携わっていた人々が信仰していたそうですから、
今上に分祀されたことは当然と言えば当然ですよね。

今上の船頭さんたちの船の守り神・フナダマサマは、
もちろんこの「あんばさま」です。

ひょっとして最初に創建されたのはこの「あんばさま」か?

とも思いましたが、確証はない。

よいさよいさ。
400年もここにおったんだしな。これからもずっといてくれよ
CIMG4940.jpg

   「撫でられて力みなぎる万治石」   雨宮清子

枯れかかった頭であれこれ推測、邪推、奇想天外の空想に浸りつつ、
こんなことも考えました。

ひょっとして、あの「弁慶石」が鴨川の洪水で流されて、
京都三条に鎮座したみたいに、
万治石も江戸川の洪水と共にこの地にやってきたのかも。

そうと思えば、

また別のおとぎ話が生まれます。


※参考文献/野田市民俗調査書1「今上・山崎の民俗」
        野田市市史編さん委員会 平成7年
       /「民俗神道論」宮田登 春秋社 1996


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「今上」ってどんなとこ?

「万治石」の式典に出かける直前、次々と大型台風が…。

千葉県は大変な被害と報じていたので、
これでは式典どころではないだろうなと思いつつ、お天気地図を見たら、
なんと「野田市」の上だけ雨雲がなかった。

千葉県と言えばすぐ思い浮かぶのは房総半島です。
でも、改めて地図を見ると、
野田市はそこからずっと遠い位置にありました。

一番上の白丸の中が野田市。江戸川と利根川にはさまれています。
江戸川の対岸は埼玉県、利根川の向こうは茨城県という立地です。

上部に利根川と江戸川が枝分かれした三角地帯があります。
ここが有名な関宿城があったところです。

今は博物館になっていました。地元の研究者・Iさんに連れて行っていただきました。
「オビシャ」「川の歴史」…。見ごたえ満載!

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「オビシャはつづくよ400年」よりお借りしました。

遠くへ行くという感覚でしたが、
静岡駅から柏駅経由でもよりの野田市駅まで、
乗車時間はなんと約2時間

信じられない近さです。

ここでは、「野田市民俗調査書」をお借りして、
野田市今上についてお話していきます。

「今上」(いまがみ)の旧村名は「今神」
古来には「馬神村」と称していたという伝承があるとか。

江戸川に面した今上は、
昔から河川の氾濫に悩まされてきたそうですが、
何度もの築堤や掘削、改修で今の姿になったとか。

近世にはその河川を最大限生かした船の河岸として活用。
「船頭のムラ」として隆盛を極めます。

周囲の村に比べて裕福で、食べ物なども贅沢だったようです。

これは今上河岸「桝田廻漕陸送店の支店」(三ッ堀)開業広告です。
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「今上・山崎の民俗」よりお借りしました。

河岸は上下に二つあった。

河岸問屋「桝田回漕店」には直属の高瀬船が約60艘あり、
住民たちの持ち船の
六斎船や高瀬船、蒸気船などが200艘ほど停泊していたという。

船荷は主に醤油葉タバコで、
昼夜かまわず今上河岸から東京を目指した。

東京まで早くて一日、普通は二日で着いたそうです。

江戸川→新川口→小松川→中川→荒川→小名木川→隅田川→
浜町→蛎殻町ときて、小網町で着岸。

もうね、ここにでてきた土地すべて、力持ちと力石の宝庫ですから、
今上の船乗りたちが影響を受けなかったはずはありません。

そういえば、
「神田川徳蔵物語」でご紹介した深川の力持ち・根本正平の父親は、
利根川の高瀬船の船頭でした。

左端が根本正平氏。その隣は「物流の父」といわれた平原直氏。
「深川力持睦会」の文化財指定に尽力した人です。

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「深川力持睦会」のイベントで。撮影年不明。

ちなみに、平原氏ゆかりの流通経済大学の新校舎エントランスには、
立派な力石3個が飾られています。

力持ちの話になると興奮しておしゃべりが止まらなくなりますから、
この話はこのへんで。

次回は今上の八幡さまと「万治石」の謎に迫ります。


※参考文献・画像提供/図録「オビシャはつづくよ400年」
               千葉県立関宿博物館 2019
               /野田市民俗調査報告書1「今上・山崎の民俗」
                野田市史編さん委員会 平成7年
※画像提供/「平原直アルバム」流通経済大学所蔵 物流博物館保管


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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