野良犬的探索

このところビッグ情報3つも飛び込んできまして、
もう嬉しい悲鳴、いやいや雄叫びです。

まずは明治の代表的な力持ち・神田川徳蔵(飯田徳蔵)です。 
徳蔵氏は日本のウエイトリフティングの先駆けとなった人ですが、
なんと、この人の縁者の方からメールが届いたのです。

こんなことって現実にあるんだと、もう、驚くばかり。

神田明神祭礼の千社札に名前を残す神田川徳蔵氏。
img155.jpg

ところが続いて、「木場名所図絵」の「力持ちの図」に俳句を添えた
俳人の「茂丸」氏のお孫さんからメールです。

徳蔵氏、茂丸氏、どちらの方もこのブログを見てご連絡くださったとのこと。
全く予期しなかったことで、ネットの力をまざまざと実感。

近いうちに詳細をお知らせしますので、もう少しお待ちください。

さて、本日は3番目のビッグ情報からお伝えします。
力石研究の大先輩、埼玉在住の斎藤氏からの情報提供です。
斎藤氏の眼力の凄さ、行動力をとくとご覧ください。

2年前(2015)の5月、斎藤氏は、
「雨宮さんが投げた元柳橋の大王石に触発されて、本日、柳橋界隈を散策。
得意の野良犬的探索で裏路地で力石を1個見つけました

それがこれ。みなさん、わかりますか?
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東京都台東区柳橋1-10-12  斎藤氏撮影(2015・5・11)

「柳ばし 美家古鮨本店」の入口角。
今から200年ほど前の文化年間創業という江戸前のお寿司屋さんです。

ただの石にしか見えませんが、そこは斎藤氏です。
刻字がなくても、「力石だ!」と直感。

img941 (2)
斎藤氏撮影(2015・5・11)

大女将にうかがうと、案の定、力石だという。
「以前は2個あったけど、1個盗まれちゃった」

そりゃ、ただ道に転がしてあるだけだもの、持っていくなと言う方が無理だ。

「赤い目方が書いてあったけど消えちゃったね。
先代から力石だと聞いていたけど、今は車除けに使っている」

オイオイ、女将さん、そりゃないよ

それから2年後の今年3月、斎藤氏は再び、その場所へ。
あの石は無事、店の角にありましたが、2年前とはちょっと様子が違った。
何もなかった石の表面に朱で「廿六メ目」の刻字が…。

img949 (2)
斎藤氏撮影(2017・3・4)

「たぶん、私の調査に触発されて石をひっくり返したのでしょう」と斎藤氏。

なにはともあれ、力石が姿を消していなくてホッとしました。
でも、「美家古鮨本店」さまには、ぜひお願いいたします。

古いのれんを大事にするのと同じくらい、
この力石も大切にしてください。

そしたら力石も喜ぶし、力石の保存に努めている斎藤氏も私も高島先生も、
そして全国の力石ファンもひと安心いたします。

この石は、文化年間のご先祖さまが差した記念の力石かもしれないし、
もしかしたら、
あの柴田是真ゆかりの力石かもしれませんし…。

長い歴史と先人の汗と涙と喜びが沁み込んだ力石です。

どうぞ、大事にしてやってください。


<つづく>
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行ってきました、草競馬ッ!

いったん行くのを断念した「さがら草競馬大会」。
今朝、トーストに夏みかんジャムをたっぷりのせて、ガリリとやっているうちに、

やっぱり、行くか!

特急バス+なんだかんだで片道2時間。今なら午後のスタートに間に合います。
いざ、牧之原市「さがらサンビーチ」へ。

オッ、いましたいました。午前の疾走を終えて、一休み中のお馬さん。
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静岡県牧之原市相良・さがらサンビーチ

本日の出走はサラブレッド19頭、ポニー16頭、中間馬12頭。
午前、午後とも9レースずつ。

子どもは苦手だけど、しゃーない
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決勝戦が始まる前に行われた子供たちの「人間草競馬」です。
馬のぬいぐるみを被って走ります。

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さあ、いよいよ始まりました。砂に、海にヨット、空に遊覧ヘリコプター

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なんだか興奮してきちゃった!  私はいつでも冷静よ。

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子どもの騎手さんが大勢出場しています。
遠く長野県から来た少年もいました。
ここに載せた写真の騎手は全員、少年少女たちです。

どうです、この手綱さばき
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外野のじじさまたちが「ほれ、行け」「やれ、行け」とうるさいこと。

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ポニーに乗った少年です。ポニーも少年に応えて懸命に走ります。

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すごいよ。
この馬と子供の一体化。

こんな文化が続いていたなんて。子供たちがあんなに生き生きと…。

祖父から父、父から子へ、連綿と引き継がれてきた草競馬。
じいさんの顔も父さんの顔も日に焼けて真っ黒。誇り高き日焼けだね!

闘いが済んで、お互いに健闘を讃え合う子どもたち。
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やっぱり思い切って出て来てよかった!
遠州名物の「干しいも」も買えたし…。

また来年。
お馬さんたちも元気でね!

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鬼柴田は是真か?

一昨年、「どなたか柴田幸次郎を知りませんかぁー!」と呼びかけた時、
「その人は外国奉行・柴田剛中神田の親戚ではないか」
との情報をいただきました。

で、その柴田剛中を追いかけましたが、とうとう幸次郎には辿りつけなかった。
でも神田という地名がずっと気になっていました。
神田には柴田姓の有名な力持ちが二人いますが、どちらも名前が違う。

そこで、玩具博士で力持ちの清水晴風とつながりがあり、
神田川沿いに住んでいた蒔絵師の柴田是真(ぜしん)を
ちょいと探ってみたら、こんなHPに出会いました。

蒔絵博物館 高尾曜のホームページ」

まずは是真の住んでいたところをご紹介します。
img930 (2)
「東都浅草絵図」嘉永6年版 「江戸東京切絵図散歩」山川出版社 2010より

是真の家は神田川沿いに建ち、裏は「石切河岸」だった。
蒔絵博物館の高尾氏によると、
是真は「石切河岸の先生」と呼ばれていたそうです。

是真の家の対岸はこんな感じ。
新し橋方面の神田川沿いは、
柳の並木が続く「柳原堤(つつみ)(柳原の土手)だった。

img933.jpg
「日本橋北内神田両国浜町明細図会」安政6年版
「江戸東京切絵図散歩」山川出版社 2010より

さて、私が高尾氏のHPを見て、
「もしや」と思ったのは、こんな記述があったからです。

是真は身長5尺6寸(170㎝)で、力士のような体格で胸毛が生えており、
ー略ー 腕力があり、4斗俵を持ち上げたそうです。

また昼食の後は弟子たちを連れて家の裏の空き地に行き、
弟子たちが持ち上げられない大きな石を持ち上げて見せ、
それを投げ落とすや家に駆け込み、
すぐに絵筆を取って絵を描いてみせたそうですが、
少しも手先が震えなかったそうです」

82歳のときの是真凄みがあります。
img928.jpg
「蒔絵博物館」からお借りしました。

木村与五郎というより、
俳優でお笑いタレントで画家の片岡鶴太郎にどことなく…。

でも、写真の是真が放つ鋭い眼光や気迫には、おのずと日本画や蒔絵の実力の
ゆるぎない凄さがほとばしり出ている気がします。
並の芸術家が束になってかかっても、是真の足元にも及びません。

で、これは! と思いました。

だって、その技量を国が認めた「帝室技芸員」の美術家で、
外国でも評価が高い蒔絵師が「幸次郎」だったら、最高じゃないですか。

是真の作品「富士田子浦蒔絵額面」 
柴田是真
明治6年(1873)、ウイーン万国博覧会出品作品。福富太郎コレクション

でも是真の幼名は亀太郎。通称は順蔵。幸次郎という名ではない。

やっぱり違ったか。

でも、ダメもとで、蒔絵博物館の高尾氏にお尋ねしました。
丁寧なお返事をいただきましが…。

「力石という名前すら存じませず、興味深く拝読しました。
是真の逸話の典拠は、
岡田梅真の「柴田是真の逸事」書画骨董雑誌 1929年です。

力石とは無関係でしょう」

はァー…


<つづく>

「追っかけ」やってます

前回、玩具博士の清水晴風が、

「元柳橋の大王石は150貫目と証言した」

と書きましたが、実は朝倉無声の「見世物研究」の段階では、
晴風はまだ「元柳橋」の名を出してはいないのです。

でも私は、晴風のいう大王石は元柳橋の大王石に間違いないとにらみ、
あれこれ探しまくり、ようやくそれを突き止めて前回早々出してしまいました。

でも、そのてんまつに入る前に、
「幸次郎」探しの苦労話をちょっとお聞きください。

まだ見ぬ「幸次郎」が、ブ男だなんてアリエナイ!
きっと木村与五郎みたいな粋な男だったはず。
と思う心は、アイドルの「追っかけ」と同じかも♪

美男薄命の力持ち、木村与五郎です。
7e985789-s (2)

さて、その幸次郎追っかけのお話です。

高橋是清という幕末生まれの政治家がいました。
昭和11年の青年将校たちの反乱、二・二六事件で暗殺された人です。

その是清の自伝に、
母の再婚相手、塩魚屋の名前として「幸次郎」が出てきたのです。
ひょっとして柴田姓ではないかとあれこれ調べたものの、判明せず、
これはあきらめました

次に目にしたのが、明治33年発行の「新撰東京名所図会」に出ていた
柳橋の船宿「藤もと」の「幸次郎」です。

明治のころの柳橋と船宿です。
img874 (2)img874 (3)
「新撰東京名所図会」東陽堂 明治33年より

場所も元柳橋に近いし、江戸時代から続く船宿とくれば有望です。
ですがこちらもこれ以上の手掛かりが得られず断念

そこでもう一度「竿忠の寝言」に戻ってみると、和竿師の忠吉さんも、
「以前から素人力持ちの仲間に入って、石や俵を差していた」とあった。

だから忠吉さんは、「鬼柴田と大王石」のことを知っていたのですね。

その忠吉さんを讃えた「名人竿忠之碑」が、木場の洲崎神社にあります。
そこの力石群です。
img630 (3)
江東区深川木場・洲崎神社 「東京の力石」高島愼助 岩田書院 2003より

木材集積地の木場ですからね、こんな勇ましい男衆たちが働いていました。
彼らは川並鳶(かわなみとび)と呼ばれ、車力派と力持ち界を二分していたのです。

img093 (2)
「明治・大正・昭和/東京写真大集成」編・集成 石黒敬章 新潮社 2001より

その木場は明治20年に埋め立てられてしまいますが、
その跡地にできたのが「洲崎遊郭」です。

ここの使用人たちが大正14年に奉納した力石が現存していますから、
遊郭の人たちも力比べに興じていたんですね。
でも残念
なかったんです、忠吉さんの力石。

洲崎遊郭は明治末の45年に大火で焼失。
復興して隆盛を極めますが、昭和33年の売春防止法で廃止されました。

焼失したときの洲崎遊郭です。
img095 (2)
同上

忠吉さんの力石はなかったのですが、
その洲崎神社の石の一つに、「虎子石」と刻まれた石があって、
故・伊東明・上智大学教授の研究論文にこんな記述がありました。

「川部茶酔の木場名所図絵「力持ちの図」に添えて、

     さし石や遊びと見えぬ腕くらべ  茂丸

の句がある」

句を詠んだ茂丸とは誰だろう?
もしかしたら、明治から昭和初期に暗躍?した政財界のフィクサーの
あの杉山茂丸かと、一人色めき立ちました。

が、トホホ。これも確認できず。

茂丸探索と同時に「木場名所図会」なる絵画集も探しました。
この図絵を描いたのは森田寛次郎という人で、(川部茶酔は解説者)
昭和2年に設立された東京木材市場株式会社の創立者の一人と判明。

私は「木場名所図絵」に描かれた力石が見たくて、
現在の関係先・東京木材製材協同組合へ連絡させていただいたのですが、
組合では何もわからない、絵の所有者はご病気、
とのことで、それ以上は遠慮しました。

またこの絵図は、
東京都立図書館と国立国会図書館にもあるとのことでしたが、
館内のみの閲覧ということで、こちらも断念せざるをえませんでした。

でもね、捨てる神あれば拾う神ありで、
これも全くの偶然ですが、
もう一枚、元柳橋の大王石の写真、見つけちゃいました。

これです。
元柳橋が見えているということは隅田川の船上からの撮影だと思います。
img875.jpg
「大日本全國名所一覧」イタリア公使秘蔵の明治写真帖
監修 マリサ・ディ・ルッソ 石黒敬章 平凡社 2011

これは、明治10年(1877)、イタリア公使として来日したバルボラーニが、
日本で収集した1268枚というぼう大な写真の中の一枚です。
そのすべてが撮影年も撮影者も不明だそうです。

クレットマンは自分で撮影しましたが、この人は既存の写真の収集です。

写真の元柳橋は隅田川へ注ぐ薬研堀にかかっていた橋ですが、
明治36年に埋め立てられて消滅してしまいました。

で、みなさん、おわかりになりましたか?
赤丸の中の「大王石」

ほら!
img875 (2)

赤丸の中を虫メガネで見る方がはっきりわかるかも。

これで「大王石」が写っている写真は3枚になりました。
私、こんなのを探しているんですよ。酔狂な、とお笑いください。

以前にもご紹介しましたが、3枚のうちのもう一枚がこれです。
img210 (6)
「古写真で見る江戸から東京へ」世界文化社 2001 撮影者不明

大王石を背に立っているのは人力車夫みたいですね。
写真の撮影者はこの人力車に乗ってここへやってきたのかもしれません。

このように古写真の中から力石を見つけたときは、
クラクラするほど嬉しいのですが、でも、そのあとちょっぴり寂しくなるんです。

だってこれらの力石はたまたまそこにあったがために、
偶然写真に写り込んだだけなんですから。

安土桃山時代にポルトガル人によって編さんされた
日葡辞書(にっぽじしょ)」には、「力石」のことがちゃんと載っているのに、
幕末明治に来日した異人さんたちは、何の興味も示さなかった。

だから、
力石や力持ちを意識的に撮影した写真が一枚もないのです。

それがものすごーく寂しいです。


<つづく>

※国立国会図書館からデジタル画像としてこちらの県立図書館に
送信するシステムがあるようなので、近日中に行ってきまぁーす。

75貫か150貫か

元柳橋にあった「大王石」の重さは、
玩具博士で力持ちの清水晴風が「150貫目」と証言しました。

150貫目は約600㎏です。
どのくらいの重量かというと、
一番太っていた頃の大関・小錦(285Kg)二人分+10Kgの米3袋

009konishiki (2) 009konishiki.jpg +30㎏

現在確認されている日本一重い力石は、
三ノ宮卯之助「大盤石」610㎏(実測)です。

これです。
こんな石を持ち上げるなんて、信じられます? でも上げたんですよ。

三ノ宮卯之助の研究者・高崎力氏と大盤石
img798 (3)
埼玉県桶川市・稲荷神社 =有形文化財=

柴田幸次郎の大王石、現存していればこの「大盤石」に匹敵します。
もしかしたらそれを上回る日本一の力石かもしれません。

ところが江戸和竿師・中根忠吉の「竿忠の寝言」では、
「鬼柴田、鬼幸と呼ばれた怪力の人が差した大王石」は、
75貫(285㎏)となっていました。

75貫目なら150貫目の半分しかない…。

これがその元柳橋の大王石です。
何度も出して恐縮ですが、なにしろこれしか残っていないので…。

石をグラリと起こせば、かたわらの女性の腰か胸あたりまで来そうです。
img188 (20)

どうでしょう、この石。150貫目か、はたまた75貫目か。

75貫目はどのくらいのものか比較可能な石がありませんので、
貫目足らずですが、次の写真でちょっと想像してみてください。

笠岡市郷土館の力石です。
郷土館の管理人さんに立っていただいて写しました。

手を置いている石の重さは180㎏48貫目)です。
静岡市にはこれと同じ重量の石を片手で上げた金杉藤吉の力石があります。
こんな石を片手で持ち上げたんですから、本当にぶったまげます。

で、写真を見ただけでも、
これより大王石の方がはるかに大きいことがわかります。
CIMG0500 (2)
岡山県笠岡市・郷土館

石ではありませんが、もう一つお見せします。
京都・醍醐寺「五大力尊・餅あげ奉納」
台+大鏡餅で150㎏(約40貫目)。
写真は挑戦者の一人、岐阜在住でケトルベルトレーナーの大江誉志さんです。

台の上の餅がズルズル動いて重心が定まらず、非常に持ちにくいそうです。

CIMG2992 (3)
京都市伏見区醍醐・醍醐寺

こちらは、三ノ宮卯之助が差したもう一つの「大盤石」です。
重量は520㎏144貫目)。=文化財=
img360 (4)
埼玉県越谷市・三野宮香取神社  朝日新聞(2013・5・1)掲載

さて、元柳橋の「大王石」の本当の重さは75貫目か、150貫目か?
重さは石質によっても違いますから難しいところですが、
判断はお読みくださっている皆さまにお任せいたします。

どちらにしてもこんな大きな石は、手で持ち上げることは不可能です。
なので、こうした巨石は足で差したんですね。
これを「足差し」または「足受け」「足の曲持」といいます。

150貫目の石なんて、とてつもない重い石ですが、
75貫目もまた、「足差し」でなければ上げられない巨石です。
どちらにしても凄い石に変わりありません。

下の写真が「足差し」です。
三ノ宮卯之助の「大盤石」(610㎏)の足差しの再現です。

まわしの白さが目にしみます。
なんだか見てはならないものを見てしまったような罪悪感が…。

桶川市民祭り1 (6)
桶川市市民祭り

しかしですよ、いくら足とはいえ、
最重量力士、285㎏時代の小錦二人分+米30㎏ですからねぇ、
失敗したらぺっしゃんこ。

命がけです

猫とネズミのディズニーアニメ「トムとジェリー」で、
ぺっしゃんこになった猫がペラ~ンと起き上がって、
そのまま走り出すシーンがあったけど、
現実にはペラ~ンとなったらおしまいですもんね。

厳しい世界です。


<つづく>
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
力石(ちからいし)のことを知ってほしくて、ブログを開設しました。主に静岡県内の力石と力石を詠んだ句や歌、力石探しのつれづれを発信していきます。

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